静かな戦いの幕開け
「一体何をやってるんだ君達は……?!」
絶海の盾を展開させた私の背後から、そんな声が飛んだ。
今はこっちに集中したいのに……
頭だけを回して見たら、甲板に出てきたマルコの隣に、魔道具屋で会った髪の長い男が立っていた。
え? なんであの男がここに?
プールサイドの手すりを掴んで、こっちに向かって歩いてくる。
「絶賛戦闘中ですけど?! やっとダメージ与えられそうなんだから、黙って見ててくれる?!」
ちょうどその時、飛那ちゃんがウミヘビもどきに斬撃を叩き込んだ。
予告通り、衝撃波が襲いかかってくる。
盾を張ってるので影響はないけれど、余波の激しさで彼女にとって本気の一撃だということが分かった。
間違いなく、あの化け物にダメージを与えられる。
「シーサーペントにダメージだと……?」
「シーサーペント?」
そんな名前なんだ、あのウミヘビもどき。
「まずいぞ……! すぐに呼び戻せ!」
「え?」
「接近戦はダメだ! あの化け物は……!」
視界の先で、飛那ちゃんがこっちに向かって跳んだのが見えた。
でも、なんか変だ。
飛距離が、絶対的に足りない。
いつもなら、もっと高く跳ぶはずなのに……
「飛那ちゃん……!」
船から数十メートル先で、飛那ちゃんの体が糸の切れた凧みたいに、海に向かって落ちていくのが見えた。
(飛那ちゃんが、やられた……?)
そう認識した瞬間、心臓が大きな音を立てて跳ねた。
助けなきゃ……!
動こうと思ったタイミングで、盾に衝撃が来る。
「きゃっ……!」
暴れ回るウミヘビもどき、シーサーペントが私の盾に体当たりしたのだ。
今、これを解除するわけにはいかない……!
解除したら船が……でも、飛那ちゃんが!
「?!」
水面に落ちようとしていた彼女の周りに、白いロープみたいなのがくるくる巻き付くのが見えた。
それは、私が作るカゴの糸に似ていた。
ぐいっと引っ張られるかのように、飛那ちゃんの体は上昇をはじめて、こっちに向かって飛んできた。
ちゃんと盾の上を通って、彼女の身体が落下してくる。
「飛那ちゃ……」
落ちてきた飛那ちゃんを受け止めたのは、私にとって意外な人物だった。
「えっ……マルコ?!」
「俺、今ほどこの能力持ってて良かったと思ったことはない……!」
心底脱力したように深い息をつくと、くるくる巻きの飛那ちゃんを抱えたまま、マルコがその場にしゃがみ込んだ。
魔力で紡いだ魔法のロープ。
原理は私のカゴと一緒だ。
そう言えば魔力操作系が得意だって言ってたっけ……
「……飛那ちゃんは?! どこ怪我したの?!」
「分からない、でも顔に……」
「待て! その娘に触るな!」
飛那ちゃんの身体に巻き付いたロープを解除しようとしたマルコの側に、魔道具屋の男が飛んできた。
その隣から、あの時の男の子も走り寄ってくる。この揺れる足場の中、驚くほど身軽に。
「失礼します」
そう断って、男の子は飛那ちゃんの側にかがみ込んだ。
「ルーベル、とにかく抑えろ」
「はい」
白い光が男の子の手から溢れて、飛那ちゃんを包み込んだ。
……回復魔法?
「シーサーペントの体液は猛毒だ。触れるなよ」
魔道具屋の男はマルコに向かってそう言った。
猛毒? 猛毒って……
「え?! 毒?! ……って、くっ……!」
盾にまた衝撃が加わる。
噛み砕かれそうになった時ほどでないにせよ、この体当たりも厳しい……!
せめて、盾が解除できれば攻撃に回れるのに……
いつもの雑魚な異形相手と違って、全力で護りに徹しなければ簡単に盾は破られてしまうだろう。
「船体の盾はしばらく回復しない。耐えられるか?」
魔道具屋の男が、私に向かってそう尋ねた。
「なんとか……!」
「火炎弾を使う。どこまで効くかは分からないが、手持ちのもので最も極悪なヤツを食らわせてやる」
男はそう言って、引き金のついた円筒形の黒い筒を取り出した。
「レブラス様……この揺れでは集中できません!」
飛那ちゃんに白い魔法をかけている男の子が叫んだ。
「泣き言はいらん。出来なければその娘が死ぬだけだ」
「ちょ、死ぬって……」
こんな時に、なんてことを言うのか。
焦る私におかまいなしに、男は黒い筒を肩に抱え上げて構えた。
照準を合わせて、上についた緑色のボタンを押すと、手元のトリガーを引く。
キイィィィン……と高い音が鳴り始めて、黒い筒の前に魔方陣が現れた。
攻撃系のものだということは分かったけれど、本では見たことがない陣だった。
魔力が圧縮された瞬間、そこから何かが放たれて、シーサーペントに向かって一直線に飛んでいった。
着弾と同時に、炎が燃え上がる。
男の抱えている筒状の武器からは、次々に攻撃系の魔道具らしき弾が撃ち出された。
シーサーペントが、少しづつ後退していく。
なにあれ。私の花火より威力あるんじゃないかしら……
極悪だと言った意味が分かる気がする。
これだけの威力がある携帯用の攻撃系魔道具なんて、見たことない。
私と飛那ちゃんの与えたダメージが効いていたところに、立て続けの追撃だ。
シーサーペントは、とうとう船を襲うことをあきらめた。
これまでで一番、大きな水しぶきをあげて、海中に沈み込む。
ぐらりと、大きく船が揺れた。
「きゃーっ!」
「うわああっ!」
「しっかり掴まっていろ! 海に落ちるぞ!」
「つ、掴まってます!」
マルコの魔力で紡いだロープが、命綱になっていたらしい。
誰一人落ちることなく、シーサーペントは海底に帰っていた。
揺れは収まった。
(か、勝った……!)
絶海の盾を解除して甲板に降り立つと、私はその場に座り込みそうになるのを堪えた。
いつもの勝利とは違う。
私は振り返って、飛那ちゃんの側に走り寄った。
「飛那ちゃ……」
彼女の顔を見て、思わず息を飲んだ。
白い頬と首元に、紫色の斑点みたいなものが見えた。
回復魔法がかけられているのに、きつく閉じられた瞼が、苦しそうだ。
「触るな、返り血を浴びたんだろう……時間がない」
そう言って私を制すると、男は胸元から試験管のようなものを取り出した。
その中に入っていた棒状のものを取り出して、飛那ちゃんについた紫色の液体をすくい取る。
カラン、ともう一度その棒を試験管に戻して、蓋をした。
「ルーベル、持ちこたえられそうか?」
「……正直、無理です……! 抵抗が強くて、進行が抑えられません……!」
男の子が、額に汗を浮かべてそう答えた。
「……解毒薬を作るまでに通常なら3時間程度だが……シーサーペントの毒に、どの程度の解析時間が必要なのかは未知だ。それまで……」
「ちょ、ちょっと待って! 毒って、解毒薬って、作れるの?! 飛那ちゃん、助かるの?!」
二人で勝手に話を進めないで欲しい。
私の相棒なのだ。
殺しても死ななさそうな飛那ちゃんが、急に命の危険だとか言われても、全然実感が沸かない。
「俺は薬師だ、解毒薬ならば部屋に戻れば作れる。だが、問題はそれまでこの娘が持つかどうかだ」
「持つか、どうかって……」
「シーサーペントの体液は、普通ならば即死でもおかしくない猛毒だ」
淡々と告げられた内容に、心が凍り付きそうになる。
「……時間があれば、解毒薬は作れるのね?」
「ああ、作れる」
「その薬があれば、飛那ちゃんは助かるのね?」
「ああ、間に合えばな」
「……要は、薬が出来るまでに毒の進行を抑えておけばいいってことでしょ?」
「そういうことだ」
私は飛那ちゃんに回復魔法をかけている男の子の前に座り込んだ。
「代わってくれる? 私がやる」
この役は、誰にも譲れない。
ひとつ深呼吸をして、私は気合いを入れた。
毒なんて、絶対に、1ミリたりとも進行させたりしない。
「時の歯車」
飛那ちゃんの周りの空間が、緊迫したように張り詰めた。
白い回復魔法ではない、時間を歪める古代魔法。
集中力も魔力もいるので、普段使うことはほとんどないけれど。
これで、解毒薬が出来るまで彼女の時間を止める。
「……その手は、少し意外だったが……俺も可能な限り急ごう」
魔道具屋の髪の長い男は、それだけ言って、足早に船内に戻っていった。
静かになった海とは逆に、船内は大騒ぎになっているようだった。
白い光を消した男の子が、不安そうに私を見ていた。
「あの、この時を止める魔法……すごく、体に負担がかかりませんか? さっきもあんなに魔力を使ったのに……」
「大丈夫。飛那ちゃん一人分くらいの範囲なら」
「ぼくにお手伝い出来ることがあったら、言ってくださいね」
「ありがとう」
いい子だと思った。
本当に、なんであんな男の従者なんか……
よくよく考えてみれば変な男だ。
魔道具マニアみたいだったのに、薬師なのか。
別のことを考えていると、ぼうっと意識が遠のきそうになった。
大分魔力を消費したから、本当は結構しんどい。
時間を止めると、飛那ちゃんの整った顔は作り物みたいに見えた。
このまま、ずっと彼女が目を開けなかったら。
ほんの一瞬、そんな想像が頭をよぎって私は自分を叱った。
(絶対、助けるんだ……!)
解毒薬が完成するまでの間。
私の長い戦いが、幕を開けた。
マルコは影が薄いですが、ちゃんといます。
多分、後ろでオロオロしています。
次回も、普段あまり動かない美威に頑張ってもらいましょう。