第九十一話 ロイド、レティカの出産と命名
アレックスに念話者の相談した翌日、俺は自領の館に戻る事にした。間もなくレティカの出産があるからだ。
その前に赤ちゃん用の玩具を買い込む。
買い物が済めばツキハの能力で館へ跳躍だ。
「お帰りなさいまし坊っちゃま」玄関ホールにてユージーンが出迎えてきた。
「ただいま、…大公妃殿下の具合はどうだ?」
「先程より陣痛が始まりました」
「! 医師団の手配は済ませてあるんだろうな?」
「はい」
「……ユージーン、俺は彼女の元に居るべきだろうか?」
「はい、僅かですがいま少しの時間なら、その方がよろしかろうと」
「ありがとう。それじゃしばらく大公妃殿下の所にいる」
「レティカ! まだ平気か!?」
「ロイドか、いま前駆陣痛の最中だよ……」レティカはかなり弱っているようだ。声に張りがない。
「産まれる赤ちゃんの為に色々と玩具を買ってきた」
「……気が早いなぁ」
「俺もそう思うが、ついね。
君たち、申し分けないが少し席を外してくれないか」
医師団(産科医、一級献護士、二級献護士、産婆)達がレティカの寝室を出ていく。
今のレティカに『男児を産めよ』とは言えないな。無益なプレッシャーはかけれない。
こういう時に性別とかの鑑定が出来る魔法があれば便利なんだか、あいにくそんな魔法は無かった。いやまあ探せばいるのかもしれないが。
「ねえロイド、ひとつお願い、良い?」
「何だい?」
「手、握って」
「お安い御用だ」俺はベッドの側の椅子を引き寄せ、どっこらせと腰を落とした。
レティカは毛布を軽くめくり細い手を出した。それをそっと握る。
「冷えてて気持ち良いな」
「そう? ふふっ」
「何かおかしかったかい?」
「ううん、いやね、君から褒められて嬉しかったからだよ」
「俺の手、もっちもちで気味悪くないかい?」
「そんな事ないよ。温かい、大きくて優しい手だ」
「そうか……」
「ロイド、僕はね…あ、いつつ…陣痛が本格的に」
「お、おい。…そこの君、医師団を早く」
側に控えている侍女に医師団を呼ぶよう申し付ける。
侍女は慌てる事なく『畏まりました』と一礼し別室の医師団を呼びに行った。
「レティカ、慌てず落ち着いて分娩に挑め。すまんが俺はここまでだ」
「…ありがとう。その言葉だけで十分だよ」
「じゃあ俺は席を外すよ」
席を立つ前にもう一度彼女の手を取った。滑らかなその手の甲にキスをする。
我ながらこっ恥ずかしい行為だが、何かしないと駄目だと思ったからだ。
そそくさと席を立ち、扉の前で一礼する。そして部屋を出た。
ちょうどその時、医師団と鉢合わせた。
主治医を務める産科医の女医に声かける。
「先日も話した通り、大公妃殿下が出産するのは『男児』だけだ。良いな?」
女医は俺の視線を受け、一瞬目を逸らしたが視線を合わせた。
「……承知しています、閣下」
「なら良い。男児も大切だが大公妃殿下も大切だ。それを踏まえて臨んで欲しい」
「はい」
「では任せた」
本来ならドラクルに任せたかったのだが『流石の私も産婦人科は専門外だ。他をあたれ』と断れた。代わりに一級献護士のフランシアが医師団に混じっている。彼女は経験があるそうな。
出産まで時間があるので執務室へ行く。片付けねばならぬ書類が待っているからだ。
書類にサインしつつも、いまいち頭に入らない。はやく産まれないものか……。
「ジルベスター、出産には時間がかかるものかね?」
家令に尋ねる。老練な彼ならその手の知識も豊富だろう。
「はい、そうですな、早い人は一刻(二時間)でポンと産みますが、長い方は半日以上かかる場合もあります」
「なるほど、まだ一刻ほどだからまだ時間がかかると思っていいのか」
「左様で」
最後の書類にサインする。次は書類の整理でもしよう。
最近は書類の整理もまばらだったから丁度良い。
「ところで旦那様、大公妃殿下からの宿題は終わりましたかな?」
宿題とはレティカから産まれる子の名を考えて欲しいとの要請の事だ。
「ああ、命名の件か。……『エリアス・レティククリフ』と決めたよ」
「エリアス様ですか。良い名ですな」
「ツワィターナーム(セカンドネーム)はレティカから取った」
「なるほど」
「ま、妃殿下が気に入るとは限らないけどね」
「大公妃殿下のご様子ですと気に入られるかと存じますが」
「まあね。ただ絶対じゃない」
「それはそうですが……」
「気に入られないのならば考え直すさ」
「……そうですな」
雑談まじりで書類を整理していく。
二刻(四時間)後、アーリスがやって来た。
「先程、レティカ様が出産なされました」
「妃殿下とお子は無事か?」
「はい、ご健康です。……ですが……」
「ですが?」
「産まれたお子様は女児でございました」
「……そうか、だが出産記録には男児と書く様に」
「……畏まりました」
「会いに行っても構わないかね?」
「是非に」
「わかった。ジルベスター、ちょっと妃殿下の所へ行ってくる」
「はい。大公妃殿下もお喜びでしょう」
「やあプリンシペッサ、出産おめでとう」
「ありがとうロイド。なんとか無事に済んだよ」
レティカの側の赤ちゃん用寝台からは元気な泣き声が響いていた。
「元気そうな赤ん坊だ」
「うん。……それで名は?」
赤ちゃんからレティカに視線を変える
「エリアス・レティククリフ、と言うのはどうかな?」
「エリアスね、良い名だ」
「……だがね、本当はエリアなんだ」
「……どういう事だい?」
「赤ん坊の本当の性別は女だ」
「え!? だって男児だって」
「表向きは男児だ」
「何か裏があるんだね?」
「……ああ。何処から話そうか……」
「…………」
「男児にしろとおっしゃったのは皇帝陛下その人だ。理由として、大公の後継者は男児の方が都合良いからだ。そして北都奪還の旗印にも使える。これが真相だ」
「……幼いうちは誤魔化せても、大きくなったら?」
「そこで君は早急に第二子を産まねばならん」
「でも大公の血は」
「俺が種を与える」
「な!?」
「これは君が男児を産むと仮定しての話だ。そしてこれは陛下からの命令である。
残念ながら君に拒否権は無い」
「…………」
「やはり嫌かい?」
「ううん、ロイドと交わるのは嫌じゃないよ。……ただ話が衝撃過ぎて……」
「済まないとは思っている」
「でもそれなら先に言ってくれても良かったんじゃ」
「黙っていたのは出産前の君に余計な負担をかけたくなかったから」
「……ロイド、君は覚悟しているんだね?」
「ああ、している」
「……分かった、僕も覚悟を決めるよ」
「レティカ……」
「僕は大丈夫だから。で、ひとつ聞きたいんだけと?」
「伺おう」
「僕は降嫁するの?」
「いや、君の立場は変わらない」
「そっか……でもさ、この話は穴だらけだね」
「そうだ」
「僕が次に産むのは男の子だと限らないじゃない」
「そうだ。その場合、養子を充てがわなくてはならない」
「そうか……君と正式な番いになれないのは寂しいね」
「俺もだよ」
ニッコリと笑うその顔は、以前と変わらぬレティカの顔だった。
俺は膝をつき彼女を真っ直ぐに見た。
「俺を受け入れてくれてありがとうプリンシペッサ」
はい、最後のヒロインであるエリアちゃんの登場です。
筆者の気が変わればその限りではありませんが(笑)