7-6 移籍召喚の件 ~2日前~
運命の関ヶ原より2日前の朝。
野薔薇ノ王国のエージェントが、帝国の辺境にある小さな村を訪れた。仮に"エージェントA"と呼称する。
"エージェントA"の目的は、村唯一の宿屋に長期滞在する青年との交渉。彼こそがトレード候補の第一位。野薔薇ノ民の冒険者だった。
祖国を捨て、自分試しの旅に出た彼は、流浪の果てにこの村へ辿り着き、この村こそ自分の居場所と定めたようだ。
女神の血筋故の彼の美貌は、娘達を夢中にさせ、若い男達を嫉妬に狂わせ、余所者を嫌う大人達の不審を買う。
だがしかし、誠実な人柄と、村に溶け込もうと努力する姿は、次第に村人の頑なな心を溶かしていったようだ。
自分の居場所を見つけた彼が、異世界への片道切符を受け取るとは到底思えなかったが、これも仕事だ。
午前10時頃。宿屋に訪れた"エージェントA"は、宿屋の主人に若者への面会を求める。
彼はまだ眠っているようで、主人は「起こしてこい」と娘を部屋に向かわせたが、程なくして聞こえたのは、娘のけたたましい悲鳴だった。
驚いた"A"と主人は二階に駆け上がり、彼の部屋に向かう。
そこで見たのは、泣きながら必死に揺り起こす宿屋の娘と、ベッドに横たわったまま二度と目を覚まさない青年の姿だった。
候補者第二位との交渉。それが"エージェントB"の任務だ。
候補者は“絶対防衛都市コンゴウ”を活動拠点とする、若き野薔薇ノ民。
能力は下の上程度。女神のごとき美貌を除けば、どこにでもいる、ただの冒険者だ。
彼は常々、周囲の自分への評価が低すぎると不満を抱いており、ビッグになって見返したいと思っているという。
正にうってつけの人材だ。「異世界の勇者にならないか?」と誘えば、二つ返事で引き受けるに違いない。
ただし、候補者第一位との交渉が決裂しなければ動けない。
聞くところによると、候補者第一位は、自分の居場所を見つけたリア充だ。異世界トレードなんて断るに決まっている。
そうは言ってももしもの事がある。ダブルブッキングなんて起こしたら、自分の査定にも響く。
仕方がないので昨夜から酒場で待機中。昼になった今もちびちびと酒を飲んでいる。
するとテーブルに置いていた掌サイズの水晶玉が光り出す。"エージェントA"からの連絡だ。
早くても夕方だろうと思っていた"B"は、慌てて酒瓶をテーブルから下ろし、身だしなみを整える。
説明も聞かずに二つ返事で断ったか? あり得る。リア充だもんな。
そう思いながらオンラインにすると、水晶玉に"エージェントA"が表示される。その顔は憔悴しきっていた。
「候補者第一位は、昨夜黄泉へと旅立った。死因ははっきりしないが、過労死かもしれない」
話によると、この一ヶ月、村のインフラ整備のために、相当無理をしていたらしい。
村中が悲しみに包まれ、誰もが彼の死を悼んでいた。彼はこの村で勇者になったのだ。
悲しい話だが、自分は自分の仕事をしなければ。"エージェントB"は酒場を後にすると、第二位の元へと向かう。
昨夜のうちに動向は把握している。今ならまだ下宿にいるはずだ。
しかし数分後、"B"は陰惨な光景を目の当たりにする。
下宿は警察に封鎖され、入り口には血の池が出来ていた。明らかに致死量だった。
警察が目撃者から証言を取っていたので、聞き耳を立てて事件のあらましを知る。
一言で言えば、痴情のもつれ。
下宿から出てきた候補者第二位と、待ち伏せしていた女が入り口付近で口論を始め、怒り狂った女が短刀でめった刺しにしたらしい。
女は血まみれのまま逃亡。警察の懸命な捜査が続いている。
若者は近所の教会に運ばれ、可能な限りの治療を施したが、神父の奇跡の技をもってしても、手の施しようがなかったらしい。
若者の死体は、そのまま教会に安置され、引き取り手がなければ共同墓地に埋葬するという。
もちろん同胞を放置するわけにはいかない。"エージェントB"は教会に遺体の引き取りを名乗り出た。
だが、手続きに入る前に、神父に頼んで遺体を拝ませてもらう事にする。"痴情のもつれ"に違和感を感じたのだ。
違和感は的中した。遺体の傷口は不自然に腐敗が進んでいたのだ。ナイフに回復を阻害する腐食毒が塗られていたとしか思えない。
"B"の知る限り、それは暗殺者の手口だった。
「候補者第一位と第二位が死んだ。暗殺の疑いがある。直ちに第三位に接触。保護して欲しい」
"エージェントB"からの緊急報告に"エージェントC"は困惑を隠しきれなかった。
第一位が過労死で、死亡推定時刻は夜中。第二位が痴情のもつれで、めった刺しにされたのは午前中。
立て続けに、しかも一位から順番に死んでいる。確かにおかしい。陰謀を疑いたくもなる。
だけど偶然の一致ではないのか? 候補者情報は最高機密扱いで、簡単に観れるものではない。
まさか、情報が漏れている? 王国内にスパイが紛れ込んでいるのか?
だけど…… いや、しかし……
悶々としながら"エージェントC"は走った。第三位は無事なのか。
良かった。無事だ!
刺々しく武装した6人の冒険者パーティーの中に一人、場違いな好青年がいた。
穏やかな物腰。少年とも少女とも取れる柔らかい笑顔。彼こそ候補者第三位であった。
冒険者能力こそ下の中だが、彼には僧侶にも負けない特殊能力があった。
回復魔法のみではあるものの、1/10の魔力で発動させることができるのだ。
「村じゃこのスキルも宝の持ち腐れ。僕独りじゃ冒険なんて出来ない。でも、チームの中でなら、きっとこの力を役立てられる」
こうして彼は回復特化の冒険者として、様々なパーティーに参加し、少しずつだが確実に実績を固めていた。
もし彼がトレードに合意するなら、異世界では癒し系勇者と呼ばれるのだろうか。
彼は6人パーティーと共に、ダンジョン探索から戻って来たばかりだった。
"エージェントC"が呼び止めると、久々に見る同胞に、引きつった笑顔で返してくる。
どうやら、許嫁に頼まれ連れ戻しに来たのでは? と疑っていたらしい。
「もっと重要な話です」と切り出し、連れ出そうとするが、パーティーのメンバーに阻止されてしまう。
「おいおい、俺たちゃ契約を結んだばかりなんだぜ。貴重な回復役を勝手に連れ出されちゃ困る」
彼らの言い分も最もだった。むしろ、一緒に来てもらった方が安心かもしれない。
もう日が落ちる。酒盛りをするにはもってこいだ。詳しい話は酒場ですれば良いだろうか?
そう思った矢先だった。
突然の殺気に"エージェントC"は教会の鐘楼の塔を見上げる。塔の上に誰かいる?
その瞬間、候補者第三位は崩れるように倒れる。"C"は慌てて抱きかかえ、首筋を見る。吹き矢の矢が刺さっていた。
急いで小さな矢を引き抜く。鏃は骨に達するほど深く突き刺さり、腐敗毒の嫌な臭いがしていた。
何もかもが手遅れだった。それでも止まれない。"C"はありったけの魔力で回復魔法を放ち、泣き叫ぶ。
「誰か! 回復を! 魔法でも薬でもいいっ! 早くっ!」
回復特化の彼に依存していたパーティーだ。誰も回復魔法なんて使えない。
おまけにダンジョンから戻って来たばかりで、薬草もない。
もはや奇跡にすがる以外に無かった。
だけど……
奇跡は起きなかった。