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没落の王女  作者: 津南 優希
第一章 滅びの王国備忘録
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鮮血の31日 -前編-

 お医師達の当直部屋は、西の塔の3階だったか。

 急がなくては……急がなくては……!


 今起きた出来事を思うと、気がおかしくなりそうだった。恐怖にもつれる足を必死に奮い立たせて走った。

 本塔に渡って大広間の近くを通り過ぎたところで、その不自然さに気付き足を止めた。


 オーケストラの音が、止んでいる。

 パーティーが始まってからまだそれほど経っていないはずなのに、音楽が聞こえてこない。会場の中に人の生気が感じられない。

 その意味するところに思い当たって、また恐怖が湧き上がってきた。

 城のどこからか聞こえてくる悲鳴を、うめき声を、幻聴だと思いたい。


 どれほど息苦しくても、その場に崩れ落ちることは出来なかった。

 進む足を止めてはいけない。

 早くお医師を呼んで、母様達を診てもらわなければ……!


 そして再び駆けだそうとした瞬間。

 魔力を帯びたざらついた気配が、どこかで膨れあがるのを感じた。


「……なっ……何?!」


 巨大な憎悪の塊が、雷のようにすぐ近くに「落ちてきた」感覚に、全身が総毛立つ。

 それは今までに私が感じたことのない、すさまじい質量の魔力だった。

 ビリビリと空気を伝わってくる重圧に胸がより苦しくなる。ドレスの胸元を握りしめて、私は魔力の出所を目で追った。


 城の中じゃない。外だ。

 一番近くの大きな窓に走り寄って、勢いよく開け放つ。視線の先、庭園の奥にたたずむ通信塔が見えた。


「何なの……?」


 小さな塔は、普段とは違った奇妙な姿でそこに立っていた。


 その全体にまとうのは不気味な灰色のもや。

 暗闇の気配を感じる、巨大な魔力だ。

 塔の足下から溢れた魔力が、じわじわと地を這うように低く地面を覆っていく。

 それは波のように押し寄せると、2階にいる私のいるところまで迫ってきた。


「うっ……!」


 もやに飲み込まれた瞬間、強い吐き気を覚えて口元を手で覆った。同時に、どこかで「カチリ」と、小さな音が聞こえた気がした。


 ぞわり、と嫌な感覚が自分のすぐ側に広がる。

 こみ上げる不快感に耐えきれず、私は圧迫感を訴えてくる気配の元を胸元から掴んで引きずり出した。

 触っているのも苦痛で投げ出したそれは、一度跳ねて、床に転がった。


 小さな赤い、玉飾り。


「……お守りが……?」


 不快感の元は、兄様からもらったお守りだった。

 ペンダントにして肌身離さずつけていた。開かなかったはずの、固く閉じられた蓋が開いている。

 その半球の中に刻まれた、魔法印が目が入った。


 六芒星。


 玉飾りの魔法印は灰色の魔力を受けると、共振するかのように震えて更に魔力を広げていった。


(これ……お守りじゃない……!)


 城下町で流行のお守りだなんて、嘘だ。

 周囲に漂う気味の悪い気配を振り払って、訳が分からないまま私は逃げるように走り出した。


(……何が起こっているの?!)


 進む廊下に、走る私の靴音だけが高く鳴り響いている。あちこちに倒れている人が見えた。その数はどんどん多くなっていく。


 泣き出したくて、でも堪えて、ひた走った。

 そしてやっとたどり着いた医師の当直部屋。扉を勢いよく開け放った私は、予想していた通りの光景に嫌と言うほど唇を噛んだ。


 部屋の中の医師は、みんな床に倒れていた。


 よろりと中に踏み込んで、一番近いところに伏しているまだ若い男の首筋に、震える手をそえる。

 まだ温かく、でも脈はとれなかった。

 死んでいる。


 今度こそ私はその場にへたり込んだ。

 大勢の人が死んでしまった事実。

 現実のものとは思えない、悪夢のような光景。

 もう誰が母様達を助けてくれるのか分からなかった。冷や汗とともに絶望感だけが膨れあがる。


「父様……」


 父様の顔が浮かんで、私ははっとすると勢いよく立ち上がって部屋を出た。

 父様は? 父様は無事だろうか?


 もう希望はそこにしかない。もつれる足で、私はもう一度走った。

 周りには目を向けず、思考を止めたまま必死で走った。

 父様は王の自室にいなかった。パーティー会場にもいなかった。

 どこもかしこも、倒れている人間しか目に入らない。

 自分以外の人間が動いていない事実から目を背けなければ、恐ろしくて足を止めてしまう。


「父様……!!」


 玉座の間にたどり着いて、大きな扉の取っ手を掴んだ。勢いよく開け放った先に、玉座に腰掛けたまま、血色の悪い顔をあげた父様の姿があった。


 その時の私がどれだけほっとしたかなんて、言うまでもない。

 でもすぐに、父様以外の光景が目に飛び込んできて、私は顔色を失った。


 広間の足下には、何人もの精鋭隊の騎士達が、無残に倒れていた。

 床に飛び散る赤と、血の臭い。うめく人の声。

 知らない鎧姿の兵達までもが倒れている。

 紛れもない戦闘の跡だった。


 そして視線の先に立つ大臣。ビヴォルザークがゆっくりと振り向いた。

 その隣にいる冷たい目をした男が、私を見ると眉をひそめた。


「飛那姫……来てはならん……!」


 私の姿を見て叫んだ父様の口端からも、血がにじみ出ていた。

 焦りを帯びたその表情が、緊迫した状況を私に悟らせる。


 ビヴォルザークのその足下に倒れている、賢唱様の目がきつく閉じられているのが見えた。蒼白の顔を見れば、もう、好々爺の顔で笑ってくれることはないだろうことが一目瞭然だった。


 この場で、誰がそれを為したのかは明白だ。

 私の心に恐怖よりも、悲しみよりも、猛烈な怒りがこみ上げてくる。


「おや、これは姫様……お元気そうで……」


 ビヴォルザークが首を傾げながら、のんびりとそんな台詞を吐いた。


「大臣、何故この姫はまだ生きているのだ?」


 見知らぬ冷たい目の男は、しわがれた声でビヴォルザークに尋ねると、不思議そうに私を指さした。


「今朝から一口でも水や食べ物を口にしていれば、すでに息絶えている頃ではなかったのか?」

「ええ、今日は姫様のお誕生日パーティーでございますから……それは盛大に、毒の祝杯を振る舞ったのですが……おかしいですね」

「……毒?」


 乾いた声でそれだけ聞き返すのがやっとだった。告げられた言葉の内容に、私の心は凍り付いていった。

 その場に動けなくなった私を眺めるビヴォルザークは、ひどくうれしそうに、下卑た笑いを漏らした。


「ええ、昨日の夜から少しずつ、城の貯水槽や城に引き込んでいる川に流しました。新しく開発した劇薬で、無味無臭。口にした数時間後には手間をかけずにあの世に行ける、素晴らしい代物です」

「王には効き目が薄かったようだが?」


 冷たい目の男が、父様をあごで指して言った。


「そうですね……まあ、魔力で耐えているだけなので、時間の問題でしょう」


 2人の会話を聞きながら、私の頭は真っ白になっていった。

 毒? 数時間後に?

 ということは、母様や令蘭やみんなは……もう……


「飛那姫! 逃げるのだ……!」


 父様の声に、私ははっと我に返った。

 玉座から腰を宙に浮かせた父様の姿が目に入った。

 そうだ、父様はまだ生きている……!


 私は顔をあげて、両の足に魔力をこめた。

 ぐっと沈み込むと、膝をバネに大きく跳躍する。兵や大臣の頭を飛び越して、父様の座る玉座の前に着地した。


「父様を置いてはいけません……!」

「飛那姫……この、馬鹿もの……」


 色んな感情の入り交じった目で私を見ると、父様はごほっと咳き込んで、ゆっくりと玉座から立ち上がった。

 意を決したように、私を後ろ手にかばう。


 かざした父様の右手の中に、青い光が集まり始める。

 キン! という硬質な音が空気を震わせたかと思うと、その手の中に美しい一振りの長剣が顕れた。


 王の剣……聖剣『神楽(かぐら)』だ。


「おお……! 素晴らしい……!」


 冷たい目をした男は、それを見るなり喜びに顔を輝かせて手を叩いた。

 ギラギラ光るその目つきは、獲物を見つけた時の獣そのものだ。


「紗里真の修喜王、それです! 私はあなたのその剣を一目見たときから、ずっと欲しいと思っていたのですよ!」


 父様の剣は、魔法剣だ。

 国宝で、王家門外不出の剣。王以外が手にすることはないと聞いている。

 私は狂ったように手を叩いて喜ぶ、目の前の男を睨んだ。

 聖剣神楽を欲しいだなんて……まさか、その為に……?


斉画王(さいかくおう)よ……この剣は、其方のような男には扱えぬ」


 静かに、怒りの満ちた声で父様が告げた。


「いいえ、譲り受けますよ。そして、私がこの王国の新しい王となります」


 斉画王。それは隣国、綺羅の王の名前だった。

 いつだかそう遠くない過去に、大量の兵士を使って魔道具の人体実験をした狂った王の名だったはずだ。各国から猛烈な批判を受けていたから、記憶に残っている。


 魔道具集めが趣味の変人で、人を害することにためらいをもたない冷酷な王。

 それが、目の前の男だった。


「其方が、大臣と手を組んでいた黒幕か……我が息子を害したのも、貴様か……?」


 私ははっとして、問いかけた父様を見上げると、目の前の男に視線を戻した。

 ……兄様を、この男が?


「黒幕とは人聞きの悪い。王子を手にかけたのは私ではありませんよ。あなたの国の大臣が、のこのこと国の外に出て行った愚かな王子を、ペットの餌にしたという話は聞いていますがね」


 あまりにも残酷な事実が、その口から告げられる。


(兄様が……!)


 そんなことは聞きたくなかった。知りたくなかった。

 私は、わなわなと震えてくる自分の拳を握りしめて、切れるほど唇を噛んだ。

 その場に腰を落とすと、すぐ側に倒れていた精鋭隊の騎士の手から、剣を抜き取った。


 怒りで、体が震える。


「許せない……!!」

「おや、いけませんね。可憐な姫様がそのように物騒なものを持ち出しては」


 しわがれた声でそう言うと、斉画王は笑みを浮かべながら後ろに下がった。


 目の前の綺羅の王も、ビヴォルザークも、許せない。

 私の大切な……兄様を、母様を、令蘭を……

 みんなを奪ったこの男達は……絶対に、許すことが出来ない!


 それは私にとって、生まれて初めて抱いた殺意だった。

 でも私が構えた剣を振り上げる前に、玉座の間の扉から2つの見知った魔力が飛び込んできた。


「火炎龍!!」


 大魔法を唱えた声とともに、赤い目の巨大な火の龍が部屋の中に舞い踊る。

 熱風を受けて目を細めたものの、その炎が私や父様を害することはないと知っている。

 部屋の中央に躍り出るなり攻撃に転じた2人を、私はすがるような目で追った。


「礼峰様! ……先生っ!!」


 勢いを殺して床を滑った足が、父様と私の前で制止する。


「遅くなりまして、申し訳ありません」


 こんな場面にも関わらず、穏やかな声がそう告げる。

 黒の正装に返り血をつけた先生が、振り向かないまま父様と私の前に立った。


 先生が生きている。

 助けに来てくれた。


 冷え切っていた体に温かい光が投げ込まれたようだった。

 まだ終わっていない。まだ、生きている人がいる。

 希望が灯るのを感じて、私はこみ上げてくる涙を手の甲でぐいっと拭った。


「ビヴォルザーク……貴様、何故王子を害した……?」


 視線の先には、たった今大魔法を放ったばかりとは思えない、威圧的な魔力をまとった礼峰様の姿があった。その目が、怒りに揺らいでいた。

 蒼嵐兄様を大切に思っていたのは、私達家族だけではない。

 かけがえのない愛弟子を奪った裏切り者を許すことなど、礼峰様には到底出来ないだろうと思えた。


「何故? それは神楽が王家伝承の魔法剣だからですよ。王族でその剣を継ぐ者がいなくなれば、斉画王が手に入れやすくなるでしょう? 邪魔者は早めに始末するのが私のモットーでしてね……あとは、そこの姫様がいなくなってくだされば、言うことなしです」


 びくり、と肩を震わせて、私は自分に向けられた陰湿な目から一歩、退いた。

 その視線を遮るように、先生が私の前に出る。


 斉画王が熱に浮かされたように、父様の手にある聖剣神楽を指さした。


「私もその魔法剣と同じものを造ろうと、何度も試したのですよ……ですが、それ以上の剣……いや、それに近しいものすら出来なかった。古代の魔術士達が知力と魔力の全てをつぎ込んだ剣と聞いていますから、無理はないかもしれません。そして、造れないのなら本物を手に入れるしかないでしょう?」


 熱に浮かされたような口調で、王国と魔法剣、どちらも手に入れるためにこの国を一度潰す必要があった、と続ける。

 その説明は確かに耳に入ってくるのに、聞きながら私の頭の中は飽和状態になっていた。

 もう何かを正しく考えることすら、出来なくなっているように思えた。


「ビヴォルザーク」


 礼峰様がゆらりと、手をあげた。

 その中に凝縮されていく魔力を感じて、彼の怒りがどれほどのものか、理解できない者はいないだろう。

 おそらく、この場の誰もがそれを止めることは出来ない。

 まして魔力も持たないビヴォルザークに、大魔法士である礼峰様の攻撃を防ぐ手立てはない。

 はずだった。


「前々からあなたが嫌いでしたが……」


 不敵な笑いを浮かべて、ビヴォルザークが呟く。


「今日でその顔を見ることもなくなるかと思うと、実に晴れ晴れとした気分です」

「……何だと?」


 意味ありげな言葉の後、それは突然に上から降ってきた。

 降ってきた、という言葉が正しいかは分からない。ただ重苦しい気配は、波のように天井から溢れて、玉座の間にいる全員を一瞬にして飲み込んだ。


 先ほどのあの、灰色の魔力だった。


「あなたが魔力を使って毒に抵抗するだろうことは分かっていました。ですのでそう簡単に死なないだろうあなた方にも毒が効くよう、少し細工をさせていただきました」

「むっ……?!」


 礼峰様は眉間に深いしわを刻んで一歩よろめいた。

 私もまとわりつく気持ち悪さに吐き気がこみ上げてきて、傍らの父様の服にしがみついた。

 全身が倦怠感に包まれ、力が抜けていく。

 いや、これは力じゃなくて、魔力が抜けていくような……?!


「貴様、何を……した?」

「なに、城の各所に拡大拡散用の魔法印を散らして、通信塔を綺羅本国から魔力を送り込むための受信用アンテナに変えただけですよ」


 ビヴォルザークの説明に、礼峰様が苦しそうに顔をゆがめた。魔力で止めていた毒の効き目が、再び体をむしばみ始めているのだ。

 そう気付いた私までもが、毒に冒されたように青ざめた。


「魔力無効化の魔術は如何ですか? 私のように力のない人間は、こうでもしないことには魔法に対して無力ですから」


 その台詞が終わるか終わらないかのうちに、ずぶり、と嫌な音がした。

 力尽くで肉を貫く時の、生々しい音。

 背後から胸に突き出る剣先。


 信じられないものを見た表情で、礼峰様は口から赤いしぶきを散らした。

 その後ろには、いつの間にか綺羅の兵士達が剣を手に立っていた。


「礼峰様……っ!」


 私の声が、悲鳴のように玉座の間に響いた。

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