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辺境伯ロイド奇譚 〜誰が彼を英雄と名付けたのか〜  作者: 塚本十蔵
序章 ロイド辺境伯、第一歩をふみだす
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第四話 ロイド、レティカとの情事の後から葬儀まで

 俺とヘンネルという名の従者(ヴァレット)は学術院からの帰りを辻馬車を借りて帰ることにした。

 夜になったので乗り合いの鉄路馬車の就業時間が過ぎていたからだ。


 レティカとの情事は楽しかったが、やはり寝室とかで行なう訳ではないから後始末が面倒だった。ちょっと間抜けでバツが悪い。ちなみにコンドームはある。ゴムは無いが一応ある。破けやすいのが欠点なんだが、俺もひとりのしんしとして常に常備はしている。


 それに帰っても風呂が待っている訳じゃない。お湯の沸いた風呂での入浴の習慣はないのだ。あ、俺個人の話じゃないよ? 帝国での話だ。

 風呂はあっても石風呂ハンマームでサウナの様に汗を流して、水を浴びるだけ。お風呂大好き人間には優しくないんだよね。まぁ、俺は毎日毎日風呂に浸かるのはそんなに好きじゃあない。サッとシャワーを浴びて汗を流す。これで良いじゃん。

 なんにせよ、早く帰って服を替えたい。切実に。



 ……いや、それどころでは無いか。親父達が死んだのだ。

 略式の継承をして、様々な引き継ぎや権利の移行、それと葬儀の手配。それが終われば貴族院から継承審査を受けねばならない。

 無事継承出来れば個人的な改革の第一歩。帝都屋敷の縮小、在都公館の廃止…これは縮小する帝都屋敷に機能を移すのだ。


 帝都屋敷、つまり居住している上屋敷と在都公館の役を担う下屋敷の統合と移転は経費の削減を考えているからである。

 曾祖父が皇帝陛下より帝都に屋敷を下賜され、貴族で屋敷を構えた。その立地位置と屋敷の風格に祖父が不満を持ち、現住所に上屋敷を買ったのだ。

 当初は在都公館が無く、祖父がやはり見栄の為だけに下屋敷を追加したのだが、俺はそんな下らん見栄なんぞ価値を見出さないでいた。

 確かに辺境伯位ともなれば見栄だって必要だ。それは理解している。だが、程度がある。

 祖父が張りこんで買った屋敷は貴族地区の一等地にあって、屋敷の(グレード)はかなり高い。いや、一等地などは通常なら侯爵位からが構えるモノだ。

 前世は平均的庶民だった俺は身震いするほど分不相応だと思っている。

 ぶっちゃけた話、見栄の為だけに異常な維持費を我慢出来ないでいるのだ。身の丈に合った屋敷への移動は俺が求めて止まない欲求である。

 

 俺が何年か先に思い描いた計画は思わぬトラブルによって前倒しになった。ならば問題は無い、実行に移す。

 しかし、屋敷の統廃合と移転はなんの気負いもないが、気に止むのは人員の整理(リストラ)だ。それは避けて通れないから断行するが、心の整理が追いついていない。

 一応暇を出す際には、使用人に対して雇用主が斡旋ないし紹介状を用意するのが定番である。紹介状は義務であるのだが、斡旋は義務ではない。その点はハードルが下がるので助かるのが本音だ。

 問題にしているのが首切りの告知なのだ。


 これは正直厳しいと感じている。人生経験豊富なら、或いは使用人に対して何の感情を持たないのであるのなら気楽にリストラを言い渡せるだろう。しかし俺にはそんな経験を持ってない上に小心者なのだ。考えただけでも心が萎える。


 だが、心構えの条件はかなり下がる。何故なら俺は使用人の半数から人気は無いからである。

 自慢じゃないが、可愛げのない風貌の俺はやたらと誤解されがちなのだからな! いや、自分から好かれようと努力はしなかったのだが。


 地元…領地の館ではまだマシである。俺はガキの時分から敵味方を区別してきたのだった。

 不細工で、太っている上に平均身長を超えた巨体。良く言えば容貌魁夷だが、やはり見栄えは悪い。他人から好かれる要素はかなり低い。

 それが根底にあり、俺はヒネた性格を増大させてきたのだ。


 しかし、他人から好かれるべく努力だってしてきたのも事実である。他人(ヒト)の意見を良く聞き、使用人のテリトリーを侵さないレベルで分け入り、彼等を尊重してきた。

 小さなトコからコツコツ積み重ね、時に積極的に、時にあざとく、必要不必要の人間を見定めてきた。その甲斐もあり地元では6対4で俺の派閥が形成された。6、では無く4の方だがね。

 帝都屋敷では5年しか時間がかけれなかったので大した成果は見せなかったが、それなりには俺の派閥が出来た。その影には乳母(ナニー)から子守り女中(ナースメイド)、俺付きの侍女(レディーズメイド)となったユージーンが支えてくれた。ホント、彼女には感謝しきれないんだわ。

 

 で、だ。はっきし言って俺を好んでいない使用人は女中さん連中にかなり居る。

 男性使用人は好意的でないにせよ中立派が多い。執事や執事補佐は俺が貴族の総領息子として勉強しているのを知っているので割と公平に見てくれている。また、俺は料理が好きなので厨房に行く機会が多い為、地元の館や帝都屋敷の調理人には好意的な人が居る。


 俺が次の辺境伯に成るのを見越していて、俺に近づく使用人がいるのは事実だ。俺と彼ら彼女らはお互いに打算関係なのを理解しているので、こっちは寧ろ助かる。利害関係が一致しているのだから正直扱いやすいのだ。


 その成果があり、俺のリストラ計画はそれなりに順調だ。

 俺を好まない、又は素行や能力に問題のある使用人は、彼等をカットする事に躊躇う必要ない為に、逆に重要となっていたのは苦笑しきりである。

 特に侍女(レディーズメイド)客間女中(パーラーメイド)は顔が基準の価値観を持つ者が多く…まぁ女性はこの手合が多いのだが…俺を見下す傾向が高い。彼女らは打算でないのなら勝手に出て行くだろう。

 一番のリストラ人員は不正を働くのが大好きな連中だ。これは金銭に関わりのある役職の者が多い。どちらの屋敷に限らず会計、出納係は間違いなく不正に携わっている。俺の知る範囲でシロなのは、領地の館に居る総家令(ハウススチュワード)であるジルベスターと執事補佐で俺の教育係りのグレッグくらいだ。


 帝都屋敷の家令は完全にクロ、である。この男は経歴を詐称しており、以前は犯罪者であったのだ。


 18年前に遡る。元は東部で活動していたスリ師で、長距離汽車で稼ぐ『気位が高い』事で有名な男であった。この気位が高いと言うのはスリ師界隈の隠語で、長距離汽車等の一等客車に身なりを整えて乗りこみ、寝込み等を窺って金持ちな客から金品を掠め取る事を生業とする犯罪者なのだ。

 手先が器用という訳ではなく、スリ師としては二流なのだが、顔が良く丁寧な物腰を活かして紳士な態度で客車に乗り込んでいる為、スリ師だとは見抜かせなかった。


 俺は後付けで知った知識なのだが、この手合は高度な技術、乗り込むだけで疑われやすい環境を乗り切る図太さ故に犯罪者仲間からの株が高いとの事だという。

 この男が何故、辺境伯家家令に成りおおせたか……。


 東部で悪事に手を染めるこの男、名はヒューゴ・ベルンと言う。その彼は、ある日仕事でヘマをしてしまい東部から逃げ出したのだ。そして面の割れていない帝都に来て、稼いだ金で地下組織から他人の戸籍を買った。

 元来顔の造りも良く、落ち着いた物腰の高さが売りのベルンは、ディアス・ポラリスと名を変えた。そして名を得る際、取り引きした地下組織の交渉人を騙し、その男を殺害するに至る。

 そして新しい戸籍を活用し後に、某貴族…つまり親父に…執事(バトラー)として採用されたのだった。一等客車に乗り込んでいただけの事はあって、それなり以上の見栄えを有していた彼は幸運にも執事の地位をもぎ取ったのだ。

 顔の知られていないポラリスは地下組織から逃げおせ、貴族地区での生活に溶け込む事に成功する。


 この話は俺が活用すべき使用人らを内偵した時の情報から判った話だ。

 ポラリスの身元は戸籍から判明していたのだが、内偵していた(エージェント)はその顔の造りが違う事に気付いたのだ。ありていに言えば人種が違う。俺も写真を見せてもらったが、元がアジア人なら今はアラブ人くらい違っている。不自然極まりないのであるから疑って当然だ。

 こうして内偵を進めて行くとポラリスが地下組織と関わり合った事に行き着く。

 また地下組織の連中は連中なりにケジメを付けさせるべく彼を探していた。だが直接彼を知っている人物は既に居らず18年経った今、その捜索は行き詰まっていたのだった。いくら地下社会であっても、貴族社会には顔の効く者は少ない。貴族と取り引きのある者も居るのだが、だからといって

 ここで俺の密偵と組織の両者が交わる。情報を合わせて話が進展し、帝都家令の過去が判明したのだった。

 俺は仲介を通して連中と交渉し、ベルンの排除を約束したのだった。引き換えに金品を貰うことはないが、俺としては排除したいので別に無償でも構わない。

 ここまでの話は僅か先月の事である。まさしく渡りに舟だった。

 帝都家令ほどの問題のある人物は居なかったが、幾人かは排除の対象である。

 両親の死はとんだハプニングだったが、この機会は有効活用すべき事案だ。惜しむらくは内偵の最中なので、帝都屋敷の人員全てを調査出来なかった事である。帝都屋敷は居住メインの上屋敷と在都公館の役を担う下屋敷とが有り、2つの屋敷の人員はかなり居るのである。


 整理(リストラ)対象としてピックアップしている者早期意退職を希望する者を別とし、幾人かは強制的に出て行ってもらわねばならない。その選考に今から気が滅入ってしまう。

 俺は領地に戻るが、ユージーンを除く何人かは連れて帰っても良いのだが……。

 領地に帰った所で、やはり人員の整理は行うから連れて帰るのは愚策であろうがね。困ったもんだ。




 さて、馬車を見つけねばな。

 ……と思ったら辻馬車はすぐに見つかった。こういう時、官公庁に近い場所は便利だね。

 逆に住宅街、貴族地区ではこうは行かない。住宅街から出る馬車なんてほとんど無いからな。


 

 そして馬車に乗りこみ、貴族地区の一等地にある帝都屋敷へと向かわせた。


 車中、俺はまだかまだかと念じながら、戦利品としてこっそりガメたレティカのパンツを玩んでいた。あ、悪いか? 良いじゃんかさぁ。戦利品は大事だよ?

 現代日本のシルクや化成で作られたきめ細やかな製品ではないがそれでも貴族御用達の最上級品だ、実に美麗なパンツである。紐パンである。あ〜心がぴょんぴょんするんじゃあ! 美品なシロモノにレティカのエキスが染み込んだマニア垂涎の…レティカのマニアがいるのか知らんが…お宝にニヤニヤが止まらないでござるよ。

 帰ったら何処に隠……飾ろかな? いや、やはり隠すべきか? 悩む…実に悩ましい。あまりの贅沢な悩みに心がインド映画の様に華麗壮大に踊るのな。今! まさに今の俺はマハラジャ! ナマステー。


 シリアスになりきれない馬鹿な俺を乗せた馬車は、そんなこんなでようやく屋敷に帰りついた。



 さて、石風呂(サウナ)で汗を流そう。

 屋敷で出迎えた使用人に後で家令と婦長、それと俺付きの侍女であるユージーンを執務室に呼ぶようにと伝え、すぐさま浴室に向かう。

 石風呂は既に適温である様だ。俺はいそいそと服を脱ぎ風呂に突入する。

 汗を流し、さっぱりとした俺は執務室に移動する。…さて、気持ちを切り替えよう。


 執務室には家令ら三人が揃って待っていた。

 彼らに軽く挨拶し、主人の椅子に座る。本来なら俺でも座る事のない椅子であるが、今日からは俺が主人であるのだ。

 不作法な俺に対し、家令が顔を顰め口を開いた。


「若様、その席は……」


 何か言ってきたがその声には応えない。ふてぶしい尊大な態度をとり家紋が彫刻された重厚な造りの煙草容れから一本取り出し、口に咥えた。


 火を点けない彼らをじろりと睨め付け、仕草だけで促す。

 怒りを抑えない顔の家令に向かい不機嫌そうな面を浮かべ、多少の怒りをこめた視線を送る。俺のアクションにいち早く反応したのはやはりユージーンであった。彼女はすぐさま魔法を使い、火を点けた。

 ユージーンの魔力保有量は極めて少ないが、煙草に火を付ける位なら何度でも問題ない。


 火のついた煙草から出る紫煙を吹かし、じっくり深い味わいを楽しむ。しかし煙草は単なる演出だ。二口で止め、ぐしぐしと水晶の灰皿に押し付け消した。ここまでは前フリは良い、さて……。


「帰りが遅くなった。理由を説明しよう」


 椅子に背を預け、しかめ面を浮かべ腕を組んだ。


「内府より通達が有ったのだ……父らが乗った馬車が谷に落ち、その後馬車に乗り合わせた全員の死が確認されたのだ」


 三人は衝撃を受け動揺した様だ。


「な、何と…それはまことで…まことでしょうか?!」


「そう言った」


「……坊っちゃま、確定…なのですね」ユージーンは聡い、その語尾は疑問形でなかった。


「確定している。…来月に俺の襲爵の審査が行なわれる。それ迄は当主代行を任された」


 三人を見渡す。皆驚いてフリーズしていたが、いち早く復帰したのは婦長だった。


「先代ご当主様並びに奥様のご冥福をお祈り申し上げます。…ロイド様、この場合不謹慎ですが、ご当主代行任官お目出度うございます。

 ……それでは先代様の葬儀の準備、遺品の整理、遺産の継承手続きに、あと女中らの再編成ですか? を行なう必要が発生します。

 ポラリスさん、至急葬儀に関する手続きの開始を。ユージーンはロイド様の身の周りを整頓する様に。私は奥様の遺品等の諸々の整理を開始します。…ロイド様、この様進めたいと思いますが如何でしょうか?」


 淀みのない判断にニッコリと笑みを浮かべる。


「ありがとう、委細任せる。…さて、今この場を借りて発表したい事がある」


 ユージーンと婦長が頷いた。家令は放っておく。


「ユージーンには以前から言ってきた案件だ。二人にも話す。

 ……俺は予てから屋敷についてあれこれと懸念を抱いてきた。懸念とは屋敷を身の丈に合った規模に替えたい事を示す。

 屋敷自体の移転、上屋敷下屋敷の統合、それに伴う人員の削減。並びに下屋敷を廃する事で帝都における在外公館の新たな事務所を開設。此処までは良いかね? ユージーン、君の現在の意見はどうか?」先ずユージーンに振る。


「……はい、坊っちゃま、いいえ、ございません」

 

 怪しげな言い回しに聴こえるだろうが文法は間違っていないんだよね。所謂軍隊式ってやつ。


「ありがとう。では婦長、貴女の意見は?」


「はい、ではお尋ねしますが、発言を求めても宜しいでしょうか?」


「勿論だとも」鷹揚に頷いてみせた。


「ありがとうございます。ロイド様が仰った屋敷を移転なのですが、それは葬儀が終わり次第に早急に行う案件なのですか? それとも今から吟味し、頃合いを待ってから行うのでしょうか?」


「葬儀が終わり次第、にだな。…さて、唐突だが帝都屋敷が維持するに必要な年間経費を知っているか? ポラリス、お前に尋ねる、答えろ」


 ユージーンや婦長には丁寧に、無能にはぞんざいにだ。


「は、いえ……」やはり直ぐには答えられない様だ。ユージーンに顔を向ける。


「ユージーン、貴女に答えてもらう」


「…はい、坊っちゃまからその話を伺ったのは昨年ですが構わないのですか?」


「良いさ、去年も今年も余り変わらないからな。…フン、そこの男に教育してやってくれたまえ」


 俺の冷笑を含んだ言い回しに家令は頬を引きつらせた。それを見たユージーンが眉をひそめた。


「坊っちゃま、その様な言われようは」と、やんわりと諌める言葉を口に出した。


「ユージーン、それは構わないから質問に答えてくれ」


「…あ、はい。…地所の固定税に始まり屋敷それ自体の保全維持、人件費、消費される食料品や洗剤などの備品、帝都屋敷の年間必要経費は帝国流通単位二百万(エーラ)に届く金額になります」


「よろしい。では同時期の他家…伯爵家が二等地区に在るが、そちらの発表されている金額は幾らだった?」


「はい、おおよそ二十五万(エーラ)です」


 俺は満足げに笑顔を見せ頷いた。


「結構。物価は昨年からそれ程変わる事がない為、この数字はたいへん参考になる。

 この数字が意味する所について、婦長…貴女の感想を聴きたい」


「はい。……そうですね、ありきたりな感想になりますが、やはりお高いかと」


「その通りだ。高い、実に高い経費がかかっている。これ程の必要経費は公爵家以上の規模に当たる。

 俺はね、この分不相応の経費なぞ全くの無駄、そうだと思うのだよ。…ここいらで身の丈に合った規模へと是正すべきだと考えているのだがね。

 何か存念でもあるかねポラリス?」


「畏れながら…この一等地に屋敷を構え、ご当家は天下に威を……」彼の台詞は最後まで言わせない。


「下らん。実に下らんな…威、だと? そんなモノは必要無いな!」


 家令を遮り口に出した。その家令は発言を邪魔された事にあからさまな不満な表情を表す。


「他家と違う所をみせて何になる。何処にその様な必要があるか! なる程、我が辺境伯家は他の伯爵位男爵位を越える辺境伯を拝してる。だが、それだけだ。その程度なのだよ。

 わざわざ見えをはる為に一等地で居を構える必要なぞ無いし、豪勢な下屋敷も要らないのだ。下屋敷に住ませる家族も愛妾も居ない。ならば在外公館は在外公館で身の丈に合った然るべき地所に在ればそれで事足りる、違うか?」


 俺はそう言って彼らを見渡す。


「反論あれば聞くが、考えは変えない。…何かあるか?」


 ユージーンも婦長も口を開かない。一応少しの間を置く。……やはり誰も反論を口に出さなかった。


「無いようだな。代わりの選定地は他家と変わりない場所を考えている。だが、まあ、移転はまだ先の話だ以上」


 彼らに退出を指示する。

 出て行ったのを見届け、背後のファーレ辺境伯家の紋章を画いた壁に架かる旗を見やる。



「虚仮威しの見栄なんてまっぴらだ……ご先祖さん、あんた達の時代じゃない、好きにやらせてもらう」


 ……部屋の灯りを落とし、執務室を出た。


 


 さて、来月までヒマかというと、全く違う。

 帝都屋敷の縮小に伴うあれこれの雑務。領地に帰る際に連れて行く臨時の政務官、財務官の募集。襲爵に関わる人物への挨拶。それと一番のイベントである卒業時の壮行会。壮行会には皆がそれぞれに贈り物を渡すオプション付きなのだ。

 俺からのプレゼントは皆に特注の万年筆を贈る予定なのだ。


 元々は友人のユーノの為に造る予定の話だ。

 ユーノは学生であるが、既に文壇で活躍する詩人であるのだ。

 彼女の詩は評価も高い優れた文人であるが、それを引き立てる文字の美麗さが素晴らしい。…もっとも、俺はその価値は判ってないがね。

 でまぁ、優れた才人には優れた筆が相応しいという喩えがあって、俺もその言に触発されたのだ。

 そして、彼女に贈る筆計画を発動した。

 筆と言えばやはり万年筆だろう。万年筆はいくつかの文房具メーカーがそれぞれに廉価量産品から高級品まで販売している。しかし、意外な事に一品物は製造していなかった。ま、道理ではある。コストばかり掛かる一品物なんて作るだけ損だからな。

 で、ココに目を付けた。

 高級品を、いや、最高級品をブランドにすれば面白いんじゃないのかな? と。


 早速、とあるメーカーに赴き営業担当と企画課のおっさんに一席ぶったのだ。

 幸い興味を持ってくれて正式に企画がスタートした。

 狙うは最高級品ブランドの成立。既存の高級品を超える逸品を販売し、上客を掴むのだ。

 とりあえずプロトモデルを造ろうと話は進んだのだが、どの様なアーキタイプから始めるか、で議論に入った。そこで俺はユーノに贈る前提を持ち出し、では彼女に合わせた一品物からと方向を決めたのだ。

 そしてユーノを引っ張り込み、彼女の協力を取り付けるに成功した。ちなみに、この時点ではユーノに贈る品だとは言っていない。やはりサプライズにしたいからね。


 ユーノの手のサイズ、指の長さ、筆力、負担にならない重さ等を測り、アーキタイプの選定に移った。

 アーキタイプが決まり、それをベースにプロトモデル製作が始まった。以後三ヶ月、テストにテストを重ねようやくプロトモデルが誕生したのだった。いやはやユーノさんご苦労様でした! 

 この出来上がったプロトモデル=ユーノスタイルを元に最高級仕様の万年筆が誕生した。

 俺の役目は開発にかかる資金と、ペン先に使われる十八金の金の提供である。こうして俺主導の計画は実用に移り製品化されたのだった。

 投下した資金は少なくないが、出来上がった製品はたいへん満足できるモノで、これなら友人連中に顔向け出来るとほくそ笑んだ。友人らには、そのスペシャルな逸品を贈るのである。この準備は整った。

 

 次に、あちらこちらへの挨拶と融資について走り回る予定である。挨拶と言えども『おいイ○ノ、野球やろうぜ』なんて気楽に伺えないのだ。挨拶に行くだけで、その前フリに訪問状を出す必要があるんだからな。

 

 襲爵に関連する友人知人は言うに及ばず、審査に関わる何人かの偉い人達。そいつに加え両親の葬儀がプラスされるのだから出す手紙や挨拶状は尋常じゃない量になる。


 翌日から二徹を含む一週間は文との格闘であった。案内状、葬儀の日付や場所などの告知状ならタイプライターのキーを打ってソイツを印刷すれば良いが、他家の当主向けにそんな手段は使えない。直筆が原則である。俺は涙目になりながらひたすら、只ひたすらに手紙を書いた。

 そして悟りが開かれる地平に立つ頃、ようやく最期の一通が書き終わった。

 ちなみに、悟りが啓かれようとした瞬間にとんでもない下ネタが降臨し、危うく逆方向に悟りが啓かれる所であったのだが、まぁ、そんな話は必要ない。


 終わりなき戦いに打ち勝ち、その後3日間は幾人かの女性の元で大いに煩悩を発散させてもらいました。エッチに及んだ女性の数はつごう八人、こなした数はかける…しらん。カウントなんかしてねーよ。


 そんなこんなで二週間の後、学術院の卒業式の翌日、両親の葬儀が行なわれた。

 ファーレ辺境伯家は諸候の筆頭ではないが、三人しか居ない辺境伯である。国内ではそれなり以上の大貴族なのだから、少なくとも帝都では広く知らせなければならない重大なイベントである。それ故、規模は大きくならざるを得なかった。


 それらが終われば、今度は融資の件で走り回る事になる。なにせ改革に次ぐ改革だ。金が沢山いる。なぁに、別に借金まみれになりに行く訳ではない。初期投資が成功すれば相手は主に農業だ。失敗するリスクは少ない。…いや油断は出来ないがね。だが5ヶ年計画、10ヶ年計画なんだ、きっちり成果を出してかっちり返すさ。

 まぁ、運用や行う財テクに知恵を借りる必要もあるが、自信はある。今までは机上の空論だったが、地に足をついた確実なプランでいくさ。

 


 卒業式のイベントはバッサリ割愛する。特記しなければならない話がなかったからだ。


 そして告別式、祭儀、埋葬と葬儀も終わり、弔問客も屋敷に滞在する親族以外は帰って行った。両親の遺体は帝都に着いてなかったが、慣例に従い埋葬まで執り行われる。追記しておくと、子爵以上の貴族は、帝都在中なら帝都の貴族公墓に、自領なら自領の墓に埋葬されるのがルールだ。と同時に、公墓に埋葬されても自領にだって墓はあるし、逆に自領でなら帝都に墓を設けられる。この場合なら墓というより石碑が近いな。



 その夜の親族が集まっての葬儀の最後あたる宴会もつつがなく終わり、俺は自室でぼんやりしていた。


「坊っちゃま、何か飲まれますか?」傍らに立つユージーンが訊ねてくる。


「ん、ああ…そうだな、じゃウォトカを貰おうかね」


 寒くてもやはりウォトカはストレートに呑むのが良い。最近の帝都では焼酎のシェアも随分増えたようだがやはりコッチの方が好きだ。

 ユージーンはキャビネットからその中の一本を取り出して、俺愛用のグラスに注ぎ込んだ。

 

 ウォトカは好きな酒なのだが、実はその味のどこが良いのか分かっていないのだ。煙草もそうだが雰囲気で楽しんでいるのが実状である。


 ユージーンからウォトカを渡され、ぐっと呷る。

 冷たく、同時に熱い酒精が喉を潤し流れた。ショットグラスで呷るより、グビグビ呑む方が好きだ。

 連続5杯イッキに呷り、ようやく呑んだ気になる。特に酒に強い訳ではないのだが、酔うのはこれからだ。たいてい晩酌は2本空けるが、今夜はあまり酔いたい気分ではなかった。

 ツマミに塩辛いカルパーサとクラッカーとを合わせて齧る。この組み合わせはクセになる。そしてまた呷る。


 晩酌なのだからユージーンに相手をして欲しいのだけども、彼女はいっさい応えない。こういう時、やはり彼女は使用人なのだと強く感じるのな。

 そういや、親父とも晩酌を交わした覚えがない。

 好きでもない男だったが、親子との交流くらいやっとけばと今更思う。そうだな……。


「……ユージーン、もう一つグラスを」


 ユージーンは判ってます、みたいな表情でグラスを取り出し、俺に差し出す。


 受け取ったグラスに手酌でウォトカを注ぐ。なみなみとウォトカが埋まったグラスをテーブルの対面の無人の席の前に置き、深く座り直してグラスを掲げる。


「……親父さんよ、あんたの不肖の息子はあんたが呆れるくらいの事をしてみせるぜ?」


 そう、なんとなく口に出してみせ、ウォトカを流しこんだ。


 ……対面の席からはやはり何も答えがなかった。




 うん、いささか…いやかなりバツが悪い、カッコつけ失敗だわ……。

 小さく苦笑して笑いを堪える雰囲気のユージーンに顔を向けた。


「笑うなよ。失敗したと思ってんだからさ」


「笑ってなどいませんよ、坊っちゃま」


 すまし顔のユージーンの声は微量な笑いの分子を含んでいるんだがねぇ……。


 さて、葬儀イベントも終わった。次は二日後、大晦日に行なわれる予定の年越しイベントだ。

 我が友人であるアレク…グーン大公公子アレックスが主催する、彼の屋敷で壮行会が開かれるのだ。俺達が全員で集まる、おそらく最期のイベントだ。

 学術院を卒業すれば俺は領地に戻る。アレクは当面は帝都に残るし、レティカは北府に移る。皆バラバラになり、一堂に会する機会はほぼ無くなる。それが皆判っており、盛大に宴を催すのだ。


 両親の事、友人らの事、これからの事を思いつつ、もう一杯の酒精を流しこんだ。

帝都の街の覚え書き。


帝都は六つの都市の集合体である。帝宮区域・貴族地区・軍事地区・商業地区・農工業地区・居住区で構成されているのだ。


帝宮は皇帝の生活区域、内府を含む官庁街、園遊会の広場、近衛師団の警備区域が湖の中の人工島に造られている。

人工島であるが、その広さは東京都23区の半分はある。敷地の大半は皇帝のプライベートエリアを含めた防御を兼ねる森林地帯である。


貴族地区は公爵から子爵までの帝都屋敷、音楽堂、各種会館、貴族向け商店街、学術院を含む図書館が帝宮区域の東面から南、西面をぐるりと囲む形である。


軍事地区は帝国宮の北に、近衛師団の根拠地、帝国軍駐屯地、軍演習場、軍需品生産地区、軍人向け歓楽街等で構成されている。


商業地区は帝都の東側一帯に広がり、農工業地区はやはり西側一帯に広がっている。


居住区は帝都の南に在り、地区レベルの役所や学校、商店街で構成されている。貴族の下屋敷はこの居住区に置かれている。

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