置いてきたあの日の温もり
私の少し前を、飛那ちゃんは無言で歩いていた。
草を踏みしめる、馬と私達の足音だけが町へと続く道を進んで行く。
東岩には行かないって言ってたけど、結局行くことになってしまった。
これで良かったんだろうか……
先頭を歩いている弦洛先生は、昔の飛那ちゃんがお世話になった人なんだろう。
杏里さん、は聞いたことある名前だな。
ひどいこと言って出て来ちゃったって、多分その人のことだ。
(会いに行きづらいんだろうな……)
でも会えればきっと、飛那ちゃんもうれしいよね?
物事は前向きに考えなくちゃ。
「美威ちゃん、俺ついていっていいのかな……?」
飛那ちゃんと同じように馬を引いて歩いているマルコが、横からこそこそ私に話しかけてきた。
「同じ事、飛那ちゃんに聞いてみれば?」
「ついて来るなって言われるに決まってるじゃん」
「分かってるなら、ついてこなければいいんじゃない?」
「ええ……ひどい」
過去に東岩であった事についてマルコに知られるのを、飛那ちゃんが喜ぶとは思えない。
悪人じゃないんだけど、深く考えてないところが色々まずい人だ。
本当にどこまでついてくる気なんだか……
「俺、行く当てないんだよ。一人旅なんて、寂しすぎるじゃん」
「そうやって一蹴されそうなことばかり言ってるから、マルコはだめなのよ……」
「ダメかな? 俺かなりストレートに愛を伝えてるつもりなんだけど??」
「そのふざけた態度が余計に飛那ちゃんをイラつかせてるんでしょ」
「え? ふざけてる? 真面目に本気なのに?」
マルコとくだらない会話をしながら、なだらかな丘を登って、少し見晴らしのいい場所に出た。
坂を下った向こうに、町の入口らしきものが見える。
前を歩いていた飛那ちゃんの歩みが、だんだん遅くなっていることに私は気付いた。
(大丈夫かな……)
とうとう足を止めてしまった彼女に近づいたら、何故か道端の草むらをじっと見ていた。
見たところただの草原で、なんかブロックっぽいのとか、朽ちた木みたいなのが見えるけど、どうかしたんだろうか。
「美威、ここ……前に師匠と住んでた家があったんだ」
「えっ?」
そう言われて、私はもう一度緑の草原を眺めてみた。
よく見れば、点在しているブロックは家の基礎部分にも見えた。
黒く朽ちた木は、太さから家の柱だったのかもしれない。
「火事で燃えちゃったけど、しばらくここに住んでたんだ、私」
「そうだったんだ……」
「この場所で……」
変なところで言葉を切った彼女の顔は、無表情に近かった。
言おうとしたことを、飲み込んだように見えた。
彼女は、周りに人がいる時に自分の弱っているところは出さない。
今ここに、自分と飛那ちゃんだけだったなら……なんと言ったのだろうか。
「うん、話せるようになったら聞くよ」
ぽんと叩いた背中に、飛那ちゃんは少しだけ笑ってまた歩き始めた。
私も飛那ちゃんも、お互いのことを全部知っている訳じゃない。
飛那ちゃんの師匠が殺されちゃった話は聞いてる。
多分、そういうことを思い出していたんだろうと思う。
私は幸いにも親しい大切な誰かが殺されてしまったことがないので、想像の域でしかないんだけど。
どれだけ時間が経ってもきっと、辛いものは辛い。
ただ、それを過去として見るだけの強さは、もう彼女の中にあるはずだから。
(本当、変なところで繊細過ぎるからなぁ……)
町の入口をくぐって、どんどん表情を無くしていく姿を見ていると、どれだけ彼女が緊張しているのかが伝わってきた。
普通の顔をしているけど、きっと心臓がバクバクいっているに違いない。
歩いてみると、東岩は小さな町だった。
私のいた農村よりは大きかったけど、かろうじて町の規模、というくらいの慎ましやかな町だ。
道もほとんど舗装されていないし、市場がある訳でもない。
小さな商店がポツポツあるくらいの、静かでのどかな町だった。
「この町、こんなに小さかったっけ……」
飛那ちゃんが、ぽつりと言った。
子供の頃の記憶と、体が大きくなった今見るのとでは、感覚に違いがあるのかもしれない。
確かに彼女は、ここで子供の頃の一時期を過ごしていたんだろうと、そう思った。
「飛那姫、馬は裏にでもつないでおけ」
弦洛先生がそう言って、一軒の店の裏を指さした。
「はい……」
お店を見て、近づくのをためらうように、飛那ちゃんは馬を引いていった。
緊張と、動揺と、罪悪感だろうか。
色んな感情がごちゃ混ぜになったような、複雑な顔をしていた。
「お姉ちゃん、馬ここにつなぐといいよー」
師匠の息子さんが、飛那ちゃんとマルコの周りをちょろちょろ走って、案内していく。
その姿に、彼女の表情が少し緩んだ気がした。
「店は開いてる。入るといい」
自分では開けようとせず、弦洛先生は店の入口の横に立った。
そう言われた飛那ちゃんは、なかなか扉に手をかけようとしなかった。
「この期に及んでまだ渋る気か?」
「いえ、ちょっと……心の準備というか、覚悟がつかなくて……」
「そんなもの、いつまで待っても無駄だろう。7年もつかなかった覚悟なんぞいらん。さっさと入れ」
弦洛先生の言うことはもっともだと思う。
飛那ちゃんは、ぎゅっと目を瞑ったまま、ドアノブに手をかけた。
外に向かって開かれた扉から、カランカランとウィンドベルの涼しげな音がした。
「……」
入口で立ち尽くしたままの飛那ちゃんに、弦洛先生が後ろから店内をのぞき込んだ。
「……いない、みたいだけど」
「ああ、ちょうど夕飯の買い物時間だったか……」
はぁーっ、と大げさにため息をついて飛那ちゃんがその場にしゃがみ込んだ。
お留守だったみたい。
なんだか飛那ちゃんの緊張が移って、こっちまで心臓がドキドキする。
「まぁ、中で少し待て。すぐに帰ってくるだろう」
「いえ、その……」
杏里さんがいなかったことで、飛那ちゃんの決心が揺らぎ気味だ。
このまま逃げてしまうんじゃないだろうか。
その時、不思議そうに弦洛先生と飛那ちゃんを見ていた師匠の息子さんが、うれしそうに走り出した。
「母ちゃん! おかえりー!」
びくり、としゃがみ込んだままの飛那ちゃんが、肩を震わせたのが見えた。
もしかして、この人が……
「ただいま風托。墓参り行ってきたかい?」
「うん! 行ってきた! それでね、母ちゃんにお客さん来てるよ」
「え? ああ……ごめんごめん、すぐ戻るからと思って店開けっ放しで行っちゃって……」
黒髪を肩までのばした綺麗な顔立ちの女性が、息子さんにしがみつかれながら、私とマルコを見た。
「悪いね、今日はもうお客さんこないかと思ってたんだ。弦洛、いるなら開けてくれれば良かったのに」
気さくな感じで話す、杏里さん(だと思う)は、弦洛先生の足下にうずくまっている飛那ちゃんの存在に気付いたみたいだった。
立てばいいのに……
「杏里、そういう訳で、お待ちかねの客だ」
「え?」
弦洛先生が近づいてきた杏里さんに、背中を向けたまましゃがみ込んでいる飛那ちゃんをあごで指してみせた。
「そろそろ立ったらどうだ? いくらなんでも往生際が悪すぎだろう」
ため息まじりにそう言われて、飛那ちゃんはものすごくゆっくり立ち上がった。
振り向いた顔は、もうさすがに無表情ではいられなくて、目が少し潤んでるのが分かった。
泣きたい感情を押し殺した表情を見て、弦洛先生が飛那ちゃんの肩をそっと押した。
「飛那姫。こんな時は、泣いてもいいんだ」
飛那ちゃんは、はっとしたように弦洛先生を振り返った。
張り詰めていた彼女の何かが、緩んだように見えた。
潤んだ目から一筋、涙がこぼれ落ちた。
「……その、突然帰って来ちゃったけど……」
飛那ちゃんが口を開くと、杏里さんが持っていた荷物を足下に取り落とした。
ここからだと、どんな顔をしているかまでは見えないけれど……
口元をおおった両手が、肩が、震えている気がした。
「ごめんなさい」
飛那ちゃんの表情で、その一言がずっと言いたかったんだろうって分かった。
「飛那姫……本当に、飛那姫なんだね……?」
「杏里さん……ごめん」
飛那ちゃんの首に回された杏里さんの手が、愛おしそうに彼女の頭を抱え込んだ。
口に出すことで、本当に自分がしたかったことが分かることがある。
多分、飛那ちゃんは杏里さんに会いたくないんじゃなくて、謝りたかったんだ。
弦洛先生は穏やかな顔をして二人を見ていた。
親の愛情なんて知らずに育った私にも分かる。
いい知れない安心感や懐かしさを思い起こさせるような、杏里さんの優しさが、謝り続ける飛那ちゃんを包んでいた。
子供の頃に過ごした場所が、大人になってから行くとびっくりするほど小さい(狭い)。
そんな瞬間に、時の流れを感じます。
東岩に帰ってきて飛那姫はドキドキしっぱなしだったので、次回は、ちょっと一息つきましょう。