2-76 集う4 ~言葉~
やった! やり遂げた!
地獄の20メートルを乗り切ったぞ!
ようやく正常な獣道に辿り着いた私は、道の脇にハナナちゃんを下ろし、その側でゴロリと横になった。
"掃除屋"の腐乱死体を避けて回り道する事、4回。
倒木を乗り越える事、実に15回。…あれ? 16回だっけ? だめだ。頭が回らない。
腕も脚も疲労がヤバイ。肌着も汗でグショグショだ。
能力アップ効果がなければ、とっくの昔に力尽きていただろう。ありがとう"疾風丸"。
でも、ずっとくわえていたせいでアゴが痛いし、ヨダレで口周りはベトベトだ。
ロロノア・ゾロも同じように難儀していたのだろうか? いや、愚問だな。イケメンがヨダレなど垂らすはずがない。
「リーサちゃん? どう?」
フルで呼ぶのもおっくうで、なし崩し的に愛称で呼ぶようになってしまった。
「ハナナさんに特に変化はありませんわ」
移動中はハナナちゃんの状態を見ている余裕が無かったため、ワシリーサちゃんに頼んでいた。
ハナナちゃんに変化は無しか。悪化しないだけマシだな。今は良い報告と受け止めよう。
「だ、大丈夫だよ、エコーちゃん♪ 少し休めば元気が戻るから」
エコーちゃんは何か言いたそうに私を見つめていた。回復させてと訴えているのだろう。
それを私は無理に明るく振る舞って制止する。
彼女の癒し能力は、本当の意味で最後の手段。最後の希望。迂闊には使わせられない。
私はリュックから水筒代わりのペットボトルを出すと、残りを一気に飲み干した。
湯冷ましの水を作っている時間がなかったので、代わりに"掃除屋"鍋のスープを入れていた。
ちょっとした食事代わりにも、塩分補給にもなっていて、多少なりとも体力が回復したので大助かりだった。
だけど、それももうお終い。在庫切れだ。
せめてもの希望は、ここから先は穏やかな道が続くって事か。
それにしても、最大の難所とはいえ、たった20メートルを移動するのに、どれだけ時間がかかっただろう?
2時間か? 3時間か? だとしたら、世間は21時前後くらいか?
週末の飲み屋や歓楽街なら宵の口って感じだが、娯楽がなければとっくに就寝してるだろうな。
これから関所に辿り着くまでにどれだけかかる?
ドラッグ法の問題点は、引きずりながらの移動となるため、どうしても時間がかかってしまう事。
穏やかな道が続くとしても、やはり2〜3時間は見た方がいいだろう。
すると関所に辿り着くのは深夜になるか。夜勤慣れしている私にはいつもの深夜だけど……
いや、大丈夫だ。関所破りを警戒するなら、昼よりも夜だろう。夜勤の警備員がいないわけがない。
つまり、私の体力さえ保てば、ハナナちゃんを関所に連れて行くのは可能なのだ。
無理をすれば力尽きて終わる。時間がかかってでも、体力を温存しつつ進めば吉ということか。
ハナナちゃんの容体が急変しない限りは、きっとこれがベストな選択だ。
っていうか、もうこれしか思いつかない。頭が働かない。だから、信じて進むしかない。
残る問題は……やっぱりコイツだよなぁ。
振り返ると、ヤツが浮かんでいた。
動かぬこと山の如しを貫いていた金色の立方体は、ハナナちゃんを運び出した途端、後からついて来た。
まるでスライドするように横移動して、決して上下移動はしない。私がハナナちゃんをお姫様だっこして倒木を乗り越えると、後から邪魔な倒木を押しのけて付いてくるという徹底ぶりだった。
これでシカクの狙いがハナナちゃんだと確定した。でも、目的は相変わらず分からずじまい。
ずっと見ていたせいで感覚が麻痺してしまい、なんだかかわいく見えてきていた。
付いてくるだけなら、このままでも良いんじゃないかとさえ思う。
だけど、忘れてはいけない。こいつは"掃除屋"ばかりか、エコーちゃんの命まで奪おうとしたのだ。
そんなヤツと仲良くなんて出来ない。やはり王宮戦士に退治してもらうしかない。
ん? なんだろう?
エコーちゃんの様子がおかしい。
何かを訴えるように私を見るのだが、何も言えずもどかしそうにしているって感じかな?
そう言えば、エコーちゃんにオウム返しを控えるよう頼んていたな。
ハナナちゃんが「イライラするから」って言うものだから仕方なく……
そうだ。エコー・ベルは、ヤマビコであり木霊だ。人の言葉を真似るのが、仕事というか…存在意義と言っていい。
それを封印しているのだから、エコーちゃんにしてみれば、とてつもないストレスではないだろうか?
ハナナちゃんは意識を失っているから、文句も言わないだろう。
今のうちに一度、封印を解いてもいいかもしれないな。
ハナナちゃんにとって耳障りなら、もしかしたらエコーちゃんの声が刺激になって意識が戻るかもしれない。
ふてくされた顔で「うるせー!」とかこぼしながらさ。
「ずっとゴメンな、エコーちゃん。もう喋っていいからね」
そう話しかけると、エコーちゃんは一瞬キョトンとするが、すぐに理解して満面の笑みになる。
そんなに嬉しいのか。こりゃ悪いことしたなぁ。
さて、なんて言葉をかけよう? いや言葉よりも唄かな。輪唱できる唄…。それも、元気になる唄がいい。
「馬鹿野郎っ!」
突然、叫び声が響いた。一体なんだ? 一体誰だ?
「ダメだ! ダメだ! 行っちゃダメだっ!! これ以上近づいちゃダメなんだよっ!!」
女の子のような甲高い声。しかし、言葉遣いは雄々しく攻撃的に感じる。
聞き覚えのあるその声は………。間違いない。エコーちゃんだった。
状況が飲み込めず、私は混乱してしまう。
私は気付かないうちに、エコーちゃんに汚い言葉を聞かせていたのか?
「あ、あれ? 今のって…… 一体どうなっているんだ? まさかこれって……オレの言葉か?」
突然困惑の言葉を吐き出すエコーちゃん。
それは正に、今の私の考えそのものなんだが、まさかエコーちゃんは私の心を読んでいる?
………いや待て! 今、『オレ』って言ったか?
確かに若い頃には使っていたが、今は『私』しか使ってない。
つまり、私の言葉じゃない。当然、ハナナちゃんやワシリーサちゃんとも違う。
じゃあ、なんだ? エコーちゃんのこの言葉はなんなんだ?
一体誰の言葉なんだ!?