19-19 王国の武力組織 ~王宮戦士団37~ 区長代理
「……一体、何が起きているのでしょう?」
武器屋の屋上に登ったグスタフは、遠眼鏡を使って血生臭い状況を観察していました。
先ほどまで大暴れしていた巨人は、信じがたいことに大人しく座り、ロズワルドと会話しているようです。
ロズワルドは必死に巨人を説得しているように見えます。
巨人の背後には猿丸がいて、スタミナの回復に努めているようです。
しかし今、グスタフにとっての一番の関心は、辺り一面に転がっている数々の屍体でした。
10体以上はある死体の中に、石化状態のものが一つも見あたらないのです。
"帝国"の国教は"唯一神教"です。1人として信者がいないとは考えにくい。となると……
グスタフは以前から抱いていた疑問がありました。はたして巨人は怪物か? それとも人間か? その疑問に答えが出ました。
どうやら"唯一神教"は、巨人を人間と認識したようです。
我が神の懐の深さに、内心グスタフは感激しました。
「グスタフの大将。ちょっといいですかい?」
ふいに冒険者の1人が、声をかけてきます。
「オレ達はこのままで良いんですかい? 何人か支援に出した方が良い気がするんですが…」
「いえ、無駄に犠牲者を出すだけです。今は2人を信じて待ちましょう」
「酔いどれ勇者が言っていた『応援』ってやつはどうします?」
「ロズワルド様は未だ交渉を続けています。このタイミングでの応援はかえって邪魔になるだけですよ。待ちましょう」
「それと……囚人達なんですが、逃げ延びた奴らが防御扉まで来てまして、入れてくれって泣き叫んでんですが、どうしやす?」
「囚人達? ああ、そうでした。生存者がいましたね」
グスタフは一番近い防御扉を見下ろします。そこには憐れな囚人が10人ほど群がっておりました。彼らの怯える姿に一瞬迷いましたが…
「ダメです。巨人の暴走自体が、囚人の誰かを逃すための囮かもしれません。助けた途端、豹変する可能性もありますから、扉の前で待たせて見張っていてください。決して油断しないように」
彼は納得いかないようでしたが、それでもグスタフの指示を了承し、下へと降りていきました。
「なんだ? あの爺さん、何をやってるんだ?」
「屍体相手に何かしてるぞ?」
「ダンスでも踊ってるのか?」
何か動きがあったようです。グスタフは早急に遠眼鏡で確認します。
猿丸は先に錘の付いた紐を振り回し、地面の血溜まりのあちこちを見回しています。巨人のことなど忘れてしまったかのようです。
そして何度か紐の先を血溜まりに叩きつけると、一旦紐を巻き取り、紐の先端を袖で拭い、水筒の水を一口飲んで、紐の先に吹き付けます。
一連の作業が終わると、猿丸は再び紐を振り回し、地面のあちこちを見回しながら血溜まりに叩きつけていました。
ご老体は一体何をしているのでしょう? 屍体打ちでしょうか? ストレスの発散になるのかもしれませんが、動かぬ屍体を鞭打つなんて、悪趣味にも程があります。
落ち着けグスタフ! 猿丸殿はかつての変態上司とは違う! 何か意味があるはずだ!
己にそう言い聞かせ、グスタフは改めて遠眼鏡で観察しました。
……………
…………
………
血溜まりが、蠢いている?
まさか……。まさかそんな……
屍体が、モンスター化しているのか!?
屍体のモンスター化は、条件が揃えば起こりえる現象ではあります。
瘴気の充満した空間に屍体を長らく放置していると、ゴーストが憑依し、モンスターと化すのだとか。
瘴気で溢れているリトル・ヘルヘイムでも、同様の現象は報告されています。
討伐ミッション中に行方不明となった冒険者が、歩く屍と化して戻って来ると言った不幸な事故は、年に2〜3件起きていました。
ですが、ここは地上です。瘴気なんてありません。それに巨人に殺されてから大して時間も経っていません。モンスター化するには、あまりにも早すぎます。
一体何が起きているのでしょうか?
グスタフは考えます。
考えて、考えて、考え抜いて、やがて二つの仮説に辿り着きました。
一つ目の仮説は、囚人達が最初からモンスター化していた可能性です。第二監獄には瘴気が溢れていて、囚人は牢獄の中ですでに死んでいたとすれば……。これなら色々な疑問に説明が付けられます。恐らく巨人の乱心も、囚人の大量虐殺も囮でしょう。となると真の目的は、モンスター化した囚人を街に潜り込ませるとなります。
グスタフは屋上から乗り出して、防御扉で待ちぼうけを食らわされている囚人達を観察します。どう見ても人間でした。彼らがモンスターだなんてあり得ません。もしもモンスターだったら、一体どうやって区別すればいいのでしょう?
二つ目の仮説は、世界そのものが変質してしまい、モンスター化の条件が緩和されてしまった可能性です。つまり、瘴気も時間も関係なく、死んでしまえばただちにゴーストに憑依され、問答無用でモンスター化してしまうのです。
世界そのものの変質なんて、早々ありはしません。ですが、紫の空に覆われた"ルリルリ"の中ではどうでしょう? あの空を見る度、如何なる災いも起こりそうな気がして、恐ろしくなってきます。
そしてこの仮説が正しければ、最悪の事態が予測されます。事故で、病気で、老衰で死んだ者がモンスター化し、側にいた一般人を襲い始めるのです。街はパニックに襲われるでしょう。
どちらの仮説も確定ではありませんが、最悪の可能性は覚悟しておくべきでしょう。
しかし、どうすればいいのでしょうか? 区長代理として、どう動けばいいのでしょうか?
確証も無しに口には出来ません。疑心が生まれ、暗鬼を呼び、パニックは同士討ちを誘発するでしょう。
人とモンスターを見分ける方法。
我々の敵を炙り出す方法。
そんな方法があれば、対策も立てられるのですが……
グスタフはヒントを求めて遠眼鏡で戦いを追います。
猿丸は一度休んでスタミナが回復のか、動きに切れが戻っていました。巨人の即死攻撃に比べれば、這いずり屍体などものの数ではないのかもしれません。
ですが、振り回す紐の先は度々、裾で拭っていました。血糊が付くと攻撃力が落ちるのでしょうか。そして水筒の水を口に含むと紐の先に吹き付け、改めて戦闘態勢に………
「ああっ! そうです! 聖水です!! ありがとうございます! 猿丸様!!」
閃きました。こんな方法で聖水を使ったことは一度もありませんでしたが、きっといけるはずです!
グスタフは早速試そうと、ハシゴを滑り降ります。
よかった。カワミドリとおかみさんには宿屋へ戻ってもらって正解でした。
きっとこの周辺は、阿鼻叫喚の地獄と化してしまうことでしょう。
そんなところ、レディにはとてもお見せできませんからね。
「では皆さん、一気に飲み干してください。何度も言いますが、ジョッキに入っていますのはただの聖水です。人には無害ですよ」
リーダーらしき若い男が、壁の上からお願いという名の強要をしてきます。
囚人達は、生きた心地がしませんでした。城壁のような壁の上から、多数の冒険者が弓で狙っているのです。
逃げだそうとすれば、問答無用で射貫かれる事でしょう。命が惜しければ、手渡されたジョッキの水を飲み干すしかありません。
しかし、どんな目的なのかは誰も教えてはくれません。あるいは誰も知らないのかも。
水の正体も怪しいものです。本当に聖水なのでしょうか? 本当は毒が入っているのでは?
「へへっ、度胸試しか! いいぜ! 受けて立ってやる!」
強面の囚人が一気に飲み干し、ジョッキを地面に叩きつけます。それから数秒待ちますが、特に変化はありませんでした。
「ご協力ありがとうございます。どうぞ扉の側でお待ちください」
続いて2人目、3人目とジョッキを飲み干しますが、やはり何も起こりません。6人目も7人目も変化は何もありませんでした。
この儀式には一体何の意味があるのでしょう? 本当にただの度胸試しでは? 誰もが気の緩んだ8人目……
「ギ、ガガッ……ガッ」
悲鳴とも遠吠えとも思える奇怪な声を発しながら、8人目の囚人が苦しみ始めました。そしてゴバァと水を吐き出し、体中から蒸気を出しながら、みるみるうちに身体が溶けていきます。やがて反応が収まると、そこに残っていたのは囚人服と泥水だけでした。
「ご協力ありがとうございます。貴方のおかげで"成り済まし"の判別方法が確立しました。心より感謝いたします。さあ、残ったお二方も、冷たいうちにどうぞ。遠慮は無用ですよ♪」
リーダーらしき若い男は、笑顔で聖水を勧めます。
壁上の冒険者達の弓矢は全て、まだ飲み干していない2人の囚人に向けられています。
残った2人は腹をくくるしかありませんでした。