表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
没落の王女  作者: 津南 優希
第三章 その先の未来へ
157/251

強さを失った私

 瞑っている目にもまぶしい日の光を感じて、私はうっすらと瞼を起こした。

 朝か。それとも、光の傾き加減からすると、もう昼近いのだろうか。


(……寒い)


 ひどく体が冷えているようだ。私は霞がかった頭を抱えて、重たい体を起こした。草の香りが、ふわりと鼻をくすぐる。


「……っ」


 ぐらん、と視界が半回転してぼやけるのと同時に、頭の奥がじーんとした。

 だんだんと合ってくる焦点。緑の草原に置かれた、自分の手にピントが合う。

 顔を上げてみると、少し先に泉のようなものが見えた。鳥の鳴く声、木々の間から差し込む光に揺れる水面。


 さわやかな森の中、だ。

 朝かと思ったが、どうやら夕方近いようだということが分かった。

 何故、ここで寝ていたのか?


(……あれ……?)


 目覚める前のことを思い出そうとして、自分の中に空虚な空間があることに気付いた。

 ここで何をしていたのか。どこから来て、どこへ行くのか。

 何一つとして、自分の中に答えがない。


(覚えて、いない……?)


 どくん、と心臓が鳴って、体の内から焦燥感が沸き上がってきた。

 何か、ひどく大切なことを忘れている気がする。


(え……なんで私は……)


 自分の名前すらたぐり寄せられない事実に、少なからず愕然とした。

 痛む頭を絞って、身につけているものから何か思い出せないかと考えついたものの、冷静ではいられなかった。

 あげた右手の冷え切った指先から、握っていた草のかけらがハラハラと舞い落ちた。

 私はそこで動きを止めた。左肩から大きく裂けた布が目に入ったからだ。おそらく自分が着ていた上着の名残だろう。

 おそるおそる手をやると、ぬるりとした感触とともに赤黒い液体が手のひらに移った。


「何……これ……」


 見れば、しびれた左脚にはもっと深そうな傷がある。

 そこでやっと、自分がひどい怪我を負っているのを自覚することが出来た。

 気付いたと同時に、ズキンズキンと傷がうずき始める。


「痛っ……!」


 まだ血の流れている脚を押さえつけて痛みを噛み殺す。自分が倒れていたところに、少しの血だまりが出来ているのが分かった。

 それはめまいがするのも頷ける出血量だった。

 状況が飲み込めないまま、私はごくりとつばを飲み込んだ。


(一体、何があった……?)


 今、自分に何が起きているのか。何も思い出せないし、思い当たらない。

 ここは誰もいない森の中だ。それは分かる。でも、それ以外のことが何も分からない。


 いい知れない不安が襲いかかってきて、思考を停止したくなるのをぐっと堪えた。考えなくては。把握しなくては。自分の置かれているこの状況を。


 その時、静寂を破って近くの木から何十羽もの鳥が一斉に飛び立った。森によくいるおとなしい種類の鳥だ。

 ギャアギャア警戒音を発している鳥たちに、私は眉をひそめた。

 鳥そのものよりも、彼らを驚かせた存在の方が問題だ。


 緊張して、鳥たちの騒ぐ上空を注視する。

 木々の間から飛び立っていく鳥たちと入れ違いに、大きい動物のような塊が空から降ってくるのが見えた。


(何……?)


 立ち上がって逃げようかとも思ったが、足には全く力が入らない。

 私は座り込んだまま、それが数メートル先に降りてくるのを見ているしかなかった。


 長く光る毛が緑の大地の上になびく。体重を感じさせない柔らかさで降り立ったのは、白い大きな獣だった。静かな金の瞳が、私の姿を捕らえている。

 恐怖や嫌悪は感じなかった。獣は神聖な感じすらする、不思議に澄んだ空気をまとっていた。 

 大きさは馬みたいだけれど、見た目はすらりとした犬みたいだ。羽もないあの体で飛べるってことは、魔力で飛んでいるのだろうか。


 その背には、一人の男が乗っていた。


 軽い身のこなしで獣から飛び降りた男は、長身のシルエットに白いマントを羽織って、軽鎧を着込んだ騎士のような格好をしていた。

 私は地面に降り立ったその姿を、ただじっと見ていた。敵、ではなさそうだ。


 差し込んだ光が映し出した顔には見覚えがなかった。でも、男の人なのにあまりにも綺麗な顔立ちだったので、少し驚いた。

 白馬じゃないけど、物語の王子みたいな人だなぁ、とぼんやり思った。

 こんな人を見たら、きっとあいつは喜ぶんだろうな……あれ? 誰が喜ぶんだっけ?

 何か大事なことを思い出しそうになって、でもすぐにその思いは消えていく。


「……やあ、やっと見つけたよ。てっきり町にいると思ったらこんな森の奥にいるなんて……本当に君は探すのに骨が折れる。パートナーは一緒じゃないのかい?」


 その人は私の方へ歩いてくると、濃い緑の瞳をうれしそうに細めてそう言った。


(パートナー……?)


 誰のことだろう。


「……飛那姫? まさかとは思うが、もしかしてまた……」


 座り込んだままの私をいぶかしげに見ると、男は私の前に膝を突いた。

 そこではじめて肩と左足の傷に気付いたようだ。途端、険しい顔になる。


「なっ……結構な深手じゃないか……! 何があったんだ?!」


 この人、私が自分の傷に気付いた時より、慌てている。そしてどうやら、私のことを知っているみたいだ。

 自分の事を知っている人間と出会えたというだけで、ほっとする。強ばっていた体の力が抜けて、血が通っていく気がした。

 男は右手から手袋を引き抜くと、私の肩と足の傷を確認し始めた。


「飛那姫、何か答えてくれないか。どうして黙っているんだ? 君ともあろう人が、こんなひどい怪我を負うなんて……一体何があった?」


 私をのぞき込む緑の目が不安そうに揺れているのを見れば、心配していることが嫌でも伝わってくる。

 でも、何か答えなくては、と思って口にした言葉は、さらに彼の不安をあおることになった。


「……ヒナキ? それが私の名前?」


 かすれた声で聞き返すと、緑の目が少し見開かれた。


「何を、言って……」

「私も今、混乱してるんです……何も、覚えていなくて」


 一瞬絶句した後に眉をひそめた男は、「嘘だろう?」と呟いた。


「私をからかっているのか?」

「……」

「……飛那姫?」


 次に続ける言葉が見つからなかったのか、男は私の顔を見たまま少しの間黙り込んだ。

 そしてふと、思い出したように右手をあげて、私の傷に手を伸ばした。


「とにかく、こちらを治すのが先決だな……」


 添えられた手のひらからもれた白い光が、ぼんやりと私の肩口を照らし出した。

 温かい、と感じたその光は、じわりと体に染みこんできて、段々と痛みを取り去っていく。


「……回復魔法?」

「動かないでくれ、すぐ終わる」


 すごいな。白い魔法だ……でも魔法士には見えない。帯剣しているところを見ると、この人は魔剣士なのだろうか。

 肩が元通りになると、白い光は脚に移動した。ふさがっていく傷に、安堵したように男が息をついた。


「ひとまずはこれでいいだろうが、大分出血したな……」

「すみません……ありがとうございます……」


 なるべく丁寧にお礼を言ったつもりだったのに、男は少しだけ暗い顔をして立ち上がった。

 何か、気に障るような態度をとってしまっただろうか。


「立てるか?」


 差し出された手のひらに自分の手を重ねると、ぐいっとひっぱりあげられる。

 二本の足で立つというのはこんなに難しいことだったろうか、と感じるくらい私の足はぐにゃりとしていて、まっすぐに立つどころか、途端によろけてしまった。


 慌てたように男が支えてくれたが、その場にまたずるずると座りこむ。

 脚が……頭が、痛い。


「すみません……まだ、ちょっと無理みたい……足に力が入らないし、頭はくらくらするし……」

「……君は、本当に飛那姫なのか?」

「……それは、私が一番知りたいんですけど」


 真面目に答えた私に深いため息をつくと、男はパチンと自分の肩からマントを外した。ふわりと頭から私にかぶせる。

 これ、白いのに血がつくんじゃないだろうか、そう思った瞬間、地面から体が浮いた。

 男が両手を伸ばして私の体を横抱きに持ち上げたのだ。


「っ??!」

「軽いな、君は」

「あ、あのっ?!」

「自力で立てないのだろう?」

「えっ、いや! 大丈夫だから!」

「その大丈夫には、説得力が感じられないな」


 いくらなんでも、突然お姫様抱っこなんて反則だ。いい大人が恥ずかしすぎる。

 体を強ばらせる私にはおかまいなしで、男は白い獣を振り返った。


「インターセプター」


 名を呼ばれた獣が、ウォン、と鳴いて駆け寄ってくる。

 やっぱりこれは犬なんだろうか……

 獣の首輪には、青い綺麗な飾りが光っていた。色んな色のガラス細工がついた、女性用の髪飾りのように見えた。

 ふと、それを知っているような気がしたのは、何故だろう。

 私を獣の背に抱え上げて乗せると、男は後ろに飛び乗った。

 その手に取った、獣の胴周りから伸びているハーネスは、馬で言えば手綱のようなものだろうか。


「念のために聞くが、パートナーの居場所は分かるか?」

「……いえ、全く」

「そうか……とにかく一旦エベレスの町に行こう。インターセプター」


 彼が声をかけるなり、獣は空へ飛び上がった。


「っ!!」


 浮き上がる感覚に身がすくんだ。息を飲んで、思わず目の前の白い毛をひっつかむ。男が不思議そうに尋ねてきた。


「どうかしたか?」


 どうかしたか、じゃない! 獣に乗って空を飛ぶなんて、あり得ない。

 直接当たってくる風が強くて、普通に目を開けているのすら難しい。

 何より、この不安定な場所! 横向いて乗ってるから余計に落ちそうで怖い!!

 私はわたわたと、這いつくばるように獣の首にしがみついた。


「お、落ちる!」

「君は本当に……いや、いい」


 はぁ、と頭の上からため息が聞こえてきて、背中に腕が回されると、軽鎧の胸に引き寄せられた。


「インターセプターの首をしめないでやってくれ。落としたりしないから、座って私に掴まっているといい」

「え? はい」


 掴まってろって、どこに?

 この人は私を知っているみたいだけど、私にとっては全くの他人だ。ちょっと気まずい。

 しかしそんなことを言っている場合でないのも確かだろう。

 だって、この高さから落ちたら、絶対死ぬ。


 ぶるっと身震いして軽鎧の背中に腕を回すと、ぎゅっとしがみついた。

 男がひるんだように身じろぎした気がしたが、他に掴まる場所が見当たらない以上、手を緩める気はない。


「飛那姫、その……そんなに強く掴まらなくても大丈夫だと……」


 言いにくそうに、男が口を開いた。

 自分が掴まっていろと言ったのに、今更だ。少しくらい窮屈だって放す気はない。


「無理。これ以上離したら絶対落ちます」

「……」


 男はそれ以上は何も言わなかったが、町にたどり着いて私が手を離したあと、本当に疲れた様子で獣から降りていった。

 体重をかけて掴まっていたから、疲れさせてしまったのだろうか……私は反省して謝った。


「いや、違う……別にそれはいいんだ。ちょっと予想外だったたけで、君は悪くない」


 そう言って男は、気にしないでくれと力なく笑った。

 うん、会ったばかりだけど、この人がいい人だってことは、なんとなく分かった。


 しかし見れば見るほど、整った容姿の人だ。

 180cmは超えてそうな長身。肩下まで伸ばした長めの銀色の髪はさらりとしていて、少しだけ日に焼けた元の肌は白そうだと感じた。左耳には凝った銀細工の耳飾り、他の装飾品も高価そうに見える。

 薄茶色の軽鎧は萌葱色の軽装に合っていて、服のセンスもいいと思えた。長身も手伝ってか細身に見えるのに、自分とは違う鍛えられた硬い筋肉があることも、先ほどしがみついた時に分かった。

 そして腰に帯剣している長剣が、彼が剣士であることを教えてくれている。


「……何か、気になるかな?」


 白い獣に座ったまま、上からまじまじと見ていたら、気まずそうな顔で男が首を回した。


「いえ、まだ、お名前を聞いていなかったな、と思って」

「……何も覚えていないと言うのは、本当なんだな」


 名前を尋ねたら傷ついた顔をされた。

 この人は、私にとってどういう人だったのだろう。


「まず、君の名前は飛那姫で間違いない。姿形も魔力も同じ別人はいないからね。私はアレクシス。君は私のことをアレクと呼んでいたから、そう呼んでくれるといい」

「アレク様?」

「……様はいらない」


 あからさまに身分の高そうな人相手に、呼び捨てはどうかとも思ったのだが……本人がそう言うのでは仕方ない。


「分かりましたアレク、あの……助けてくれてありがとう」

「君からそんな言葉を聞く日が来るとは……」


 居心地悪そうに、彼は苦笑いをもらした。

 どういう意味なのかは、よく分からなかった。


魔力に気力に記憶に……色んなものがすこーんと抜けてしまって混乱中の飛那姫。

手合わせにやって来たはずなのに、身元引受人になってしまったアレクシス。

ここから何話かは、普通でない飛那姫&アレクシスの話が続きます。


次回は、エベレスの宿屋からお届けします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ