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没落の王女  作者: 津南 優希
第三章 その先の未来へ
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自覚と奪還

 私の手を振り払うと、飛那姫は青い顔をしたまま店を飛び出した。


「飛那姫?!」


 彼女と入れ違うように、魔道具屋の木戸をくぐって何人かの客が店内に入ってくる。それで外に出るのが一歩遅れた。通りに出た時に、飛那姫の姿はもうどこにも見当たらなかった。

 昨晩、寝ずの番をしていたインターセプターを宿に置いて休ませてきたが、こんなことになるのなら連れてくるのだった。


「どっちへ行った……?!」


 あんなに血相を変えてどこへ行ったのか。明らかに様子がおかしかった。

 まさか、記憶が戻ったのだろうか? この魔道具屋以外にも行った場所を思い出したのか? それとも、森の泉へ向かうつもりなのか。

 あの場所に、何か手がかりがあることはもう間違いなかった。


(早く助けに行かなくちゃと、そう言っていたな)


 彼女のパートナーはまだあの森の中にいるということなのか。

 私は今し方振り払われた、自分の手を見つめた。同時に、一人でいいと、助けを断られたことを思い出す。

 あれも、拒絶だったのだろうか。

 おせっかい、と以前の彼女に言われていたことまで、思い出してしまった。


(私が追っては……迷惑なのだろうか)


 胸に広がった苦い気持ちが、進もうとしていたはずの足を止めた。

 彼女がどれほどパートナーを想っているのかは、あの必死さから伺い知れた。

 敵がいるのならば、私の剣は役に立つだろう。少なくとも、今の彼女よりは私の方が強い。

 だが、無事にパートナーを見つけた後、私は彼女になんと声をかければ良いのか。良かったな、と。少しの偽りもなく笑って言えるのだろうか。

 そこまで考えてから、私は自身の思考に驚いた。


「私は、今何を考えて……?」


 飛那姫のパートナーを、一刻も早く見つけてやりたい気持ちはある。

 しかし、彼女とパートナーが手を取り合って喜ぶ姿を目の当たりにして、平静でいられる自信はなかった。それは自分でも、予想していなかった感情だった。

 これはそう、ただのつまらない……嫉妬心に他ならない。

 いつも彼女の側にいられるパートナーへの。


 はっきりと恋仲だと聞いたことはないが、飛那姫には心から想いあうパートナーがいる。それは以前から感じていた。

 私が、彼女を追い求めたところで無駄だと知っていた。

 だからきっと、どこかで気付いていながら、自分の気持ちに目を背けていたのかもしれない。

 たどり着いてしまった結論に、胸の奥からため息がこぼれた。


 こうはっきりと、彼女への想いを認識してしまった今、もうなかったことには出来ないだろう。

 仕方あるまい、気持ちばかりは誤魔化しようがない……

 認めよう、私は彼女のことを剣士としてだけでなく、女性として好ましく思っている。


 だが今は自分の気持ちなど関係ない。何よりもまず、彼女を追わなくては。

 力になれることがあるのなら、躊躇などしてはいられない。そこから先はまた……その時に考えればいい。


 私はインターセプターの待つ宿へ向かって走り出した。飛那姫を追うために。

 彼女がどこに消えたにせよ、記憶が戻らないあの状態を思えば、不安しか浮かんでこなかった。


「早く見つけなくては……」


 そう離れていないはずの宿までの道のりが、ひどく遠く感じた。



-*-*-*-*-*-*-*-*-*-


 傭兵達の乗る馬は、森の道を軽快に走っていった。

 私は馬の背で、先ほどの魔道具屋での自分の行動を悔いていた。


(手を、払ってしまった……)


 無意識にやったこととは言え、心配してくれた人に対してひどいことをしてしまった。

 でも、とても恐ろしかったのだ。黒髪の彼女が、失われてしまうことが。


 記憶の欠片の中に、1人の女性の姿が浮かぶ。

 間違いない、彼女はまだあそこにいる。具体的に何かを思い出せたというより、直感だった。

 彼女の姿と、何を引き替えにしても助けなくてはという焦りだけが、私を突き動かしていた。


 まもなく馬は例の泉にたどり着いた。

 一見、何も不穏なところはない景色だが、私は知っている。あの泉の底から引き上げなくてはいけないものがあることを。

 あそこにいる何かが、私から大切なものを奪い去っていったことを。


「おそらく、あの泉です。異形がいるのは……気を付けて」


 馬から下りて私が言うと、男達は不思議そうな顔をして地面に下り立った。


「よく知ってるな、姉さん。来たことがあるのか?」

「ええ……多分、ね」


 傭兵達が泉に向かう。私もその後ろに続いた。

 静かな水面を見たら、もうふさがっているはずの肩と脚の傷がうずいた気がした。

 ここであった出来事が、記憶が、強さとともに自分の中から全て持ち去られて、水底に沈んでいる気がした。

 水面を見ていると、どうしようもなく胸が苦しくなってくる。

 ここから、どう取り返せばいい?


「ただの泉に見えるが……?」


 傭兵の男が一人、そう言って泉のふちにしゃがみ込むと水面に手を伸ばした。

 私からは何が起こったのか見えなかった。けれど、隣に立っている男も、しゃがんだ男も、明らかに慌てた様子をみせた。

 一番前で腰を上げかけた男は、剣を抜くひまもなく突然水の中に落ちた。

 いや、落ちたように見えただけで、実際は引きずり込まれたのだ。


「おいっ!」

「なんだ今のは?! 水が……!」


 逃げようとする残り二人の傭兵に、泉の中から出て来た水の糸が絡みつくのが見えた。

 これは罠だ。巧妙に仕掛けられた、獲物を待ち伏せるための網。


 片方の男が、剣を打ち下ろして水の糸を斬った。しかし刃は水を通り過ぎただけで、手応えはなかった。

 なおも締め上げられる男の腕から、剣がこぼれ落ちる。

 

 泉の底から浮上してくる気配は、全身の肌を粟立たせた。水面に浮かぶ細かいあぶくが、次第に大きな無数の泡になっていく。

 あふれ出んがばかりに波だった水面を割って、一匹の巨大な蜘蛛が姿を現した。

 グロテスクな黒い体から突き出た前足の、1本だけが切り取られたように短かった。

 口から吐き出された水の糸は、傭兵の男達を捕らえて放さない。


「くっ、蜘蛛の異形だ!!」

「こんなにでかいなんて聞いてないぞ!」


 男達が抵抗するも、水の糸は切れない。

 のどがヒリヒリと乾いてくるのを感じた。こんな化け物を前にして、恐ろしく感じないわけがない。私は震える手で、少し先に落ちている剣を拾った。

 蜘蛛の形をした異形の背に、何かが見えた。水の球、だろうか……


 その中の一つに、黒く長い髪が揺れるのを見つけて、私は息を飲んだ。


(見つけた……!!)


 声にならない叫びが、彼女の名前を呼んだ。


 傭兵の男達が、背にあるのと同じ水球に飲み込まれていくのが見えた。あのままでは彼らも危ない。私は指に無理矢理力を込めて、重たい剣を構えた。

 戦い方は、覚えていない。

 水球は瞬きする間に傭兵たちを飲み込んでしまった。駄目だ、助けられない……!

 次は私だと言わんがばかりに、水の糸が幾筋もこちらに向かって飛んでくる。


「くっ!」


 構えた剣に絡みついた水の糸が、私の体をぐいと引っ張った。

 引きずられる。引きずり込まれる……!

 やっぱり私が剣士だなんて嘘なんだ。だって、剣を持ったって、私には何も出来ないじゃないか……


(強さが欲しい……!)


 一撃も返せないまま、私は地面に引き倒された。

 ずるずると草の上を引きずられる。水が、迫ってくる。

 どうしようもなく無力な自分を恨みながら、私は大蜘蛛の背に見える水球を見上げた。


(助けなきゃ、いけないのに……!!)


 あきらめられずに、ギリ、と歯を食いしばった瞬間、視界の右側に白い光が飛び込んできた。

 勢いを殺さないまま、それが大蜘蛛に突っ込んでいくのを、私は見ていた。

 鈍い衝突音とともに、大蜘蛛の黒い体が泉の上から吹き飛ばされる。


『キエエエッ!!』


 甲高い叫びをあげながら、大蜘蛛が草原に転がった。

 水の糸がちぎれるように腕から離れ、黒い塊は森の木々を押し倒し地響きを立てた。私の悲鳴は轟音にかき消されて、大蜘蛛の背からは、いくつかの空の水球が地面に転がり落ちた。

 パチン、とひとつ、ふたつ、水球が割れて中から水が流れ出る。


「っ……!」


 倒れ込んだままの視界が、いきなりゆがんだ。目がくらむ。

 同時に、圧倒的に足りなかったものが、波のように流れ込んで頭の中に満ちてくる気配がした。ない時には気付かなかった膨大な情報量が、押しつけられるように私に還ってくる。

 分からなくなっていた、力を使うためのプロセスが、整頓されて、鮮明になっていく。


「……飛那姫!」


 名を呼ばれて助け起こされた時には、妙にすっきりした気分だった。

 見覚えのある濃い緑の目が、私を見下ろしていた。


 あれ……? 私、何してたんだっけ?


 ここがどこで、何をしていたのか、全部頭から飛んでいる。

 あと、なんでこの人がいるのか。

 

「……アレク?」


 状況がよく飲み込めない。

 しかしその肩越しに見えた黒い異形の姿に、胸の奥を掴まれるような息苦しさを覚えた。

 思い出した。

 私が、やらなくてはならないことを。


「……っ美威!!」


 見上げた大蜘蛛の背。水球に浮かぶ、美威の姿が見えた。


リベンジまでたどり着きませんでした……

ひとまず、記憶その他はインターセプターの活躍により奪還成功。


次回で、森の異形編は終わりです(後談に、オマケ話がひとつ付く予定です)。

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