2-30 出発準備 ~森に住まう者~
「……とは言ってもなぁ」
「ん? どうしたハナナちゃん」
「確かに森は化け物だらけなんだけど、あいつらは大抵森の奧にいるんだよね。でも、ここは森の端っこだし、アタシらは森を出ようとしてるわけだからね」
「遭遇する事はまず無いって事か」
「絶対ではないけどね。気まぐれってヤツは誰にでもあるから」
「もし運悪く遭遇したら、どうすりゃいいのさ」
「人間が戦って勝てる相手じゃないからね。武具も防具も意味が無い。全力で逃げるか、どこかに隠れてやり過ごすかだろうな。こいつらの話を聞いたところで、防具作りには役に立たないんじゃね?」
「それでもいいから話してよ。ハナナちゃんはどんな化け物を知ってるの?」
「実際に見かけたヤツだと……誰が呼んだか“沼奉行”」
「ぬ、ぬまぶぎょう?」
「沼地に棲んでる猛毒の大蛇でさ、頭が何本も生えてるんだよ。たとえ首を落としても、すぐに生えてくるって話だよ」
「ちょっと待て! それってヒドラだよな! 英雄ヘラクレスを苦しめたヒドラだよな!」
「そうなの?」
「ギリシャ神話に出てくる有名な怪物だよ。ヒュドラとかハイドラとも呼ばれてる」
「へぇ〜〜〜〜、よく知ってるなぁ」
「聞きかじった程度だよ。実物に出会ったハナナちゃんには到底及ばないさ」
「こいつは水を飲みに来た動物を毒で殺して丸呑みにするんだけど、根城からは出てこないからね。つまり、沼地に近づかなけりゃ大丈夫」
「なるほど…。たしかにヒドラの猛毒が相手じゃ、手製の防具なんて役に立たないな」
「だろ?」
「でもいいの! 今欲しいのは手掛かりだから。役に立たなくていいからさ、もっと話してよ」
「うーん、そうだなぁ…」
「オトっつぁん的に一番危険そうなのは“深窓令嬢”かな?」
「し、しんそうれいうじょう?」
「森の中にめっちゃデカイ木があって、精霊が宿ってるんだけど、精霊の見た目がエロい全裸の美人なんだよ」
「なん……だと……」
「女のアタシには無害だけど、男が“深窓令嬢”に近づくと、その美貌とエロスに魅了されて離れられなくなるんだってさ。だからその大木の周りでは、そのまま男が何人も朽ち果ててるって噂」
「ん? ハナナちゃんはその“深窓令嬢”を実際に見ているんだよね? 魅了された憐れな男の死体は見てないの?」
「うん。大木の周りは綺麗だったよ。ただ、死体になったら“掃除屋”がすぐに回収に来るからね。何も残ってなくてもおかしくはないかな」
「なるほど」
近づく男を魅了死させるとは、やけにビッチなご令嬢だな。話を聞く限り、木の妖精のドライアドっぽいんだけど…でも、なんか印象が違うんだよなぁ。
私のイメージするドライアドは、アルプスの少女ハイジがあのまま大人に成長したような、純粋無垢で世間知らずな田舎娘って感じなんだが……
「“沼奉行”も“深窓令嬢”も相当ヤバイけど、どっちも自分の縄張りからは出ないからね。迷い込まなければどうってことは無いよ。オトっつぁん1人ならヤバイかもだけど、アタシが道案内するからね」
「頼りにしてますぜ、ハナナ先生!」
「ふっふ〜ん♪ まっかせなさ〜い♪」
「これまでの話をまとめると、本当にヤバイヤツらは自分の縄張りからは出てこない。縄張り関係なく出てくるのは“掃除屋”くらい…なのか?」
「ちょっと違うかな。“掃除屋”は“掃除屋”で縄張りがあるからね」
「そうなのか?」
「地下に女王のいる巣があって、巣穴を中心に縄張りを作っているよ。女王の数だけ巣があって、“掃除屋”の巣は森のあちこちにある。それこそ、星の数ほどあるんじゃないかな」
「そんなにかよ!」
「森に住まう者にとっては“主食”だからね。沢山いてくれないと困るわけよ」
「なるほど。確かに貴重なお肉だわな」
「でも沢山いるから、たまに人里に下りて巣を作る女王も現れる。こうなると大変だ。
他に“掃除屋”がいないから、縄張りは広げ放題だし、繁殖もし放題。作物は荒らすは、家畜や女子供を襲うはで、もう最悪よ!
こうなると女王を巣ごと駆除するしか無いけど、対策が間に合わなくて村が全滅したこともあるらしいよ」
「ヒエッ!?」
肉料理が旨すぎて忘れかけてたけど、想像以上に恐ろしい存在だった。
「あと…会いそうなヤツって言ったら、“番犬”かな」
「番犬? 犬の魔獣?」
「いつも森に異変が無いか見張っていて、いざ騒ぎが起きると、群れを呼んで現れるよ。
でもあいつらはあくまで“番犬”だから、大人しく森を去るなら許してくれる。だからアタシ達には危険は無いよ」
「魔獣なのに理性的なんだな」
「うん。気高いよね。けど、そこで逆らって“番犬”に攻撃なんかしたら、マジでやべーヤツが現れる」
「ま、マジでやべーヤツ?」
「そう! 番犬の親玉! こいつはマジでマジで、やべーヤツだから!
やたらでかくて毛並みも黒くて、闇が動いてるみたいだし、頭が何十もあって、しかも言葉まで話すんだよ!」
「魔獣なのに喋るのか?」
「そうなんだよ! 強いし、デカイし、魔獣のくせにアタシより頭がいいんだよ!」
人語を理解する“人ならざる者”…か。どんな魔獣だろう。
番犬で、頭が沢山あって……… あれ?
巨大アリはともかく、ヒドラもドライアドもギリシャ神話に登場する幻想生物だ。ギリシャ神話で複数首の番犬って言ったら…
「なあハナナちゃん、その“番犬”ってもしかして、“ケルベロス”って名前じゃね?」
「どうだったかなぁ。いつも“番犬”って呼んでるから、本当の名前とか知らないんだよね」
「だったらね………その“番犬”の見た目って、もしかして頭が三つある?」
「あるけど」
マジかよ! マジでケルベロスかよ!!
幻想生物ではかなり好きなんだけど、異世界ファンタジーものではドラゴンばかりで、ほとんど見かけた事無いんだよな。
一般的なケルベロスは三首の犬として知られているけど、ヘシオドスの“神統記”で語られる本来のケルベロスは五十もの首を持っている。
さすがに言葉は話さないが。
ハナナちゃんの話だと、一般的な“番犬”が三首で、“ケルベロスロード”とでも言うべき親玉が五十首ってことみたいだ。
だけど冥府の入り口を護る番犬が、どうして森にいるんだ? もしかして、この森に冥府への入り口があるのか?
それとも、冥府を護るケルベロスは、番犬として飼い慣らされたもので、野性のケルベロスはこの森に群生していたとか?
犬と言えば、子供の頃、“ワンサくん”が好きだった。“鉄腕アトム”から始まった旧“虫プロダクション”の最後のアニメ作品だ。
実写ドラマだと“刑事犬カール”って番組があったな。子供の頃に本放送で観たきりで、ほとんど忘れてしまったけど。
遠い昔の事だけど、実際に飼ってもいたしな。名前はシロ。大好きだったよ。
……犬? ……刑事犬 ……あ
来た! 閃き!




