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没落の王女  作者: 津南 優希
第三章 その先の未来へ
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剣を無くした私

 私の名前は「飛那姫」だそうだ。

 フルネームは? と聞いたらアレクも知らないらしい。

 何だかな、もうここまですっかり忘れてると、分からないことも分からない。

 でも一人じゃないことで、大分冷静になってきた気がする。


「ここは私が滞在している宿だが……君もきっと、パートナーとこの町のどこかに宿を取っていたんじゃないだろうか。それも覚えていないか?」

「覚えてませんね……」

「仕方ないな、ひとまず君は中で休むといい。その血まみれの服もなんとかしなくては」


 確かに、肩も足も破けて、血まみれのボロ雑巾みたいだよね、私。

 アレクに借りたマントを羽織ってなかったら、ちょっとしたスプラッタだ。


 インターセプターと呼ばれている獣から降ろしてもらうと、なんとか立つことが出来た。

 アレクに腕を借りて、シックで落ち着いた照明のエントランスをくぐれば、何人かの泊まり客で賑わうロビーに出た。造りから、高級宿の部類に入るだろうと思えた。


「おかえりなさいませ、ヴァン様。お連れ様ですか?」


 宿屋の娘らしき三つ編みの女の子が、カウンターの向こうから話しかけてくる。


「ああ、すまないがいくつか用立ててもらいたいものがある。後で部屋に来てもらえないか?」

「かしこまりました」

「あと、軽食と飲み物を運んで欲しい」

「すぐにお持ちいたします」


 ロビーを通り過ぎて突き当たりを曲がると、大きめの階段があった。

 歩くのもしんどいのに階段……

 げんなりした気分を見透かされたか、私は再びアレクに抱え上げられた。


「ちょっ、人に見られたら恥ずかしいでしょう?! 下ろしてください!」

「3階まで上がるが、いいのか?」

「……やっぱりお願いします」


 背に腹は代えられない。私はおとなしく荷物になった。

 アレクの足下を、軽い足取りでちょこちょこと白い小さな犬がついてくる。さっきの大きな獣によく似てる気がするんだけど……?


「あの、この子……」

「ああ、インターセプターは、大きさがある程度自由になるんだ。聖獣だからね」

「せいじゅう……」


 聞いたことがある。すごく希少な動物で、とても賢いのだと。

 ……誰から聞いたのかは、覚えていないけれど。

 私はしっぽを振っている、どう見ても犬にしか見えない白い聖獣を観察することで、抱え上げられている恥ずかしさから目をそらした。

 幸い、部屋にたどり着くまで誰にも会わずにすんだ。


 アレクが泊まっているというのは、私が想像していた広さの3倍はありそうな部屋だった。間違いない、この人はお金持ちの貴族かなんかだ。

 確信した私をソファーに下ろして、彼も向かい側に腰を下ろす。


「それで……君はどの程度、何を覚えているんだ?」


 アレクはテーブルの上のグラスを取ると、水差しから水を注ぎながら、早速本題に入った。

 ことりと目の前におかれた水を見て、自分ののどが渇いていることにはじめて気付いた。礼を言ってそれを一気に飲み干すと、私は首を横に振った。


「正直、何を覚えていて、覚えていないのかすら分かりません。でも、日常的な常識のことは、なんとなく分かっているようです」

「人についての記憶は全くないのか?」

「そうですね」


 それはきっと、恐ろしいことなのだと思う。

 分からないから、気付かないでいられるだけで。


「何が原因でこうなったか……私と会う前の、最後の記憶はどこなんだ?」

「最後の……」


 あの泉のほとりで目を覚ます前のことについて、記憶をたぐってみる。

 ズキッと、こめかみが痛んで、思わず手をやった。


「どうした?」

「いえ、考えようとしたら、頭が痛くて……」


 その時、コンコン、と部屋のドアがノックされた。アレクが立ってドアを開けに行く。

 開けたドアの向こうには、サンドイッチとジュースが乗ったワゴンと、宿屋の娘が立っていた。


「軽食をお持ちしました」

「ああ、部屋の中にお願い出来るかな」


 彼女がテーブルの上にお皿とジュースを並べて行くのを、私はぼうっと見ていた。かっちり編まれた三つ編みに、そばかすの多い宿娘が、私の顔を見て少し表情を曇らせた。


「お連れ様、具合がよろしくないのですか? お顔の色が悪いようですが」

「あ……ええと、ちょっと調子が良くないだけで。大丈夫です」


 あやふやに微笑んで返す。今一番具合が悪いのは、多分頭の中だ。


「先ほど言った、用立ててもらいたいものなんだが」

「はい」


 アレクに向き直ると、宿娘はポケットからメモ帳を取り出した。


「彼女に、衣服を一式頼む。飛那姫、足のサイズは?」

「え?」


 突然聞かれて、考える。私の足のサイズ……


「分かりません」

「お貴族のお嬢様は、ご自分の足のサイズをご存じない方も結構いらっしゃいますよ。ちょっと失礼いたしますね」


 そう言って、彼女は私のブーツを片方脱がした。

 くるくる回して確認すると、元に戻してメモに何か書き込む。


「お洋服の好みはございますか?」

「え……いえ、特には」


 強いて言えば、動きやすい服とか。

 あれ? どうして私は動きやすい服が好きなんだっけ?


「かしこまりました。それではお嬢様にお似合いのお洋服を一式、ご用意させていただきますね」

「他に着替えがないのでなるべく早いほうがいいのだが……明日の朝までに頼めるだろうか?」

「少しの時間でご用意出来ますよ。お待ちくださいませ」


 笑顔で請け負うと、彼女は出て行った。


「元気な子ですね……」

「私は君以上に元気な娘を知らないが……?」

「そうなんですか?」

「飛那姫、君に記憶がないのは理解したが……言葉遣いから何から、どうしてそんなにおとなしくなってしまったんだい?」


 そんなことを言われても。

 私は元々の自分がどうだったかなんて知らないし、今の自分がおとなしいかどうかなんてことも判断がつかない。


「……分かりません」


 なんとなく、悪いことをしているような気分になってしまう。視線を落として答えた私に、アレクは申し訳なさそうな風でのぞき込んできた。


「すまない、その、責めている訳ではないんだ……ただ、君の様子がいつもとあまりにも違うから、私も戸惑っているのだと思う」

「……いつもの私について、聞いてもいいですか? どんな感じなのか知りたいです」


 謝る彼がなんだか気の毒になって、少し笑って尋ねる。


「そうだな……君は、とにかくいつもエネルギッシュだ。笑ったり怒ったりが見ていて飽きない。言いにくいことでも何でも、遠慮なく口にするし、何より剣術の天才だ」

「剣術?」

「そう、剣の……」


 ふと、アレクは何かに気付いたように私の顔を見返した。

 その目に今までにない不安を感じ取って、私はおそるおそる尋ねた。


「私が……あなたと同じ、剣士?」

「飛那姫……まさか、それも……?」

「覚えて、ません」


 アレクは、ばっと私の右手を取って見せた。


「剣は……君の剣は出せるのか?」

「えっ?」


 何を言われているのか、分からない。

 私の表情で全てを悟ったようだ。少しの沈黙の後、アレクは私の手をそっと下ろした。


「いや、すまない……大丈夫、思い出せる方法を探そう」


(私が、剣術の天才?)


 そんな言葉は到底信じられなかった。

 だって、自分の中には何もない。記憶も、力も……そう、「強さ」と呼べるようなものが1つも見当たらないのだ。

 まるごとぽっかり抜け落ちてしまったかのように、何もない。


「飛那姫、少し食べるといいよ。血が足りないはずだから。元気が出たら、湯浴みでもして、着替えを待つといい」

「……アレクは?」

「私は君のパートナーを探しに、他の宿を回ってくる。護衛にインターセプターを置いていくから、安心して休むといい」

「アレク」

「なんだい?」

「あなたは、私にとってどういう人なんですか?」


 身内や親しい間柄の人間だったなら、自分のことを忘れてしまったなんて、ひどくショックな出来事ではないだろうか。

 心配になって投げかけた言葉に、少なからずアレクは困った様子を見せた。


「どうと言われると……友人、のようなものかな……」

「剣士で、その仲間だということ?」

「仲間と言われるとちょっと違うかな。君が、私を友人だと思ってくれていたかどうかは、正直なところ分からないけれど……ね」


 そう言って、彼は部屋を出て行った。

 私は、サンドイッチをひとつかじって、側にすり寄ってきたインターセプターの頭をなでた。

 友人か。

 なんとなくピンとこない。


「……なんでだろう?」


 一人声に出してみて、首をかしげる。

 私にとっての友人……やっぱり、何かとても大事なことを忘れているのではないだろうか。

 ざわり、と胸の奥に息苦しい何かが動いた気がした。


強さの象徴、剣のことも忘れてしまった飛那姫。

ショックなのは、むしろアレクシスの方でしょう。


次回は、「価値のない私」。宿屋で回復中です。

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