掴んだ記憶の欠片
目覚めたらベッドの上だった。
ん? いつの間にここに移動したんだっけ?
どれだけ眠っていたのだろう。もう日は昇り始めている。
服は昨日のままだったが、素材のせいか、特にしわも出来ず綺麗なようだった。
足下では、インターセプターが丸まって横になっていた。私が体を起こした気配を察したのか、ゆっくりと頭を起こす。金色の瞳でこちらを見ると、うれしそうにしっぽをパタつかせた。
「おはよう、インターセプター……アレクは?」
声をかけると、白い聖獣はクーン、と甘えるように鳴いた。
ひとまず部屋の中に彼の姿は見当たらない。
私はベッドから這い出ると、洗面所に立って髪を整えた。足は昨日のようにふらつかなかった。これなら部屋の外にも出ることが出来そうだ。
いつ記憶が戻るのか、本当に戻るのかも分からないこの状態に不安がないと言えば嘘になる。
でも、いつまでもアレクの世話になっている訳にはいかないだろう。
彼の知っている強い剣士でない私は、きっと厄介な荷物になっているに違いないのだ。
それは嫌だな、と思った。もう大丈夫だから、今日からは自分でなんとかすると言わなければ。
自分でなんとか……出来るのかどうかは分からないけど。
剣も魔法も忘れたとなると、傭兵は廃業するしかないだろう。
膝元に擦り寄ってきたインターセプターの頭を撫でながら、そんなことを考えていると、扉をノックする音が聞こえた。
インターセプターが走り寄って扉を開け、アレクが入ってくる。
「おはよう、飛那姫」
今日の彼は騎士のような鎧姿でなく、一般民のようなラフな白シャツにパンツスタイルだった。
「おはよう、アレク」
「少し早いが朝食にしよう。下に出来ているそうだけど、歩けるかい?」
「ええ、もう大丈夫」
「ああ、大分顔色が良くなったみたいだね。安心したよ」
そう言うと、彼は濃緑の目を細めて笑った。
向けられる笑顔に罪悪感を抱いてしまうのは、今の自分がこの人を失望させていると知ってしまったからだ。
1階の食堂は、大きく窓を取った明るい空間にあった。テーブルには泊まり客がポツポツいる。
コーヒーのいい香りが鼻をくすぐった。そう言えばお腹空いたな。
私達は若草色のテーブルクロスの席で、向かい合って簡単な朝食をとった。
アレクは昨日出かけて分かったことを教えてくれた。森に異形がいるらしいということ。私とパートナーがその異形を退治しに行った可能性があるということも。
「町へ聞き込みに?」
「ああ、歩けるなら出てみよう。何か思い出すこともあるかもしれない」
食後のコーヒーを飲みながら、アレクが提案してきたのは、聞き込みがてらの散策だった。
まずは明るいうちに、開いている店から自分の足で回ってみてはどうかと。
「あの、アレク」
お人好しそうなこの人はどこまでも私に付き合う気なのだろう。そう思った私は、言わなければならないことを口にした。
「色々助けてくれて感謝してます。でも私、もう一人で大丈夫ですから」
一人になりたいわけじゃない。でも、これ以上迷惑はかけたくない。荷物になるのもごめんだ。
少しだけ、アレクの表情が曇ったように見えた。
「……一人でと言うと、私の助けはもういらないと言うことかな?」
「いらないと言うか、あなたにもやらなくてはいけないことがあるでしょう? 私なんかに時間を使わせるのは申し訳ないと言うか……」
「私が今一番やらなくてはいけないのは、君の力になることだと思っている。別に無理してそうしているわけではなく、そうしたいんだ」
やっぱりこの人はお人好しだ。
きっと面倒なこととか、他の人がやりたがらないようなことも笑顔で請け負ってしまうんだろう。そんな風に思った。
「でも剣士でない今の私に、あなたに助けてもらう価値があるとは思えない」
「……何を馬鹿なことを」
仕方なさそうな顔でそう言うと、アレクはテーブルを立った。
「君とは友人だと言ったろう? 時間がもったいない、行こう飛那姫。君が君の価値についてどう思おうと自由だが、私は私で気の済むようにさせてもらうよ」
エントランスに歩いて行ってしまうアレクを追いかけて、私も食堂を出た。
剣を失った私でも、まだ友人と呼んでくれるのか。
敷き詰められた赤レンガの道を、少し離れて歩く。彼の言葉に、ほっとしている自分がいた。
傭兵ギルドは開店したばかりで、人は少なかった。情報屋の窓口に行くと、眠そうな顔の男が「いらっしゃい」と声をかけてきた。
「ああ、昨日の姉さん……だよね? 今日はまた随分と傭兵には見えない格好になっちまって」
まあ確かにこの姿では傭兵には見えないだろう。私もそう思う。
それよりも「昨日の」ってことは、やはり私はここに来たということか。
「森の異形は結局見つからなかったのかい?」
「いえ、それが……色々分からなくなってしまって。昨日、私がここに来た時のことを教えて欲しいんです。私はその異形を退治しに森へ?」
「ああ、やっぱり記憶を取られちまったか……他のやつらと一緒だね。まあ、命があっただけ良かったと思うしかないだろうが」
「やっぱり記憶をって……どういうこと?」
情報屋は、異形討伐に向かい帰ってきた傭兵は、記憶を失って何人も廃業しているということを教えてくれた。
私だけではなく、他の人も……
「パートナーは行方不明なんです。私達は、その森の異形のところへ向かったということですか?」
「ああ、確かに君たちは森へ向かったはずだよ」
情報屋はそれ以上の足取りは分からないと言った。
隣の窓口に並んだ剣士らしき傭兵が3人ほど、やはり異形の話を聞き、森へ向かうという話をしている。それをちらりと横目で見て、眠そうな目の男が言った。
「請け負う傭兵はこうして毎日来るんだが……どうにも手強い相手なんだなぁ」
私達はギルドを出た。
私とパートナーの魔法士が、森の異形を討伐に行ったというのはいよいよ本当のことらしいと分かった。
私だけ助かり、パートナーはまさか、その異形にやられてしまったのだろうか。
落ち込んだ気分で森の方角に目をやったら、視線の先に一軒の店が見えた。
そこそこ大きい、魔道具屋だ。なんだろう……なにかが気になる。
「飛那姫、どこへ?」
「あの店に入ってみたいんです」
魔道具屋の看板がかかる木戸をくぐると、年老いた店主がカウンターの奥からこちらに顔をあげた。私を見て、目をぱちくりさせると、「ああ」と言った。
「誰かと思えば昨日の姉さんか。今日は装いがずいぶん違うね……見違えたよ」
その言葉で、私が昨日ここへ来たことを知る。
古びた造りの魔道具屋だが、品数は多そうだから、何か買うものがあって来たのだろうか。
「……あの、連れは、あれからここに来ていないでしょうか?」
不審に思われないよう、そう尋ねる。
「お連れさん? いやぁ、あれっきり来てないよ?」
「そうですか……」
「それよりお嬢さん、お連れさんに買ってもらったペンダント、ちょうど違う色が入荷したんだ。もう1つどうだい?」
「ペンダント?」
「ほら、そこに」
店主がパイプで指し示したカウンター横の飾り棚には、可愛らしい涙型のペンダントがあった。同じデザインでいくつかの色がある。
これを、買ってもらった? 私が?
「これ……」
「その色は昨日買ったやつだろう? 色違いでどうだい?」
手に取った、深く濃い藍色の色合いは、誰かの瞳に似ていた。
「!」
その時、頭を揺さぶる痛みとともに、また脳の中に映像がフラッシュバックした。
藍色をしたガラス細工のペンダントを渡してくれた手。
水音を立てて、沈んでいくペンダント。
伸ばした自分の指の先に、まとわりつく水。
早く拾い上げなくては。
水底に沈んだ……あれは……
記憶の糸の端を掴んだ感覚があった。
これを離してはいけない! 思い出せ……!
「飛那姫? どうした?」
肩に伸ばされたアレクの手を、私は無意識に払いのけた。
止めないで! 私はすぐに、あの場所に行かなくてはいけない……!
「早く、助けに行かなくちゃ……!」
記憶の断片を整理して、よく考えている余裕なんてなかった。
恐怖に似た焦りが私を突き動かして、気付けば体は店を飛び出していた。
(行かなくちゃ!)
一刻も早く助けに行かなくては。彼女は今もまだ、あそこに捕えられているに違いない。
私は道行く人をかき分けて、町の出口を目指し走った。
(あれは……)
馬を駆って町を出て行こうとする3人組を見つけた私は、その進行方向に飛び出した。
さっきのギルドにいた男達だ。
「わっ!!」
「危ねえ!」
前足で立ち上がった馬が静止すると、私は一頭の馬の後ろに飛び乗った。
「え? なんだあんた?」
「森の異形の所に行くんでしょう? 私、居場所を知ってるわ。教えるから一緒に連れて行って」
「はあ? 姉さんが?」
「いいから行って! 早く!!」
「……は、はい」
なんだか分からないといった顔をした男達が、馬の腹を蹴った。走り出した馬の背で、私は泉を目指すように言った。
早く! 1秒でも早くあの場所に戻らなくては……!
遠くから、アレクが私の名を呼ぶのが聞こえたような気がした。
強くならなければ生きていけなかった子供時代。
乱暴な言葉遣いは、弱さを隠すために身につけたもののひとつ。
飛那姫から「強さ」を取ると、意外と普通の人でした。
次回、大蜘蛛にリベンジです。




