19-7 王国の武力組織 ~王宮戦士団26~ 紫空の正体
「猿丸さん、戻りませんな……」
「も、申し訳ございません」
「なに。お嬢さんが謝ることではありませんよ。……ですがそろそろ、時間切れのようです。出直すとしましょう」
区長が立ち上がると同時に、12時を知らせる鐘が鳴りました。
「実はこれから会合でしてな。北区に行かねばならないのですよ」
カワミドリ達のいる"雪ん子亭"は、"ルリルリ"の南区にありました。つまり彼は南区長ということになります。
北区は第二監獄を挟んだ反対側にあり、南区からは一番遠くでした。
「あの、区長さんのお帰りは何時になるのでしょうか?」
「今夜は北区に泊まりになりますから……。早くて明日の朝ですかな」
空が紫に染まってすでに3時間近くが経過しましたが、不穏な空気をかもし出すだけで、何かが起きる気配はありません。
この程度で公務を止めるわけにはいかないようです。区長としても難しい判断なのでしょう。
しかしこの状況で、区の責任者が丸一日いないとは…。何かが起きた時、全てが手遅れになるのでは?
引き留めなくちゃ!
お父さんが戻るまで、何とかして引き留めなくちゃ!
だけどどうやって? 三兄弟の三位一体芸を見せるとか?
ダメ! 多忙な人に暇潰し芸を見せたって、不快にさせるだけだわ!
だったら……
だったら……
「区長さん! でしたら、私が説明します! 私に説明させてください!」
「お嬢さんが?」
「私にも、気付いたことがあるんです!」
「………伺いましょう」
カワミドリはまず、区長を連れて宿の外に出ますと、雲を探します。
「ええっと、ええっと、あ! ありました! あの雲を見てください! 赤みがかっていますでしょう?」
「ふむ。確かに赤みがかっておりますな。それが何か?」
「空が紫なのに、雲は白でも紫がかっているわけでもなく、赤いんです」
「よく分かりませんな。それの何が問題なのですか?」
「以前同じようなものを見たんです。ステンドグラスです! ステンドグラスに使っている色ガラスです!」
「ステンドグラス…。ああ、教会にありますな。それで、色ガラスがどうかしたのです?」
「私、色ガラス越しに景色を眺めたことがあるんです。赤い色ガラスで見た景色は赤く染まっていました。それにそっくりなんです」
「………確かに、青空を赤い色ガラスで眺めれば、紫色に染まりますな」
区長は改めて空を見回します。
「つまり"ルリルリ"は、赤い色ガラスで覆われている……と?」
「そ、そうなんです! きっとそうです! "ルリルリ"は色ガラスで蓋をされちゃっているんです!!」
「うーむ……」
区長は腕を組んで考え始めます。
しまった! カワミドリ痛恨のミスです。勢いに任せて推測を断言してしまいました。
「確かに色ガラスで覆われているのでしたら、砕けたガラス片が降り注いで大惨事……と言うことは十分にあり得ますな。しかし、色ガラスには大して強度はありません。ルリルリ全域を覆い被せる程の蓋を作るなんて不可能ですよ。面白い話でした。続きはまた明日聞かせてください」
「あ… 待ってくだい…」
カワミドリは止めようとしますが、もはや区長は聞く耳を持たぬようです。もう黙って見送るしか……
「ふむ。色ガラスで蓋とは、流石は我が娘。面白い例えじゃな」
聞き覚えのあるしゃがれた声に、カワミドリと区長は振り返ります。
ああ良かった。お父さん、間に合ったのね…。ホッとしたカワミドリは、気が抜けたようで、その場にしゃがみ込んでしまいました。
そんな娘を支えながら、猿丸は区長と話します。
「いやぁ、すまぬすまぬ。調べ物ですっかり手こずってしまったわい。時間も押しているようじゃし、早速話させてもらうぞ」
「……伺いましょう」
「まず最初に確認じゃが、区長殿は"ルリルリ"が結界で覆われていたことをご存じかの?」
「………いや。初耳です」
区長は困惑気味に答えます。どうやら本当に知らないようです。
「サブロー。見せてやれ」
すると宿屋から覗いていたニンジャの1人が頭巾を外し、若く美しい素顔を見せます。そして区長に近寄ると、右の手袋を外し、老人のように干からびた右腕を見せました。
「これは…一体……」区長はサブローの幼い顔と、しわくちゃの右手を見比べながら尋ねます。
「"ルリルリ"来てすぐに脱獄しようとしたんですが、第二城壁を跳び越えしようとした時にこうなりました。"ルリルリ"には以前から、呪いのような結界で覆われていたんです。無理に越えようとすれば、たちまち命を吸われて年寄りみたいになったと思います」
「うむ、ご苦労。下がって良いぞ」
サブローは頭巾を被り直し、兄弟の元へと戻りました。
「都市を覆うほどの結界? 一体何故そんなものが……。そもそも城壁を越えるなんて不可能です。必要無いはずだ」
「良かったなサブロー! お前は不可能を可能にしたぞ!」猿丸が言うと、忍者が一人、嬉しそうにガッツポーズを取ります。
あれ? 3兄弟ってもしかして、世間では優秀な方だったの? と、評価を見直すカワミドリでした。
「つまり区長よ、ワシらは監獄都市"ルリルリ"の、脱走防止機能のひとつと解釈しておったのだが、あの結界は違うのか?」
「少なくとも私は知りません」
「では警備隊が管理している訳ではないと? 自然現象かもしれないし、何者かに仕組まれていたかもしれぬわけか」
「私には……分かりません」
「分からぬならしょうがないの。では区長。次に紫の空の正体を話すとしよう」
「いよいよ本題というわけですな」
「あれはズバリ、強化された呪い結界じゃ! 厚みが増したせいで透明度が落ち、結界の色が見えるようになったんじゃ。正に色ガラスのようにな!」
「"ルリルリ"の空全てが、結界で覆われていると、そう仰るのですか!? 信じられません! 幻惑系の魔法で惑わされているのではありませんか?」
「信じる信じないは区長殿の自由じゃ。なのでワシは証拠を出すとしよう。まずは1つ目」
猿丸は、懐から干からびた骨を出します。
「これは酒場から拝借した、鶏の骨付きもも肉じゃ。結界に近づけただけでミイラ化してしもうた。一瞬じゃったよ。『絶対に逃さない』という、執念めいたものを感じたわい」
区長はミイラ化した鶏足を手にとり、じっと見つめていました。偽装ではないかと疑っているようです。
「もう一つ、明らかな事実がある。空が紫に染まってから、風がまったく吹かなくなっていることに気付きましたかな?」
そう言われて区長は、そしてカワミドリもハッとします。
今、猿丸と区長は、路上で話をしているのですが、まるで室内にいるかのように無風状態でした。
「呪い結界に厚みが増したことで、空気の流れがせき止められてしまったんじゃ。正に娘の言う通り、"ルリルリ"は蓋をされてしまったんじゃよ」
怯えた顔で区長は問います。
「一体、これから何が起きるのですか?」
猿丸はしばらく押し黙っていましたが………
「いやぁ、それがサッパリわからんのよ♪」
「はぁ?」
さすがの区長も、思わず間抜けな声を上げます。
「頭上の呪い結界は間違い無くヤバイ。触れば即死間違い無しよ。じゃが、今はそれ以上でもそれ以下でもないのもまた確かでな。引き続き調査が必要じゃ」
「それは……つまり……ただちに危険は無い。そう言うことですか?」
「空を飛ぼうとしたり、城壁を越えようとしない限りは、結界に触れることもないしの」
区長は深くため息をつく。
「それはつまり、出来ることは何も無って事ですよね」
「うむ。むしろいたずらに不安を煽れば、パニックで死傷者が出るじゃろうな」
「ありがとうございます猿丸さん。大変参考になりましたよ。他に報告することがなければ、この報告会もお開きにしたいのですが…」
「ならばあと2点ある。ワシが確認出来たのは第二城壁までじゃ。そこから外がどうなっているのかが分からぬ。状況を知るためにも外の警備隊と話をしたいのじゃが」
「残念ながら、普段は外との連絡手段はありません。外へ続く大門が開かれるのを待つしかありません」
「では、最後にひとつ。この南区に冒険者用の店はあるかの?」
「"リトル・ヘルヘイム"に向かう門は、南区のみですからな。討伐ミッションのために必要な装備や道具の店でしたら、ありますよ」
「もしもの時は、そこを解放して欲しいんじゃ。いや、ワシらのためではない。ワシらは自前の装備を持ち込んでおるな。一般市民や、そこにいる酔っぱらいが必要になるんじゃ」
見ればロズワルドの装備は、腰に付けたショートソードのみでした。腕は確かなのに、初期装備のせいで無駄死にしては、確かに勿体ないでしょう。
区長が指をパチンと鳴らすと、ニンジャのごときスピードで青年が現れます。それなりにイケメンで、ただ者ではなさそうです。
「では、私の助手を貸しましょう。私の権限で出来ることなら、彼に言えば出来るようにしておきます。たのむぞ、グスタフ」
グスタフと呼ばれた青年は、黙って頭を下げました。
「それでは会合に行ってきます。くれぐれも民衆にパニックを起こさないようお願いしますよ。報告はまた明日伺いますよ」
そう言い残すと、どこからともなく現れた馬車に乗り、区長はその場を去りました。
「猿丸様、ご用の時はいつでも呼んでください」
グスタフ青年は一言そう言うと、宿屋の食堂スペースへと去って行きました。
無口系のイケメン。有能そうに見えますが、はたして?
「お、おとうさん」
不安げな娘に、猿丸は優しく声をかけます。
「大丈夫じゃ。今のところはな。じゃが、分からぬ先のことで不安になっても仕方ない。今は休んでいなさい」
猿丸には、現状では確認のしようの無い、懸念材料がありました。
呪い結界は平面ではなく、ドーム状に展開しています。それは第二城壁のてっぺんまで続いていたのですが……
はたしてそこが結界の切れ目なのでしょうか? ドーム状の形ならば、第二城壁はかすめているだけで、外にまで続いている可能性があります。
もしそうなら、"ルリルリ"は呪い結界によって完全に閉じ込められたということです。
それはパニックを引き起こすだけの、絶望的な情報でした。可能性だけでは迂闊に口に出来ませんし、事実と判明しても解決策を見出すまでは黙っているべきでしょう。どのみち今は、悩んだところで詮無き事です。
「あ、あの…」
女性がふいに背後から、猿丸に声をかけてきました。
振り返ると、そこには宿屋のおかみさんが立っています。いつもの元気な姿はそこになく、怯えているようでした。
「どうなされました? 奥方様? 先ほどの話でしたら、お気になさることでは……」
おかみさんは猿丸の声を遮るように、震える声で訴えました。
「娘が……サフランが……帰ってこないんです」