1-8 回想 〜カゼガフル〜
くそっ、眠れない。
痛がゆい右手も眠れない理由の一つだ。痛がゆさが継続しているということは、今も尚、あり得ないスピードで怪我が治り続けていると言うことなのだろう。気にならないわけがない。しかしこの回復スピードは恐ろしいな。傷口に何か不純物を乗せたらどうなってしまうんだろう。外に出してくれたら良いが、中に入ったまま塞がってしまうかもしれない。
それにしてもあれは、あの風は、一体何だったのだろう……
関ヶ原駅を出てから人をあまり見かけない。無理もないか。平日で、早朝の、田舎町だものな。
平日の、しかもこんな時間から来る物好きな観光客なんて、私くらいしかいないんだろう。
電車で通勤通学している人はとっくに出発しているだろうし。
コンビニも数えるほどしかないが、公衆トイレならコースの側にある。飲み物は自販機で買えるだろう。私の行軍に問題は無い。
私の選んだ“行軍コース”は、踏切を渡って北に向かい、町の中心……町役場があるから中心だよな多分……を突っ切ってから東に向かい、山に入ってからは反時計回りに進む。北側の史跡は山に多くあり、南側の史跡は町中のあちこちにある。なるほど。確かに“このまち、まるごと、古戦場”だな。キャッチコピーに偽り無しだ。
しかし、驚いたのは藤堂高虎・京極高知陣跡だ。なんと中学校の敷地内にある。これ、入って大丈夫なのかな? 不審者扱いされそうで怖いけど、史跡めぐりの地図にもしっかり載っているわけだし、石碑をカメラに収めるだけなら大丈夫……だよね?
ええっと、学校名は……関ヶ原中学か……
えっ!? 関ヶ原中学?
セ・キ・ガ・ハ・ラ・チュ・ウ・ガ・ク!?
なんだよその、島本和彦先生の少年まんがに出てきそうな学校名はっ!!!
いつも天下分け目の合戦してそうで、超かっこいいんですけど!!!
いやいや、分かってますよ。単に地名を付けただけってことは。地元ではよくある名前というのも重々承知です。でもね、戦国時代好きな中2病患者ならね、名前を聞くだけでロマンが溢れちゃうんです! 忘れかけていた厨2心を激しくくすぐっちゃうんです! 高虎陣跡に行くのが今から楽しみだっ♪
行軍コースの途中には、歴史民族史料館や、笹尾山交流館などがあるものの、早朝では開いているはずもない。なので、陣跡や首塚などをひたすら巡り、携帯のカメラに収めるしかやることは無かった。
史跡にあるのは、何時建てられたのか分からない古い石碑と、最近立てられた説明看板。陣跡にはそれぞれの家紋が描かれた陣端も立てられていた。時折、“関ヶ原クイズ”が貼り付けられた電柱を見かける。え~っと、なになに?「関ヶ原合戦当時に関ヶ原を治めていた大名は誰か?」だって? 誰だ?……ていうか、いたんだな領主様が。てっきり人がいないから合戦場に選ばれたのかと思ってた。で、肝心の答えはどこだ? どこ? ……あとでググるか。
こういう時スマホなら簡単なんだろうけどな。性に合わないのだからしょうがない。
国道21号関ヶ原バイパスを越えて山を登り、岡山烽火場へ。ここは黒田長政、竹中重門の陣跡であり、東軍側から町並を一望できるスポットでもある。
個人的には近くに建てられている公衆便所の方がツボだった。その雰囲気が、まるで『死霊のはらわた』に出てくる山小屋みたいだったのだ!(笑)
そのまま山道を歩いていてビビッたのが、“クマ出没注意!”の看板だった。クマが出るんかい! まあ出没してたらニュースになってるだろうし、今日のところは大丈夫…だよね?
三つの池がある“エコフィールド関ヶ原”を通過して地下道を抜けると、いよいよ見えてきたのが史跡“関ヶ原古戦場 決戦地”。広い農地の中心にポツンと建っていた。周りには木々も建物も無いから空が広い。『未知との遭遇』やら『Xファイル』なら頭上に巨大円盤が現れても不思議ではない感じだ。いやいや、ハリウッド映画的イメージは歴史ロマンを台無しにしてしまう。もっと日本的なイメージを大切にしなくては。
「徳川率いる東軍と石田率いる西軍が激突した関ヶ原は、言うなれば東西を分ける日本列島の狭間。特別な場所に違いない!」
厨2時代の妄想に基づくなら、ここが“日本列島の狭間”なんだよな。史跡に割り当てられた土地はそれなりだが、それ以上のものは何も無い。厨2な妄想を葬り去るには十分な現実だ。
いや……待てよ……?
合戦の場は“決戦地”のみではない! 地図を見ると南南西約600m先に“開戦地”がある! つまり、“開戦地”と“決戦地”を直線で結んだ間こそが“日本列島の狭間”ではないのかっ!?
やべぇ。現地の空気に当てられて、妄想が更に進化してしまったみたいだ。オッサンなのに中2病が再発してしまった。どうしよう……
気を取り直して行軍を続ける。
史跡“決戦地”から北西を見ると、結構近くに石田三成の陣跡があり、付き従うように島左近の陣がある。西軍の大将の陣だけあって、かなり規模が大きかった。家康の陣もそうなのだろうか? 家康最後の陣は公園の形で町中に残されていたが、家康最初の陣は離れていてコースに含まれていない。そういえば交流館では電動アシスト付き自転車の貸し出しをしてたんだっけ? 元気が残ってたら、家康最初陣跡にも行ってみよう。
石田三成の陣跡も山…もしくは丘の上にあり、見晴らしが良い。手前に見える決戦場が農地であるおかげで、岡山烽火場からみえる町並とはちょっと違って見える。もしかしたら、決戦場が住宅地になっていないのは、景観を考えた上なのかもね。三成陣跡に設置された史跡位置図には音声ガイドが付いていたが、故障していた。残念。
それにしても山は霧だらけだな。何ともミステリアスな雰囲気をかもし出している。どこかに誘われてしまいそうだ。
それから一度南下してから南西に向かう。島津義弘陣跡、小西行長陣跡に開戦地、宇喜多秀家陣跡を通過し、ダム湖を渡って獣道みたいな所を通り、道路を通ってまた山道に入る。
はっ! しまった! “日本列島の狭間”のこと、すっかり忘れてた! さっき通った道のどこかにあったかもしれないのに! 怪しいのは島津義弘陣跡と神明神社のあたりだけど、だいぶ通り過ぎてしまった。なにしろ、もっと大切な場所が目の前に迫っているのだ。今更引き返せない。
それは今回の旅行で一番の目的地。関ヶ原の合戦で一番大好きな武将! 石田三成との友情に殉じた義の将! 大谷吉継公のお墓だ!
この道を歩いて行けばたどり着けるのだっ! 俺のテンションは一気にクライマックスだぜ!
その時だった。穏やかな空気に異変が起きたのは。
風だ。落ち葉が舞い上がるほどの風が吹いた。だけど横風ではない。上だ! まるで雨でも降るかのように上から風が吹いてくる。
空飛ぶ巨大な扇風機……つまり、ヘリコプターが低空で飛んでいるのだろうか? そう思った私は天空を見上げた。
生い茂る木々も風で揺れているが、切れ目に見える空はただの曇り空だ。空一面が白い雲に覆われているだけ。ありふれていて何も無い。飛行物体はどこにも無く、プロペラの人工的回転音も聞こえない。なのに風は容赦なく降り注いでくる。
突然、ファーストガンダム世代の私の脳裏に、コロニー落としのイメージが湧き上がる。もしかしてこの風は、巨大な何かが落下することで発生しているのではないか? そこで私はおかしな事に気付いた。空が低いのだ。真っ白な雲で覆われ、距離感がまったく掴めないはずなのに、何故か低いと感じてしまう。目がおかしくなったのだろうか?
だが程なくして、自分の目が正常だと分かった。それは、シリンダー状のスペースコロニーでも、円盤状の巨大UFOでもない。白いモヤのような何かだった。白いモヤが風と共に降ってきたのだ。
木のてっぺんが曇り空に飲み込まれ、モヤの中へと消えてゆく。モヤは得物を求めるように下へ下へと領域を伸ばしていた。
本能が訴えかけてくる。これはヤバイ! 逃げないとマズイ! しかし、間に合わない。
白いモヤは津波のように襲いかかり、あっという間に私を飲み込んだ。私は目の前が真っ白になり、何も見えなくなる。やがて風も無くなり、あたりは静寂に包まれた。
何も見えず、何も聞こえない、白い静寂。だけど匂いだけは強烈に漂っていた。
きしめんの汁の鰹節のような匂い。煮込みうどんの味噌のような匂い。それらはいずれも名古屋を連想させる匂いだった…。
なんだこれ?