私の誕生日
3月31日。
朝から私は最高に不機嫌だった。
なぜなら、今日は私の8歳の誕生日だから。
「兄様のいない誕生日なんて嫌! 支度なんてしないんだから!」
お祝いの花で飾られた自室の中、ドレスやら装飾品やらを目の前に並べて行く侍女達に向けて、私は叫んだ。
「飛那姫様、お気持ちは分かりますが……それでは各方面からお祝いに駆けつけてくださった方々に申し訳が立ちません」
令蘭が心底困った様子でため息をもらす。
早朝に私の様子を見に来た先生も、支度があるだろうからと苦笑いで先ほど帰っていった。
朝からずっとこんな調子の私を、誰もが持てあましている。
わがままを言って令蘭達を困らせているだけなのは分かっていた。それでも、今日の私は誰にも誕生日を祝ってもらう気にはなれなかった。
おめでとうございます、なんて言葉、聞きたくもない。
そんな台詞を一日中聞かされてたら、きっと頭がおかしくなってしまう。
「パーティーなんか出たくないの! 嫌ったら嫌なのっ!!」
「飛那姫様……」
令蘭と侍女二人は困り果てて、この日の為に仕立てた衣装を手に持ったまま私をなだめている。その姿にまったく罪悪感が沸かないわけじゃない。
でも仕方ない。自分でもどうしようもないくらい嫌なのだ。
今日はもう朝食も支度もみんなボイコットだ。どれだけお腹が空いても、ごちそうなんか食べてやるもんか。
だって、こうしている間にも、兄様はお腹を空かせているかもしれないじゃない。
そう思うと、水の一口すら飲みたくはなかった。
みんなにわがまま言いたくない。
でも、今日ばかりは自分の気持ちに嘘をつきたくない。
「飛那姫様、朝から何も召し上がってらっしゃらないではありませんか。パーティーまでにせめてお水やフルーツだけでも召し上がってくださいませ」
「嫌よ! 兄様が帰ってきたら一緒に食べるわ!」
我ながら無茶苦茶な八つ当たりだった。
でもそれくらい私の心は限界だったのだ。泣くのを我慢するのも辛かったけれど、今こうしてわめき散らすのも辛かった。
兄様がいないこの城で、私のお祝いパーティーをする。
そんなことはとても耐えられそうになかった。
パーティーの参列者達には「姫様は具合が悪くなった」と言って、適当に食べて飲んで、帰ってもらえばいいのだ。
お昼から始まるパーティーには絶対に出ない。
掴まって無理矢理ドレスを着せられても、可愛らしく飾り立てられても私は行かない。
皆が用意してくれた、光沢がかった桜色のレースをたっぷり使ったドレスだって、五色の宝石がついた豪華なネックレスだって、全部無駄になる。
本当に本気で、そう思っていた。
正午を知らせる鐘が鳴り響き、パーティー会場になっている大広間で音楽が奏でられ始める。
その頃になっても、私は頑なに部屋にこもっていた。
いつもなら大好きなオーケストラの側で楽士達を眺めているだろうけど、今日はまだ部屋から出る気にもならなかった。
なんだろうこの気持ちは。
チクチクしてて、苦くて痛い。まるで私自身が、針になったみたい。
結局、完璧に支度が終わっても「部屋から出ないわ!」と駄々をこね続ける私を、母様がなだめに来た。
母様も今日はとても素敵な薄紅色のドレスに身を包んでいる。兄様と同じ色の髪を編み込んであげて、藤の花のような髪飾りに、銀のイヤリングが光っている。
とても綺麗だ。私は母様以上に綺麗な人を見たことがない。
でもこのところ少しやせたみたいだ。
顔色も良くない。
「飛那姫、主役が不在ではパーティーにならないでしょう? わがままばかり言ってないで、そろそろ会場に向かわなければ」
「でも、母様……!」
言い返そうとする私に、母様は有無を言わせない一言を口にした。
「今のあなたを蒼嵐が見たら、なんと言うかしら?」
「っ……それは……」
確かに今の私を見たら、兄様は間違いなく盛大なため息をつくことだろう。
でもきっと、「飛那姫は本当に仕方のない子だね」とか言って、優しく頭をなでてくれる。
そんな風に思ったらまたすごく悲しくて、寂しくなった。
沈んだ顔を見て、母様がそっと私の肩を抱き寄せた。
「あなたは優しい子だけれど、強情なところが玉にキズね……一体誰に似たのかしら」
困らせてばかりの私にそれでも微笑んで、母様はそっと頬をなでてくれた。
大事なものを見る愛情のこもった目に、ずきりと心が痛む。
つい先日、もうわがままを言わないと誓ったのは誰だったのだろうかと、自分に問いかける。
結局私はいつも自分のやりたいことをしているだけで、こうして周りを振り回して、母様のことも困らせている。
私は、悪い子だ。
少しの間、みんなは黙って私が次に言うことを待っていてくれた。
母様からも令蘭からも、無言の優しさが伝わってくる。
ちゃんと分かっているよ、そう言われているようで、涙が出そうになった。
そうだ。私が我慢して、パーティーに出ればみんな困らない。
今ここでダダをこねても、きっと兄様も喜ばない。
そう思って、顔をあげた。
「母様……私、会場に……」
行きます、と言おうとしたところで、私は目を瞠った。
ふいに小さな肩に重みがかかる。私の肩に手をおいたまま、母様がその場に崩れるように膝をついたのだ。
綺麗な顔を苦しそうにゆがめて、額には脂汗がにじんでいる。
「っ母様?!」
「だい、じょうぶ、よ……少し、気分がすぐれなくて……」
少し気分が悪いだけには到底見えない。青ざめた顔色は、明らかに普通じゃなかった。
「母様、しっかりしてください! 令蘭、お医師を……!」
「王妃様!」
「王妃様、どうされました?!」
私は駆け寄ってきた侍女2人に母様の体を預けて、一番頼りになる私付きの侍女を目で追った。
「……令蘭?」
こんな時には真っ先に動いてくれるはずの令蘭が、何故か椅子の背に手をついて口元を手で押さえている。
令蘭……?
返事は? 「はい、飛那姫様」って、言わないの?
状況がよく飲み込めないうちに、彼女の体がぐらりと傾いた。
ガタン! と不吉な音を立てて椅子がその場に倒れる。その上に重なるように倒れこんだ令蘭の顔色は、真っ青だった。
「っ令蘭?! 令蘭! どうしたの?!」
「飛那姫、さま……分かりません……体が、気持ち悪くて……動か、な……申しわけ……」
走り寄って顔をのぞき込んだ私に震える唇でそう言うと、令蘭は意識を失った。
その唇から、わずかな血が一筋の軌跡を残して床に落ちる。
閉じられてしまった目の奥で、波が引いていくような感覚を覚えた。
全身から血の気が失せていくようで、でも心臓の音だけは耳元で響くかのように、はっきりと大きく、速くなっていくのを感じた。
母様と、令蘭が。
「お医師を……」
よろりと立ち上がって侍女2人を振り返ると、私は絶句した。
母様の側にうめきながら崩れ落ちる侍女と、すでに床に伏しているもう一人の侍女の姿が目に飛び込んでくる。
いつの間にか、この部屋の中で意識を保っているのは私だけになっていた。
(何……?)
どくん、どくん、と鼓動が体を揺らす。
のどがヒリヒリと乾いてきて、全身が震えた。
どうして、みんなが……?
何が起こっているのか分からない。
分からないけれど、今動けるのは私しかいない。
私しかいないのなら、動かなくては……!
震える足を必死に励まして、私は部屋の扉にかじりついた。いつも令蘭たちが開けてくれる扉が、ひどく重苦しく感じた。
早く誰か、母様達を助けて……!
廊下に飛び出たところで、まず目に入ったのは扉の両脇に倒れているロイヤルガード達だった。
4人のうち、1人だけまだ意識があった。壁に手をついたままうめいている。
「しっかりして! 一体どうしたの?!」
「姫様……」
しゃがみ込んで顔をのぞき込んだ男は、以前に兄様が大臣と立ち話をしていた、と教えてくれた護衛兵だった。
男は私の顔を見て、口元を押さえて激しく咳き込んだ。
そこからしたたり落ちた赤いしずくに、心が凍りつきそうになる。
「私は、まだ……死にたく……」
それが最後だった。
ずるずると、壁にもたれたまま男の体が崩れ落ちる。
ぱたりと力なく落ちた手が、私のドレスの裾に赤い模様をつけた。
「いやっ……!」
いい知れない恐怖がこみ上げてきて、私はその場から逃げるように走り出した。