時間をとめて
飛那姫ちゃんは、よく出来た人形みたいな顔をして眠っていた。
いや、美威ちゃんの魔法で時間を止めているのだから、眠っているのとはちょっと違うのかもしれない。
綺麗な顔から首にかけて、紫斑が浮かび上がっているのが痛々しかった。
ポツポツと降り出した雨に、俺は空を見上げた。
さっきまで、綺麗な星空が見えていたのに。
あれから4時間以上が経った。
もう日はすっかり沈んで、少しのライトが灯っただけの、10デッキの甲板には人気がない。
いつもならこのプールサイドにはお洒落なダイニングバーがオープンしていて、人が集まる時間帯なのに。
クルーはまだ船内の対応で手一杯のようだ。
揺れでごった返したものを片付けるのが先で、食事の支度まで手が回らないんだろう。
船は無事に東の大潮流に乗り、進路自体は問題なく進んでいるらしいけれど。
とんだ航海になったもんだと思う。
あのシーサーペントを追い払うのに、攻撃魔法を使って、でかい盾とかも張って、今まだ美威ちゃんはここで時間と戦っている。
一度船内に戻って、少しの食料と飲み水を持ってきたけれど、美威ちゃんは首を振っただけで返事もしてくれない。
多分、相当キツイんじゃないだろうか。
(俺、何にも出来ないからなぁ……)
自分があまりにも無力で嫌になることって、きっと誰にでもあるんだろうけど。
今この瞬間に、俺は本当に自分で自分を呪いたいくらい役立たずだと、思わずにはいられない。
雨は、いよいよ本格的に降り出した。
「美威ちゃん……雨、降って来ちゃったね」
暗くなってきて気付いた。時を止める魔法を使っている彼女からは、うっすら白っぽい光が立ち上っていた。
蒸気みたいにゆらゆら……魔力が漏れてる訳ではないだろう。
少なくなった魔力の代わりに、自分の命を燃やしているようにも見えて、ちょっと怖かった。
「……マルコ」
ふいに、美威ちゃんがぽつりと俺を呼んだ。
「はいっ、ここにいます!」
飛那姫ちゃんの前に座る、美威ちゃんの横に俺もしゃがみこんだ。
「何? なんか手伝えることある?」
「……水」
「水? 飲みたい? 持ってきてるよ」
「じゃなくて、プールの、水……」
「はい?」
「頭からかけて」
「は?」
いきなり何言い出すんだ?
「ちょっと今、意識が飛びそう……雨じゃ足りないのよ」
「ええ?」
「あと、ちょうどいいから……飛那ちゃんにもかけて。毒、流した方がいい……」
「え? あ、そうか。そうだね……」
俺は一度船内に戻ると、レストランの厨房までひとっ走りして、バケツを拝借してきた。
プールの水は半分以上無くなってたけど、バケツ一杯の水くらいなら余裕だ。
「じゃあ、本当にかけるよ?」
「オッケー……」
気は進まないけど、これも手伝いだ。
美威ちゃんの頭の上から、ざばっと水をかけてやる。
続けて何杯か汲んできて、飛那姫ちゃんにもかけた。
「ありがとマルコ……もういいわ」
言いながら、美威ちゃんは片手で自分の頬をぺしぺし叩いた。
「よぉおっし、もうひと頑張りするわよぉ……!」
気合いを入れたようで、強がりにしか見えなかった。
(早く出来上がれよ、解毒薬……)
信心のない俺が祈ったって仕方ないんだろうけど、それくらいしか出来ない自分が歯がゆい。
飛那姫ちゃんのためにも、美威ちゃんのためにも、この耐えるだけの時間が早く終わればいいと思う。
あの髪の長い薬師の男は、解毒薬を作ると言って引っ込んだっきり戻ってこないけれど、従者だかの子供がちょろちょろ様子を見に来てた。
せめて、もうすぐ出来上がるとかの情報が欲しい。
温かい雨は降り続いていた。
時間はどんどん流れていって、美威ちゃんはたまに頭を振ったり、自分を叩いたりする他はずっと飛那姫ちゃんを見ていた。
彼女の手を握ったまま、時を止め続けていた。
二人は一体いつから一緒にいるんだろう。
きっと、美威ちゃんが今必死になっているのと同じくらい、飛那姫ちゃんも美威ちゃんのことを大事に思ってる。
いつも二人を見ている俺には、それが分かった。
お互いに支え合って旅を続けているだろう彼女たちが、ちょっとうらやましく思えた。俺も、そんな風に真剣になれる相手が欲しいのかもしれない。
もう何度見上げたか分からないプールサイドの時計は、9時になるところだった。
雨はあがって、また星空が見え始めていた。
たまにふらっとする他、美威ちゃんは全く動かない。
魔力を消費し続けてる彼女に比べたら、俺なんて何も大変なことはないんだけど。
まだかまだかと思いながら待つしかない時間は、確実に俺の神経をすり減らしていった。
「……お待たせしました!」
船内扉を勢いよく開けて、あの男の従者が甲板に飛び出してきた。
その後ろから、髪の長い男がボールみたいな壺を持って出てくる。
甲板に上がって美威ちゃんの姿を見るなり、男は顔色を変えた。
「……馬鹿なことを」
眉をひそめてそれだけ呟くと、薬師の男は美威ちゃんの隣に座り込んだ。
針のついた筒を取り出して、男は丸い壺を床に置いた。
少しの後、「チーン」とタイマーが切れたような音を立てて、壺の蓋が開いた。
「……薬、出来たの?」
美威ちゃんが、うわごとを呟くような声で尋ねた。
「ああ」
壺の中の黄色い液体を針のついた筒に吸入すると、男は飛那姫ちゃんの腕を取った。
針を立てられたのは痛そうだったけど、これでなんとかなったんだろうか。
「おい、もういい。後はルーベルが抑える。時を動かせ」
薬師の男がそう声をかけたけど、美威ちゃんはぼうっと白い煙をあげたまま、飛那姫ちゃんを見ていた。
「おい! 聞こえてるのか?! もういいと言ってるんだ! これ以上続けるとお前自身が危ないぞ!」
怒鳴られてハッとすると、美威ちゃんは顔を上げた。
振り返った彼女の顔色はすごく悪かった。
「……もう、大丈夫?」
「ああ。お前が時を止めてると薬も効かん。早くその古代魔法を解除しろ」
「……あ、そっか……」
体に吸い込まれるようにして、白い煙が美威ちゃんの周りから消えた。
「良かったぁ……間に合って……」
ふらりと倒れ込む彼女の体を、薬師の男が腕を出して支えた。
それ、ちょっと役得じゃないか?
美威ちゃんは、完全に意識を失ってしまったようだった。
飛那姫ちゃんは、従者の子供が白い回復魔法の光で包み込んでいた。
顔の紫斑が少しづつ、薄くなっていくように見えた。
薬、本当に間に合ったんだ。
俺は、肺の奥から安堵のため息をついた。
なんか、うれしすぎてもう泣きたい。
安心したらどっと疲れも出てきた。
座り込んだ俺とは逆に、薬師の男は美威ちゃんを抱えて立ち上がった。
「ルーベル、解毒魔法はもういい。これはここに転がしておくわけにもいかないだろうから、一旦連れて行く。お前はそっちを連れてこい。もう雨で毒も流れているだろうから触ってもいい」
男はそんなことを言うと、そのまま船内へスタスタ歩いて戻っていった。
これとかそっちとか、ちょっと二人に対しての扱いがひどくないか?
置き去りにされた形の、白い魔法の光を消した子供に俺は向き直った。
「飛那姫ちゃんは俺が連れて行くよ」
こういう役得は、逃さないでおきたい。
笑顔の俺に、同じくらいのニコニコ笑顔で従者の子供が言った。
「お気遣いありがとうございます。でも大丈夫です。ぼく、こう見えて結構力あるので」
そう言うと、子供は本当に飛那姫ちゃんをひょいっと横抱きに抱え上げた。
130cmくらいしかなさそうな身長で、軽々と。
「……え、あれ?」
「ひとまずぼく達の部屋に行きましょう。あなたもお疲れになったでしょう? お茶をお出ししますから、お休みになられるといいですよ」
「……ああ、うん」
いや、そうじゃなくて、俺が運びたかったのに……
無垢な笑顔に気圧されて、俺はそれ以上何も言えなかった。
大海蛇撃退&時間との闘いに勝利です。
次回で、大海蛇編終了。
それぞれの心の思惑がありますが……誰に語ってもらうかは未定です。