第八話 ロイド、病院へ駆け込む。ついで変人医師と知り合いになる
俺は急ぎイェラに駆け寄った。
彼女は死んじゃいなかった。まだ息がある! だが油断は駄目だ。急いで医者へと連れて行かなきゃならない。
その前にチンピラ共だ。凶刃をふるった男を探す。……いや、連中は騒ぎが拡大されるのを嫌ったか、通りから去り始めた。
正直助かった、思わず安堵のため息が出る。
しかし、ここの住人はこの騒ぎでも日常のひとコマらしく、俺達を全く遠巻きにしか見ていなかった。中には横目で見るだけでさっさと通り過ぎる者だっている。まさしく人情砂漠だ。嫌だねぇ……まあ良いさ、今はイェラだ。
刃物が刺さっているから直ぐに抜けば良いかと言えば、否、だ。抜けば出血が悪化する。確か、傷口より体幹部の方を押さえて血流を遅くさせてから、早い適切な処置を講じなければならない。元自(元陸上自衛隊隊員)のじいちゃんからの教えだ。
魔法があれば、治癒魔法があれば傷口を塞ぐ事が出来るのだが、俺にはその技能が無い。
魔法は、自身に魔力があれば誰でも好きな魔法を学ぶ事が出来る。よくある、水属性だから水系魔法を習得、ではないのだ。
魔法は属性等で左右されない。学びたい物を学び、習得する。魔力の総量で発現する規模に相応しい魔力の総量を持っているかどうかと、必要魔力の関係上、習得する事が容易いか、容易くないか、それだけなのだ。……まあその話は後だな、医者だよ医者! 医者は何処だ!?
じいちゃんの教えに従い、イェラの体に刺さった位置から体幹部を押さえたいのだが、右肩のやや左寄り、体の中心に近い。これではドコを押して良いのか分からない。しかし、迷っている暇はない。迷っていたままじゃ彼女から血がなくなってしまう。今だって血がじわじわと溢れだしているのだ。早急に、可能な限り早急に病院なりに行かねばならない。
止血を諦め、イェラを抱え上げる。珍しい物でも見たいのか、近寄ってきていた青年に怒鳴りつけ病院を尋ねる。しかし、そいつは俺の声を聞かずに去ってしまった。
俺は手当り次第に近くの人間に声をかけた。だが、皆要領を得ない。
焦りが悪いのか、どうやら俺は尋ねると言うより脅迫しているかに近い喋り方をしていた様だった。それに気づき、二三度深呼吸して焦りを抑える。
意識して丁寧に医者か病院かを尋ねる。ようやく何人か目に先にある病院を教えてもらった。それを聞くだけ聞いて俺は駆け出した。
ただえさえも肥満で運動不足な俺だ、息が上がり、脚がもつれる。だがそれでも脚は止めたくない一心で走り続ける。
……肺が、喉が痛い。ふいごの様に荒い息をつきながら駆けに駆けた。数寸、10分程駆け続け病院を表す白と赤の地にいくさ十字を形どった看板を発見できた。
いくさ十字は地球で見られる十字架ではなく、叶うという字の『叶』をアレンジした字体と思えば良い。モチーフは盾と剣を意匠したデザインだ。
この大陸ではありふれた紋章で病院だけでなく、軍隊や個人のバナーにも使われている。見分け方は『叶』の紋様違いと地のカラー、そして飾られる装飾で見分けなければならない。
ややこしいが、この建物が病院なのを見て取れるのは地の白と赤で判断できた。なんにせよ、ここは間違いなく病院なのだ。
通常なら診察時間を過ぎているが、なに、薬師なり献護師(薬師は薬剤師に、献護師は看護師にあたる)なりが居るだろう、誰かが止血をしてくれる。
医師が居れば安心だが高望みはしないさ。とにかく診てもらわねばな。
正面の扉は閉じてある。乱暴にノックし、確認を待たず扉を開けようとするが、開かない。やはり診察時間を過ぎているのだ。
だがそれでも扉を叩く。うるさかろうが知ったこっちゃない、叩いた。何度も叩いた。
ややあって、中の閂が開く音がした。この世界に自動扉なんて無い。待ったところで開いてはくれない。俺は半ば強引に扉の取っ手を引っ張る。
不意の来訪者の俺に閂を外した人物、献護師さんは驚いた顔を見せずに冷静な態度で俺達を出迎えた。
「急患、のようですね。どうぞお入り下さい」
献護師さんはやはり慣れているのだろう、腕の中のイェラをチラリと覗き安否だけ確認すると足早に救護室へと向う。俺も彼女に続いた。
広く清潔な雰囲気の待合室を抜けた最初の部屋が救護室であった。中程にある診察台へイェラを寝かせる。献護師さんは手際よく彼女の傷を検めながら、俺を見て口を開いた。
「まだ大丈夫です。必ず治せます。……所で、貴方は貴族様ですね、ですがこの娘は貴族の方とは見受けられません、ああいえ、そうではなく、治療です。……その、施術は私が致しましょうか? 先生をお呼びしまして、先生の方からの施術をご希望でしょうか?」
あぁなるほどそう言う事か。少し悩む。彼女は上級献護師だったのだ。
献護師を表す若草色の清楚な制服に、腕には腕章が巻いてある。その色は橙色であった。この橙色は一等級を表しているのだ。
日本と違い、この世界での献護師は三等級から一等級の階級に分けられている。
三等級は実習生で見習い。補助の補助だ。二等級は正献護師となり、上級職の補助と基本的な手当てまでしか対処出来ない、所謂ナースさんに相当する。そして一等級は自身の所見と判断で簡単な手術まで対応出来るエキスパートなのである。
医師と違いは……その、なんと言うか、ぶっちゃけた話『誰』を相手にするのか、なのだ。
医師と言うクラスは名誉職である。彼ら医師が相手にするのは上流階級より上の人間なのだった。で、普通の市民らを対応するのは一等級献護師の役目となる。一般的に言うところの町医者がそうだ。
簡単な手術や病気くらいなら一等級で十分対処出来ると見なされており、区分は複雑な手術や、重篤な病気等に対応するのが医師と呼ばれ住み分けされている。もっとも、これは便宜上の事で、地方に行けば普通に医師が全ての面倒をみたり、一等級献護師が医師のサポートのみだとか境界がない場合だってある。
目の前の一等級献護師さんが俺に尋ねた理由、つまり俺は貴族だから医師が相手をする。対して、イェラは見るからに下層の住民だ。だから俺に問うたのだった。……貴方はどちら側の立場にありますか? と。……そいつは愚問だよナースさんや。
俺は献護師さんに視線を真っ直ぐ見据えた。
「確かに俺は貴族だよ。で、見ての通りこの娘は『市民』だ。
……だがね、暴漢に襲われた俺はこの娘に助けられた。つまり俺はこの娘に借りがあるのだよ。これは生命の借りだ。ならば相応の対価を払う必要がある。……一等級献護師である貴女に含む事はないのだが、是非、医師の先生に診てもらいたい」
俺は彼女に頭を下げた。彼女を無下に扱う気持ちはないのだが、せめてものの謝辞だ。簡単に頭を下げるのは帝国貴族としては不要な振る舞いであるが、俺は元は日本人だ。頭を下げる事は自然に出来る。
俺は、帝国貴族であると共に日本人なんだよな。……半端だ。実に半端な存在だ。全くの欠点ではある。だがね、この半端さこそが『俺』なんだ。俺は俺である限り、俺自身を否定しない限り、俺であらねばならない。両者の特徴特権、特性と共存していくのだ。
ああそうさ、だからこそ両立したくなる。特徴も特権も欠点も何もかも俺のモノだ。ならば、俺は日本人として当たり前にイェラを助け、貴族として毅然とイェラを助ける。もちろん、両立は難しいさ。だが、そいつは決して困難じゃあない。貴族の体面? そんなのはゴミ箱にでも捨ててしまえってヤツだよ。
俺は俺なりの行動基準に沿って好きにやらせてもらうさ。それのドコが悪い?
そう思いながら、もう一度、献護師の女性に頭を下げた。
じっと俺を見ていたナースさんは一瞬戸惑いを見せたのだが、薄く笑みをみせて一礼を返した。
「承知致しました。少々お待ち下さいませ、先生をお呼びしますので。……失礼ですが、貴族様のご尊名をお聞かせ頂けないでしょうか?」
「これは失礼。俺はファーレ辺境伯である。先日父が亡くなり、俺が家督を継ぐ身だ。現状は暫定であるがね……さて、如何?」
「ファーレ辺境伯様。ありがとう御座います」彼女は軽く腰を折った。再び口を開く。
「市民として、傷ついた者への辺境伯様のご厚情、深く感謝致します。ありがとう御座いました」
そう言って彼女は部屋を出て行った。
これでようやく一安心だ。診察台のイェラを見る。
……そういや、この娘は苦痛に呻いても泣きわめく事はなかったな。強い子供だ。本当に強い。
……それに、それ以上に勇気の子供だ。うん、ちゃんを報いなければな。イェラ、君を俺は……。
見れば痛みを我慢する彼女の額には汗が浮かんでいた。それを俺は持っていた手巾で拭った。
汗を拭うと僅かにイェラが笑いを見せた。俺も笑みを返す。
「……大丈夫だよ、もう少し待ってな。イェラ、君は死なないってさ。だからもう少し我慢してくれ」
「うん。……ねぇ、ろいど……て、にぎって」
「お安い御用さ、……ほら、これで良いかい?」
イェラの左側に回り、その小さな手を握る。
彼女は、弱々しいがそれでもしっかりと握り返した。笑みが深くなる。そこでもう一度、汗を拭ってあげた。
ややあって、先の献護師がもう一人の人物を連れ入って来た。
入って来たのは医師だ。煙草(葉巻きだが、太い葉巻きではなく細長いのが特徴)をくゆらせている。
その医師は私服の上に医師共通デザインの白の長衣を身に着けていた。ここいら辺は日本でもお馴染みだ。それより驚いた事に医師は女性であった。女性の医師は居なくもないが、数は少ない。俺も初めて見た。
いや、何より驚いたのは彼女の顔だ。彼女は異相の持ち主だった。顔自体の造りは悪くない。道具立ての良い20代半ばの半白の短かめの髪の女性だ。だが、その目が違った印象を与えるのだ。
目、だ。彼女の右眼は閉じられている。自然な感じで閉じている訳には見えない。……硬質な、拒絶する、何もかも拒絶するかのように閉じられている眼だった。
それに加えて左眼のクマ、実に病的な感じがする。プラスして彼女の目は軽く血走っていて少々怖いのだ。そしてまた、陰気さとは無縁の、真逆の、ヤケに活き活きとした瞳はギョロギョロと動いている。なんかヤバくね? ねえ、このヒトさぁヤバくねぇべ?
俺は内心のビビリを押し殺し、異相の女医に尋ねた。
「あ〜、ドラクル(医師:ドクターの事)……彼女の容体はどうかな? 生命の危険は無いと聞いたが、改めてドラクルの所見を聞きたい」
件の女医は俺の問いを華麗にスルーし、無言でイェラの傷を眺め、おもむろに刺さっている凶器を引き抜いた! 途端に傷から血が噴き出す。
俺の狼狽を他所に女医は引き抜いたソレを献護師さんに渡し、傷口より体幹部の一点を押さえた。するとぴたっと血の噴水は止まった。
やはり無言のままでその左手がなんらかのデスチャーをする。
すると献護師さんはハサミを取り出し、イェラの患部の周りをチョキチョキ切り出した。……哀れ、イェラの粗末なワンピースは瞬く間にぼろ切れと化した。ちなみに彼女を刺した凶器は献護師さんが用はないとばかりに廃棄物入れに放り込んでいた。雑すぎやないかい?
イェラの血に汚れた上半身が露わになり、献護師さんは患部周りを洗浄し始める。……治療の開始だ。
いやおい待て、煙草、煙草!
煙草はイカンだろうに、と思うのだけどなぁ……いいのかなぁ? どうも、この女医は吸い続けるのがデフォらしい。献護師さんが一番注意すべきだが、一言もないのは信頼か諦めか? 口を挟むのは、あ〜、やめとこ。
こっから先は専門家の独壇場だ。任せるしかない。俺は邪魔にならないよう部屋の端に寄った。
しかしなんだな、俺には初めての体験なんだわ。血の匂いと辺りにこぼれたそれに気分がよろしくない。だいたい俺は男だ、女性と違い、血のある日常とは無縁なのだ。つくづく女性の方やこうした現場の方に畏敬の念を覚える。
……流石は本職だ、全く自然な動作で献護師さんは治療器具を載せたカーゴを女医の元へ引き回し、薬品棚から必要と思われる薬品を幾つか取り出した。その動線の移動、手まわし、体の捌きは迷いのまの字を見せない。
女医は女医で、カーゴを見ずに治療器具の収まった盆から鉗子と針と糸とをたぐり寄せ、取り出した。右手は止血点を押さえたままだ。
その止血点を献護師さんは代わりに押さえ、女医は鉗子をイェラの傷口に当てる。これからは実況したいとは思わない。俺は視線を壁に架かっている時計に目を移した。
あ〜忘れてたわ。屋敷に連絡してねーや。……ま、良いか。どのみちこの汚れた格好なんだ、叱られる要素に事足らない。俺が市場へ行くに使った馬車は、荷物を満載して屋敷に着いているだろうよ。俺の帰りが遅くなるのは理解していると思う。イェラの治療が終わったら小者を送って知らせるか。
ああそうだな、イェラ、だ。イェラだよ。彼女の処遇をどうするか。……いや、腹は決まっている。
……引き取ろう。俺が引き取るのだ。
流石に養子は無理だ。親父の庶子でも厳しい。無理があり過ぎる。落とし所はファーレの一門に連なる一族の外れに手を回し、その筋の縁から(長いわ!)俺が預かると言うシナリオが適切だと思う。偽装に使う金より書類が面倒だが、それは帝都家令に任せようかね。
彼奴にはそろそろ退場して貰う頃合いだ。最後のご奉公にして貰うさ。俺は領地へ戻る。帝都屋敷は役割を変えるし、整理縮小するからな。
どのみち彼奴は俺を嫌っている。帝都にて筆頭家臣の立場にあるのは親父の代までだ。不正にも関わっている上に薄暗い過去がある。そいつはチト問題だからな。潔く勇退して貰うさ。……もっとも、勇退後は……ふん、俺には関係ないな。
俺の知らない(筈の)過去の清算とやらに踏み切ってもらい、後はバイバイだよ。冬のルード運河は冷たいかもしれないが、清算はキチンと、な。
後反対しそうなのは……ユージーンは別として、となると、やはり立場上口を出すのは婦長だな。
この婦長は読めない。明確に敵対視されては居ないし、同時に俺の側に与している訳でもない。肯定的中立なのか局外中立なのか、その旗幟も定かでないのだ。
帝都屋敷に上がり5年。その間、何度か面談したし、素行調査だってした。……面談は灰色だ。常に俺からの言質を取らせないでいた。素行調査は全くの白、だった。
出自は良家の娘で、実家に対する利益誘導も無し。帳簿もきっちりかっちり。びた一文くすねた形跡が無い。それでいて俺との慣れ合いは一切無いのだ。挨拶に日常会話はすれど、無駄な会話は全く無しでいた。
正直、全然分からないでいる。ユージーン曰く『決して坊っちゃまの邪魔など為さらない方ですね』との事。
領地の本屋敷では、俺は14年間かけて自分に与する派閥と、反対派、中立派を選別して来た。あ、14年は言い過ぎたわ。物心ついて、他人の悪意に気付いてからだから、8年位かな? まぁそれ位かけて、俺は自身の砦を造ってきた。その手法を用いて帝都屋敷でも工作に勤しんだのだが……。
「……以上、施術終了。以後の処置は君に任せる」
治療が終わった様だ。無事に終わった事に安堵した。
かかった時間は小半刻(30分)程度だ。それが早いのか遅いのかは分からない。
「はい、了解しました。お疲れ様です、ザーツウェル先生。……投薬は栄養剤二型一番から五番、三型一番、四型二番、増血剤、抗体の一番、活性補強剤で宜しいですか?」
「そうだな。それで構うまい……で、あの男が貴族サマかい?」と女医はこちらを向いた。相変わらず左眼はギョロギョロ動いている。
取り敢えず女医……ザーツ某……ん? ザーツウェル、何処かで聴いた名だ。まぁ良いさ。そのザーツ・某・ウェル先生に会釈する。
「この娘を治療して頂いて感謝している。……俺はファーレ辺境伯(暫定)だ。ドラクルの名を聞きたいのだがね?」いやまぁ聞こえてたのだが、社交辞令ってヤツだ。
異相のザーなんとかさんはニヤリと笑みを浮かべ、いつの間にか消えていた煙草を捨てた。ゆっくりした動作でポケットから煙草容れを取り出し、やはりゆっくりした動作で一本取り出す。
微妙にイライラするが、黙ってこの女が煙草に火を点けるのを待つ。人間辛抱が必要さ。
そしてやはりこの年増は殊更ゆっくりとオイルライターを取り出し、限界を超える鬼の様な遅さで火を点けた。
ババアはしみじみと紫煙を燻らす。
行き遅れは……アカン、イライラが天元突破しそうだ。
形容するのも憚るこいつは、煙草をじっくり味わった後、ようやく口を開いた。
「ザーツウェルだ。ファーレ辺境伯サマに於かれては最大級に感謝するが良いさ」
……こいつは敵だ。今、確信した。……こいつは俺の敵なのだ。他人を苛つかせる才能に満ち溢れた天上界の悪鬼羅刹の使徒だ。
だが、俺とて偉大なる精霊様に愛された大宇宙のエンジェル大将軍閣下様なのだ。銀河を超えるスーパー偉大なる愛情で、塵芥以下の雌犬すら涙する憐れな藪医者ちゃんに慈悲ってヤツを恵んでくれてやるとしよう。
最上級の慇懃さで一礼する。
「ロイド・アレクシス・フォン・ファーレである。此度は大儀、一千万の感謝を」
あ、今、思い出したわ。こいつはあの天才学者だ。医師をやってるなんか知らんかったし、前に見た写真とはずいぶん違って見える。
本来の予定では、イェラの登場はロイドが領地に帰ってからでしたが、ザーツウェル先生の登場にて合わせ、予定を繰り上げました。
また、ザーツウェル先生は以後、ロイドの悪友として、また第一部のキーパーソン、第?部の先生の因縁話まで活躍する女性です。
彼女の因縁話はこの後、さわりだけを記し、?部まで語られません。引っ張る展開ですが、ストーリーの特性上仕方ない処置と思って下さい。申し訳ありません。