第六話 ロイド、その危機をイェラに助けてもらう
帝都ブレーメン地区には帝都、いや帝国、いやさ大陸最大の市場、ライムライト複合商工市場と言うのがあったりする。元は商工会議室直販の市場(築地みたいな中央卸売り市場)だったのが、組合の大型化、他業種の組合の参加、要求される販売能力の拡大が重なりあい巨大複合市場(グレート・コメリシア・コンプレックス・マーケット)を形成した。
また、ここは単なる市場の側面だけでなく、食堂街や組合の事務所、遊戯施設、果ては歓楽街までも有しているのだ。あまり広いから住宅街だって紛れ込んでいる。
そう、広い。その広さは町レベルではなく、区に匹敵するレベルなんだわ。いやはや広いのはいいが、ここまで広けりゃむしろ迷惑なレベルだよなぁ。
地区案内、いや、観光案内の専門ガイド屋さんが軒を重ね、る○ぶみたいな案内紙が出回っている。俺も業種別に何冊か持っているよ。趣味の料理関連や調理器具の案内書なんかだ。
読むだけでも楽しいよね。この案内紙は年二回発表されているので、どんどん増える。従って俺の蔵書は定期的に整理しなきゃならない。つーか、ユージーンら女中さん達から小言を言われ、古い案内紙は捨てさせられるのな。
男はこーゆーのをコレクションする癖があるんだよね。集めるのが楽しい。だのにそいつを処分しなきゃならないなのは結構辛いのだ。こいつを分かってもらえないのは寂しい話だ。
しかし、この市場は実際に歩いてみると大変だ。区に匹敵する市場だから仕方ない。だから歩いて回るなんて論外の極みだ。馬車を活用するに決まっているだろ?
ここにはストリートの分かれ目に駐車場が有って、俺みたいなお金持ちさん連中は馬車で移動するのが特権なんだわ。お金持ちゴイスー。マジ半端ねーよと自画自賛。
馬車をはじめとする荷車や牛車は、貴族、商人、運送業のみが活用できる仕様である。一般市民たちは歩くか辻馬車、鉄道馬車を利用してるのな。
まぁそう言っても、結局は歩かざるをえないんだがね。
まぁ買い物のくだりは飛ばすわ。特にイベントなんてなかったしな。ただ、俺の誤算は馬車の容量をまるで考えてなかった事だ。荷物が溢れて俺が入らん。
結局、俺は先に馬車を帰し、手ぶらで屋敷にかえる事になった。しかし、何故俺はこの日単独で歩いていたのだろうか? 何時もならば従者なりを伴っているのだが、この日は珍しく単独だった。
通いなれた気安さ故の安心か、慢心か、俺はなんの用心もなく鉄道馬車とかを使っての帰宅を考えた。辻馬車の方が良かったのだが、時刻は夕刻に差し掛かり、買い物ラッシュに鉢合わせてしまっちゃったのだ。こんな状況じゃ辻馬車は遅くて邪魔くさい。
ならば鉄道馬車だ。これは日本で言うなら路面電車に当たる。利用料金も手頃な価格で人気がある交通手段だ。欠点は帝都中に鉄路が張り巡らせてる訳じゃないのと、運行ダイヤの本数だ。やはり日本の鉄道とは違う。日本が異常なだけなんだがね。
と、停留所に着いたら何故か鉄路の保線員がいた。……なんともまぁ、鉄道馬車は鉄路の不具合に見舞われ、運行が止まってしまった有り様ときた。この地区の復旧は明日からだとさ。やっぱし日本は違うわぁ。
こうなれば仕方ない。市場を突っ切り、違う地区から馬車を使うしかない。そう考えて歩き出した。やーれやれだぜ。ふぅ。歩くのは好きくないんだが、是非もなしだわ。
冬場特有の冷たい風と人混みの中、俺はとぼとぼ歩き出した。時刻は夕刻に差し掛かっている。夜は不意に訪れるので、街灯に灯りの魔法が掛かった置物を置いて回る巡回人がちらほら出回っていた。近世ヨーロッパのガス灯(昔の日本にもあったっけ?)に火を灯して回る異世界版の日常の光景だ。
さてさて、こう言う時には案内紙の地図が役に立つ。今いる辻と屋敷の相対位置を脳内に映し、最短距離を測った。自慢にもならんが、地図を見るのは得意なんだ。
日本での話なんだが、俺は迷子になってもリカバリーは得意なのである。小1の時、親父に連れられてアキバに行った際、親父とはぐれた。場所はソフ○ップのあたりだったな。祝日のせいもあり、ちっさい俺は簡単に迷子になったんだわ。
しかし! 俺は上野7丁目のコインパに停めてあった我が家の自家用車いけいけワゴンまでの道を逆トレースして、無事たどり着いた実績がある。記憶力の勝利だが、俺の頭は空間認識力が抜群らしい。以来、どこへ行っても、迷う事があってもそのまま迷子になる事はなかった。
今疑問に思ったのだが、親父は何故アキバで買い物するのに、上野のコインパに車を停めたのだろうか? 聴いときゃ良かったわ。今になって疑問が尽きない。う〜わ、答え知りたいがな! 気になって気になって夜も眠れない。おやすみなさい。
あぁもう、コホン。……こちらの世界でも俺の能力に衰えはない。どんな場所でも地図があれば最短距離を導き出す事が出来るのさ。
さて、となれば、こっちの道を歩いて歓楽街を突破した方が近道かいな。この歓楽街は実際見た事ないけれど、地図があるんだし何とかなるべさ。いくべ。
俺の頭は絶好調。今いる場所を基点に、地図と現在地、目標のエリアを勘案し、最適なコースを思い描く。高低さだってへっちゃらだい。程なくルート設定を終えた。
いざ往かん我が家へ!
通りから通りを抜け、路地を踏破して歓楽街エリアに到達。全方位なアミューズメントパークかと思いきや、歓楽街とは大人の為の呑み屋や風俗街だった。いや、ま、普通に家族連れや子供でも遊べる施設はあるみたいだが、今いる場所は紛れもない風俗街だ。
気分的に大人な遊びも吝かではないが、迂闊にこーゆう場所で遊んだらユージーンに怒られちゃう。それに財布の中身は飲み食いくらいは楽しめるが、大人な遊びにはちと足りない。今日の所は勘弁してやる! クソぅ、遊びたいなぁ!
うん、まあ仕方ないわな。帰ったら誰かとムフフな、ゲフンゲフン。俺は努めて帰還ルートに意識を切り替えた。
ん〜? だんだん雰囲気悪くなって来たぞ? ちょっと貧民街混ざっているがな。しかし最短ルートはこっちなんだし、さっさと抜けるか。
「おにいさん、こっち」いきなり声をかけられた。なんだ?
声の主はすぐそばの路地からだった。見れば女の子がチョイチョイと手招きしてる。
「そっち、あぶない。こっちきて」
女の子は町娘と言うよりスラムの娘と言った正解な風体だ。見た目だけでもアレは洗いざらしなのが見て取れる。擦り切れた寸足らずなワンピース。服なんて貧乏でもあて着しているのが当たり前だから、擦り切れたままの服はそれ以下である事を物語っている。
ついでに彼女の描写を追記。
女の子は西方民族の出身である。断定できるさ。黄色い肌色に赤みがかった黄土色の髪が特色だからだ。歳は10歳前後、よくいる美少女って訳ではない。愛嬌はある方だが目つきはあまりよろしくないからだ。
そして寸足らずな服から見えている手足はガリガリ。どっからどー見てもスラムな人間にしか思えない。
危ないって言ったが、危ないのはそっちもだろうに、こんな場所で声をかけられるのはフラグ発生やんけ。はい、無視決定。
と女の子無視で進もうとしたら、女の子が足早で近づいて来た。んで当たり前のように俺の腕に絡んできたよ。おいおい、なんやねん。
おい、と声をかけようとしたら、女の子が睨んできた。目つきが悪いからそれなりに迫力はある。まぁ子供なりにだが。
小さな口が開き、早口な小声が俺の耳をうった。
「しんじなくてもいいけど、まわりみて。ばれないように」
なんやねんと思いながら、視線だけ周りを覗う。……なるほどね、俺、観察されてるわ。
なるほどなるほど、こりゃ危ない。女の子にゃ感謝だ。さてと、どーしよっかな? 自慢じゃないが、俺はデブチンだ。走って逃げるのは無理も無理無理。武器だってないし、腕に覚えもある訳ない。しかも、こーゆう時に護衛も居ないときた。あっはっはピンチやん。さてさて如何したもんかいな。
女の子は絵に描いた様な愛想笑いを浮かべ(いや、眼は全然笑ってない、めっさマジや)俺を引っ張りだした。
どうするか? この娘が悪人だと言い切れない。しかし、詮索する時間だってない。振りほどいて逃げれる程、周りは甘くはないだろうしな。なら乗るか?
えぇぃままよ! 乗ってやるさ! 俺は彼女に合わせて、締まらない笑顔を浮かべてみせ足を早めた。
さぁて、こっからどうするかいね? 寄り道コースでやり過ごせるかなぁ。いや、おいたはしませんよ? 緊急回避でやり過ごすだけですがな。
女の子は慣れているのか俺を自然にエスコートしてくれ始めた。…うぅむ、大丈夫かいな? 正直、心配ではあるが、今は彼女しかない、心の中でため息ついて彼女に合わせて歩く事にした。
彼女と通りをそぞろ歩き、ちょっち離れた一件のボロッちい、いかにもなつれ込み宿へとたどり着いた。
そのまま、俺達は迷う素振りをみせずその建物に入る事になる。さてどーなる事やら。くわばらくわばら。
「おっちゃん、にばん」
中に入るなり、女の子はカウンターらしき場所に立っている中年にそう声をかけた。
中年のおっさんは神経質そうに俺を見た。俺を一瞥し、女の子にひねた笑顔を浮かべてみせる。
「空いてる、また2番か。物好きなヤツだな」
2番とは何の符丁だ? 物好きな、だと?
女の子はようやく俺から離れ、広間の端に見える階段に向かった。
しかしボロだわ。いや、階段なんだがね、エラく急な階段で、俺が登れば崩れるんじゃないかと思わせる造りなんだよ。
彼女はそんな階段をすいすいと上がっていった。ボロい割にはあんまりギシギシいわない。いや、彼女が軽いからかねぇ? しゃーない。俺も続き、一段目に足を乗せた。
ギシ、じゃない、メキリと嫌な、実に嫌〜な音が響いたがな。ほらヤバいじゃん! めっがっさヤバいじゃん! あぁもう知らんわ!
はぁぁと盛大にため息をおっさんに向けてついて、おっかなびっくり階段を上る。2段3段ミシミシピキピキ。……4段5段、6段7段と俺は慎重に足を運び、どうやら登りきった。
峻厳な山の頂きに立ったクライマーの気分だ。K2やマナスルに初登頂したクライマーだったら俺の気持ちだって分かってくれる筈さ。無事ミッションをこなしたと言う、やり遂げた達成感に俺は感動にひたった。
あーあーあーあ〜ああ〜、あーあーあーあ〜ああ〜 あ〜あああ〜
記録、それはロマン。記録、それは可能性の追求。あなたも記録に挑戦しませんか?
いやいや、感動にひたるのは後だわな。ひたるのは帰ったら存分に楽しむ事にしよう。
上がった二階は粗末すぎるビジネスホテルな感じだ。狭い通路に、やはり狭い間隔で扉が並んでいる。
女の子は2番と言ってたが、上がったところから2番目の扉は……はっはっはっ壊れてるんでやんの。扉は傾いでいる。先を見れば彼女は違う扉の場所に立っていた。どこに2番目の要素が有るんだ? 判らんな。
彼女は俺を一瞥し、その扉を開けスルリと抜ける。俺もそいつに続く事にした。
ボロい建物に相応しい、ボロい内装のせま〜い部屋だ。
薄暗く六畳もない、ベッドとランタンを掛ける棚しか調度品のない部屋だった。
しかし意外と掃除は行き届いている様に見える。それに思った以上に臭くもない。それなりに使いこなれているが清掃はキチンとしているのだな。
窓はひとつだ。だがボロを通り越した、隙間だらけの鎧戸だ。薄暗かったのはこのせいだったようだった。
女の子はランタンにマッチで灯をつけた。安いマッチ特有の妙に臭い匂いが流れてきた。そういや、この大陸に硫黄はないんだよね。なら、このマッチの原料は何なのだろう? 俺は化学に詳しい訳ではない。それにそんな勉強もしたことが無かった。分かるはずもないな。と、どーでもいい感想が浮かんだ。
火が灯り、薄暗い部屋がわずかに明るくなる。彼女は振り向き、窓辺へと俺を手招きした。
外を覗けとデスチャーしてる。
なんの事かと思いながら鎧戸の隙間から外を眺めた。……なるほど、眼下の通りにはさっき見た連中が宿屋から少し離れた場所に突っ立てていたのだ。数は3人、いや、2人増えた。宿を眺めているが、この部屋を見ている訳ではない。
ようやく合点がいった。この宿屋、この部屋はセーフハウスなんだな。ならば先の2番の意味も判る。この女の子は逃がし屋なのだ。俺はやっと安堵できた。
「すわったら? じかんあるから」
とあまり感情のない声でベッドを指しながら女の子は言った。
確かに、多少は時間かけなくてはな。椅子もないので直接ベッドに腰掛ける。
ベッドなんだが、コイツはベッドとは言えない造りだ。スプリングのスの字もない板敷きの寝台だ。座ると見た目に違わずにギシギシ言ってる。こんなベッドでギシギシアンアンしたらさぞかしうるさいだろうな。えっちの最中に壊れるやもしれん。だとしたら、そうとう間抜けな光景だよな。つい笑ってしまう。
「……する?」となんでもない様に女の子が口に出した。その口調は全く何気ない、何気ない天気の話題の様だ。あまりにナチュラルすぎて、一瞬ポカンとなった。
は? なにをするの? きょとんと彼女を見た。
すると女の子は自然な仕草で寸足らずな裾を上げ始めた。ちょいと待ちやがれ! 慌てて彼女を制した。彼女は手を止め、俺を不思議生物でも見る目つきを浮かべた。
「しないの?」
「しねーよ! 俺には少女趣味はねぇ」
思わず荒い声が出た。俺をなんだと思ってるんだ。
「へんなの」
俺はまたもため息をついて彼女を睨んだ。
女の子の身体は小さく痩せっぽちのガリガリだ。こんなんに欲情なんて絶対無理だわ。ロリコン共に怒りが沸く。こんな子供を相手にしてなんて、クソ共は死ねよと思う。
だいたいさぁ、俺は年上属性の趣味なんだよね。貧相なガキになんて全く論外だ。常識の端にもかかりはしない。
……だが、そうか、ああそうか……この娘には『コレ』が日常なんだ。彼女にとってはこうした場所でこうした事が日常なんだ。嫌な現実だ。
俺とは無縁の生活、俺とは無縁の環境、俺とは無縁の人生だ。不意に悲しくなり、胸の奥にナニかがこみ上げてきたのを感じた。いや、俺はその感情を閉じ込めた。話題を無理に替える。
連れ込んだのは良いさ。だがな、こっからどうすんのよ? 裏道でも逃げるのか? 裏口が有っても今の状態じゃあ詰んでいる。依然として袋小路な状況であるんだがねぇ。
疑問を眼に浮かべ、女の子に訊ねる。
「此処までは感謝だ。ありがとうよ。でさ、こっからどうするんだい? 警邏を呼ぶにしてもどう呼ぶのさ」
女の子は残念そうな顔を見せたが、つまらなそうな表情に切り替え口を開いた。
「ここにいる。ここにいるとおっちゃんがおねーさんをよぶの。おねーさんたちがさわぐから、ここからにげる」
……なるほどね。
「逃がしてくれるのは有り難いな。しかし、良いのか?」
「いいのって?」
「騒いだらお互い問題にならんのか? そんなコトしてなんのメリット、ああいや、なんの得があるんだい?」
俺の疑問を理解したのだろう。彼女は小さく頷いた。
「まちはずれまでおくるよ。そしたらおかねもらうの」
うん、納得だ。それなら納得出来る。しかし…。
「いつもやっているのか? いつもやってたら商売に成らないんじゃないか?」
……だいたいこんな逃がし屋商売なんて利益なんてないだろう。それに逃す基準は何だ?
「なぁ、何時もやってるにせよ、その判断基準はなんなんだい? そいつを教えてくれないかね」
俺の聞き方が悪いのか、彼女はわかりかねるみたいな表情を向けた。うん、難しい言葉だったみたいだな。言い方を変えるか。
「逃がすのは金になるのかい?」
「ううんならない」と即答。
「なんで俺なの?」
と聞いたら、女の子ははにかんだ。おぅ、ちょっと可愛いな。ちょっと間を置いて彼女は言った。
「おにいさん、かわいいから」
ほへ〜、まさかこんな子供から可愛いと言われるなんて思わなかったわ。だが、お前さんさぁ、目が悪いんじゃないのかい? 言っちゃあなんだが、俺はガタイのデカいオーク人間なんだぞ、何処に可愛い要素が有るんだ?
いやまぁ、そりゃあ趣味は人それぞれだ。とやかく言う資格なんてないさ。しかし、審美眼悪いわ。切にそう思うがね。
「君さぁ、趣味悪いよ」
「そぉかな?」「そうだぜ? 悪いわ」「んふふふ」
何かがツボにはまったのか、彼女の小さな笑いは大きくなっていき、歳相応の花のような笑顔をみせて満開で笑っていった。うん、やはり子供はこうでなくちゃな。