第七話 ロイド、イェラの勇気に感服する
入院挟んだので遅れました。申し訳ありません。
女の子の笑いにつられ、俺も笑いがこみ上げ、二人で笑いあった。
そう言えば、この娘の名前知らなかったな。
笑いを引っ込め、彼女に訊ねる。
「君さ、君の名前何なんだい? おう、俺はロイドだよ、よろしくな。うん、良ければ君の名前を教えてくれないかね?」
女の子も笑いを止めたのだが、先程のような笑顔を消しぶっきらぼうに告げた。
「……いぇら」
はぁ? イェラって言ったの? おいおい……。
呆れた。この子の親は何考えてんだ! 名前にじぁあない、親に、だ。自分の子供をなんだと思っていやがる! 親を小一時間問い詰めたい、なんてレベルじゃない、俺なら殴りに行ってくる!
ん、ああ、説明するとだな『イェラ』ってのは猫につけるような名だ。ほら、猫に何気なく付けるだろ? たま、ブチ、ももってさ。イェラはそんな名前だ。
自分の名前に猫相手の名なんてつけられたら腹が立たないか? そんなの常識、いや、良識の範囲から逸脱していると思うがね。
俺が腹を立ててるのを見て取ったのか、女の子、ああクソ……イェラはなだめるようにそっと俺を抱きしめた。
「わたしはいぇら、わたしは、わたし。だれ…じゃない、わたしのなまえ、を、だから」
気にするなって事か? 語彙が少ないのだろう、よく分かりかねる言い回しだ。だが、意味は判らんでもない。
「……親はどうしてる? 文句はないのかい?」
「…おや、いないよ」
居ない? 留守じゃない様だな。しかし二人とも居ないのか? 彼女はまともな言葉を学んでいないせいだろう、話す文法が間違っている。プラス語彙自体が少ないから分かりづらい事この上ない。理解するには質問を重ねる事で補完するしかないな。
「お父さん、お母さんは二人とも居ないのかい? いつから居ない?」
イェラは迷うのか、返答には少し時間がかかった。
「いない……みたこと、ないの。……ずっとずっとずっとひとりで、だから」
「? ひとりぼっちなのか、兄弟…あ〜、家にはだれも居ないの?」
「いないよ。……ん、そろそろ、おねーさんたちがあつまるよ、ね」
「お、そうかい。逃げ道は大丈夫なのかい?」
イェラはこくんと頷いた。小さく笑う。
「いつもつかうみち、あるの。あいつら…ばか、だからきがつかない」
う〜ん、ちょっと怪しいが任せるしかない。お? 騒がしくなったぞい。
鎧戸から伺うと、件のチンピラ連中にいかにもな商売姐さんやおばさん達が詰め寄っている。内容は上手く聞き取れないが、どうやら商売の邪魔みたいな事を告げている。
連中が居座るのと商売の邪魔にどんな因果関係あるのかよくわからないが、まぁ良いさ、逃げよう。
「イェラ、頼むよ」と彼女を促す。
イェラはちゃんと心得ている様で、ひとつ頷いて素早くランタンの灯りを消し、部屋を出て行った。
そういや、またあの階段なんだよな。あの階段は心臓に悪い。次使うことないから仕方なく使うが、そうでないなら、店主に金払って補修させたい気分だ。
地獄の階段を降り、イェラを探す。店主が指でカウンターの裏を指し示す。
懐の財布を取り出し、適当な銀貨(銀貨には何種類か有り、500円位から1500円位までバリエーションがあるのだ)を何枚か店主に渡した。相場なんて知らんし、礼なら逃げ切る際にイェラに渡せば良い。ま、ようするにチップだ。日本と違い、チップは日常のどこにでも必要だったりする。まあ、状況に応じてチップの額や価値は変わるから、相場なんてあって無きがごとしなんだがね。アデュー!
宿の裏口に出てみると途端に異臭が鼻についた。実際、地面は…………まぁあれだ、きちゃなぁいのな。歩けない訳じゃないが、決して座りたい環境じゃない。ふん、こんなトコさっさと抜けようや。
イェラは俺を見ずに路地を歩き出す。……路地は狭いが迷路な訳ではない。やや薄暗いが臭いくらいで問題はなかった。
ちょいと補足しておく。帝都の設計は古いため、下水は完備されてない。精々が6割だ。帝国全域なら2割も完備されていない筈だ。我がファーレ辺境伯領では、主要6都市の基幹部分に整備されてるくらいだな。あと、我が屋敷。水洗トイレのない生活は耐えられない。水洗トイレ万歳! 俺は水洗トイレの王になる! な訳ねーよ。
で、帝都では上水、あるいは水路は豊富にあるのだが、下水に関しては大した進歩はない。
コレラや赤痢、ペストの様な伝染病はたまに発生するが、その対処は環境局が定期的に薬剤を散布して回る程度なのだ。その程度なのは、なんのことは無い、下水網の拡大より安価で済むと言う理由だからだ。
そして下水網の拡大や現代日本のレベルの処理浄化施設の整備は、計画案はあっても実現には至ってない。拡大について、20年位後に整備が予定されているだけ。
つまり、現状では、臭い。そーゆーこった。では先を急ごう。
裏路地から裏路地を抜け、イェラと俺は歩く。俺の方向感覚や歩いた時間から、そろそろこの地区を抜ける頃合いだ。……おう、どんぴしゃだ。裏路地から出たここは、後わずかで町並みが変わる大通りだった。やほーっ!
ここまで来ればあと1ブロックもない。さあて、イェラに礼金を払おうかね。……あ~幾ら払えば良いんじゃろ? ん、まぁ、帰りの馬車代金以外は財布ごと渡せば良いかな? たいした金を持ってる訳じゃないし、レンタルショップのカードとか免許証がある訳でもないからな。
と思ってたら横合いから声が掛かった。
「はい残念でしたー」
「よぉイェラ! いっつもいっつも上手くいくと思ってたのか? ざーんねん、俺たちゃナメんなよ、ガキが」
知らんアンちゃん達が下卑た顔に知性のかけらもない、実に締まらない薄ら笑いで登場してきた。しかし、こういう手合いは定番、鉄板中の鉄板だ。シナリオライターが居るなら即クレーム対象やで?
俺の感想を横にイェラが身構える。それを見て、俺もまた状況を把握した。
……連中は彼女らに謀られたのを学習した様だったみたいだ。まあ、度々妨害されてきたんだ、この程度のアリンコレベルの頭でも理解は出来るらしいな。しかし、この状況はちと不味い。退路は……難しいな。
リトル逡巡してたら、アンちゃんに続き、そこらから同様の臭そうな男たちが現れる。
その数は……2、3……6いや7か、あかん不利や。
見ればそいつ等はチンピラと言う形容詞がお似合いの無頼漢だが、それなりに武器を用意している。
短刀や角材、一人は大刀だ。それに対して俺は丸腰なんだよな。イェラもそうだ。ぼろ布同然の服には寸鉄の刃物すらさげていない。
そして、問題なのはまだ此処は連中のテリトリーだと言う事だ。俺にはこの状況から逃げる手段を持ち合わせてはいない。……あらやだ詰んだわな。参ったねぇ。
今ここに救いの主が登場したら、救い料1千万円ローンも可でなら、手を打って賛成したいトコロだと思う。いや払うつもりはないケドさ!
しかしのんびりと構える訳には行かない。なんか手がないかな? ……魔法か、……俺には魔法があるが、攻撃魔法なんて持っていない。光と熱を付与するだけだ。……あ! いや、しかし……。
「さてと、おいそこのデブ!」
「ゴルァ! 誰がデブじゃい! ボケがよく見ろよ、俺は可愛いぽっちゃりさんだっ!」おっと、つい言い返してしまった。
「うっせーっ! テメーはバカかよ! あ、なんだ、オメーはキゾクサマかい?! おい、イェラ、最近ちょーしこいてんじゃねーよ。今ならこのキゾクサマちゃんを俺に渡せば許してやってもいいんだぜ?」とチンピラその1。
「カマガキのイェラ! こぉの腐った玉無し野郎が、まぁたそのケツ穴でハメハメしたんでちゅかぁ?」とチンピラその2。ん、ティギャーラン野郎? なんでその形容詞がくるの?
今でたティギャーランってのは、ネコ科の肉食獣の名だ。地球で言うところのライオンに当たる。だがライオンと違い、百獣の王の名誉は得られていない。
その理由はティギャーランは雌社会で構成されているのだ。狩りも、縄張り管理も、子育ても雌の特権であり、雄は何もしない。また彼女らに比べふた回りは小さく、戦闘すら避ける。この為、ティギャーランの雄は臆病な怠け者が相場として認識されている。
そしてこれを由来に、臆病者の男子やオカマさんを指してティギャーラン野郎と言う蔑称が生まれた。
……え、と、つまり……イェラは男の子、とゆー事になるの? え? マジなん? 男の子じゃなくて、男の娘、かよ! ビックリだわ、吃驚だよ!
……お、おい、となればイェラは、男相手に身体を売っていた事になる、訳だ。……あぁクソ! クソ! なんて世界だ。なんてクソみたいな世界なんだよ畜生め!
俺は、俺はココまで世界が終わってるなんて思っちゃいなかった。
俺とて純真なんかじゃない。欲に溺れたクソな大人だと認識している。これまでいくつかの事情があるが、なんだかんだと受け入れて、与えられた女を抱き、そいつを貪って己の性欲を発散してきた身だ。単純に金で買った経験だってある。
だが、それらは相互の契約、納得の上での情事だ。無理矢理だって、ましてや未成年者をどうこうした覚えなんてない。
いや、俺の事なんて今は関係ない。イェラだ。……彼女は生きていく為に、誰かの助けが求められない世界で、一人生きて来たのだ。そうせざるを得ないのだから。
嫌だ、クソ……だが彼女が、違うか、彼が生きる苦しみがのし掛かる世界が容易に想像出来る。視えてしまう。
いや、違う違う、想像しているだけだ。イェラの苦しみはイェラだけのモノだ。俺はよそ者、傍観者に過ぎない。この子供は、ああクソ! クソクソクソ!
無性に腹が立っていた。それはなんだ、こいつ等にか? ……違う、世界にか? 俺自身にか?
分からん、しかし、分かっていたとしても腹が立っているのは事実だ。やり場のない怒りが身体を震わせていた。
……ああそうだ、とりあえずこのチンピラ共をぶちのめしてやる。ケンカなんぞした事ないが知った事か! 潰す、潰してスッキリしたい! クソ、潰す潰す潰す……潰す潰す潰す!
衝動のままに体が動いた。
何処に? 前だ。目の前の屑に、だ。
考えがまとまらん、だが、目の前の屑をぶちのめしてやったらさぞやスッキリするだろうよ。……こんな感情は初めてだ。今まで生きて、こんな怒りを感じた事ない。
俺は怒りに任せて拳をにぎ……。
る前に、チンピラの屑野郎のカウンターが入った。
頬を殴られ頭が揺さぶられる。くらくらして思考が飛んだ。……分からん、頭が、頭の機能をダウンし、思考が停止した。
倒れたのかどうかも分からない内に、俺は連中にフクロにされていた。
……馬鹿だな、俺。勝てる相手じゃないのにさ。……痛い、な。あぁクソ痛い。……あれ? なんで俺は? ……なんで俺は寝っ転がんでいるのさ?
駄目だ頭が働かない。痛いのも、殴られたりしているから痛いと感じているだけだ。……なんで痛いのかすら理解していない。
あ、止まった。なんだ? …………あ…声……だ。声が聴こえる。……誰だ? ああこれはイェラの声だな。……なにか叫んでいるな……おい、イェラよ、なに叫んでいるのさ?
何故イェラが叫んでいるのか分からなかった。
あぁそうだ、イェラ……逃げろよ。逃げろ逃げろ逃げちまえ、ここは君のホームグランドだろ? さっさと逃げちまえよな……ああそうか、その前にイェラに金を渡さなきゃな。幾ら払えば良いんだろな? ……駄目だなぁ、頭が回らないや…………あ、俺は……俺は……?
違う! 起きろボケ! 起きろ、起きろ! 彼女を逃さないとダメだろうが!
やっと目が覚めた。あちこちが痛たむ。だか、そんなの後回しだ。今は起きろ、今は起きてやり返すんだ!
足が、腰がグラグラで力が入らないが、どうにか踏ん張り、力を込めれる事に成功した。良ぉし!
俺は発奮し、気力を込めて起き上がった。足がグラグラしてるが、そんな事なんか後だよ、後! クッソ、あちこち痛てーや、だがな、そんな贅沢は後でじっくりと味わえばいいのさ! ……今は、今はこの状況を、なんとかするのが先だ。
さっきは怒りでなんにも考えてなかったが、今は痛みで逆に思考がクリアだ。おっし、逆襲してやるよ。
手はあるかって? ああ、手はあるさ、魔法だ。魔法を使って反撃してやるぜ!
俺には付与魔法しかない? そうさ、付与『しか』ないよ。だがね、魔法なんて使いようなんだよ。へっ、俺なりに俺の魔法を見せてやんよ!
意識を集中する! ナニに? 見てろよ、魔法の、本当の効果的な魔法の使い方ってヤツをな!
どうするか、そいつはチンピラだ。そのチンピラの得物に、な!
意識を集中して、そこから生まれた魔力をチンピラの短刀に合わせ、送り込む。……イケる。魔力が短刀にまとわりついた! ソイツに……魔力に『熱』をチャージさせるのさ。
そうさ、見ろよ、ヤツの短刀に『熱』を付与してやったよっ! いや、まだまだだ! 『熱』にさらなる魔力をチャージさせる。
全てはイメージ次第なんだが、魔法ってやつは『想像』でできる限り、いくらでもイメージした、今は熱量をだ。そしてその熱量は更に上乗せが出来るんだよ! 熱く、熱く熱く熱く! もっと熱く、に、だ!
目の前のチンピラは自分の得物が急に熱くなったのに驚いていた。ちょっとした熱がどんどん熱くなるよう魔力をチャージし続ける。
今の温度は何度か知らんが、ヤツの短刀は、今、ヤケドするに等しい熱量を持ってる筈だ。……ほら見ろ、得物を放り投げたぜ! 次!
俺は別のチンピラに視線を向け、同じ手順で魔法をぶっ放す。
言っておくと、俺の総魔力量は水に例えるなら、ドラム缶ひとつに水が一杯になる位に匹敵するんだよな。
だから、手に持てる武器が十本位なら余裕に魔力を送り込めるんだわ。
つ、ま、り、今の俺なら連中の得物にあっつい熱量をプレゼント出来る寸法な訳だ! 都合が良い事に連中は皆、魔法使いによる魔法攻撃を味わった事がないのを見て取れる。好機だよ、好機!
問題は、弱点は『熱量』を与えているだけに過ぎない。そいつはヤケドに等しい熱量だが、実際にはヤケドなんか出来る訳じゃないのだ。このカラクリさえ見破られなければ、こっちの勝ちだ。
うん、今のトコは成功している。連中は全員、熱くなった得物に狼狽し投げ捨てている。ざまミラー!
だけど、こっからどーやって逃げる算段を付けるかだなぁ。それにイェラの処遇だ。俺は逃げれる環境にあるがイェラには、ない。
だからといって連れ帰る選択肢はない。残酷だとか言われようが、そんな義務なんてないのだ。子猫拾ってきたら飼って良い? なんて通用しない。俺の心情は良しとしても、俺の立場はそんなものを許容出来ない。
マンガやラノべじゃないのだ。駄賃渡して、それでお仕舞い。それだけだ。
無論、イェラには手厚くしてあげたい。それは確かだ。彼女だって…ああいや、彼、か。彼だってその程度なのだ。あるいは彼に悪意が合って、金品を過剰に請求するかも知れない。それは構わない。俺は貴族様なんだ、毟れるなら毟る。そいつは卑怯卑劣なんかじゃないのだ。寧ろ、当然の権利とも言える。
あぁ、いや今はそうじゃない、今はどう逃げるかだ。だがこの逡巡に隙が生まれていたのに気づいていなかった。
最初に見た男が遅れてやって来た。
そいつは他のチンピラ等と違い、まだしも余裕、度量、経験をこなしてきた練達の男、そんな男だったのだ。
状況を一瞥し、得心したのかニヤリと口許を歪め、腰を落とし武器を隠した貫手の構えを取った! これじゃエンチャントしきれない……。
ヤバい! コイツ場慣れしてやがる!
状況を判断し、俺の攻撃オプションを見ぬき、最適な行動に移る。そのスムーズな流れに戦慄する。
俺にナニが出来る? いや考えるな、動け動け! とにかく逃げるしかない。どこに逃げる? どうすれば逃げれるか?
本能のままに逃げに移る、としたいが体がびびってしまっていて動けない。頭は逃げても身体が追いつかない。
俺の迷いにヤツは笑みを深くし、タメなしで突貫に移った。
遅い、世界が遅い。全部がスローモーションに映る。…夕闇に等しい、薄暗くなるこの時間を。…明度がゆっくり、ゆっくり暗くなるコマ落としの刹那を。…ヤツの突貫に空気の壁が裂けるのを。…周りの喧騒を。…雰囲気を。……何もかもを、今、俺は認識している。
それは凄い世界だ。何もかもを、色も音も匂いも、人の気配さえも、時間さえも全てが認識出来るのだ。
究極の全能感だった。……いま、俺は、世界だった。
だが、それらを認識していても、俺の身体はなんら反応出来ないでいた。頭ン中だけが『生きて』いる。
マイクロセコンドの、本当の本物の刹那の瞬間に身を置き、諦念の乾いた笑みが浮かんだのを感じた。
……ヤツの武器、鋭い刃先の短刀を認識した瞬間、突然突き飛ばされた。
そう、突き飛ばされたのだ。ナニに? 誰に? ……イェラだ、イェラだった。彼女に突き飛ばされたのだった。
そして…………。
そして、イェラは、俺の代わりに……刺された。
スローモーションの世界が開放される。
男の突進をイェラの小さな身体は受け止めれなかった。その身体は飛ばされ、大地に放り投げだされる。……一度バウンドし、イェラは倒れた。
イェラの右肩に短刀の柄がつき出している。血が滲みだし始めた。ドラマみたいに血が噴き出したりはしない。また血だまりが広がったりはしない。血が、滲み出しているだけだ。
イェラは動かない。そこでようやく俺が動き出せた。
俺はナニかを叫んでいた。ナニかだ。知らん。
叫びだしながら俺はイェラに駆け寄った。
序章挿入話はもう少し続きます。
それが終われば、既存の改訂を進めながら新話を投稿に移ります。
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