受け継がれる志
窓の外で小鳥が鳴く声と、カーテンの隙間から差し込む日差しに目が覚めた。
ぼんやりした頭で、ここが宿屋でないことを思い出す。
そうだ、東岩に着いて、杏里さんところに泊めてもらったんだっけ。
なんだか前にもこんな朝があったような気がする。
体を起こそうとしたら、首に相棒の腕が乗っていてオエッとなった。
腕をつまんでどけて、気持ちよさそうな寝顔をちょっとだけ睨むと、私はベッドから下りた。
杏里さんところには客室がひとつしかないので仕方ないんだけど、寝相の悪い美威と同じベッドに寝るのは、ある意味野宿より苦痛だ。
マルコは弦洛先生のベッドを借りていて、杏里さんは風托と一緒に寝てる。
弦洛先生は、診療所で休むと言っていた。
昨日は遅くまで話し込んでいたから、みんなまだ寝てるだろう。
私は美威を起こさないように、そっと窓を開けた。
東岩の朝は気持ちがいい。
だんだんと高くなってくる光と気温が、体に染みてくるようだ。
時計を見たら、5時過ぎを差していた。
随分早く目覚めてしまったけど、この早朝なら裏で剣の稽古が出来そうだ。
私は寝ていた格好そのままで靴を履くと、窓に足をかけて裏庭に飛び降りた。
つないであった馬が顔をあげてこちらを見たので、桶に汲んであった水を取り替えて、草のある方につなぎ直してやる。
馬が草を食べている間、私は神楽を出して剣舞の型でウォーミングアップをはじめた。
ほとんど毎日欠かすことなく行っている日課だ。全部の型を通してやると20分以上かかる。
指先まで神経の張った中に、静と動のしなやかな動きを表現する剣舞は、日常の色んな所作までもを美しく磨き上げてくれる。
美威がよく言う「飛那ちゃんは乱暴なのにがさつに見えない」は、多分これのせいだろう。
強くなって所作が洗練されるって点で、退屈な礼の練習を繰り返すよりずっといいと思う。
王族や貴族の女性にもオススメ出来ると思うのだけど。
……多分誰もやらないな。
子供の頃「剣舞の美しさと礼の美しさは同じ」みたいなことを、誰かが言ってたのを思い出した。
確か、侍女の令蘭だったか。
あの時は半信半疑だったけど、今なら分かる気がする。
ウォーミングアップを終えたところで、ふと、幼い頃にたたき込まれていた礼の数々を思い出した。
あの頃はただただ面倒で嫌な練習だったけれど。
(こうだったかな……)
胸の前で手を交差させる礼の形を取ってみる。
「……ん?」
なんか、幼い頃よりもやりやすい。
手足が伸びたからかな。
「……意外と、覚えてるもんだな」
まぁ、覚えていたところで庶民には不要なものだ。
もう役に立つような場面もないだろう。
私は風托と約束した今日の剣の稽古のことに、頭を切り換えた。
練習に剣がなくては話にならないけれど、多分、持っていないだろう。
私が6歳くらいの時は、特注品で小さい剣を作ってもらっていたことを思い出す。
「……作るしかないかな」
私は物置の隅にある薪置き場から、よく乾燥している長めの薪をひとつ取り上げた。
うん、これなら硬くて良さそうだ。
同じく側にあったナイフで、私は薪を削りはじめた。
-*-*-*-*-*-*-*-
「……あれ? 飛那姫ちゃん、まだ寝てるんですか?」
俺はキッチンに立っている杏里さんと美威ちゃんに、そう声をかけた。
もう7時になるのに、飛那姫ちゃんが寝坊とは珍しい。
「飛那ちゃんなら裏にいたわよ。なんかやってたから放っておいてるんだけど」
美威ちゃんがイモの皮を剥きながら教えてくれた。
「あの子、相変わらず剣の稽古ばっかりしてるのかい? 昔もうちに泊まるとよく早朝からやってたんだよ」
杏里さんがオムレツをひっくり返しながら、懐かしそうに言った。
女性が朝ご飯の支度をしてるキッチンて、神聖な感じがするのは俺だけだろうか。
なんていうか、男子禁制な雰囲気が漂っている。
「マルコ、飛那ちゃんの様子見てきてよ。もうすぐ朝ご飯だよって教えてあげて」
「了解」
俺はびしっと敬礼のポーズを取ると、店の入口を出た。
裏に回ろうとしたところで、ちょこちょこと風托が着いてきたのに気がついた。
ううむ、せっかくの飛那姫ちゃんと二人きりになれる時間を……残念だ。
店の裏に回ったら、飛那姫ちゃんが木箱に腰掛けて何かをナイフで削ってた。
何をしていても綺麗なんだけど、ワイルドだよなぁ……
「飛那姫ちゃん、おはよ~」
「お姉ちゃん、おはよう!」
俺と風托の声で顔をあげた飛那姫ちゃんは、短い木刀のようなものを手に持っていた。
「何? もしかして木刀作ってるの??」
剣の形に削られた木を見て、俺は尋ねた。
朝っぱらから何をしているかと思えば……
「ああ、ちょうど出来た。風托、持ってみろ」
差し出された木刀を、風托はうれしそうに握りしめた。
両手で目の前に掲げてみせる。
「うわあ~! これおれの?!」
「一応そのつもりで作った」
「やったー! ありがとうお姉ちゃん!」
「早速稽古をつけてやる……と言いたいところだけど、朝ご飯の後かな?」
飛那姫ちゃんは立ち上がると、膝や太ももについた木くずを払い落とした。
パタパタしても、Tシャツについた細かいカスは取りづらそうだね……
あれ? ちょっと待て。
「飛那姫ちゃん」
「ん?」
「いくら人がいないからって、ちょっと気が緩みすぎなのでは?」
「? なんの話だ?」
女の子特有の曲線が大好きな健康男子としては、うれしい限りなんだけど。
「起きたら下着は着けた方がいいと思います」
「……」
「俺以外の男に見られたら嫌なので……って、あぃ痛たぁっ!!」
目の前に火花が散った気がした。
いや、俺100%親切心で言ったんだけど……
飛那姫ちゃんも、平手で殴ることなんてあるんだ。
グーじゃなかっただけマシか……
「お姉ちゃん、ケンカはやっぱり手でやるんだね?」
「ケンカじゃない。制裁だ」
頬をさする俺を置いて、飛那姫ちゃんは風托と行ってしまった。
朝からいいものが見れたけど、代償は痛かった。
-*-*-*-*-*-*-*-
朝メシのあと、飛那姫お姉ちゃんが剣の稽古をつけてくれるって言うから、おれ達はまた裏庭にやって来た。
この町には子供が少なくて、おれより少し年上の子供が何人かいる。
いつも広場で遊んでいて、おれが行くとすぐイジめてくるんだ。
3人でかかってくるし、おれより体が大きいからいつも負けちゃう。
くやしい。おれだって強くなって、いつかあいつらをぎゃふんと言わせてやりたい。
東岩には剣術の道場がひとつだけある。
たまにのぞきに行くんだけど、稽古している剣士達はすごく格好いい。
俺も剣が習ってみたいなぁ。
剣を習ったら、おれも強くて格好よくなれるかなぁ。
でも、ケンカには剣を使っちゃダメだってお姉ちゃんが言ってた。
なんでかな?
「風托、稽古をはじめる前にふたつ約束しろ」
お姉ちゃんがしゃがみこんで、指を二本おれの前に立てた。
「ひとつめ。剣を使って、母ちゃんが嫌だと思うことをしないこと」
「うん、しないよ」
「ふたつめ。子供同士のケンカには木刀でも剣を使うな」
「……うん、分かった」
「よし、じゃあ約束だ」
お姉ちゃんが立てた右手の小指に、おれも自分の小指をからませて振った。
うん! おれ、約束守るし、強くなる!
「私達は多分すぐにここを出るから、あんまり時間がない。毎日何をしたらいいかだけ教えるから、基本的なことからがんばれ」
「うん」
「まず、その持ち方……ん? お前もしかして左利きか?」
「うん、左のが使いやすい」
「……師匠と、同じなんだな」
お姉ちゃんはそう言って、うれしそうに笑った。
なんだろ、左利きっていいことなのかな?
「持ち方はこうだ。利き手が下だ。違う違う、ここでこう持って……反対の手はここを支えるんだ」
「こう?」
「うん、それでいい」
お姉ちゃんが作ってくれた木刀は、振るとちょっと重たかったけど握りやすかった。
持ち方から構え方、素振りのやり方。毎日何をすればいいのかを丁寧に教えてくれた。
しばらくお姉ちゃんと二人で剣の稽古をしてたけど、おれが疲れてきたころ、お姉ちゃんが言った。
「よし。ひとまず今日は終わりだ。これを毎日続けて、この木刀が軽いと思うようになったら、母ちゃんに言って剣術道場にでも通わせてもらえ」
「うん!」
お姉ちゃんはよくやったと言うように、おれの頭を撫でてくれた。
おれ、こんなお姉ちゃんが欲しかったな。
家の中に戻ると、母ちゃんがカウンターの中から顔をあげておれを呼んだ。
「風托、父さんにこれを届けてきてもらえるかい? 昼は帰ってこないらしいから」
そう言って、母ちゃんは弁当の包みをおれに渡した。
父さんは診療所で働いている医師だ。いつも朝から晩まで忙しく働いている。
家に帰って来れないときは、こうやって弁当を持っていくことが多い。
「うん、分かった。行ってくるね」
「じゃあ、私も着いて行こうかな。久しぶりにその辺、散歩してくる」
お姉ちゃんはそう言って、おれに着いてきてくれることになった。
小走りのおれの後を、お姉ちゃんが早足で着いてくる。
父さんはいつも途中で疲れちゃうけど、お姉ちゃんは平気みたいだ。
患者さんがいっぱいいて父さんが忙しそうだったから、おれたちは弁当を置いてすぐに診療所を出た。
父さんに見せたくて木刀を持ってきたんだけど、残念だな。
夕メシの時には見てもらえるかな。
昼メシまでまだ時間があるからって、お姉ちゃんとぐるっと遠回りして帰ることになった。
お姉ちゃんは、東岩に来るのはすごく久しぶりなんだって。
昔はもっと大きな街で、市場や繁華街なんかもあったんだって、教えてくれた。
途中の広場まで来たところで、おれはイヤなものを見つけてしまった。
いつもの、イジめっ子達だ。
「あー、風托が来たぞ」
「ホントだ、弱虫がきたー」
「あ、あいつなんか持ってるぞ」
この3人は、どうしていつもおれを見つけるとからかいに来るんだろう。
あっという間に走ってくると、持っていた木刀を無理矢理ひったくられた。
「あっ! 返せ!!」
「なんだこいつ、弱いくせにこんなもん持って」
「風托のくせにー」
一番体の大きい鳥十が、おれの木刀を振り回しながら走って逃げる。
おれも追いかけたけど、足の速さでもかなわない。
「取り返してみろよ、ほら!」
そう言って鳥十が振り回した木刀が、広場の端に立っていた大人の男の腰に刺さった。
いや、刺さったように見えただけで本当に刺さってはいないけど……でも、大分痛そうだ。
男は、一声叫ぶと、腰を押さえながら怖い顔で振り向いた。
おれ、知ってる。この人達、傭兵ってやつだ。
「このクソガキ……っ」
「あ、ごめんなさ……」
男は、謝ろうとした鳥十をいきなり蹴り飛ばした。
あんまり強く蹴られたので、鳥十の体が浮いておれの方にまで飛んできた。
「うわっ!」
思わず手が伸びて受け止めてしまったけど、勢いがありすぎて一緒に後ろに転がった。
ひどい、こんなに思いきり蹴るなんて……
「ガキのくせに剣なんか振り回してんじゃねーよ。死にてえのか?」
言いながら歩いてくる男の後ろにも、仲間みたいなのが2人いた。
おれたちを見下ろした目がすごく冷たく見えて、おれはぞっとした。
「ご、ごめんなさい……」
鳥十は蹴られたお腹を押さえて、泣きながら謝った。
傭兵の男は、鳥十が落としたおれの木刀を拾って、首をかしげた。
「ああ? 聞こえねえなあ?」
おれ知ってる。
こういうの、キレてるっていうんだ。
これ、ヤバいんじゃないかな。
「相手は子供だろ? 謝ってるんだから、その辺にしておけよ」
そう言って、向かってきた男とおれたちの間に立ったのは、お姉ちゃんだった。
お姉ちゃんもおれからしたらでかいんだけど、傭兵達はもっとでかかった。
傭兵の男は、お姉ちゃんを見ると口笛を吹いて笑いはじめた。
「なんだ? このクソガキお前の連れか?」
「まぁ……そんなとこだ」
「へえ~。姉ちゃんが俺たちに付き合ってくれるなら、こいつら見逃してやってもいいぜ?」
ニヤニヤ笑ってる男は、そう言ってお姉ちゃんの肩にゴツゴツした手をかけた。
どうしよう、お姉ちゃん、立ったまんまだ……やっぱり怖いのかな?
どうしてあんなすごい剣持ってるのに使わないんだろう。
こいつら、絶対悪い奴だよ?
しかも、3対1じゃないか。
剣を出して、戦えばいいのに……!
「風托」
お姉ちゃんが、振り向かずにおれを呼んだ。
「姉ちゃんとこいつら、どっちが強いと思う?」
「……え?」
いきなり聞かれて、おれは目を丸くした。
そんなの、見れば分かる。
どう考えたって、この傭兵達の方が強い。
剣も使わずに勝てるわけがない。
そうおれが返す前に、傭兵の男達が笑いはじめた。
「面白いこと言う姉ちゃんだなぁ。おい」
ゲラゲラ笑ってた男の体が、宙に浮いた気がした。
と思ったら、すごい勢いで後ろに飛んでいって、少し離れた水路に水しぶきをあげて落っこちた。
おれの木刀だけが、その場に転がる。
「……子供の腹を蹴るような馬鹿は、そこで一生頭を冷やしてろ」
その言葉で、お姉ちゃんがあの男を蹴ったんだって分かったけど。
何がどうなったのか、全然見えなかった。
仲間の傭兵が顔色を変えて、お姉ちゃんに向かってきた。
そのうちの一人が、腰からナイフを取り出したのが見えた。
見えたのに、おれは凍り付いたようにその場から動けなかった。
「この女……!」
「なめやがって!」
お姉ちゃんよりも倍以上太い腕が殴りかかってくるのに、お姉ちゃんは逃げなかった。
それをまさか、正面から手のひらで受け止められるとは、体の大きな男も思っていなかったみたいだ。
「!」
「……軽い」
ゴキゴキッ、と何かが砕ける音がして、殴りかかってきた大男が悲鳴をあげた。
手を押さえてその場にしゃがみこんだ男の後ろから、ナイフを持った小柄な方の男が斬りかかってきた。
「お姉ちゃん!」
相手は武器を持っている。
もういい加減、剣を出してもいいいだろう。
そうでないと、お姉ちゃんが殺されちゃう……!
でも結局、お姉ちゃんは剣を出さなかった。
変なうめき声を出して、小柄な男が崩れ落ちるのをおれは見ていた。
ナイフがカラカラ……と乾いた音を立てて石畳に転がって。
お姉ちゃんはいつの間にか、男の後ろに立っていた。
水路に落ちた男と、手を押さえたまま目の前でうめいている大男と、すっかり気を失っているナイフの男を、おれは呆然として眺めた。
「風托、覚えておけ」
息の一つも切らしていないお姉ちゃんが、真剣な顔で言った。
「剣はどんなに美しくても、本質は誰かを殺すための道具なんだ」
「こ、殺す……?」
「そうだ、お前の父ちゃんが持っていた剣も、私の剣も、所詮は殺す為に作られた武器だ。相手を殺す覚悟がなければ……剣は抜くな」
おれの父ちゃんの剣も……
殺すための、武器。
だから、ケンカに剣は使っちゃダメだって、お姉ちゃんは言ったのか。
「でも……この男ナイフを持ってたよ?! お姉ちゃん刺されちゃったかもしれないのに!」
おれは転がったナイフを指さしてそう言った。
「下手な刃物は振り回しても当たらない。私はそれだけ強いからな。こんな小競り合いに剣を抜く必要は全くないんだ」
「小競り合い……」
「剣を抜く必要がなくなるくらい強くなるといい、風托。お前の父ちゃんは、本当に強かったんだぞ。お前はその血を引いてる。きっと強くなれる」
「おれが……」
ニッと笑ったお姉ちゃんは、剣は持っていなくてもすごくカッコ良かった。
こんなに大きい男達相手に、3対1でもお姉ちゃんはあっさり勝った。
おれも、なれるだろうか。こんな風に。
「あの……」
おれの隣で座ったままだった鳥十が口を開いた。
「助けてくれて、ありがとう……」
「……ああ。腹、大丈夫か?」
「うん、なんとか……」
「そうか」
そう言うと、お姉ちゃんは悪い顔でおれたちの前にしゃがみこんだ。
「ところでお前、ウチの風托をずい分と可愛がってくれてるみたいだけど……」
「!」
「これからは仲良くしてくれるよな?」
笑顔なんだけど、怖い。
鳥十は無言でこくこくと何度も頷いていた。
「いけね、昼ご飯くらいは手伝おうと思ってたんだ。もう帰ろう、風托」
お姉ちゃんは、何事もなかったかのようにその場から歩き出した。
ちょっとした人だかりが出来ていたけど、全然気にしていない。
おれは木刀を拾って、お姉ちゃんを追いかけた。
「お姉ちゃん……待って」
おれは追いついたお姉ちゃんの手を取った。
少し笑って握り返してくれた手のひらは、おれよりちょっぴり固くて、これが剣士の手なんだな、と思った。
突然怖い思いをしたけど、お姉ちゃんとおれの父ちゃんのことが少し分かった気がする。
剣士って、やっぱりカッコいい。
おれも将来絶対、強い剣士になろう。
父ちゃんみたいな、お姉ちゃんみたいな、強くてカッコいい剣士に。
おれはこの日、そう心に決めた。
3人リレーにしたら、えらい長くなりました……
師匠から飛那姫へ、飛那姫から師匠の息子へ。3代で剣馬鹿の誕生です。
次回は、閑話のような短めのお話。




