1-10 回想 〜エコー=チャン〜
眠れない。
いいかげん夜空に飽きてきたので横を見る。囲炉裏の向こうの長椅子には、ハナナさんがじっと座っていた。動く気配がないけど、もしかして座ったまま眠っているのだろうか。器用だな。
ふと思った。もしかしてあのエコー、正体はハナナさんではないだろうか?
だってこんな山奥に、若い女の子が何人もいるとは思えないだろう? でも、声の感じからして年齢的には近そうだが、声質は違う気がした。
……………。
はははっ♪ オッサンのくせに私は何をやってるんだろうな。
女の子のことを考えて眠れなくなるとか、まるで思春期に戻ったみたいじゃないか。
まったくもって愉快だよ。
それにしても、エコーか…………
エコーが木霊化する経緯には、二つの説がある。
1つは、牧神パンの求婚を断ったために怒りを買い、配下の羊飼い達に八つ裂きにされて、声だけが残ったというもの。中々にえぐい話である。
もう1つは結構有名だよな。美青年ナルキッソスとの悲恋だ。ただし超絶美青年が登場するのは物語の後半だけど。
かつてのエコーは、おしゃべり好きな森のニンフだった。『赤毛のアン』のアン・シャーリィのような娘だったと思えば分かりやすいだろうか。
ある日、神王ゼウスの浮気現場を押さえようと妻のヘラが現れた。だが、ゼウスの浮気相手とは山のニンフ達であった。複数形なところが流石神王というべきか。
エコーは仲間達を助けようと、お得意の話術で時間稼ぎ。それで仲間達は救えたみたいだけど、ヘラの怒りの矛先は邪魔をしたエコーに向けられた。
もしかするとあまりの長話にウンザリしたからかもしれないけど、ヘラはエコーに天罰を喰らわしたのな。
エコーが受けた罰は、自ら話しかけられなくなる事。ただし、誰かの話す言葉をオウム返しに繰り返す時だけ、話すことが許された。
嗚呼、可哀想なエコー。おしゃべり好きな彼女にしてみれば、地獄の苦しみだっただろう。
だけど彼女には更なる地獄が待っていた。人間の美青年ナルキッソスに恋をしてしまったのだ。
オウム返ししかしないエコーは、ナルキッソスにその思いを伝えられないばかりか、ウザがられてキモがられ、相手にすらされない。
人間に無下にされる屈辱と失恋による悲しみから、エコーは次第に痩せ衰え、ついには声だけの存在になるのだった…。
ナルキッソスの後の運命については省略。興味ある人はググってちょ。
伝承はさておき、現実に目を向けてみよう。
霧の向こうから聞こえるオウム返しの女の子の声。その特長は私の知る限り、エコーそのものである。故に、エコーではないことは明らかだった。
何故ならエコーの悲劇は、牧神パンver.にせよ、ナルキッソスver.にせよ、ギリシャ神話の1エピソードだからだ。
もし私がギリシャ旅行をしていたなら…いや、百歩譲ってヨーロッパ旅行をしていたなら、女の子の正体はエコーに違いないと確信したことだろう。
しかしここは日本なのだ。天下分け目の関ヶ原なのだ。エコーであるはずがない。
では正体は?
私の出した結論は、“エコーのフリをした何か”。もしくは“なんちゃってエコー”。具体的に言うならば、“エコーの物真似をしている女の子”だ。
もちろんそれは希望的観測である。そうあってほしいという願望である。そうでなくては困るという、ワラをも掴む溺れる者の思いである。
ホワイトアウトの孤独の中で、すがることが出来る唯一の希望。自然現象では困るのだ。何者かであってくれないと正気を失いそうで…
とにかく私は必死だった。心の安定を取り戻すために、エコーの正体が人間だと確認し、安心する必要があった。
だけどどうやって暴けばいい? その方法とは?
外道照身霊破光線が使えれば一発だが、私はダイヤモンド・アイではない。無理。
ならば直接捕まえるか? いや、この濃霧では下手に動くのは自殺行為だし、エコーが本当に女の子なら事案が発生してしまう。却下。
だったら、オウム返し出来ないような事を喋って、彼女を素に返すいうのはどうだ? 物真似不可となればエコーの物真似もやめてくれるのではないか?
これは行けそうな気がする。だが具体的には何を言えば良いんだ?
早口言葉か? とうきょうとっきょきょきゃきょく……くそっ! 私が言えてないじゃないかっ。
方言を言いまくるか? 無理だ。東京暮らしが長くて忘れちまった。
はっ!!!
だったら、口にするのもはばかれる、シモネタ連呼ならどうだ!!
具体的にはちん●うん●まん●の3連発だ。これならいたいけな女の子なら耐えきれずに素に戻るに違いない!
………ダメだ。これだけは絶対に出来ない。
女の子に恥ずかしいことを言わせて喜ぶ紳士諸君もいるだろうが、私の理性が、美学が、それを許さない。
私は女の子には、綺麗で、可愛いくて、品があって欲しいんだよ。身勝手なエゴだと分かっちゃいるけどさ。
行き詰まってしまった。どうしよう…。
ダメモトで早口言葉を試してみる。
くっそ! 詰まったとこまで忠実に再現しやがった。“なんちゃってエコー”ちゃんにドヤ顔されているような気がして悔しい。
他に何か……何か方法は……。
そうやって頭を抱えていた時だ。突然重力がひっくり返った。そんな気がした。
実際の所は、濡れた草を踏んで足を滑らせ、ダイナミックにひっくり返ったのだと思う。だけど、濃霧で視界を奪われていたせいで、上下の違いが分からなくなっていた。
気がついた時にはひんやりと冷えた地面に頬をくっつけ、横たわっていた。私は恐る恐る閉じていた目を開けてみる。
驚いた。霧が晴れていたのだ。
濃霧はどこにいった? 私は辺りを見回す。右…無い。左…無い。上……あった!
頭上三メートルほどの高さで濃霧がうごめいていた。が、スゴイ勢いで霧散していく。まるでコミケの撤収作業を見ているようだ。
程なくして濃霧は完全に消え去った。同時に名古屋を連想する料理の匂いも消える。
私は変わらず森の中。空は先ほどまでの濃霧が嘘のように晴れていた。だいぶ傾いているが太陽も見える。
しばらく景色が見えることの素晴らしさを満喫して、そして気付いた。私は崖を背にして座っていたのだ。
そびえ立つ崖を見上げたところ、高さは四メートル程あった。おいおい、ここを滑り落ちたのか? よくも怪我しなかったものだ。
しかしこれは…。崖は急勾配で登るのはまず不可能だった。PS2のビデオゲームと同じだ。次のステージに移行したら最後、後戻りはもう出来ない。あの頃はオープンワールドのゲームなんてほとんど無かったものな…。
大谷吉継公のお墓に行き損ねてしまった事が悔やまれるが、しょうがない。とりあえず道に出よう。人里に下りよう。このままじゃ濃霧が無くても遭難だ。
私は草木を掻き分け、道無き道を歩いて行く。気がつけば周囲はセピア色に染まっていた。
夕方……トワイライトか。そういや、そんなSFドラマがあったっけ。
昼にも夜にも属さない、夕方という狭間の時間を、怪異が起きる時間と例えたアメリカのテレビドラマシリーズだったな。
思えば私に“狭間”というインスピレーションを与えてくれた、作品の一つだったかもしれない。
とは言っても、観たのはスピルバーグの映画版だけで、オリジナルは1話も観たこと無いんですけどね。
あ、あれ? そういえば…
「エコーちゃん! おーい!」
………返事は無かった。
オウム返しの女の子は霧と共に去りぬ……か。やっぱり自然現象だったのかなぁ?
私は再びボッチに戻ったようだった。




