2-87 また合う日まで
改めて巾着から目薬サイズの小瓶を取り出すと、封印の札を破り、蓋を開ける。
これを飲ませればいいんだな。だけど量は僅かだ。うっかりこぼさないよう気をつけなくては。
……………いや、まて、ど、どうしよう。
「い、いかがしたしました? お父様?」
となりに座り込んだワシリーサちゃんが、不安そうに尋ねる。
「気管に入ったら咽せちゃうだろ? せっかくの薬を吐き出しちゃうんじゃないかって……」
「大丈夫だオッサン」と、エコーちゃんの口を借りてシュウ君が助言する。
「そいつは口に含ませるだけでも効果が出る。どうしても気になるんだったら、吐き出さないよう口を塞いじまえ」
腹をくくった私は、ハナナちゃんの口を開けると、"ソーマ"を注ぎ込む。
私の心配とは裏腹に、ハナナちゃんは無事に飲み込んでくれた。よかった。
「ところで、これってどれくらいで効くものなの?」
「分かりませんわ。ワタクシも実物を見たのは初めてですもの」
「"ソーマ"は目が飛び出すほど高いんだよ! しかも一回使ったら終わりだし。そんな金があったら、装備を充実させるね。その方がよっぽど生き残れるって」
なるほど。エリクサー的な感じか。いざという時の為に持っていても、勿体なくて中々使えず、結局抱え落ちしちゃうんだよな。正に宝の持ち腐れだ。
などと会話をしていたところ、突然ハナナちゃんが、ガバッと上半身を起こした。
まるで背中にバネでも入っているかのような凄い勢いだった。
空を見つめ、両手を見つめ、下半身を埋めた土を見つめ、胸にあったはずの怪我を確かめ、そして私達を見た。
「……オトっつぁん。……エコー。カ、カワズヒメ! それにシロまで!? なんでみんないるの?」
シロって誰だ? ああ、"白銀の番犬"のことね。彼女は私達の後ろに座り、様子をうかがっていた。やっぱりハナナちゃんの友達だったんだな。
「ばっかやろう……」
「え?」
「このっ、おおばかやろうっ!!」
突然、ハナナちゃんが怒り出した。泣きながら怒り出した。
「死ぬのは! 死ぬのはなっ! アタシだけでよかったんだよっ! なんで、なんでみんなまでっ!」
一瞬、何を言っているのか分からなかったが、即座に理解した。
ハナナちゃんは埋葬されてたかのように半分埋まっているし、大怪我をしたはずの胸は痛みを感じない。
おまけに私もワシリーサちゃんもボロボロだ。登場人物が全滅するバッドエンドだと思っても不思議はない。
「ごめんハナナちゃん。こんな状況で何だが、言わせてほしい」
「な…なんだよ、オトっつぁん」
「私達を案じて泣いてくれるハナナちゃん、最っ高に可愛いよっ♪」
「だ〜か〜ら〜〜!! 何でオトっつぁんは死んでもそうなんだよ〜!!」
「大丈夫です! 大丈夫ですのよハナナさん♪ ワタクシ達、生きてますの♪」
「え? …え? どゆこと?」
「ですから、ワタクシ達、全員生きていますのよ! ハナナさん♪」
疲れた…。本当に疲れたよパトラッシュ。
この世界の回復アイテムは、怪我を治す事にかけては万能だが、疲弊した心までは治せないようだ。
"ソーマ"のおかげで、持て余すほどの元気を取り戻したハナナちゃんは、ケルベロスのシロと共に周囲を捜索。土に埋もれていた風呂敷包みを発見する。
ワシリーサちゃんが魔法紙を使用して回復呪文を唱え、私とワシリーサちゃんは全回復。左足首の激痛もウソみたいに消えた。もう、飛び跳ねたってヘッチャラだ。
しかし、すり切れて疲弊した心を治すには、他の方法が必要になる。すなわち、休息だ。
ドラクエなどのRPGで、回復アイテムがあるにもかかわらず、宿屋に泊まる理由がこれなのだ。
横になるだけでもずっとマシとのことなので、荷物の回収はハナナちゃんに頼み、私とワシリーサちゃんは仮眠を取らせてもらう事にする。
ワシリーサちゃんはすぐにも可愛い寝息を立てるが、私は眠れなかった。
これからどうしよう……。
シュウ君は前触れもなく消え、エコーちゃんは再び私の言葉を繰り返すようになる。恐らく、ガングワルドにいる本体が目を覚ましたのだ。
森の奧からは、金属音が響き続けている。王宮戦士君は今なお戦い続けているのだ。一体目のダメージ持ちは一瞬で仕留めたのに、二体目にはやけに手こずってるよな。
"森の番犬"の群れはいまだ動かない。シロは完全に別行動のようだし、何を待っているのだろう?
分からない事だらけだ。これからどうしよう……。
仕方なく夜空を見上げていると、視界にエコーちゃんが入ってくる。そして「私を見て」と言わんばかりに、頭上50cm辺りで羽ばたいていた。
「どうしたの?」と私は問う。しかしエコーちゃんは問い返さない。何も言わずに黙っていた。
どうしたんだろう? 不思議に思いつつ瞬きすると………異変が起きた。
目の前に美しい乙女の顔があった。状況的に見て、彼女は私に馬乗りになっているようだが、重みをまったく感じない。
乙女は私の頬にキスをすると「ありがとう」と口を動かし、ゆっくりと昇天してゆく。
これは夢か? それとも幻視? いや、それよりも彼女の姿……、そのデザインは、まさか………
エルピス!?
そこで目が覚めた。
「エコーちゃん? どこだ? エコーちゃん!」
辺りを見回すが、エコーちゃんはどこにもいない。
いや、まて! 待て! 待ってくれ!
あの子は本当にベル妖精か? エコー・ベルだったのか?
そして最後に見せたあの乙女の姿。私が昔描いたイメージデザインにそっくりだった。
私がデザインした希望の女神エルピスに、そっくりだった。
彼女が私の記憶を探り、あの姿に辿り着いたのだろうことはわかる。だけど何故あのデザインを選んだ?
何故最後のあの姿で現れた? それ自体がメッセージなのか?
そして何故私に礼を言う? 感謝してるのは私の方なのに!
みんなそれぞれの道がある。別れるのは構わないさ。だけど、せめて別れを惜しませてくれよ。
突然の別れなんて、悲しすぎるだろ!
涙ぐんだまま、私は正面を見て………目が合ってしまった。
「ありゃ、起こしてしまったかの。すまんすまん、ガングビト殿」
あからさまに魔法使いって感じの爺さんがいた。
「あの、どちらさまで?」
「ワシか? ワシは偉大なる大魔道士グレゴリヲ・ラズじゃ。"野薔薇の王国"で王宮魔道士なんぞをやっておる。有り体に言えば、王宮戦士のサポート役じゃな」
「もしかして、王宮戦士の少年が言ってたおじいさんって……貴方ですか?」
「なんじゃシロガネのヤツめ! 人前ではラズ大師匠様と呼ぶようにと、口が酸っぱくなるまで言っておるのに!」
へえ、あの少年シロガネって名前なのか。
「それでその……ラズ大師匠様?」
「おお、なんじゃ、ガングビト殿」
「私に何のご用なんでしょう?」
「うむ。有り体に言えば"お迎え"じゃな。もちろんあの世ではないぞ。"野薔薇の王国"じゃ。お前さんさえよければ、今すぐにでも連れて行ってやろう」
「それって拒否権はあるのでしょうか?」
「ほうほう。中々用心深いのぉ。そう言うのは嫌いではないぞ♪ どうしても拒否したいなら構わんが、無駄死にする覚悟はあるのかの? せっかくの異世界なんじゃじゃぞ?」
「ちょっと連れと相談したいのですが……」
「あの冒険女子とか? すまん。そりゃ無理じゃ。フリーの冒険者にはよくある事なんじゃが、あの娘も色々やらかしておってな、指名手配が出てるのよ。とっくに確保されて、王国に連行済みじゃ♪」
「え〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」
早い! 早いよスレッガーさん! もしかして私、結構な時間意識を失ってた?
「じゃ……じゃあ、ワシリーサちゃんはどうするんです? このままほったらかしですか?」
「おおっ! それよそれ! 実はの、コーガイガからはとっくにお迎えが来とるのよ。じゃがな、今、お前さんと対面したら、二重の理由で、お前さんを殺さねばならなくなるから、とっとと回収してくれと、コーガイガの頭領に言われてな。ワシがこうしているわけ」
「……コーガイガの頭領って……ワシリーサちゃんのお父さんでしたっけ?」
「そう♪ まあ、父親に限らず、里の男衆は全員怒り狂っとるけどな♪ さあどうする?」
「ちょ、ちょっと王国に興味が出てきました!」
「そうじゃろそうじゃろ♪ きっと気に入るぞ〜」
「あ、でももうちょっとだけ教えてもらえませんか?」
「ほう、流石はガングビトじゃな。知的好奇心を満たしたいか。よかろう、ワシに答えられる範囲でなら何でも教えるぞ」
「何故"森の番犬"が、あそこにあんなに集まってるんですか」
「ああ、あれか。実はの、シロガネのせいなんじゃ」
「えっ! 少年の? シカクではなくて、少年のせいなんですか? 一体何故?」
「アイツの能力、"死神腕"はとてつもなくやばくてな、封印した状態でもアレなのに、封印を解いたら森が滅びかねんのよ。じゃから、もしもの時に備えて待機しとると」
「その、もしもの時って……"番犬達"は何をする気なんですか?」
「森全ての"番犬"による一斉の魔法攻撃じゃな。それでも一時しのぎにしかならないわけじゃが。ま、チカラを得た者が払うべき代償ってヤツじゃな」
「あの、王宮戦士ってみんなそう言う感じなんですか?」
「そうじゃなぁ。詳細は話せぬが、まあ、どいつもこいつも似たようなもんじゃろうな」
何故私にチート能力が無いのか、分かった気がする。この世界にはチートがたくさんいるから、わざわざ異世界から呼ぶ必要が無いのだ。
「そろそろいいかの?」
「じゃあ、もう1つだけ! "エルピス"の名に心当たりはありますか?」
「お前さん! 何故エルピスを知っておる!」
ラズの目つきが変わる。
「ガングワルドでは希望の女神の名前です。こっちの世界のエルピスまでは知りませんよ」
「そうか……。いや、オトギワルドでもエルピスは希望の女神の名じゃよ。ただな……」
「ただ……なんです?」
「まあ、これくらいは話しても良いじゃろ。
お前さん達を襲った四角の刺客な、あれが収まっていた禁忌の遺跡。そいつが"エルピス"なんじゃよ」
「禁忌の遺跡……ですか? その名が"エルピス"?」
「あの遺跡を作った古代人は、希望とは呪いであると解釈してたらしくての。遺跡を護るガードゴーレムに、侵入者の一人に瀕死の重傷を負わせ、もう一人を無傷で残して、選ばせていたのよ。仲間を見捨てて逃げるか、仲間を自ら殺して楽にしてやるか、それともガードゴーレムと戦うかとな」
「その遺跡、どうするんです? このまま放置ですか?」
「そもそもの原因は、禁忌を破って侵入した冒険者と、その依頼者にあるんじゃが、もはや看過できない状況にあるでな。現在対策会議中じゃ。二度と人が入れぬようにするか、遺跡そのものを潰すかのどちらかじゃとうな」
「そうですか。ありがとうございました」
「もういいのか?」
「はい。十分です。連れて行ってください」
私はラズの後に付いていきながら考える。
結局のところ真相は分からなかった。でも、お礼を言ってきたのが希望の女神で間違いないなら、"エルピス"の名を汚す禁忌の遺跡に、四角の刺客に抵抗し、"エルピス"の名誉を守った事……なのかもしれないな。
ハナナちゃん、ワシリーサちゃん、エコーもしくはエルピスちゃん、シュウ君にシロ、そして、王宮戦士のシロガネ君。みんなありがとう。
縁があったら、また会おうね!
もうちょっとだけ続くんじゃ。
次回、エピローグ