1-5 いやいやまさか そんなそんな(2/3)
綺麗に洗ったタオルを私の右手に巻き付けると、ハナナさんは再び茂みに向かい、今度は鞄ごと持って戻って来た。鞄から包み紙を出し、その中からお待ちかねの乾し肉が現れる。お腹と背中がくっつきそうだった私は、あっという間に平らげてしまった。美味しかった。
でも、何の肉だろう。豚でも鳥でも牛でも無さそうだけど。それに紫色なのは一体何故?
「うん、実に良い食いッぷりだ♪ 男はそうでなくっちゃな♪ しっかり食って、グッスリ眠ったら、怪我なんてすぐに治っちまうよ♪」
「はははっ。そうだと良いんですけどね……あっ! す、すみません。一人で全部食べてしまいました」
「いいよいいよ♪ 夜が明けたら森を出るつもりだったし、必要ならまた狩ればいいだけのことさ♪」
「狩る……と言いますと、この森で取れる肉なんですか? 一体なんの肉です?」
「ソウジヤの肉だよ」
「ソウジヤ?」
「そう、ソウジヤ。この森にはいっぱいいるからね。いくらでも食べ放題さ」
「それはまた、変わった名前ですね」
「本当の名前はちゃんとあるけど、え~っと、なんだっけ……忘れちゃった♪ まあ、捕まえた時に見せたげるよ」
ソウジヤ…つまり掃除屋か。そのキーワードを不穏に感じるのは多分、数々の映画や小説に触れてきたせいなんだろうな。リアルではどうか知らないが、フィクションの世界では殺し屋を指す隠語だったり、比喩として頻繁に使われてるものな。一体どんな動物なんだろう。日本で森に生息してそうな動物といったら……クマにシカ、イノシシにキジ、それに野犬くらいか。この中で掃除屋と呼べそうなのは……
あれ?
ふとタオルを巻いた右手を見る。気がつくと右手の痛みはすっかり消えていた。さっきの軟膏には鎮痛作用があったみたいだ。ありがたい。ひとまず今夜は痛みに悩まされることなく眠れそうだ。
「それでさ、オトジロのオッちゃんはどこから来たの? ここら辺の人じゃ無いよね、どう見ても!」
興味津々といった感じで目を輝かせるハナナさん。そんなに私が珍しいのだろうか。服装だってありふれているし。まさかとは思うけど、文明から離れて山暮らししているとか? ははは、流石にそれはないよな。
「確かに私は地元民ではないですよ。観光客ですからね」
「観光客? 観光って……こんなところに?」
と言いながら、ハナナさんは泉を見回す。
「いやいやいや! 森に観光しに来たわけじゃないですよ! 確かにこの泉は名所になってもおかしくないくらい綺麗ですけど、私がここにいるのは道に迷ったせいですからねっ」
ハナナさんは困惑し始める。何か変なこと言ったかな?
「わけわかんないよ。観光って、遊園地で遊び倒したり、避暑地や海水浴で涼んだり、温泉に入って骨休みしたり、郷土料理をたらふく食ったりすることじゃん。どうやれば観光地から森に迷い込むのさ」
「……確かにそういうのも観光だとは思いますが…。私の言う観光は、美しい大自然に触れたり、史跡や古い建造物を眺めて歴史ロマンに浸ることです」
「へぇ~そうなんだ。何が楽しいのかサッパリわかんないけど」
うん、分かる。何も知らずに城跡を見て退屈なだけだ。歴史的背景を知っていてこその史跡巡りだものな。
「オッちゃんってもしかして頭良い? 学者とかだったりする?」
「いやいやまさか、そんなそんな。普通ですよ。ただの一般人で、ただの観光客です♪」
ぶっちゃけるとただのオタクですが、会ったばかりの人にカミングアウトはしません。
「それでオッちゃんは、何を見に来たのさ?」
「跡地……と言えば良いでしょうか」
「アトチ?」
「跡地です」
「それってもしかして、更地のこと?」
「確かに、長い年月の間に壊されて、更地にされたところもあるでしょうね」
「そこに一体何があるのさ」
「歴史的事件があったという事実と、それを記す石碑…くらいですかね。あとは歴史ロマンとか、ロマンとか、ロマンでしょうか」
「アタシにはサッパリ分からないんだけど、それって楽しいの?」
「実は……私も史跡巡りは始めたばかりでして、楽しいと感じるところまでは達してないんですよね」
「はははっ、なんだよそれ♪ 見栄でも張ってるの?」
「いやいや、以前から興味がありましたし、それなりに達成感も感じているので、きっとこれから楽しくなっていくんだと思います」
「やっぱりアタシにはサッパリだけど……。オッちゃんが満足してるならそれでいいや♪」
ハナナさんは納得したようにうなずく。話題を変えたいのかな? 若い子には退屈だったかもな。
火の勢いが弱まってきたので、ハナナさんは囲炉裏に薪を追加する。しばらく沈黙が続いていたが、火が勢いを取り戻すと、再び興味津々な瞳で私を見つめた。
「それで?それで? これまでどんな史跡に行ってきたの?」
話題を変えてくるかと思ったら、そんなことはなかったぜ。
「最初に行ったのが、地元の岩国城ですね。山城ですからロープウェイを使って昇ります。子供の頃に遠足で行って以来でしたので、懐かしかったですよ」
「イワクニって何? 人の名前? 国の名前?」
「ははは、地名ですよ。日本の城は地名を由来にする名前が多いですから」
「そうなんだ。それで、イワクニってどこにあるの?」
「山口県の右端、広島県の隣にあります。日本三大奇矯の一つと言われる錦帯橋がシンボルですかね。世界的にも珍しい白蛇の生息地でもあります。郷土料理は押し寿司の岩国寿司が有名かな。岩国蓮根は他の蓮根より穴がひとつ多いんですよ。あと、忘れてはいけないのは岩国基地ですね。アメリカ海兵隊と海上自衛隊が使用している航空基地です。毎年5月5日のフレンドシップデーでは、基地の一部が一般人に解放されて、軍用機の展示や航空ショーがあるんですよ。毎年20万人以上の来場者でごった返します」
「へ、へえ~~~。よく判らないけど、何かスゴイね」
あれ? 退かれちゃったかな? 知ってる話題を振られると、ついつい早口で延々と喋っちゃうんだよな。嬉しくなるとやってしまう。オタクの悪い癖だ。
「ところで、ヤマグチケンってどこにあるの?」
おや、地理が苦手な子かな? まあ私も人のことは言えないが。住んだことのない地方の県名は今でもゴチャゴチャしているし。
「山口県は中国にあります。とは言っても中国大陸じゃないですよ。中国地方です♪」
「へぇ~~。そうなんだ…」
ぐはぁ! 反応が薄い!! ウィットに富んだ中国ジョークなのにっ! 若い子には難しかったかな……?
「それでその……チューゴクちほーってどこにあるの?」
「は? い、いや、日本国内の西側にある地方ですけど……」
「あ、あ~~~~~! そうかニホンね。ニホン。思いだした思いだした♪」
苦笑いを浮かべるハナナさんに唖然とする。くっ! これが、ゆとり教育の弊害か!! 円周率は3とか言い出しちゃうヤツか!! 確かに詰め込み教育も問題だが、方針が極端なんだよ!
テレビだってそうだ! 何でもかんでもひらがな表記や、ひらがな交じり表記にしやがって! バラエティならまだしも、ニュース番組で観て閉口したわっ! 視聴者を馬鹿にしてるのか? それとも支配しやすくするための愚民教育か? …マクーやマドーやフーマならやりそうな作戦だよな。
地デジで高画質になったんだろ! だったら漢字の上にルビを振ればいいだろうが! 実際、子供向けアニメではやってるんだぞ! 『進化理論』に『シンカリオン』とルビを振るとかさっ!
「お~~~い、オッちゃん。オトジロのオッちゃん」
「はっ!!!」
「アタシのはなし聞いてる?」
「…聞いてませんでした」
「なんだよも~~! せっかく恥を忍んで聞いたのにさ!」
「ごめんなさい」
「じゃあもう一回言うからちゃんと聞いててよっ」
「はい」
「アタシってさ、スッゲェバカなの! 脳筋ってやつなの! だから教えて欲しいんだけど…」
恥ずかしそうに頭をかきながら、ハナナさんは言った。
「ニホンってさ、どこにあるの?」
夜勤明けでの投稿なので眠いです。ヘンなヘマやってたらごめんなさいです。