19-2 王国の武力組織 ~王宮戦士団21~ 最後の日常2
「おはようございます。まだ朝ごはん、いただけますか?」
カワミドリが厨房に声をかけると、奧からおかみさんが顔を出します。
おかみさんが仕切っている"雪ん子酒場"は、開店が夕方で仕込みはお昼から。なので午前中は、"雪ん子亭"の厨房で新作料理の開発に勤しんでいるのだとか。
「あら、おはようカワミドリちゃん♪ ちょっと待っててね。すぐに用意しますから♪」
カワミドリはカウンター席に座り、朝食を待っている間、ふと周囲を見渡します。小さな食堂には4人の忍びが傷自慢で盛り上がっていますが、他の客はいません。横の受付を見ると、主人がホウキを持って受付前を掃き掃除していました。
「おはようございます、旦那さん。あの、サフランさんは今どこですか?」
「ああ、おはようお嬢さん。娘ならお供え物を届けに行っているところさ。道草しなけりゃ、もうじき帰ってくるんじゃないかな」
カワミドリは寝坊をちょっぴり後悔します。サフランに同行させてもらい、一度祭壇を見ておきたかったのですが…。しょうがありません。次の機会を待ちましょう。
「もしかしてカワミドリちゃん、朝は苦手なの?」
程なくして、おかみさんがトレーに朝食を載せて戻って来ました。
「いえ、そう言うわけではないのですけれど…」
おかみさんはやけに親しげです。昨夜は酒場でチラリと顔を見かけた程度だったのですが。もしかしてサフランと親しくなったからでしょうか?
質素ながらも美味しい朝食に舌鼓を打っていますと、カウンター越しからおかみさんが、ニコニコ笑いながらカワミドリを見つめています。
奧に戻らない……ということは、何か用があるのでしょうか?
「ところでカワミドリちゃん、お仕事は決まったのかしら?」
は? お仕事? 何言ってるの? 一瞬戸惑うカワミドリでしたが、すぐに昨日の説明を思い出します。
刑期に合わせた釈放料が課せられ、独自通過"ラズリ"で支払わなければ"ルリルリ"から出られない。"ラズリ"を稼ぐために働け。確かそんな話でした。
「いえ、昨日の今日ですから、まだ何も考えていませんけれど…」
するとおかみさんは、両手をポンと叩いて満面の笑顔になります。
「だったらね、うちで働かない? ちょうど"雪ん子酒場"に新しいウェイトレスが欲しかったところなのよ♪」
ああ、なるほど。スカウトでしたか。カワミドリは合点がいきます。
「あの……おかみさん、質問いいですか?」
「あらあら、何かしら? なんでも聞いてちょうだい♪」
「"ルリルリ"から出たければ、"ラズリ"を稼げってお話でしたよね? その為には働かないといけない。でもそれって、"ルリルリ"から出る気が無いなら、"ラズリ"を稼ぐ必要が無い。つまり、働く必要も無いって事になりませんか?」
「そんな事はないわよ。例えば食事をするにしても、宿をとるにしても、"ラズリ"は必要よ。でも、今のカワミドリちゃん達のように"ラズリ"の持ち合わせがない時もあるわよね。そんな時は、使った金額分、保釈料に加算されてしまうの。分かりやすく言えば借金ね」
「はあ、なるほど。借金ですか」
「で、借金が増えすぎてしまったら、どうなると思う?」
「…………え? どうなっちゃうんですか?」
「警備隊に捕まって、"第二監獄"に入れられてしまうの」
「だ、第二監獄!?」
カワミドリ達がいる"第一監獄"と"リトルヘルヘイム"の間にある、ドーナツ状の空間。それが"第二監獄"です。本来処刑されるはずだった凶悪犯が"帝国"中から集められ、囚われているという話でした。
「私達の住む"第一監獄"は、外への行き来に制限のある自治区みたいなところだけど、"第二監獄"は普通に監獄よ。自由は奪われるし、規則正しい生活を強要されるし、食事制限も厳しいの。そして借金分が返済されるまで、低賃金で強制労働よ。カワミドリちゃんみたいな若くて綺麗な女の子が入れられたら、どんな目に合わされるか分かったものではないし、決してお薦めはしないわね」
「そ、そうですね。余計な借金をしないよう気をつけます」
「で、どう? 私の料理とあなたの笑顔で仕事帰りのお客さんを労うの。大丈夫♪ うちは健全なお店だから♪
あなた美人さんだし人当たりも良さげだし、すぐに看板娘になれるわよ♪ 娘も『貴方なら大歓迎』ってお墨付きをくれたの♪ どうかな?」
おかみさんは再び目を輝かせ、スカウトに戻ります。
「看板娘でしたら、サフランさんがいるじゃないですか」
「うちの娘? いや〜ダメダメ。そばかすだらけでカワミドリちゃんの足元にも及ばないし、ロズワルド様にお熱だものね。お客さんを癒すどころか、いつ失恋するかと逆に心配されちゃってるわ」
「心配……ですか」
おかみさんの口が重くなります。
「ロズワルド様のことは尊敬しているし、感謝もしているのよ。でも、あの方は家庭を築けるタイプではないし…。毎日浴びるほどお酒を飲んで、心配しても聞く耳を持ってくれないし…。ある日突然、どこかへ行ってしまいそうだし…。2人の将来が想像できないのよ」
「確かに……そうですね」
辛い過去が忘れられなくて、自暴自棄になって……。でもこのままでは誰も幸せになれない。サフランのためにも立ち直って欲しいけれど…。だけど、今のカワミドリに出来る事なんて何もありません。
「で、どう? うちの看板娘にならない?」
おかみさんは三度目を輝かせ、スカウトに戻ります。
「接客業は大変なところもあるけど、楽しいことも一杯よ♪ 何より、色々な出会いがあるのがステキね♪ もしかしたら、イイ人と巡り会えるあるかもしれないわよ♪」
「えっ!? イイ人!?」
思わず食い付いてしまうカワミドリでしたが、すぐに我に返り、平静を装います。
「え……ええっと。そうですね。少し…考えさせてください」
「うふふ♪ その気になったら言ってちょうだい♪ いつでも大歓迎だから♪」
おかみさんは満足げに微笑むと、厨房の奧へと引き返していきました。
1人ぽつりとカウンター席に残されたカワミドリは、朝食を食べていた事を思い出し、パンをちぎって口に運びます。
イイ人…… イイ人なんて…… イイ人…かぁ……