思い出の港町上陸
南北に細く長く伸びた東の島国。真国。
国とは名ばかりの、小国が連なるだけの地。
この島に小国全体を統治する大国がなくなって、もう7年が経つ。
東西南北に一つずつあった大国の、欠けた東をもう一度再建しようなんて奇特な人間は、未だにいない。
港町花島は、そんな真国の最も南にあった。
この港町は小国ですらないものの、東の小さな国々と世界をつなぐ重要な貿易拠点になっている。
大型客船も停泊できる巨大な港を備え、商いに栄えたこの町の活気を、私が忘れることはない。
今は亡き師匠に連れられて、はじめて海を見たのがこの町だった。
美威とはじめて船に乗ったのも、ここからだった。
(懐かしいな……)
私は久しぶりに嗅いだ東の地の空気を吸い込みながら、タラップを下りた。
振り返った白い大きな船体は、もうなんだか家みたいな感覚になっていただけに、ちょっと名残惜しい気もする。
ああ、美威はちょっとどころじゃなく、大分名残惜しいだろうな……
ハイドロマティック号に乗船する夢は叶ったものの、今日でそれも終わりなんだから、落ち込むことになっても仕方ないだろう。
船から下りてきた美威とレブラスは、ルーベルを挟んで何やら話しこんでいた。
また魔道具の話なのかな。
この二人は近頃一緒にいることが増えて、魔道具について熱く語り合っていた。
レブラスの喋ることは元からちんぷんかんぷんだし、美威が受け答えていることも理解不能なことが多くて、はっきり言ってついていけない。
(魔道具マニアの仲間が出来たな……)
「それで、この花島で3日ほど修繕した後にハイドロ港へ帰るのだが、俺は途中で寄港するラグドラルで下りてプロントウィーグルへ戻る」
レブラスは美威に、この先の旅程を説明しているようだった。
ハイドロマティック号はシーサーペントの一件があって、船体の損傷は軽微だったものの、内装に大きなダメージがあった。
なんとか取り繕って綺麗にはしてあったが、豪華客船として合格レベルではないらしい。
旅程を変更して、お客を乗せずにまっすぐにハイドロ港へ帰ることになったそうだ。
船に積む魔道具の製作に関わっているレブラスとルーベルは、厳密に言うと「お客様」ではないので、途中まで添乗すると言っている。
「プロントウィーグルって、西の大国ね。結構遠いじゃない」
「まあな。今回みたいに長旅をすることはまずないんだが……」
「お店やってるのよね? それって魔道具屋なの? 薬屋なの?」
「魔道具と魔法薬の店だ」
「へー」
「お前達はしばらく東にいるのか?」
「え? あー……どうだろう。飛那ちゃん次第かな……」
美威はそう言って、私の方を振り向いた。
美威にも私にも、いい思い出ばかりでないこの東の地には、留まりたいと思う理由がない。
どちらかと言うとここに来ることを避けてきた私達には、ハイドロ号の行き先を間違って買ったチケットが、帰郷のきっかけになったと言えた。
「まぁ、しばらくはいるんじゃないか?」
成り行きとはいえ、せっかく帰って来たのだ。
さすがにもう私も命を狙われることはないだろうし、少しくらいウロウロしてもいいと思う。
「……そうか」
レブラスは荷物を担いだ私から美威に視線を戻して、懐から何かを取り出した。
無言で美威の右手を取ると、その手のひらに長い鎖のついた懐中時計を置いた。
「……これって……」
「餞別だ。持っていけ」
「インパルスじゃない! 何? くれるの?!」
手の中の懐中時計を見て、美威が叫んだ。
そんなにびっくりするようなもんなのか? それ。
「欲しかったのだろう?」
「え、だってこれ……高いし、貴重だし……!」
「いらないのか?」
「いえ! いります! ありがたく頂戴します!!」
光る懐中時計を握りしめて、美威が感動してる。
てことは、あれも魔道具か。
「でも本当にいいの? レブラスも欲しかったんでしょ?」
「そいつの解析は終わった。もう俺には必要ない……開けてみろ」
レブラスに言われた美威が上部分のスイッチを押すと、懐中時計がぱかっと開いた。レトロな歯車の中に、デジタルな丸い高度計と方角を示す表示が浮かび上がってくる。
あ、もしかしてコンパスなんだ。
蓋部分に、小さく折りたたまれた紙が入っているのに気付いて、美威がそれを取り出した。
カサカサと広げて目を走らせると、美威はレブラスを見上げた。
「これ……住所?」
「プロントウィーグルにある俺の店だ。西の大国に来ることがあったら寄るといい。茶ぐらいは出してやる」
「遊びに来てくださいってことですよ、美威さん」
横からルーベルが付け足す。
そうだよな、そういう風に言えばいいのに。
私が言うのもなんだけど、態度悪いよな、レブラスって。
「うん、ありがとうレブラス! インパルス大事にするね!」
懐中時計型コンパスを握りしめて、満面の笑顔で美威が言った。
あれは欲しかったものが手に入って有頂天な時の顔だ。
そんなにうれしかったんだな、その魔道具。
レブラスは何かまぶしいものを見るような顔をした後、美威から目をそらして、タラップを上がっていってしまった。
途中で一度、立ち止まってこちらを見下ろす。
「……お前達はどうも危なっかしい。道中、気をつけて行けよ」
それだけ言うと、レブラスはハイドロ号の船内に戻っていった。
後ろからいつものようにルーベルがとことこ着いて行く。
「本当に遊びに来てくださいね! 美威さん、飛那姫さん、それからマルコさんも、道中お気を付けて!」
笑顔で手を振るルーベルに、私も美威も笑って手を振った。
「……さて」
二人が船内に戻ってしまってから、私はゆっくりと後ろを振り返った。
「どうしてお前はここにいるんだ? マルコ」
「あ、バレた?」
ニコニコ後ろで手を振ってて、バレるも何もないだろうが。
「俺これからどこを回るとかの予定が特になくって。せっかくだから、二人にご同行しようかなー、なんてね」
「却下だ。自分の行きたいところを勝手に回れ」
「いやだなぁ、俺の行きたいところは飛那姫ちゃんの行くところでしょ?」
確か、マルコって魔力で人を追跡出来るんだったな。
巻いても無駄ってことか……
「飛那ちゃん、どこに向かおうか?」
美威が懐中時計型コンパスを、大事そうにリュックにしまいながら尋ねてきた。
「そうだな……ひとまず、食堂で昼メシ食べよう。ここのカイテンエビのフライ、美味しいんだ」
「エビフライ! 前に食べたよね? 好き好き大好きエビフライ~」
「ご機嫌だな、美威」
ハイドロ号を下りたらもっと落ち込むかと思っていたけど、大丈夫そうで良かった。
「うーふふふー。それはもう。それで、昼ご飯の後は? どこに行きたいとかある?」
花島を出た後は、やっぱり……
「墓参りかな……」
行きたいところなんて大してない。
行きづらいところならたくさんあるけれど。
呟いた私の肩を、横から美威がポン、と叩いた。
「いいよ。私達、もうどこへでも行けるんだから」
「……そうだな」
きっと、心配することなんて何一つない。
いつか遠い過去にあった、悲しいものや、幸せだったことや、生きにくさを思い出しても。
私達はあの時とは、確かに違う。
「行こうか」
私は海の見える食堂へと足を向けた。
きっと、今回は良くも悪くも過去を振り返る旅になるだろう。
潮風の匂いに、そんな予感がした。
港町花島に上陸です。10歳で東の国を出た飛那姫と美威にとって、7年ぶりの帰郷。
二人には嫌な思い出もいっぱいの土地ですが……
次回は、墓参りに向かいます。