マルコの告白
明日発つことを伝えると、マルコはあからさまにショックを受けた顔になった。
「ちょっとだけ、お時間もらえますか……?」
面倒だな、とは思った。
でも美威は報酬もらってホクホクしたまま寝ちゃったし、明日からはマルコが私達の旅にくっついて来ることもなくなるだろうし、最後くらいはと、仕方がなく呼び出しに応じてやることにする。
外に出ると、オアシスの向こうの岩場でマルコが手招きしてた。
「飛那姫ちゃん、こっち。ついて来て」
オアシスの水面に浮かぶ黄色い満月を横目で見ながら、私は岩山の間を抜けて、岩壁のはしごを身軽によじ登って行くマルコの後を追った。
見張り台が立つこの場所は少し平坦になっていて、アジトの一部や砂漠が見渡せるようになっている。
「向こうの方までよく見えるでしょ? ここ、俺が一番好きな見張り場なんだー」
「ふーん、確かに眺めのいいとこだな」
「飛那姫ちゃん、明日……本当に、行っちゃうの?」
捨てられた猫みたいな目をして、マルコがそう切り出した。
「借りは返したし、仕事は終わったし、ここにいる理由がないだろ?」
「俺の側にいるという立派な理由が……」
「ないから」
「だよねえぇ……」
マルコは大げさにうなだれた。
「俺さ、明日っから攫われた仲間捜しに行こうと思ってるから、まだちょっとここを離れられないんだけど……全部終わったら、必ず飛那姫ちゃんを追うからね!」
「いや、別に追わなくていいから」
「追うったら追う! だからあんまり遠くに行かないで下さい!」
「お前……またここを出ていったりしたら、リザが悲しむぞ? いい子じゃんか。そばにいてやれよ」
呆れ顔で返すと、マルコはすっと今まで私に向けたことのない表情を作った。
唇を引き結んで、眉をよせて……あれ? もしかして怒ってる?
「飛那姫ちゃん、俺、バカにされても虐げられても怒らないけど、今のはちょっと、ダメだ」
「え?」
「俺、飛那姫ちゃんが好きだって言ってるでしょ? それなのに、他の女の名前出してきて、そいつのそばにいればいいだなんて……ひどいと思う」
「……」
言われてみれば、確かにそうかも。
「そんなに俺の気持ちを軽いもんだと思ってるなら……今ここで俺と勝負してよ」
「は?」
「俺がどれだけ本気か、分からせてあげるよ」
マルコが突然、変なことを言い出した。
「……何の話だ?」
「俺が勝負に負けたら、もう飛那姫ちゃんのことは追わない。俺に追って欲しくなかったら、本気で勝ちにきてくれればいいよ。でも……もし俺が勝ったら、俺のお願いをひとつだけ、聞いてくれる?」
そう言って、マルコは地面につま先で大きな円を書いた。
「手だけで押し合って、ここから出たら負け。簡単でしょ?」
これ、子供がやってた手押し相撲だろ?
ほとんど単純な力比べだけど……正気か? こいつ。
「本気で言ってるのか? お前が私に勝てるわけないだろ?」
「本気と書いてマジと読みます。俺は勝つよ。悪いけど」
「ほー……」
ちょっとカチンときた。えらい自信じゃないか?
ここで私が勝てば、マルコは私を追ってこなくなる。リザはきっと喜ぶよな。
もちろんそれでいいんだけど。
結果の見えてる勝負を受けても、卑怯というかスッキリしないというか。
ちょっぴり心が痛いのは、多分それだけのことだ。
「まあ、お前がそれでいいって言うなら、受けて立つよ」
「うん、じゃあ決まり」
マルコは円の中に入って、私に両手のひらを向けた。
私も円に入って、手のひらを合わせる。これで押せばいいだけ。一瞬で勝負がつくだろう。
その時の私の頭の中にはもちろん、私が負けるなんて想定は欠片もなかった。
「じゃあいくよ。3、2、1……スタート」
マルコの声で、私はぐっと力をこめた。
全身と、手のひらに集中的にこめた魔力で、マルコをあっという間に円の外に押し出す……はずだった。
(あれ……?)
なんか、変だ。
自分の中に奇妙な脱力感があった。いつものように魔力が動かない気がする。
体の内側がざわざわして、集中できないとでもいうのだろうか、思い通りの場所に魔力を持っていけないとでもいうのだろうか。
こんな違和感、はじめてだ。
押しているはずのマルコは、その場から全く動かなかった。
何で……? どういうことだ??
「飛那姫ちゃん、盗賊が持ってる魔力操作の能力には、大きく分けて3つの種類があるんだ」
いつもの笑顔で、マルコが私の疑問に答えた。
「一つ目は追跡。二つ目は捕獲。そして三つ目は……撹乱」
「かくらん?」
「うん、おれ、全部の能力持ってるんだ。だから……」
「……っ」
押しているはずの手が押し返されて、私は後ろによろけた。
あれ? このままだと……
「飛那姫ちゃんは、俺には勝てないよ」
言い終わったマルコから、手が離れた。
押されて転びそうになった私は、思わず足を動かしてしまって、線を踏み超えたのが分かった。
「……あっ!」
「俺の勝ち」
私は半歩、外に出てしまった自分の左足を呆然と見下ろした。
なんだ今の? 何が起こったんだ?
「飛那姫ちゃんは、力業のほとんどを魔力に頼ってるでしょ?」
マルコが困ったような笑顔で説明し始める。
「俺の、魔力を撹乱する能力と相性悪いんだよね。あんまり意識してないみたいだけど……飛那姫ちゃんの魔力で身体能力を上げる方法、ものすごい繊細な魔力調節が必要なんだよ? だから、ちょっと魔力の流れを乱されると、こんな風に使えなくなっちゃうんだ」
「な、んだって??」
言われてみれば、理屈は理解出来た。
納得出来ないのは、私がマルコごときに敗北したということだ。
「本当は俺みたいな、魔力操作系の相手に有効なんだ。接触しないと使えないし、人の魔力の流れを乱せるなんて能力、あんまり役に立たないと思ってたんだけど……飛那姫ちゃんみたいな魔剣士タイプにも有効だなんて、俺も意外だった」
「お前……それ、ずっと分かってたのか……?」
「うん、ハイドロ号で会った時から、気付いてたよ」
ということは……こいつがいつでも無抵抗で私に殴られてたのは、一体なんだったんだろう。
「知られたら、警戒されちゃうんじゃないかと思って、黙ってたんだ」
「警戒? 私がお前を?」
「うん。だって……」
そう言って、マルコは手を伸ばすと私の手首を掴んだ。
引き寄せられるところを、いつものように振り払って殴ろうと思ったのに……さっきと同じで、腕には脱力感しか沸き上がってこない。
「俺がその気になれば、飛那姫ちゃんを陥落出来るなんて分かったら、絶対警戒するでしょ?」
「なっ……」
なんだそれ? 予想外すぎる!
引っ張っても押してもびくともしない、掴まれた両手首にただ愕然とした。
私って……魔力使えないと、こんなに力なかったのか??
あまりにも普段から自然に使っているからか、魔力の使えない状態なんてよく考えたことがなかった。
私は平然とした顔で人を掴んでいるマルコを、精一杯の脅しをこめて睨んだ。
「こっ、こういうの卑怯だぞ! 放せマルコっ!」
「うーん、どうしよっかなー。飛那姫ちゃんが俺の本気を分かってくれたら、放してあげよっかなー」
「なっ、何言ってんだ……!」
「俺ね、やろうと思ったらこういうこと、いつでも出来たんだけど。やらなかったのはなんでだと思う?」
「え? な、なんでって……?」
唐突に質問されて、私は返答に詰まった。
いや、正直ちょっと焦ってた。まさかマルコに負けて力で押さえられるなんて、夢にも思ってなかったから……多分、今私、相当パニクってる。
「飛那姫ちゃんのこと、本気で好きだから……嫌われるようなこと、したくなかったんだよね」
いつものふざけたトーンじゃなくて、至極真剣な声でマルコが言った。
「それ、分かって欲しいな」
「わ、分かった! 分かったから、今すぐこの手放せ! あと顔近い!」
「……約束」
「何?」
「俺が勝ったら、お願いひとつ聞いてくれる、約束」
しまった。確かにそんなことを安請け合いしたような。
さーっと血の気が引いた気がした。
「自分のことを好きだって言ってる男に、軽々しくそんな約束しちゃダメだと思うなぁ」
「……次からは気をつける。ひとまず、放せ」
まずい。これ、絶対まずい。なんか心臓が変な音を立ててきた。
らしくないけど、もう切実にこの場から逃げ出したい。
「約束は約束だから、俺のお願い、聞いてくれたら放すね」
不敵な笑顔のマルコにこんなに焦るなんて、あり得ない。
「ちょ、ちょっと待て……ストップ!」
「待たない」
マルコはそう言って一瞬手を放したけど、私が逃げる前に背中と頭に手を回して今度は体ごと自分に引き寄せた。
これが撹乱とやらのせいなのか、マジで力が出ない……! 魔力を動かすどころか、全身の感覚がしびれて、普通の動きすら緩慢になってる気がする。
いつもは意識していなかった大きな手が、頭の後ろから逃亡を阻んでいた。
自分にはない硬い胸に押し付けられて、私は抗議の声を上げた。
「……待てって……はなせって言ってるのに! バカマルコっ!!」
「次に俺が、飛那姫ちゃんに追いついたら……デートしてください」
耳元でささやかれた言葉に、私は目を丸くして動きを止めた。
「……は?」
見上げたら、今までにない距離に青い目があった。
近っ! 近いから!!
「……今はこれだけで我慢するので。今度、飛那姫ちゃんを独占出来る1日デートしてください。それが、俺からのお願い」
お願いの内容って……?
「……そ、そんなんでいいのか?」
「えっ? もっとすごいこと頼んでも良かった?」
「っダメに決まってるだろ!!」
赤面して叫んだ私を、笑いながらもう一度ぎゅっと抱きしめると、マルコはやっと腕を放した。
らしくないと言われてもいい。慌てて後ろに飛んで逃げる。
「ごめんごめん、もうしないから」
「……バカマルコ……!」
「ごめんなさい」
「バカ、アホ、マヌケ、タコ、スケベ、コソ泥!」
「あのー、それはちょっと言い過ぎなのでは?」
わざとらしく悲しそうにするマルコに、私も肩を落とした。
「……お前本当に、バカ」
「うん、俺もそう思う」
はじめっからそうだった。
コイツのペースに乗ると、調子が狂う。
でも、なんでなんだ。
コイツがバカでアホでコソ泥だって分かってるのに、いつの間にか憎みきれなくなってるじゃないか。
お前なんか大嫌いだから二度と追ってくるなって、今すぐ言ってしまえば、全部終わるんだろうか。
(バカは……私かも)
くだらない約束なんかして、私がやってることって、コイツの傷を広げてるだけなのかもしれない。
そんな風に考えたら、はじめてマルコに対して申し訳ない気持ちになった。
そう思うこと自体が、きっとどうかしてるんだろうけど。
いつの間にか、まん丸な月は頭の真上に来ていた。
夜になって肌寒いくらいになった風が、火照った頬を撫でていった。
成り行きで拾って飼い始めた愛玩動物が、実は天敵でした。そんなお話。
一応純粋なファンタジーを書いてるつもりなので……恋愛ジャンルではないことだけ、お断りしておきます(要素としてお楽しみ下さい)。
お話のストックは後三つばかりあるのですが……何しろワタシ、長男の嫁なので……スマホでどこまで推敲作業が出来るのかも怪しいですし、次話の更新は気長にお待ち下さい。
小休載につきましては、活動報告をご覧いただけると幸いです。




