19-15 王国の武力組織 ~王宮戦士団34~ その刹那
「もはや…ここまでかの」
巨人の拳は酷く遅く、避けるのは容易でした。スタミナさえ続けば何時間でも避けられたでしょう。しかし、70代の老体には酷な話です。猿丸の限界は目前でした。
巨人の拳は凄まじく重く、かすっただけで瀕死の重傷。まともに食らえば全身の骨が粉々に砕けて即死でしょう。スタミナが切れれば猿丸は終わりです。今ならまだ逃げられます。スタミナが残っている今なら。
ですが……
ですが、猿丸が死んでも逃げても、巨人は次の得物に襲いかかり、暴れ回ることでしょう。次の得物は囚人でしょうか? 一般人でしょうか? それとも我が愛娘でしょうか?
ならば……
「ならば、ここが命の使いどころよの」
猿丸の右腕は義手です。若く幼い下忍だった頃、任務の責任を押しつけられ、切り落とされて、オトギワルドへと捨てられました。
コーガイガへ来て間もなくの頃は、かぎ爪をくくりつけるだけのシンプルなものでしたが、少しずつバージョンアップを繰り返し、本物と見違えるほど出来の良いものを使っています。
そして此度の任務を受ける際、義手に新たな機能を付けてもらいます。
それは……
それは、自爆装置でした。
本来の用途は証拠隠滅です。もしもの時…例えば、自分が捕まることで情報が漏れ、"王国"や愛娘を窮地に陥ってしまう。そんな事だけはあってはなりません。なので自分という証拠を、生き証人を、もしもの時はこの世から消し去る必要があったのです。
猿丸の義手は、森の"王国"に迷い込んだ放浪魔道士によって造られた特殊仕様です。非常なる任務に堪えられるよう、様々なギミックが内包されておりますが、その動力として魔法石が内蔵されていました。魔法石は、内包するマナを一瞬で使い切れば、爆発的なパワーを生み出すことが出来ます。それを活かして自爆装置にしてほしい。そう猿丸は、放浪魔道士に頼んでいたのでした。
放浪魔道士の説明によりますと、起動させれば、義手の半径2メートルの空間が一瞬で消滅するとのことです。その言葉を信じるなら、巨人に取り付いて自爆すれば、肉体の一部を削り取れます。やり方次第では討伐も可能でしょう。
猿丸は巨人の次の一撃を警戒しながら、複数ある安全装置を1つ1つ外していきます。
さて、何処を狙うかの? 頭といきたいところじゃが、当然巨人も警戒しとる。ならば背後に回って背骨を狙うか? それとも足を狙って機動力を削ぐか? 最悪、腕の1本はもらっていかねば割が合わぬでな。
疲弊し、汗を滲ませながらも、猿丸はニヤリと笑いました。それに気付いたか、巨人もこれまでのメチャクチャな動きを止め、猿丸に向けて拳を構えました。
巨人と小男が相対します。猿丸の身長は1メートルちょっと。そのせいで身の丈10メートルの巨人は、遠目からは15メートルにも20メートルにも見えました。
そんな二人が対峙します。無限にも思える一瞬の沈黙。恐らく次の一撃で決着が付くでしょう。相打ちか、巨人の辛勝か。結果がどうあれ猿丸は死にます。
その刹那でした。
「オケアノス十三世!!!」
突然の男の叫び声が、沈黙を破ります。
その瞬間、巨人に隙が生まれます。男の声に反応し、視線を声のする方へ向けたのです。
またとないチャンスでした。目を逸らした今なら頭に取り付けます。自分の命と引き替えに巨人を討伐できます。
いつでも道連れに出来るよう、最後の安全装置を外し、巨人の頭めがけて跳びあ……が……
いや待て!? 今のは誰だ!? 聞き覚えあるその声は!?
寸前で踏み留まった猿丸は、巨人の視界から逃れようとゴロリと横に転がり、背後へと回り込みます。巨人の注意は声の主に向いていて、猿丸の動きに気付きもしません。隙だらけでした。
すんでの所で自爆を回避した猿丸は、最後の安全装置をかけ直しながら、駆け寄る声の主を見ます。
そこにいたのは軽装の鎧を身に纏い、ロングソードを背負った長身の男でした。猿丸は彼の正体を理解するのに数秒かかってしまいます。何より混乱させたのはその生きた目つきでした。酔っぱらいの時とはまるで別人だったのです。
猿丸は気配を殺し、状況を見守りながら、スタミナ回復に努めます。その際、グスタフから預かった水筒を口にします。聖水入りとの事でしたが、グスタフの言う通り、人には無害なただの水でした。
巨人は男をしばし見つめた後、つぶやきます。
「お、おまえ、ろじぃ……か?」
「そうだ! オレだよ! ロズワルドだよ! 覚えていてくれて嬉しいぜ!」
「お〜〜〜♪ ろじぃ〜〜♪ なつかしぃ〜〜〜ナ〜〜〜♪」
笑顔を見せた巨人は、ロズワルドを間近で見ようとその場に座ります。その姿には、もはや戦意も殺意もありませんでした。
囚人達の屍の山と血溜まりで溢れる広場で生まれた、穏やかなる時間。
予想外の展開に驚愕した猿丸は、小さくつぶやきます。
「ロズワルドよ…お主……。よりによってこの怪物と知り合いじゃったのか。難儀な運命よのぅ」