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没落の王女  作者: 津南 優希
第三章 その先の未来へ
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思い出の中の妹

 ああ、まただ。

 たまに見る夢の中だな、と思いながら僕はぼんやりとした頭を回した。


 ここは狭くて、薄暗い書庫の中だ。

 棚には様々な種類の本が並んでいて、木造りの重厚なテーブルには所狭しと資料が積み重ねられている。

 壁の明かりがチラチラと揺れているだけの、小さな空間には音がない。

 この書庫は、過去に僕がいた場所なのだと思う。

 こうして夢には出てくるけれど、他の景色を見ようとすると、視界にノイズがかかったようになるから、僕はここ以外の場所を知らない。


 椅子に腰掛けて分厚い本のページをめくると、静寂の中に紙の擦れる音が響いた。

 静かだ。ページをめくる音がこんなにも響くくらい、この空間には本以外何もなくて、誰もいない。

 ここから出てどこかへ行きたいと思っても、どこから出ていいのかすら……僕には分からない。


 その時、ふいにドンドンドン! と扉を叩くような音が聞こえた。

 それは僕以外の立てる音が存在しないこの場所にとって、まさに青天の霹靂だった。


 息を飲んで顔を上げると、目の前の扉が外に向かってゆっくり開くところだった。こんなところに扉があったなんて……知らなかった。

 僕は思わず椅子から立ち上がろうとして、本を取り落とした。


 開け放たれた扉から、茶色いフワフワした髪の少女が飛び込んでくる。

 少女は立ち上がった僕の腰に抱きつくと、髪と同じ薄茶色の瞳で、少し怒ったように僕の顔を見上げた。


「兄様! 本ばっかり読んでいないでお外に行きましょう!」

「え? いや、僕は今研究の最中で……」


 ちょっとひるみながらも、僕はそう答えた。

 そう、今は新しい研究の正念場で……


「そう言いながらもう3日目ですよ! こんなに暗いお部屋で研究ばかりしていたら、病気になってしまいます! 今日は私と遠乗りに行きましょう! もう馬も用意してあります!」


 そうだ。こうやって小さい妹はいつでも強引に僕を外に連れ出した。

 僕が本を読んでいようと、勉強していようと、そんなことは一切かまわずに全身で自分をかまって欲しいと訴えてくる妹に、僕はいつも救われてきたんだ。


 ぐいぐい腕を引っ張られて、僕はよろけながら部屋の外へと足を向けた。


「ちょっと、待って……飛那姫」


 一歩足を踏み出したら、明るい外の光があまりにもまぶしく感じて、僕は思わず目を閉じた。

 真っ白になった視界の中、また扉を叩く音が聞こえた。


 ドンドンドン!


 はっとして頭を起こしたら、視線の先にある扉が開くところだった。


「兄様!」


 そう叫んだ妹が、やっぱり騒がしく飛び込んでくる。

 今日は遠乗りか、庭園の散歩か、はたまた市場へのお忍びか……

 こうなったらもう、研究も勉強もない。一日中妹に付き合って、クタクタになるまで連れ回されるのだ。

 それでも僕は、大好きな妹の為なら何でもしたいと思ってしまうのだけれど。


「兄様! 何とかしてください!」


 ピョーンと胸の中に飛び込んできた妹が、そんなことを叫んだ。

 なんだろう、また何かやらかしたのかな……ついこの間は爆発騒ぎを起こしたし、その前は騎士団のプールの水栓を破壊して使えなくしたし、後は……ええと、なんだったっけかな。


「早く元に戻してください! 私……私……」


 半泣きなところを見ると、今回はよほどのことをやらかしたみたいだな。

 僕はしっかりと体を起こすと、妹の小さい体を腕の中に抱え込んだ。ふわりといい香りが鼻をくすぐる。

 びっくりしたような顔をした妹と、目が合った。

 ふっくら丸い白い頬が、薄赤くなっているのをそっと撫でる。

 ああ、いつ見ても本当に可愛いな。ぼくの妹。


「飛那姫、どうしたの? 大丈夫だから泣かないで」


 落ち着かせようと思ってそう言ったのだけれど、妹は更に目を丸くして、瞬きするのも忘れたかのように僕の顔を見つめた。


「何か困りごと? 最初から落ち着いて、僕に話してごらん」


 精一杯優しく声をかけたのに、妹はふるふる震えはじめた。

 僕を見上げたままの目から、大粒の涙がこぼれていく。

 どうしたんだろう。よく怒ったり泣いたり笑ったり、感情豊かなところは妹の可愛いところではあるんだけれど、そんなに泣かれると困ってしまう。


「兄様……私が、誰だか分かりますか?」


 泣きながら妹が変なことを言った。

 世界一可愛い僕の妹が、誰だか分からない訳がない。こんなに不安そうな顔で、一体何を言い出すんだろう。


「どうしたって言うんだい? 飛那姫。怖い夢でも見た?」


 僕まで少し不安になってそう聞き返すと、妹は僕の胸に顔を埋めて余計においおい泣き出した。

 本当に、どうしたんだろう。これはちょっと様子がおかしい。

 妹の頭を撫でながら、ふと部屋の中の様子が僕の思っているのと違うことに気がついた。

 今いるのは暗い書庫じゃなかった。城の自室でもなかった。

 明るい夏の日差しが差し込む、木の香りのする部屋。座っているのは本を読むための椅子ではなくて、ベッドだった。


(あれ……? なんだ? 何か……ちぐはぐな感じが……)


 城の書庫で感じていた空気と、この部屋の風景と、腕の中の妹の温かさが、バラバラだったはずの景色を、つないでいく。

 パズルのピースがはまるように、欠けていたものが急速に埋まっていくような、不思議な感覚を覚えた。


「……飛那姫?」


 小さな温もりが、なによりも確かなものとして僕をここに引き戻していた。

 どれだけ時間が経ったか分からない。でも、全てを理解するまでほんの一瞬だった気がする。

 僕はしがみついている妹を引きはがすと、その顔をもう一度まじまじと眺めた。


「あれ? どうして……?」


 目の前の少女は、確かに僕の妹だった。

 でもそれとは別に、すっかり大人の顔をした妹の姿が、思い浮かんだ。

 こんなに幼い飛那姫が、今ここにいるのはおかしくないか?

 だって、あれからもう、大分月日が流れて……


「兄様、もう一度……私の名前を呼んでくださいませ!」


 小さな僕の妹が、涙目でそう叫んだ。


「……飛那姫、だよね?」

「私が、私が7歳の姿でなくても……妹だって、覚えておいてください……!」

「え……?」


 ふと顔を上げたら、部屋の入口の向こうに涙ぐんだ余戸と衣緒の姿が見えた。

 それですっかり腑に落ちた。ここがどこで、今がいつで、僕がどうなっていたのかを。


(ああ、そうだった……)


 全部、理解することが出来た。


「ごめん、飛那姫……忘れたりして」


 無くしていた大事な記憶を取り戻すきっかけをくれた、妹の涙を僕はそっと指で拭った。

 自分の命より大切な、こんなに可愛い妹のことを忘れるなんて、僕自身が一番信じられなかったけれど。


「もう絶対、忘れたりしないからね……」


 何故だか小さい姿の妹を抱き寄せて、僕はそう誓った。

 妹は少し頷いて、しばらくの間黙ったまま僕にしがみついていた。

 温かで愛しい存在を腕の中に取り戻して、僕はこの上ない幸せを噛みしめていた。


蒼嵐が飛那姫を思い出しました。

小さい飛那姫でショック療法です。


次回からは、蒼嵐が「妹可愛い」通常運転に戻ります。

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