2-25 豪雨
頭上から、凄まじい音が鳴り響いていた。泉は夜のように暗い。
本日三度目のゲリラ豪雨である。
相も変わらず凄まじい騒音と水量だが、結界は完璧に機能していて、泉自体はとても穏やかだ。
本来なら泉に雨水が流れ込むはずだが、結界が余計な水量を“敵”と判断し、水嵩が増えないよう抑えているらしい。
本当に超有能だよな。ここの結界。五百年前の長老様に感謝だ。
今回も雨雲は十分程度で通り過ぎて行き、泉に暖かい日差しが戻って来た。正にゲリラ豪雨。
しかし、さすがに心配だ。日に三回は多すぎじゃないか? 水害とか大丈夫なのかな?
「なあハナナちゃん、このゲリラ豪雨ってさ……」
ハナナちゃんの反応が……無い?
違和感を感じた私が振り返ると、ハナナちゃんは黙って空を見上げていた。しかも、めっちゃシリアスな顔である。
もしかして、深刻な事態に発展している……とか?
突然、ハナナちゃんは走り出し、森の切れ目で立ち止まると、じっと地面を見つめ出す。
何事かと思い、私も走って追い掛けるが、辿り着いたと思った途端、結界内に生えていた巨木に向かい、スルスルと登り始めた。
あれは私には無理だ。ハシゴでも無いと登れそうにない。
ハナナちゃんを追うのを諦めた私は、息を整えながら地面を見る。ハナナちゃんは一体何を見ていたんだ?
それは、水の断面だった。
まるで水槽のガラス板があるかのように、水の断面が見える。結界が壁となり、浸水を防いでいたのだ。
水面は膝上にまで達していた。結界が無かったら床上浸水待った無しだな。
幸い、水はけが良いようで、徐々に引いているのが分かる。
しかし……これは……困った事になった。
こんなに頻繁にゲリラ豪雨が来るんじゃ、迂闊に森へは出られないぞ。
なるほど、ハナナちゃんの可愛い顔が険しくなったのも、水害を心配しての事か。
突然の増水で足を取られ、流されでもしたら、ハナナちゃんはともかく、私は助からないだろう。
もしかしてこの森は、雨期に突入してしまったのか?
だったら乾期になるまで泉に足止めとか、普通にあるかもな。
一体何ヶ月待たされるんだろう。やれやれだな……。
大木の上から森の遠くを見ていたハナナちゃんが、枝から枝へ次々と飛び降り、地上にシュタっと着地する。
凄まじい運動神経である。
「ほったらかしにしてわりぃオトっつぁん。寂しかった?」
「…まあ、ちょっとだけ」
「ごめんって。そんな泣かんでもいいだろ?」
「泣いてなんかないやいっ」 フンフン グシュングシュン」
「あっはっはっは♪ やっぱオトっつぁんは面白いな♪」
ひとしきり笑うと、ハナナちゃんは真面目な顔になる。
「ごめんオトっつぁん、色々予定が狂っちまった。ちょっと不味い事になったみたいだ」
「さっきのゲリラ豪雨だろ。確かに大雨は不味いよな」
「だから、水が引いたらとっとと出発する」
「足止めもしょうがないよな。水害はヤバイもんな……ってあれ?」
予想とは反対の答えだった。
「豪雨がヤバイから、しばらく泉に足止め……とかじゃないの?」
「足止め? ……足止めってなに?
あ………ああっ、なるほど! そういう狙いもあるんだな。気付かなかった。さすがオトっつぁん、あったまいい♪」
「いや、何を言ってるのか、ゼンゼン分かってないんですけど!」
するとハナナちゃんは、頭をかきながら苦笑いを浮かべる。
「ええっとその……オトっつぁんには言いたくなかったんだけど………」
「何さ。何よ」
「実はアタシ……今、追われる身なんだよね」
「はぁ!? 追われる身って……一体何をやらかしちゃったりしたのよさっ」
「いや、決して悪い事はしてないんだ! それは胸を張って言えるよ。まあ、法には触れてるんだけど……」
「法にはって……まあいいや。過ぎた事だしそこはいい。とりあえずハナナちゃんはお尋ね者なのね」
「人聞きが悪いなぁ。……それでね、ほとぼりが冷めるまで泉に隠れる事にしたわけよ」
「そこに私が迷い込んできたわけか」
「そうそう♪ そうなんだよ♪」
「ハナナちゃんが独りで泉にいたわけは分かったけど、それと豪雨とどう関係するのさ」
「そこなんだよ、オトっつっぁん!」
「そこってどこだよ」
「だから豪雨! あの豪雨を降らせた雨雲はね、魔法で作られた雲だったんだ」
「は!?」
さすがに驚いた。魔法で作った雨雲だって!?
「いやいやいや! 待ってくれ! 魔法って……
オトギワルドでは、そんな簡単に天候を操れるものなのか?」
「簡単なわけ無いじゃん。あれだけの豪雨だもん。相当量のマナが必要だし、凄腕の魔法使いか魔道士でないと扱えない高難易度魔法だと思うよ。魔法使いじゃないから詳しい事は分からないけどさ」
「でも、何のために豪雨を?」
「多分、この場所を特定するため……」
「泉を? でも、どうしてゲリラ豪雨なんかで……あっ」
私は理解した。
普通の雨は安全だ。だから泉の結界は反応しない。
だが、殺人的雨量が降り注げば、泉は危険と判断し、結界が発動する。
ドーム状の結界を雨が滑り落ち、その姿が露わになってしまうのだ。
「ゲリラ豪雨はさっきので三度目だけど、一日に三度も降るなんて事、これまで一度も無いんだよ。
それに回を追うごとに雨の量が増えてる。これって雨量そのままで範囲を狭めてるって事だよね」
「つまり……探索場所が狭められている。場所が特定されつつあるって事か。
でも、探しているのはハナナちゃんじゃなくて、私って可能性もあるんじゃないか?」
「それはあり得ないよ。王国の者ならこの泉の場所は当然知ってるからね。それに大切な異世界人が豪雨のせいで死んだらどうするのさ」
「……たしかにその通りだ」
「このまま泉にいれば、いずれ場所を特定される。オトっつぁんにも迷惑をかけちまう。だからそうなる前に出発して、検問所に向かう。
で、検問所の役人にオトっつぁんを託せたら、そこでバイバイだ。アタシは雲隠れするよ」
「え……?」
「しょうがないさ。あたしを狙ってる“シカク”は、依頼主から聞いた話だと、かなりヤバイヤツらしいからね」
そうか……そうなのか……
もうじきハナナちゃんとお別れなのか……
たった一日の縁だったけど、寂しくなるな。
「だ〜か〜ら〜! 泣くなってオトっつぁん♪」
「泣いてねぇよ! 泣くわけ無いだろ! これは心の汗なんだよ!」
「ほんっと、オトっつぁんは面白いわ♪ へへへっ……」
やっとここまで辿り着きました。
オトジロウとハナナの凸凹コンビは森を無事に脱出できるのか?
筆者は続きを書き上げ、決着させる事が出来るのか?
“深き深き森”編のクライマックスエピソードの、
はじまり。はじまり。