髪飾りに小さな期待をこめて
片道9日間、中立地帯からの航海は順調だった。
久しぶりに自室に戻った私は、イーラス達が荷ほどきをしている間、残っていた侍従から留守中にあった出来事について報告を受けていた。
3つの大国が一堂に会して行う3国協議までに、決めておかなくてはいけない協議事項が難航している件、城下町の修繕に関わる予算的な話など、留守の間にやや面倒なことが増えていたのは予想の範囲内だ。
机の上に詰まれた書類の山にため息は出たが、自分の好きに行動した結果なのでいたしかたない。
侍従達が出入りする扉を抜けて、足下に白い大きな塊がすり寄ってきた。
金色の瞳で私を見上げて、クーンと鳴いてみせる。
「インターセプター」
しゃがみこんで少し乱暴なくらいにその長い毛並みをなでてやると、機嫌のいい彼は私の肩に頭を乗せてきた。
「ただいま。留守中何か変わったことはなかったかい?」
彼の名前はインターセプター。見た目から何から犬にそっくりだが、どこにでもいるような動物ではない。
インターセプターは聖獣と呼ばれる希少種で、人の側にこうしていること自体が稀な生き物だ。
父王が遠征から連れ帰った幼獣を私がもらい受け、育てた。子供の頃から一緒に大きくなってきた彼はまだ成獣とは言えない年齢だが、人の言葉を理解し、既にとても聡い。
そして、いつでも深い信頼と愛情を向けてくれる、私の兄弟とも相棒とも言える、大切な家族だ。
インターセプターは私の懐に鼻を押しつけて、執拗に嗅ぎ回る仕草を見せた。
「ああ、分かるか? お前に頼もうと思って、無理を言って譲ってもらったんだ」
私は懐から、白い布を取り出して賢い相棒の前に広げて見せた。
そこに乗った青く光る女性用の髪飾りを一瞥すると、インターセプターは不思議そうに私を見上げた。
「これの持ち主の匂いを覚えておいてくれるか? いずれ、追いたい」
それだけ言うと、インターセプターは分かったというようにワン、と鳴いた。
そして、首を少しそらして、次に私が何をしたらいいかを示して見せた。
「うん、頼んだぞ」
よく伸びる皮で出来た首輪の金具に、私は髪飾りを留めた。
頭を撫でてやると目を細めて、インターセプターはまた扉から出て行った。庭園のパトロールに戻ったのだろう。
「アレクシス王子、今のは、もしかして……例のあの傭兵のものだったり、しますか?」
腰を上げた私に、イーラスがなんとも言えない顔で尋ねてきた。
何を言いたいかは分かるが、忠告を受ける気はない。
「ああ、会えたって言っただろう?」
「本気ですか王子? その、またお会いになるつもりで?」
「何か問題でも?」
「大ありじゃないですかっ、ご自分でもお分かりになっているはずですのに……」
涼しい顔で返す私に恨みがましい目を向けると、イーラスは手にしていた手帳をパラパラめくった。
その仕草には嫌な予感しかしないが、何を言い出すつもりだろうか。
「3日後に来られるモントペリオルの大臣ですが、ご一緒にイザベラ姫が訪問されることになりましたので、ご報告しておきます」
「……何? 何故そうなった?」
「先方も色々と焦っておられるのでしょう。国王様は王子が帰られた以上、接待を任せるとのことですので、急ぎ準備をさせていただきます」
「面倒な……」
「面倒な、じゃありませんよ! 3国協議の際にはイザベラ姫はもちろん、南からも大国の姫や王子がついて来られる可能性が高いのですから、いつまでも逃げ回っている訳にはいかないのですよ?!」
国政と自身の剣の腕を磨くことだけを考えておくわけにはいかない。そのことを、こんこんと語ってみせるイーラスは正しい。正しいのだが……
「小国とはいえ、つながりの深いノーザンテリトリーやリシーハットからの打診も無視は出来ません。いい加減お覚悟を決められて、3国協議の後には一番妥当だと思われる姫をお選びください」
「……ひとまず、今日のところは考えなくてもいいか?」
明日にしてくれ、と言うとイーラスは大げさなため息をもらした。
はっきり言ってしまえば、北のイザベラ姫は苦手だ。3度ほど顔を合わせたことがあるが、王族としてのプライドが悪い方向に高すぎる彼女とは、友達にもなれそうにないと思っている。
この唐突な訪問は、プロントウィーグルとの貿易を少しでも自国に利のあるものにしようと考えている、北の大臣達の差し金だろうが……
我が国には私を含め王子が3人だけ。縁づかせようと思えば自国の姫を送り込むか、婿に迎えるかしかないのだが、私の場合既に王位を継承することが決まっているも同然なので、一番狙いやすい位置にいると言えよう。
本来ならば祝福されて然るべき結婚という名の一大イベントだが、様々なしがらみを思えば私の場合は厄介ごとでしかない。
立場上、本当に心から望む姫と出会えるとは思っていないが、政略結婚なのだから妥協しろと言われると気が重くなるのは事実だ。
強く濃い血を残す事に重きを置いているプロントウィーグルにとって、血筋的に一番有力な王太子妃候補が、北の大国のイザベラ姫なのだが……
(一生添い遂げる相手となれば、慎重になっても無理はないだろう……)
そんな言い訳が通用しない程度には、周りの圧力も高まってきている。
ふと窓から外を見下ろしたら、インターセプターが石畳の小径を歩いて行くのが見えた。少し先の庭園へまっすぐ向かっていくようだ。
首輪に下げた髪飾りに宿る魔力を、彼はもう覚えたことだろう。
いつも私の期待を裏切らない、一番頼りになる相棒だ。次はきっと、彼女にたどり着く道を探し出してくれるに違いない。
しかしそれもいつになることやら。
まとまった不在期間を作っても大丈夫と思えるほどまでに公務がなくなるのは、まだまだ先のことのように思えた。
(それでも、ただ偶然の再会を待つよりはいい)
期待をこめた楽しみは、3日後に訪れる憂鬱を少しだけ軽いものにしてくれていた。
西の大国に戻ったら、仕事が溜まっていたアレクシス。
王太子(王位継承者の中で順位が一番)なので、それなりに公務を抱えています。
西の国での男子結婚適齢期は20~25歳くらいまで。
次回は、マルコの故郷から報せが届きます。