回顧録4 ~恵麻~
「伯母さんは、お父さんのお姉さんなの。お母さんが死んじゃった後、伯母さんが私を引き取って庇護してくれることになったのよ。伯父さんは市場で商売をやっているの」
恵麻ちゃんはそう言って、小さい牛舎の木戸を開けた。
薄暗い中に外からの光が差し込んで、ほこりっぽい牛舎の風景が浮かび上がる。
「ここは普段私しかこないから、休んでても大丈夫。お腹が空いたらミルク絞って飲んでもいいよ」
「ミルク?」
先に入った恵麻ちゃんに続いて牛舎の入口をくぐった私は、「モ~」という声にひるんで立ち止まった。
柵の奥から、一頭の茶色い雌牛がこちらを見ていた。
「む、無理かな……絞ったこと、ないし」
「ええ? 本当? 私は毎朝絞るんだけど、おいしいよ」
「へえ……」
恵麻ちゃんは可愛らしいくりくりした瞳を向けてくる。
こんなに真っ直ぐな目で見られるのには、慣れていない。子供でも大人でも、いつでも人は私を厄介者を見るような目でしか見なかったから。
外の世界には、こんな風に私を見て、親切にしてくれる子がいるんだな。
ただそれだけのことが、じんわりとうれしかった。
恵麻ちゃんはミルクを絞るためのバケツや、干し草を敷き詰めた寝藁の説明をしてくれた。
彼女は8歳で私の2つ下らしい。年の割にずい分としっかりした子だと思った。
両親は既に亡くなっていて、今はここで伯父さん伯母さんと暮らしていると教えてくれた。朝から晩まで、働く代わりに衣食住が約束されていると。
「ねえ、美威ちゃんの連れの子ってそんなに目立つ子なの?」
「うん、髪の毛も薄茶色いし、遠目からでも目立つから、いればすぐ分かると思うんだけど……」
「じゃあ私、後でまたおつかいがあるだろうから、もう一度捜してきてあげるね」
「ありがとう、恵麻ちゃん」
「美威ちゃんはちょろちょろしちゃダメだよ。危ないからね」
「うん、分かった」
飛那ちゃんを捜しに行きたいけど、正直言って、もう歩けない。
足は疲れたを通り越して、熱を帯びているようにじんじん痛かった。
恵麻ちゃんが出て行った後の牛舎を見渡して、こっちを見ている牛から目をそらすと、私は干し草の上に転がった。
ああ……疲れた。お腹も空いたし、のども乾いた。
水筒の中をのぞくと、空だった。
ちょっと考えて我慢出来そうだったので、そのまま目をつぶった。とにかく休もう。
飛那ちゃん……どこ行っちゃったんだろう。
顔合わせたら絶対、いつもの調子で怒鳴られるんだろうな……
温かい干し草が心地良くて、私はうとうとまどろみはじめた。
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「美威ちゃんのお友達?」
市場に戻って美威を捜していたら、突然声をかけられた。
私が大した時間もかけずにここまで戻ってこれたのは、奇跡に近い。ついでに言うと、このショートカットの少女に出会えたのも、すごく幸運だった。
「……誰だ?」
「恵麻だよ。美威ちゃんを捜してるんでしょ? 薄い茶色の髪の女の子、あなたでしょ? 美威ちゃんも捜してるよ」
「……美威の居場所、知ってるのか?」
「うん。案内できるから一緒に……あ、でもちょっと待ってね。あとこれだけ買わなきゃいけないの」
そう言ってその子は市場の店から米と粉を5kgずつ買うと、一つを背中のリュックに入れて、もう一つを腕に抱えた。
「……重そうだな。いつもそんなに買うのか? 手押し車とか、なんか運ぶようなものはないのか?」
「そんなのないよ。今日はお酒がないからこれでもラクな方だよ」
「……親は?」
「いない。伯父さんと伯母さんがいる」
「……そうか」
この子もおそらく、奴隷扱いなのだろうと察しが付いた。
よたよたと歩き出した少女から、私は米袋を奪い取った。
「持ってやるよ」
「え? だって、あなたこそそんなに大きな荷物背負ってるのに……」
「大丈夫、そっちのも貸しなよ。美威のいるところ、教えてくれるんだろ?」
「う、うん……」
荷物の上に少女のリュックを乗せて、米袋を抱えると私は道案内を促した。
「よくそんなに持てるね、女の子なのに……」
「私はちょっと普通じゃないんだ。気にしないでいいから案内頼む」
「分かった。ありがとう」
にっこり笑うと、少女は市場を抜けて歩き始めた。近道なのか、狭い路地を通って、舗装されていない道路に入ると、元気に歩いて行く。
時たま、私を振り返って「大丈夫?」と聞いてきた。
「問題ない、美威はどこにいるんだ?」
「うちの牛舎にいるよ。迷子みたいで危なかったから声かけたんだけど……疲れてるみたいだから、休んでるんじゃないかな。ほら、あそこだよ」
少女が指さした先には、それなりに裕福そうな一軒の家があった。
家の裏にある牛舎に回ると、少女は入口の木戸に手をかけた。軋んだ音を立てながら扉が開くと、奥に一頭の雌牛が見えた。
「美威ちゃん、捜してた子見つけたよ」
私も荷物を下ろすと、中に入った。干し草の上に寝ている美威が目に入る。
無事だった。そう思ってほっとするのと同時に、横たわっている姿に、別の恐怖が頭をもたげた。
寝ているだけなのは分かっている。分かっているのに、もう目を開けないのではないかという不安を、やり過ごすことが出来ない。
「美威……美威、起きろ。大丈夫か?」
「う……うーん……」
寝かせておいてやればいいのに、起こさずにはいられない自分を、どうかしていると思う。
肩を揺すると、美威は顔をしかめながら起き上がった。
「あっ、飛那ちゃん!」
「……どこも怪我とかないか?」
「う、うん。大丈夫だよ」
「良かった……ごめん、置いていったりして。追いついて来れないの、頭が回らなかった。これからは気を付ける」
自分でも驚くほど素直に、謝罪の言葉が出て来た。
心に思う気持ちを口にするのは苦手なはずなのに……すごく反省しなきゃいけない気がするせいだろうか。
美威はもっと驚いたようだ。何だよ、その意外そうな顔は……
だって、こんなことで失っていいほど、軽い誓いじゃなかったはずだ。
一緒に行くと決めた時点で、何に変えても守ろうと誓った。もう次は、誰にも奪われたり、無くしたりしないと。
「ううん、私が走るの遅いからいけないんだ……でも飛那ちゃんが見つかって良かった。恵麻ちゃんが連れてきてくれたんだね? ありがとう」
「どういたしまして」
美威がお礼を言うと、恵麻と呼ばれた少女は笑って「まだ休んでていいからね」と言った。
「何なら泊まっていってもいいよ。ここ、一応雨は当たらないし寒くないし」
申し出はありがたかった。宿に泊まるには資金不足だし、また子供だからと断られる可能性もあるのを考えれば、それが最善かと思えた。
「大丈夫なのか? その……私達がここにいても」
「大丈夫だよ。その代わり、伯父さんと伯母さんには見つからないようにしてね」
私達は恵麻の言葉に甘えることにした。
市場で少しの食料と飲み物を買って、私達は牛舎で休んだ。
美威は大分疲れているみたいだった。お腹がいっぱいになると、干し草の上で早々に寝てしまった。
私もその隣に横になった。干した草の香りが気持ちいいベッドだ。少しチクチクするけど、贅沢は言ってられない。
それにどこで寝るにしても、一人じゃない。
傍らですうすう眠る相棒を見て、頬が緩む。上着をかけてやると、自分も眠りについた。
人の話し声が聞こえて、目が覚めたのは夜中だった。
(……何だ?)
美威が寝ているのを起こさないようにそっと体を起こすと、私は入口の木戸に張り付いた。
「……世間体もあるし、家事をやってくれる子がいないと困るよ」
「仕方ない、今はまとまった金がいるんだから。また落ち着いたらどこかで安いのを買えばいい」
男女の声だ。馬の鳴く声も聞こえる。それに、馬車の軋む音か。
家の前の通りに、馬車が止まっているらしいということが分かった。
私達がここにいるのを誰かに見つかれば、恵麻に迷惑がかかるだろう。私は息を潜めて外の様子を伺った。
「それじゃ、手続きは以上ですから。金額に間違いありませんか?」
「ああ、確かに。ご苦労様」
そんな男の声が聞こえる。
まもなく家の戸が開いて、人が中に入っていく気配がした。
こんな夜に客か……そう思った時、耳に聞き覚えのある「ゴホゴホ」という声が聞こえてきた。
私はなんだか嫌な予感がして、木戸を少しだけ開けた。
すぐ目の前に、箱形の馬車の荷台があった。
「よーし、行くぞー」
御者の声で、馬車はゆっくりと動き出した。
荷台の後ろに鉄格子が見える。これは簡易的な牢屋だ。そう思った。
荷台の中に月明かりが差し込むと、咳き込む口元を押さえる男の子の姿が見えた。さらに、その向かいに座った、ショートカットの少女の姿も。
「あっ……」
恵麻だった。
何で、と思いかけたが、状況を見ればすぐにその理由は分かった。
これは奴隷商の馬車だろう。おそらく、何らかの理由で伯父と伯母に売られたに違いない。
右頬に傷のある少年の弟。彼は……捕まったのだろうか。あの少年の姿は見えなかった。
走り去ろうとする馬車を思わず追いかけようとして、思いとどまる。
後ろを振り返ると、美威が気持ちよさそうに寝ていた。ダメだ、美威を置いていくわけにはいかない。
「くそっ……!」
馬車が通りの角を曲がるまで見送って、私は唇を噛んだ。
助けてもらったのに、このまま放っておいていいのか。
「いいわけ、ないよな……」
私は牛舎の中にとって返すと、ぐっすり眠っている美威の頬をつついて起こした。
短編を改編・加筆してみたら、思いの外長くなって1.5倍以上のボリュームに……後3話で収まるかな? というところですね……
次回、「救出作戦」。回顧録がまだ続きます。




