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辺境伯ロイド奇譚 〜誰が彼を英雄と名付けたのか〜  作者: 塚本十蔵
序章 ロイド辺境伯、第一歩をふみだす
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第九話 ロイド、ドラクル・ザーツウェルと対話する

 スティラ・ザーツウェル。


 俺はその名前に聞き覚えがあった。……5年ほど前に、帝国総合学会に現れた天才学者の名だ。

 若干18歳で博士号を得た才媛。専門は、いやどう説明したか……上手い例えが見つからない。

 

 そうだな。認識能力の異常なまでの解析処理と推論する思考の演算性能、膨大なデータバンクの保有量が常人とはかけ離れている、ある種の特異人間。ヒトの姿をしたコンピューター、そう理解して欲しい。


 様々な事象に対応できる為、特定の分野に縛られない。欠点はどんな命題でもこなせるのだが、それに対応する為の情報量を吸収する時間が必要だという事。

 本人はそれなりに速読出来るのだが、仕入れなければならない情報量が天文学的な数量に達する為、どうしても時間がかかるのだ。


 例えば、経済動向を予測させるとしよう、では必要な知識は? 業種、物価、人口、それまでの経済動向、社会の構成、参入条件、単純に一次的情報でもこれだけある。

 しかし、更に二次的な情報を求められる。人口なら、総人口、年齢年代分布、所得、それらの購買計数、変移、当世の流行り、流行りの要因。そして、それらはまた三次四次へと細分化される。

 ……キリがなかった。途中で止めさせられる区切りを設定しなければ際限がない。半端で止めさせれば推論の前提条件が満たされない。彼女はそう答えたと言う。


 馬鹿な話かもしれない。だが、予測には基準となる情報と、それを支える事実が根底にある。

 事実の結果、それ等の積み重なりが合って初めて事象となるのだ。だが、これは単なる一要因でしかない。

 ひとつの要因が何重に重なり、ようやくパズルが完成される。だが、そのパズルは単に前提条件でしかない。要求されているのは、未来予測なのだ。

 現状と、将来的に挿入される要因を組み込まなければならない。それが予測と言うモノだ。如何に情報量が必要とされるか理解出来るかい? 


 それが彼女なのだ。一時が万事そうなのだ。適切なブレーキを用意せねば、彼女自身が持たない。いや、脳の容量ではない。脳の容量はそんなちっぽけではないのだ。人の脳はまだ知られていない、解明されていない広がりを持っている。

 サヴァン症候群の人々は常人には見えない世界を有しているのが有名だ。一例のひとつに超細密認識能力を持つ青年がいる。

 彼の描く都市の風景画を見たら驚愕するであろう。その常人では塗りつぶすであろう建物の窓の1枚1枚を彼は書き込む。

 ここがポイントだ。

 通常、我々の目は細かい情報をカットする。目に見える範囲の物体を一々認識しない。

 自分の部屋を見てみよう。

 今、貴方はパソコンのある机に向いて座っている。しかし、目の前にはばいいのだけか? 違う、モニターがあり、キーボードやマウスがある。またパソコンには電源ランプが光っている。

 パソコン周りはどうだろうか? 本棚は? 壁の時計は? 窓は? 部屋は明るいか暗いか?


 これら全てはみな感覚的に把握しているだろう、その上で必要な(もしくは選んだ)情報だけを認識している。

 パソコンを見ているのならパソコンの電源ランプは気にも留めていないし、本棚に並ぶ書物は何かどう並んでいるか気にしないでいる。部屋が明るくても暗くても大した問題だとは思っていない。

 それは正しい。我々は視覚に映る諸々を必用な分を取捨選択して認識しているのだ。

 対して、彼女はその取捨選択が出来ない。目に映る『全て』を認識してしまうのだ。これがどれほどの情報量かお分かりになるだろうか? 膨大。正しく膨大な情報量。


 乳幼児なら視覚が幼いし、情報自体が乏しいからあまり負担とはならない。だが、幼児となり成長して行ったら?

 

 彼女の頭は直ぐにオーバーフローした。そして防衛本能で自閉してしまう。自閉症児として(この言葉は正確ではない)の生活が始まった。

 親や周囲の者たちは彼女を『救おう』と、心を開かす為腐心した。玩具を与え歌を聴かせ美味しい料理を並べた。だがそれは彼女にとり情報を押し付けているにすぎない。

 彼女に必用なモノは、ひとつひとつを何かと教え、それらを必用な分だけを認識させる情報の取捨選択なのだ。

 彼女にしてみれば、与える物が増えるだけ学ばなくてはならない情報が増えるだけである。対して、周囲の者はいつになっても物覚えの悪い子供に過ぎなかった。


 彼女を救う転機は稀人…転移してきた人物であった。

 その人物、オリベイラ教授は医者で、脳の働きを専門にする科学者であった。帝国…この世界では医療技術は大して進歩していない。いや知識はあるのだ。22世紀の医療技術だってある(現実には24世紀の人物がいたのだが、5歳の少年だったので、なんら帝国に貢献する知識はもっていない)。だが、高度技術に必用な素材や技能がないでいる。ナノマシーンの概念が有っても、ナノマシーンを産み出す機械がない。また機械の基礎構造が解っていない。別にナノテクノロジーだけではない。

 実はこの大陸には石油が取れない。これは非常にまずい。石油から生まれる各種素材がないのだ。素材がないため石油から派生する製品が生まれない。またゴムも無い。それがどれほど文明の底上げにて必要か分かるだろうか? 19世紀から22世紀までの様々な技術が軒並みアウトになってしまっている。

 まあ、この話はまたの機会にする。

 

 オリベイラ教授は帝国に来たが、大して役には立っていなかった。脳医学のエキスパートである彼は学術書の量で帝国に貢献したが、その大半は再現不可能な技術の羅列でしかない。

 本人は医者であるから外科医として帝国の保護の元、病院の一つに就職する。保護についても後々説明したい。


 さて、オリベイラ教授は自分の出来る範囲で医学に貢献したいと考えていた。専門はともかく、知っている範囲で医術の底上げを画策した。

 そしてその活動は徐々に周囲に知れ渡り、彼の元を訪れる医師や患者達が増えていった。そんな中にスティラの担当医が居た。

 小児科医の彼女は5歳になっても周囲に怯え、言葉を発しない(反応はある、またそれなりに理解はしている)少女を持て余し、自分では対処しきれない事を悩んでいたのだった。

 オリベイラ教授を頼ったのは、彼が当代一の脳神経医学のエキスパートなのを聞いた為である。正直、自分のプライドもあったのだが、匙を投げたと言われるならまだしもな教えを請いた方がマシと考えた結果である。

 自分自身に折り合いをつけ、オリベイラ教授の医務室を訪ね、スティラの症状を伝えた。


 いまいち要点が分からなかった教授だが、症状には興味を覚え数日の後、彼女を診察する。

 教授は彼女が特殊な状況にある事を見抜き、自分の勤る病院へと入院させる。

 スティラが幸運だったのは、彼女の家が裕福でかつ両親が彼女を見放さなかったからだ。これが両者どちらが欠けていたら彼女に将来はなかった。


 そして診断が始まった。両親や医師からの発言、医療書、現在までの軌跡。それ等をベースに観察から回復計画が始まったのだ。

 只の自閉症児でない事はスティラの反応で明らか。オリベイラ教授は反応の度合いを慎重に測り、彼女の問題点を暴いた。

 21世紀の地球の症例でなら、それはサヴァン症候群とされる。

 

 それを解明した教授は、5歳までに失われた成長の機会を取り戻すべく専門スタッフを用意した。急がねばならない。子供の成長は期間に応じた情報量の多可だ。2歳なら2歳に応じた情報を、5歳なら5歳までに応じた必用な教育を。

 教授は難病と言えば難病であるこの病気を、その稀有で有益な症例を皇帝に上申した。

 サヴァン症候群が有益であるかどうかは置いておく、また教授も名を売りたい訳でなかった。純粋に金と環境が必要だからである。

 情報量を制限した脳に優しい環境。言葉を、物を、一つづつ教えていく忍耐を試されるスタッフ。5年を過ぎた今、彼女を一人の人間に成長させていくには幾ら金があってもまだ足りない。

 幸い、皇帝は理解示して教授に便宜をはかる様指示したのだった。

 そして始まった回復プロジェクト。


 スティラが10歳になる頃、ようやく同年代の子供に並ぶ認識能力を得た。そしてその類まれな認識能力はいくつもの事象に活かされ、有益な結果を出した。最も、同時に随分な欠陥をも表したのだが。

 ここまでは現代の医療の奇跡といくつかの書籍に記される事実だ。俺は興味本位でこの話を知っていた。

 博士号を得た事は新聞で知った。彼女の写真はいくつか知っているが、1番有名なのがこの賞を得た時の写真だ。


 だが、彼女は19歳の時に姿を消す。理由は全くの不明だ。強力な情報管制が敷かれ、彼女は表舞台から姿を消してしまい、数年が過ぎたのだった。


 その人物が今、俺の目の前に居る。


 しかし、知っている写真とは随分違って見える。いや別人ではなく、本人なのは判る。

 髪は切ったからだと判る。目、だ。写真の彼女は2つの瞳が煌めいていた。

 今は片方を閉じている。全く自然に、かつアンバランスな不自然さで。そして残った片目がギラギラ輝きギョロギョロと蠢いている。

 その異相が何か得体のしれない恐怖を振りまいていた。正直、あんまり眺めていたい対象じゃあない。夜中に不意に出くわしたらオシッコちびるレベルだわ。


 しかし、煙草がウザい。煙の量もさる事ながらその匂いだ。……なんかさ、普通の煙草の匂いじゃない。なんか気持ち悪い匂いなんだわ。なにコレ?


「……煙い」


 つい口に出してしまった。

 目の前に立つ女医はニヤニヤ嗤うと、大きく吸い込み俺に向かって盛大に吐き出した。


「いやぁ失礼。しすてむの洗浄剤みたいなモンでね。いやいや失礼」


「システム?」なんだこの女、何を言った?


 俺のひと言が彼女のスイッチを押してしまった。


「……おい貴様。いま、今なんて喋った? いま、なんと『発音』した?」


 その形相に思いっきり引いてしまう。だが、彼女もズイッと前に出る。


「答えろ! 貴様は!」


「な、何を……」


「貴様は! 貴様は奴らの!?」必死の形相の女医はそこで突然頭を掻き毟りだした。


 一転して恐怖に歪んだ表情を浮かべ、俺から距離を取る。そして悲鳴を、魂消る悲鳴を上げた。

 単なる悲鳴じゃない。本物の、本物の恐怖からの悲鳴だった。聴いている俺がこの場から逃げ出したくなる悲鳴を上げていた。



「先生っ!」と先の献護師が駆けよる。


「先生! しっかり、しっかりして下さい!」献護師は彼女を抱え込んで声をかけ続ける。


 だが埒が明かないのか、診察室を飛び出して行った。少しの間を置いて何やら大仰な鞄を抱えて帰ってきた。

 俺を全く視界に入れず、うずくまる博士の傍らに屈みこみ、鞄を開く。


 鞄の中はアンプルが入っていた。少なくとも一面はアンプルを収める窪みが並んでいるのがわかる。献護師はその中から中身の入っているアンプルと注射器(! 注射器! いや注射器自体はあるが針の工作精度の都合上、マンガみたいなぶっとい注射器しかない)を取り出し、アンプルの中身を注射器で吸い出した。

 

 献護師は女医の袖をまくり(彼女の腕には多数の注射痕があるのを見た)勢いよく注射針を突き刺す。


 ……約2寸の後、女医の容体は安定した。先程の恐慌状態がウソの様だ。

 気怠げな瞳が俺をぼんやりと捉えていた。汗で乱れた髪が額に貼り付き妙に淫らな雰囲気を作っていた。

 正直、逃げたい気分なんだが、先の彼女の台詞が気に掛かる。献護師、いや献護師さんは彼女のバイタルをチェックした後、俺に向き直った。


「……申し訳ありませんが、今起こった事は忘れて下さりませんでしょうか?」

 

 疲れきったその表情に同情して頷きたくなる。ぶっちゃけイヤなイベントが発生したので関わり合いになりたいと思ったのだ。今日はもう帰って寝たい。

 だが、やはり、先の女医の台詞が気に掛かる。彼女が姿を晦ました事件と『奴らの』の言葉、恐慌、そして『システム』これらは同一の線に並ぶキーワードだ。

 システムはこちらの世界では『シィスティム』と発音する。俺は前世の癖で英語を使ったりする。それが仇になった。


 俺の不用意な一言が彼女を乱した。やはり何らかの責任がある。

 イェラの事がチラリと気になったが、疲れたのかイェラは寝息をたてている。それを横目で確認し、女医達の近くまで進み腰を落とす。


「……他人の個人的事情に深入りはしたくないが、俺の不用意な言葉が先生を乱した事に責任がある」


「それはもう構わいません。ですので……」やんわりとだが明確な拒絶の姿勢を示した。


「いや待ってくれ。正直、帰りたい気持ちで一杯なんだが、そいつを決めるのは貴女じゃない。ドラクルだ。彼女から話を聞く必要がある。

 それに、だ。その注射器は何なんだ? その様な注射器はある筈がない。……逆に聞きたいくらいだ」


「それは……お話できかねます……」献護師さんは俺からの視線を逸らした。


「貴女が言いたくなくてもドラクルから聞く」


 俺は頭に浮かんだ疑念を口に出す。


「ドラクルは以前、行方をくらませた。そこには『奴ら』が関係している。その『奴ら』は稀人なんじゃないのか?

 そして、連中からドラクルは『何か』をされた。今、貴女がドラクルに打った注射器は『奴ら』から手渡された……」


「やめて下さい!」献護師さんは俺の発言を遮り叫んだ。


「……やめて下さい。お願いします」


 打ちひしがれた彼女は弱々しく懇願してきた。流石に俺も引き下がるしかない。


「……まて、辺境伯」

 

 小さな声が耳を打つ。その声は弱っていたが、明確な意志を乗せていた。


「貴様の推理通りさ。……辺境伯。是非聞きたい。……貴様は何を知っている?」


「先生! まだ…まだ話しては」


「いや、私は知りたいのだよ。……辺境伯。確かに私は奴らに攫われた。そこで私は奴らの計画とやらに協力するよう……説得されたのさ」


「計画? 何の計画か教えてくれ」


「…………帰還」


「帰還? ……連中は帰還と?」


「そうだ。連中は帰還する方法を悩んでいた」


「分からんな。何故、帰還とやらに先生が必要なんだ?」


 全く分からない。どんな繋がりがある?


「……転移、だ。転移に何らかの法則性があるのでは、と考え」


 なるほどね。ようやく読めた。


「ドラクル、貴女の持つ、超演算能力が転移に関わる何らかの規則や法則性を読み取ろうとしたんだな」


 女医は憔悴していたが、俺に小さな笑みを向けた。


「そうさ。転移者の構成、場所、時間、現れる地域、現れる期間等から法則性を見出し、帰還の可能性を推論する。その為に、だ」


「なるほどね。だが」


 ドラクルは頷いた。


「だが、なんら法則性は見いだせなかったよ」


 一つの疑問は理解した。俺は続きを問う。


「次だ。ドラクル、貴女は何らかの薬物を……」


「私を逃さない枷さ。貴様がにらんでいる通り、私を永続的に利用する為に薬物で制御さ。……この煙草は依存度を適度に抑える『しすてむ』なんだと」


「薬物中毒に置いておきたいが、過剰に摂取しては廃人になる。だから、多少それを緩和させる、か。大したシステムだな。……ああそうか」


「そうだ。貴様に問いたい。貴様の発音は連中と同じだ。……辺境伯。貴様は連中と同じなのか?」


 おっと、それは……。

 少し考える。


「……俺は連中と違う。俺は北部で産まれた、この地の人間だよ」ウソじゃない。が、正解でもないが。


「なら、何故、同じ発音を出来る?」


 彼女の瞳に力が入る。そこには先の弱々しさはなかった。


「今、答える必要がないね。だが、ドラクル。俺は貴女に仇なす存在ではない。それは信じて欲しい」


 白々しいが今、俺の秘密を話す気にはならなかった。……そうさ、怖い。怖いのだ。


 しばらくの間、俺達は目をそらさなかった。


「分かったよ辺境伯閣下。今は、問わない」


「感謝する。……もう少し聞いて良いか?」


「……なんだ?」


「その薬だが、どう手に入れている?」聞いてはいけないのだろうが、どうやら深みにハマっているようだ。嫌なイベントだが……。


「定期的に接触がある。幾ばくかの金子と引き換えに、この鞄をだ」


「連中から逃げられない、いや、したくない」ちょっと誘導する。


「……逃げたさ。だが、この薬も、煙草も……」


「済まないな。……状況は理解した」


 俺は思考する。……彼女に同情するのは簡単な話だ。だが、同情した所で何になる? 俺が何を出来る? …………だがね、だが、正直心残りだ。

 

 俺は嘆息した。


 馬鹿だと思う。しかし、見捨てるには……。見捨てるには片寄り過ぎた。


「……ドラクル」もう一度嘆息する。「近いうちに俺は領地に帰る。ドラクル。貴様にはついて来ても構わないのだがね?」

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