あの日の真実
正直、東の国に着いてから色々あって、少し情緒不安定だったかもしれない。
私の剣の稽古にいつも付き合ってくれてた精鋭隊のみんなは、今でも何人もの顔や名前を思い出せる。
鮮血の31日。あの日に失われてしまった多くの命は、私にとって軽いものじゃなかったから。
重く背負ったまま、一生忘れることはないと思っていたけれど。
生き残りがいるなんて、今まで想像していなかった。
騎士団第二精鋭隊、隊長補佐の余戸と衣緒。
これだけ時間が経っても思い出せたのは、二人の面立ちがあまり変わらなかったことと、兄様の件があったからだ。
二人の顔を見た瞬間、もう忘れてしまったと思っていた、父様との会話が頭の中でフラッシュバックした。
(父様、護衛には誰がついて行ったのですか?)
(第二精鋭隊の余戸と衣緒をつけてある)
そうだ、この二人は兄様の護衛について行って、行方不明になったのだった。
あの時、何があったのか。
二人なら、真実を知っているかもしれない……
「姫様は立派な成人女性になられて……見違えました」
余戸がそう言ってくれたけれど、今の私はもう王女ではないし、彼らも家臣ではない。
跪かれても困るし、何より美威とマルコが驚いてる。
「いや、ちょっと待って。私はもう……」
姫ではないし、その呼び方はやめて欲しい、そう言おうと思った。
その時。
「あれ? お客さんだった?」
ふいに、すぐ近くからそんな声が聞こえてきて、私は息を飲んだ。
真っ先に頭に浮かんだのは、「そんな訳がない」という言葉。
「薬草を採集しに行こうと思ってたんだけど……後にした方が良さそうだね?」
生々しく耳に入ってきたその声が、夢以外で聞こえる訳はなかった。
どくん、と心臓が大きく波を打った。
どんなに時間が経ったとしても、その声の持ち主を忘れることなんてない。
夢の中のような気分でゆっくり首を回した私は、視界の向こうに信じられない人影を見た。
それは、大人になっていたらこんな風だったろうかと、想像していたのとよく似た姿だった。
最後にいつものように会話をして別れたことを、思い出す。
失われたあの日から、幼い私がどれだけ泣いたか分からない。
そのぬくもりを返して欲しいと泣くだけ泣いて、奇跡なんて起きないと悟ったはずだった。
「……うそ」
東岩に入った時から、大分心が不安定になっているから、夢でも見ているのかもしれない。
でも、これが夢だとしたら、残酷すぎる。
大好きだった兄様が生きていたなんて、そんな嘘はいらない……
「……いいえ姫様、嘘ではありませんよ」
「正真正銘、本物です」
私の呟きに、余戸と衣緒が静かに返してくれた。
嘘じゃない? 夢でもない?
兄様が、本当に……生きていた?
そこから先は、考える前に体が動いていた。
すぐには信じられないけれど、手を伸ばしたら届きそうな気がした。
あの時失ったものが、確かにここにある。
勢いよく飛びついた私を受け止めたものの、兄様はよろけて後ろに尻餅をついた。
成人男性のくせに、この腕力の足りない感じ。
インクと薬草の香りが染みついた服。
母様と同じ色の髪と瞳。
間違いない、兄様だ……!
もう頭の中はぐしゃぐしゃだった。
どうして生きているのかとか、今までどうしていたのかとか、飽和状態で考えていられない。
確かに兄様がここにいるという、それだけが私の思考の全てを埋め尽くしていた。
どうしよう、うれしい。
確かに触れられる距離に、兄様がいる。
やっぱり夢じゃないだろうか。
これが本当に現実だったら、どんなにいいか……
「ストップ! ストーップ!!」
突然のマルコの声に、私は夢うつつの状態から現実に引き戻された。
「お言葉に甘えて、まずは中でお話を聞かせてもらいましょう」
……あれ? 話って、何だったっけ?
ふと気付いたら、ものすごく慌てふためいた顔の兄様がそこにいた。
これ、もしかして私が混乱させてる?
7年も経って、もうすっかり大人なのにいきなり飛びついて、勝手に泣いて、感動して……
これじゃまるで子供みたいじゃないか。
あ、気付いたらなんかすごく恥ずかしくなってきた。
何やってんだろ私……
(美威、ヘルプ……)
私は兄様から離れると、自分より背の低い相棒の後ろに隠れた。
奇跡ってものがあんまり近くにあると、きっと人は頭がおかしくなるんだろう。
でもそれでも、これが夢で無いことを祈りたい。
起きたら消えてしまう幸せな夢は、もういらない。
美威がポンポンと、後ろ手に私の頭を軽く叩いた。
大丈夫だよ、と聞こえた気がした。
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塔の中に案内された私達は、1Fにある応接室のようなところに通された。
縁に細かい装飾がされている、白い大理石造りの高そうなテーブルがあった。
椅子を勧められて、私は飛那ちゃんを自分から引きはがすとひとまず座らせた。
もう、本当にらしくないんだから。
私とマルコ、お兄さんが席についたら、一瞬、静寂が通っていった。
「さて……何からお話しましょうか」
立ったまま、髪の短い方の男が口を開いた。
「まず、私は余戸。こちらは衣緒です。当時は騎士団精鋭隊に所属しておりました。姫様……こちらのお二方は、どこまで知っておられるのでしょうか」
余戸と名乗った方のおじさんが、飛那ちゃんに尋ねた。
「余戸、こっちは相棒の美威。私の出生と昔何があったかは大体知ってる。そっちはマルコ。部外者だけど多分無害だから、説明してやる必要もないけど放っておいていい。あと……その呼び方はやめてくれないか」
「呼び方と申しますと?」
「私はもう姫じゃないから、普通に名前で呼び捨てていいし、同じテーブルに座ってくれてかまわない」
「とんでもございません!」
余戸さんはそう大きい声で叫ぶと、いかに自分たちが紗里真に忠誠を誓っているのかを語りだした。
うん、不敬な態度を取るくらいなら死んだ方がマシってことを言いたいのはよく分かった。
飛那ちゃんはげんなりした顔でそれを聞いてた。
「無駄だと思うよ。僕のことも未だに呼び方あやふやだから。やめてほしいって言ってるんだけど、ね?」
正面に座っているお兄さんが、余戸さんの説明を聞いてそう口を挟んだ。
「我々は王子をお守りする任を仰せつかって、未だにその職務の途中ですから」
「ほら、こんな感じ。いや、本当……二人には感謝してるんだけど、どうも融通が利かなくって」
苦笑いのお兄さんを、飛那ちゃんはじっと見ていた。
ああ、またうるうるしてる……
お兄さんの話は何度か聞いていた。本当に可愛がってもらって大好きだったみたいだから、仕方ないとは思うんだけど。
「兄様は、記憶がないのですか?」
お兄さんに向けて、飛那ちゃんがそう尋ねた。
自覚があるんだかないんだか……お兄さんにはえらい丁寧な話し方になるね。
見た目的にはこれで正解なんだろうけど、私にとって丁寧語の飛那ちゃんは違和感満載だ。
「ああ、もう大分前のことになるんだけれど……」
ちらりと余戸さんを見たお兄さんが、言葉を濁した。
「話が少々脱線しました。当時のことを私からお話しましょう」
余戸さんが、そう話を引き継いだ。
「当時、我々が王子の護衛を仰せつかって小さな町に向かったのは姫様もご存じかと。しかし、そこにたどり着く前に我々はふいの襲撃を受けたのです」
「襲撃は、大臣の子飼いの異形だったと聞いているけど」
「ええ、姫様。しかし最初我々を襲ったのは騎士隊の兵士達でした。普通ではないように見えましたから、おそらく大臣らに操られていたのではないかと思います」
「騎士隊が……」
「我々も混乱しましたが、王子に刃を向けた以上は敵と見なさざるをえませんでした。多少の犠牲は出ましたが、なんとか襲撃には耐えたのです。しかし、大臣が放った異形は執拗に我々を追ってきました」
「最終的に残っていたのは我々と魔法士が一人で、魔法士は異形の一体にやられてしまいました」
隣から衣緒さんが、そう説明を付け足した。
「異形は2体追ってきました。我々は王子をお守りしながら逃げたのですが、谷川の橋のところで追いつかれてしまい、一騎打ちの状態になったのです」
「余戸は善戦しましたが当時の私はまだまだ未熟で……人狼型の異形に、後一歩で殺されるかというところまで追い詰められてしまいました」
飛那ちゃんは二人が代わる代わる説明するのを、黙って聞いていた。
「王子は、衣緒を助けようとして護身用の発光弾を使われました。効果はあって異形を退けることは出来たのですが……王子は暴れた異形に谷底に落とされてしまったのです」
「我々はすぐ後を追いました。川下で発見した王子は頭に怪我をされていたものの、奇跡的に命をとりとめられ……6日目に目を覚まされた時には、それまでの記憶を全て失っておられたのです」
余戸さん達は、お兄さんが目を覚ましてからもしばらくの間、農村の家にお世話になったりして、隠れて養生していたと話してくれた。
大臣の息がかかった騎士隊に襲われた以上、どこに敵がいるか分からない状態で城に戻るのは危険と判断したからだそうだ。
「そんな折、紗里真崩壊の報せが届きました……」
「耳を疑いましたが、事実であることが分かり……我々は王子をお守りしながら、2年後の綺羅崩壊までを隠れて過ごしていたのです」
「姫様、綺羅崩壊のきっかけになった、斉画王が紗里真の残党に殺された件には、姫様が関わっておられるのではないのですか?」
「ああ。でもその話は……また今度にしよう」
飛那ちゃんは余戸さんの質問に詳しく答えることを明らかに避けた。
私は知ってる。飛那ちゃんがそこで何をしてきたかを聞いてるから。
淡々と今ここですぐに語れと言われても、彼女には無理なんだろう。
「それで、兄様は……紗里真のことを全く覚えていないと?」
「はい。我々からお伝えしたことは、知識としてご存じですが……」
「日常のことで、断片的に思い出されるようなこともあるのですが、何しろ人物に関しては全く覚えておられないようです」
「じゃあ、やっぱり私のことも……」
そう呟いてお兄さんに視線を戻した飛那ちゃんの目は、ひどく寂しそうだった。
「ごめんね。妹がいるってことは聞いて知ってたんだ……僕も会えてうれしいんだけれど、その、想像してたよりも大分大人だったから。よく考えれば当たり前のことなのに、びっくりしてしまって」
飛那ちゃんに少し似たお兄さんは、そう言って申し訳なさそうに笑った。
多分、飛那ちゃんと飛那ちゃんの家族の絆は、私が想像もつかない程強いものだったんだろう。
大切な家族に会えてうれしいのと同時に、自分を覚えていないと分かったら、どんな気持ちになるんだろうか。
生きていてくれたという事実だけが、絶望の一歩手前で彼女が崩れ落ちないように支えている。
飛那ちゃんの曇った横顔を見ていたら、そんな風に思えた。
「あのー……」
そう声をかけられて、みんなが振り向いた。
忘れかけてたけど、そういえばマルコもいたんだったわね。
飛那ちゃんに「説明の必要はない」宣告されてるのに、この雰囲気の中、口を挟んでくるところがすごい。
「先ほどから聞いている話を整頓させていただきたいんですが、飛那姫ちゃんのお兄さんは、怪我で記憶喪失になって、実は王子様ってことですか?」
「いかにも」
「ていうことは、飛那姫ちゃんは、姫様っていうか、むしろ王女様だったので?」
「ええ。今は亡き国ではありますが……紗里真王国第一王子、蒼嵐様。第一王女、飛那姫様。このお二方以外に紗里真王家の血を継がれる方はおりません故、正統な……」
「ああ、余戸、もういい。そいつに説明はいらないから」
余戸さんの言葉を遮って、飛那ちゃんが手を振った。
うん、私も未だにピンとこないけど、飛那ちゃんて実は超一流の血筋なのよね……
「なんか、色々びっくりだね。美威ちゃんは知ってたんだ? 飛那姫ちゃんの出生のヒミツ」
「そりゃ知ってたけど。飛那ちゃんはマルコに知られてすごく不本意だと思うわよ?」
「え? 俺、どんなすごい事実でも受け止められる器の広い男だからノープロブレムだよ、飛那姫ちゃん」
飛那ちゃんがものすごくイラついた顔でマルコを睨んだ。
痛い思いをしたくなかったら不用意に喋らない方がいいと思うな……いつ学習するんだろう。
とはいえ、マルコのおかげで少しだけ、重苦しかった空気が緩和された気がした。
浮かない顔の飛那ちゃんは、頭の中でぐるぐる色んなことを考えてそうだった。
お兄さんとの間には、どんな思い出があったんだろう。
楽しかったことも、うれしかったことも、飛那ちゃんしか覚えてないなんて、いたたまれない。
私はふと自分の家族のことを思い出してしまいそうになって、急いで心に蓋をした。
人には、思い出さない方がいいことなんて、きっといっぱいある。
(でも、お兄さんには飛那ちゃんのことを思い出して欲しいな……)
私は祈るような気持ちで、兄を慕う妹の顔をした彼女を眺めていた。
蒼嵐は写真で見ていた飛那姫しか知らないので、自分の妹=幼女、のイメージでした。
生きて再会できたと思ったら、忘れられててどよーんとしている飛那姫。
美威は、ここへ来た目的を忘れかけてます。
次回は、とりあえず美威の目的を果たしてあげましょう。