第七十二話 ロイド、上奏文を読む
皇宮の謁見の間はちょっと変わっている。俺の歩く場所はふかふかの絨毯敷きだが、その左右は大理石で固められている。
実はこれ単なる装飾ではなくて演出効果を狙っての事だった。
『ファーレ大将閣下、御入室!』式典を取り仕切る官吏が声を張り上げた。
謁見の間の扉が開かれる。
俺は一礼して入室する。そして一歩一歩ゆっくり進む。
俺の左右には式典武官が俺の歩調に合わせる。そうしたら彼らの足元の大理石の床が大きく響くのだった。
そんなのする位なら最初から大理石の床で良いと思うのにな。まぁ音響装置ってのは大事か……。
事前に取り決められた停止位置に来る。武官も止まった。
『皇帝陛下の御入来!』再び先の官吏が声を張り上げる。
俺は片膝をついた。当然、頭は上げない。
静かな伴奏が緩急をつけた少し大きな曲になる。
そして俺の時と同じく大理石に(過剰なまでの)足音が響いた。
「臣ロイドよ、軍上報告文を読め」皇帝陛下の重々しい声が届いた。
「はっ」
俺は立ち上がり、懐から一本の巻物を取りだし、開いた。検閲は済んでいる。
「帝国暦第三王朝七百二十三年清光月十日、帝国領北部首邑セト・グリアバートルを何らかの意志を持った武装集団が襲い、北都を失陥させられました……」
良し、出だしは問題ない。まぁちょっと緊張はしているが。
「警備隊諸君は健闘するものの敵勢力には叶わず全滅、大公閣下は行方不明となり、事後は大公妃殿下が少なからずの領民と共に脱出に成功。これはひとえに大公妃殿下の功績であります……」
嘘は言ってないよ。事実をありのままに伝えてないだけで……。
以後は、ソーケル伯爵がオールオーヴァ辺境伯に出動要請をし、断られ、俺にお鉢が回ってきた事(オールオーヴァ辺境伯がいかに薄情かを強調)を話した。
そして隷下の派遣兵団を率いて南下、敵勢力と戦闘開始、以後は敵勢力をダーサと命名。軍務尚書閣下との合同でダーサの排除を計る。戦闘に次ぐ戦闘。
そしてニ週間前に北都中央駅を奪還した旨を話したのだった。
要所要所で誰も彼もみな必死に戦ったのをスパイスにして語ったのだった。ちなみに俺はあんまり活躍していない。なんたって指揮官だから。
「これもひとえに陛下の兵が必死に戦った成果であります。陛下に置かれてましては兵らに御厚情いただければ幸いであります。
臣ロイド帝国暦七百二十三年曇り月末日、ここに奏上致しました」
は〜しんど。
「臣ロイドよ、そなたの献身見事であるぞ」
皇帝陛下は四十代の背筋が真っ直ぐな壮年の男性である。怜悧な目元が特徴的であった。
「ありがたき幸せで御座います」うーそっぷー。いちグラムほどもありがたくないデース。
「貴公には双竜宝章ならびに、かかる戦費を与えるものとする」
戦費をくれるのかラッキー。
「陛下の御厚情、臣ロイド感服致しました」
戦費の持ち出しは結構きつかったからありがたい。
「大公妃レティカには年額二百 eの年金を授けるものとする」
へ〜太っ腹だなぁ。
「ではこれで終了とする。ご苦労であった」
謁見の場は終わった。陛下は去り、俺も退出した。
退出した俺はあてがわれた応接間に通された。
「ふう、疲れた……」
「お疲れ様でした閣下」
「ツキハ君、済まないが茶を用意してくれ」
「はい、閣下」
ツキハが茶器に触れようとしたら客間女中がサッと自然に遮る。女中は自然な流れで茶を淹れた。
そうして茶と茶菓子を用意して俺の前に差し出した。
「ありがとう」
「いえ」客間女中さんは二十代中頃とみた。結構な美人さんだ。まぁ俺の好みじゃない。
「なあ君、双竜宝章とは何か知っているかい?」
「はい、特に功績のあった忠臣の方に贈られる飾り帯です。年金があ…年金が百八十 eとなっております」
「すまんね、俺は田舎者だから中央には疎いのだよ。しかし流石は皇宮の女中さんだ。物知りで安心したよ」
「ありがとうございます」
「ところでツキハ君、君この後の予定は聞いているかね?」
「はい、バルタザール・ベスパー軍務尚書閣下とご面談が入っております」
あのおっさん、そんな名前だったのか……。
「それで? 俺が行くのか、向こうから来るのか?」
「あ、はい。『待っておれ』との事です」
あ、来るんだ。なら上座は空けとかないと。
俺は茶と茶菓子を持って下座へ移った。
茶を飲んでると扉がノックされた。入ってきたのは軍務尚書だった。噂をすれば影がってやつだ。
「久しいな辺境伯。ああ別に席を立たんで良い」
ベスパー軍務尚書が正面に周った時に口を開く。
「お久しぶりです閣下」
「君と君らの功績で北都奪還に目処が立ちそうだよ」
「ありがたくあります。しかし無視できない死者が出ました。彼らの遺族年金の増額を認めて下さい」
「わかった。君の所は君の裁量ではかりたまえ」
「承知しました」
話の接ぎ穂の間に客間女中さんは軍務尚書に茶を差し出した。
「此度の戦果、陛下はたいそう満足であられた。貴君のさらなる忠義に期待するとの仰せだ」
「は」
「さて本題だ。すまんが俺と辺境伯のふたりで話したい」
「聞いてのとおりだ、ふたりは出ていってほしい」
「はい、畏まりました」
ツキハと女中は出ていった。
「貴公、そなたは大公妃殿下をどうするつもりだ?」
「…友人として歓待し大公妃殿下として品遇いたします」
「それだけか?」
「失礼ですが閣下は何を懸念しておいでです?」
「大公妃殿下は身篭っているな。その処遇だよ」
そう来たか。
「処遇といわれましても、和子様がお産まれになられたら安んじ賜わります」
「俺や陛下が心配しているのはそこだ」
「自分がやるのは北都奪還に向けて動く事だけです」
「……そうか、ニ心はないか」
「ありません」
「なら続きだ。貴公、妃殿下の和子が男児なら様子見もあろう。だが女児ならどうだ? 貴公には『絶対』があるのか?」
「自分に野心などありません」何が言いたいんだ、このおっさん。
「そうか……さてここからが中核だ。良いか心から聞け、俺も陛下も、貴公も為政者だ。決して聖人君子では無い、当然裏がある。ここまでは良いな?」
「はい」
「妃殿下が女児を出産すれば男児として育てろ。男児でなければ貴公が種付けして男児を産ませろ。そして頃合いになれば男児を長男として育てるのだ」
「無茶を言いますね」
「そうだな酷い話だ。だが貴公は妃殿下と友誼を持っているのだろう? なら、それ程難事ではない筈だ」
「……この事は軍務尚書閣下と皇帝陛下だけがご存知なのですか?」
「いや、国務尚書と法務尚書も知っている」
退路は無し、か。
「大公妃殿下にお伝えしても?」
「男児の事だけ心配しろと言っておけ」
「つまりは二面性を、持て。そういう事ですね」
「他言無用だぞ、言うまでもなく。そして産まれた男児なら、その子を旗頭にして北都を奪え」
「……はい」
「おっと用件はもうひとつあった。…貴様の副官、大尉相当官から大尉へ正式に昇格だ」
「ありがとう御座いました」
「少佐までは遠いぞ、上手く働け」
軍務尚書は覚めた茶を飲んで退出していった。
後に残されたおれは思案に暮れた。なんつー宿題を出していくんだ……。
俺は先ゆきに不安を持ち、頭をかきむしる事しか出来なかった。