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辺境伯ロイド奇譚 〜誰が彼を英雄と名付けたのか〜  作者: 塚本十蔵
第1章 ロイド辺境伯、改革を始める
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第三十三話 ロイド、婚姻の儀式その夜・後編

 壁の装飾品の剣を取る。

 ずっしりとした実用の長剣(ロングソード)で、三代前の曾祖父が実際に使っていた物だ。手に取るのは二度目となる。

 子供の頃に『マジもんの剣だ! やっべ格好いいー!』と脚立を持ちだしてきて手に取った事がある。しかし抜こうとすれども子供の手では格好良くとはいかない、脇に挟み込むかたちで少し引き抜いたのが精々であった。


 あれから十余年、俺も成長した。ズズっと鞘から引き抜くのも苦ではない。

 普段から手入れを行なっているのか剣にはサビが浮いていない。


 (…四キロちょっとか?)

 剣はダンベルよりも重く感じた。漫画やラノベなら軽々持って振り回しているが、そんなん無理だ。手首の力や握力があって、きちんとした剣術を学ばなきゃ握るのが精一杯だよ、これは。


 ……そーいや異世界転生ものやそういう主人公が異世界で冒険する話があるよな? 剣道をしているとか古武術を学んでいた等と設定をつけているが、現代日本に生きる学生風情が異世界に行ったからって、すぐさま剣を振るってなんて無理だと思うわ。

 武術と実剣を握っての戦闘との差は歴然だ。


 死なせれるかどうかだ。


 物語の中でならそんな覚悟は語るまでもない“常識”なのだろう。だから俺にはそんな覚悟なんてモノは『無い』

 当たり前だ、殺す殺されるが当たり前な世紀末なアンダーランドとは違うのだからな。…ああ、確かに帝都であっても治安の悪い地区はある。また都市部においても暴力沙汰が日常的でもある。

 しかし、殺人が当たり前な世界ではない。日本と比べれば異常なレベルで暴力行為が日常であるが、それでも殺人が日常な生活とは違うのだ。


 いま、俺が剣を引き抜いたが、これは単に演出である。

 今の俺に殺人なんかは無理だ。そんな覚悟なぞ全く持っちゃあいないさ。


 ……もし、殺人に手を染める事態が来れば? わからんな、そんな事態になればなってから考えるわい。


「…無礼打ち、むしろ名誉と思え」


 鞘を捨てる。


 一歩二歩と前に出ると子爵の息子は逆に下がる。


「何故下がるか? お前は目上のものの会話に呼ばれもしないで乱入して来たであろうが、それが無礼であるとは知っていよう。

 ならばそれ相応の代償を払うべきだろ、違うか?」


「お待ち下さいっ」


 さらなる声が入った。

 声を発したのは子爵夫人であった。


「…奥方殿、貴女まで無作法を働かれるのですか?」


 とは言ってみるが、丁度とよいタイミングである。いささか芝居じみているが、まぁ芝居みたいなもんだよな。

 実際、俺が意識してヒトを斬れるとは思えない。それを考えるとお互いに救いの一手が入った事になる。


「辺境伯様、どうかお許しになられますよう伏して願います」


 勢い良く夫人は膝をついた。

 芝居がかって見えもするが、それは俺も同じだ。まあ良いさ…。


 …手に持つ長剣の先を下げる。


「……奥方殿…ナタリア、貴女はむしろ先に無礼なこのふたりを責めるべきである、と思うのだが?」


「辺境伯様の申されるとおりです。厳罰は仕方ないのでしょう、ですが…その処遇には私が責任を持ちますので、どうか辺境伯様のお手は汚さらない様に願います」


「ナタリア、なら試みに聞くが、何をして厳罰を下すや? 情を優先させまして、三日ばかり禁足さをさせました、等と言うのかね? 

 傍から見て、家族だからこの程度で済ませてしまいましたよね、では許しはしないぞ?

 ……さてでは、そいつを踏まえて俺を納得させてくれる厳罰とやらを教えてくれまいか。むろん、首を狩れとまでは言わないがな」


「…それは……」


「なあ、俺はな、この一連の騒ぎ…あ〜、この婚姻の儀の一連の流れに、どうにも違和を感じていたのだ」


 そう、違和感だ。


「…違和感ですか?」


「そうさ…」剣を鞘に納め、椅子に腰を落とす。


 ……いま、わかった。ここ数日、なにか釈然としない奇妙な違和感がついて回っていた。

 

 結婚に浮かれている訳じゃない。慣れない大仕事(イベント)に気が高ぶっていたのでもない 

 なにか、とりたて害のないナニかが首をやんわり締め付ける…ちがう…、まとわりつく様な感覚だった。

 明確明瞭な悪意や害意であれば直ぐに気付く。


「花嫁、いや、婚約したアーデルハイド嬢とは当初から反りが合わないでいた。

 まあ、それは分かる。結婚相手が俺のような位階が高いだけの醜男に多感な少女は嫌悪を示す、それは当然だよ。

 なので俺と文を交わすのも最低限となる。まあ交換比率が四対一であったのは最低限とは言わないがね。愛想が悪いにも程がある。

 俺とてなんら事態を改善すべく努力はしなかった。それは事実だ。だからその点はアーデルハイド嬢に非を押し付ける訳には行かない。

 さて、俺の両親が身罷る事件があり、俺は予想すらしてになかった二十歳での当主就任となった。

 もしあの時点で両親が身罷らいでいたのなら、俺は西部に赴いて、彼女との関係構築に勤しむ予定でいたのだ。そうすれば多少なりとは良い関係が築けたやもな。

 ま、仮定の話は置こう。

 その後、婚姻の儀まで我々は没交渉に等しい時間を過ごした。

 この間、両家は儀に向けた実務協議のみに終始している。…そう、それだけだ。ここ北部と西部は遠い、互いに気さくにやり取りできるのは無理な話だ。

 ……ここまでは俺も『まあ仕方ないな』と認識している。だが傍から見て、これは果たして正常であるか? 違うだろう、何かが欠けている、あるいは結び目が違っているのに気付くさ。

 そしてついに婚姻の儀が来る。

 普通なら俺とアーデルハイド殿は初顔合わせもあり、式までは頻繁に会話するなりの時間を取らねばならない。だがまあ、俺は急な案件が入り、寝る時間すら削る仕儀となった。

 このせいで式に必要な式典進行の予行すら取れないでいた。

 …これは俺の問題であったが、その間、子爵家一同は何をしていた?」


 一度区切り、執務室に集まっている面々を見渡す。


「……何もしてはいない。

 そう、なにも、していない。

 …おかしくはないか? 何故子爵家側は与えられた部屋でのんびりしている。花嫁が慣れぬ長距離移動に疲れていた、それはわかるが、当家に嫁入りするなら当人以外でもすべきあれこれは山ほどある。あって然るべきだ。

 しかし、子爵家の面々の動きの悪さはなんであったか、花婿であり当主の俺に食事の際に挨拶はすれど、両家を引き付ける催しの類は誰も話題にすらしない。

 こちらは歓待すべきだからそれなりに手配りはした。

 対し、子爵家からは言上の挨拶すら碌に参らなかったではないか。

 そして極めつけが式典進行すら前向きに執り行なわいでいた。

 俺が忙しいゆえ、台本に沿っての式典進行を配下の者らに任せたが、その場にいたのは我らの側からで、子爵家からは執事がひとり顔を出すのみ。

 式が始まるまでに花嫁が行なったのは花嫁衣裳を合わせた程度。それ以外は一家含めて傍観するというなんら前向きな行動を取らなかった。…これほどやる気のない一家は歴史の紐解いても前例はないだろうよ。

 まあこれは俺の感想だがね。

 だがね、これは花嫁ひとりのゴネた筋書きの芝居では説明がつかない。裏に台本を考え進行を指導する人間がいてはじめて成立する劇だと考えた。

 そこで先に示した配役を当てはめると、意外な人物が浮かび上がってくる」


 俺はひとりの人物に視線を据えた。


「ナタリア、貴女だ。

 子爵本人はその立場故に必然的に除外できる。長男は明らかに能力が足りない。

 ここには居ない長女次女も除外だ、政治的動機もない。

 残るは三人、次男にしても四女にしても心情的に花嫁に与するが、やはり政治的動機には足りず指導するにはまったく能力不足だ。

 そこで花嫁には心情的に与し、政治的には俺の目論む西部進出に興味はなく、家内に内密に人を動かせる影響力があるといういちばん当てはまる人物が残った。

 なあ、子爵夫人よ、お前は俺の推論にどんな申し開きをするのかな?」


 子爵夫人は僅かに動揺したのだが、それを押し込めて俺に視線を返してきた。


「我が子の幸せ、それを祈らない親がおりましょうか」


 もっと慌てるかと思ったが、しっかりとした声を発した。


「それは正しいな、まったく正しい。だが市井の愛し合ったが末に結ばれた夫婦ならいざ知らず、貴族間の義務であり慣習である政略的婚姻に、夫婦間の幸せを求める事は一次的な問題ではない。

 ……それに、それの意味を込めるべきは当人の問題で責任だ、さて、ナタリア、俺はお前がどう捉えようがこの婚姻は誓約の元に成立した話だ、従って婚姻の破棄は認めるつもりは無い」


「坊ちゃま! この有り様でまだ!?」


「ユージーン、いまは俺と子爵夫人とで会話している。口を挟むな、無礼は許さんぞ?」


「非礼にあたるのは承知です。罰するのは当然ですが言わせてもらいます!」


「…貴女の存念は理解した、なおそれでも口を挟むのかね。だがね、先に言っておくが貴女がなにを言ったとしても俺は俺の考えを曲げはしないよ」


「!!」


「アーデルハイドは俺の妻だ。それは誰にも覆させん」


「…それでは! 娘の意思は!?」


 今度は子爵夫人からだ。金切り声をステレオで聞かせられるこちらの迷惑を考えてもらいたい。


「さて、知らんな。

 それにだ、貴族の正妻、これに勝る職業は他にはあるまいよ。

 考えても見ろ、暖かい寝床に豪勢な三食が保証されている。

 さらには香を焚き込めた衣服を纏い、爪は磨き整えられる。それでいて仕事らしい仕事はたまに式典に出かけて愛想を浮かべて手を振りまく程度。

 世の中には硬い床に薄い毛布、一日に一食を食えるかどうか。晴れの服にも欠き、指はあか切れ、煙管の清掃に腰を痛める生活を余儀なくされる者達が大勢いるのだ。

 世の厳しさに比べれば好みに合わない男に嫁ぐくらい何程があるか、違うか?」


「だからと言って……」


「そうさ、だからと言って、だ。

 故に当人が気にすべき事を部外者がとやかく言うな。ナタリア、お前はアーデルハイドの母であっても俺の妻ではない」


 執務室が静寂に満ちた。

 

 一瞥し、沙汰を下すべく口を開く。


「ユシュミ子爵、貴様に責が無いとは言わない。家内の統一すら出来ぬ家長なぞ不要を通り越して害悪だ。だが、娘を不憫に思わぬ母親に罪はないさ。だから此度の騒動は『無かった』、そういう事である」


 ……子爵は膝をついた。


「辺境伯閣下のご厚情に感謝いたします」


 それを見てひとつ頷く。


「さてでは花嫁にでも会いに行こうか」


 少なくともやり込めた俺は勝利したのだ。些細な勝利だが、まあ気分は悪くない。

 剣を側にいた執事に渡し、花嫁を迎えに執務室を後にする。




 館の敷地内、その一角に主塔(ベルクフリート)の名残が残る古ぼけた建物がある。

 塔の土台の上には平屋の建物が乗っかっているが地下は往年のままの倉庫だ。


 周囲を使用人らに囲まれて俺は地下に下りる。


 ガランとした倉庫にカビと埃の臭いが沈殿している。

 どこか懐かしい臭いに一瞬、笑みが浮かんだ。


 地下倉庫の中程に座り込む一団と、その周囲を取り囲む集団がいた。

 その座り込む一員に貴族の少女らが野外で動くための軽装の若い女がいる。無論、アーデルハイドである。当館の人間で西方民族の女はイライジャただひとりだ。.…いやイライジャのなりはともかく、彼はれっきとした男性だが。


 まぁそいつは横に置いておく。

 不機嫌を具現化したようなアーデルハイドは、やはり不機嫌さを隠さずに俺を見上げてきた。


「…逃げそこねた感想は?」


 ……返事は帰ってこない。


 改めて座り込んでいる一団を眺める…。

 花嫁であるアーデルハイドに侍女がふたり、それと青年がひとりだった。

 侍女のひとりは西方の民族特有の肌と髪だが、ひとりはどうやらこちらの女である。いや、どうやらではない、俺が雇っている使用人だ。アーデルハイドの側付きにした覚えがあった。


 アーデルハイドはただ無言のまま、俺を睨みつけていた。

 意地でも俺とは会話したくないらしい。


 視線で人を殺せたら! っていう仕草があるが、実の所たいした事はない。彼女のこの視線程度では目玉焼きすら焼けはしない。

 意思表示としては好ましいと思う。それくらいの目つきが出来ればむしろ尊敬に値するのだが……。


 視線を青年に向ける。


「やあ今日は良い夜だ、そうは思わないか青年?」


 青年はなるほど確かに庭師には似合わない男である。服に中身が壊滅的に似合っていない。誰が見ても彼を庭師とは見なさないだろうよ。 


 端正な顔立ちはどう見ても良いとこの出であった。

 その顔を憎しげに歪ませている。


「貴様なんかに…!」


「せっかくの晴れの舞台だというのに、その言い草は自分が三流役者ですと言ってるもんだがねぇ…。

 まぁいいさ、名を聞いておこう」


「……ヨアヒム」


「ヨアヒム・三流役者・無礼者、か。良い名だ」


「! っ、ヨアヒム・ウンズベールだ豚伯爵」


 …豚伯爵に向かって豚伯爵とは芸がない。なに当たり前の話をしてるんだか。


「下郎がっ!」とヨアヒム某の頬を張った者がいた、ユージーンだ。


 なんかね、ドラマでありきたりの展開にうんざりしてきた。


「坊っちゃまに! 当家の御方に!」


「ユージーン、この男は事実を言ったまでだ、それを激昂して打ち据えるのはよろしくない」


 乳母あがりの婦長補佐を宥めるべく口を開いた。


「坊っちゃま! いくら冗談でも…」


 肩を(いか)らせた情人(ユージーン)に苦笑した。その彼女を無視する。


「済まないな、だがね、俺は怒るに値しないとは思っている。

 さてヨアヒム君、事情それ自体は理解している。だがね、それが成功する訳じゃあない。それこそ三文芝居の世界だよ」


 いったん区切り、満面の笑みを浮かべる。


「ところで、君はこの女を好いているようだが…あ〜、その“いたした”のかね? いやね、俺としては花嫁が中古だろうと新品だろうと構わないのだが、いささか事情があってその点が重要なんでな」


「なんて口を聞きやがる!」


「まあまあ、そう怒りなさんな。いや実際、その点“だけ”が重要であって、君たちの下半身事情には用はないのだよ。で、この女の乗っかり具合はどうだった?」


 露悪的にイヤらしく笑いかけてみたた。別にどうでもいいのだが、膜が有るのと無いのとでは商品の価値が違ってくる。


「下郎は伯爵の方だな! 俺とハイジは邪な関係ではない。俺達には貴様なはない美しい筋の通った関係があるのだ」


「仲が良くて結構じゃないか。実に羨ましい」


 アーデルハイドを愛称で呼ぶ位には仲が良いのが分かった。まぁ分かったところで意味はないのだけどな。

 …しかし、ハイジとつけば某名作劇場の彼女を彷彿させるから敢えて愛称で呼ばないでいたのに、いろいろと台無しにしやがる。 


「混ぜっ返すな豚貴族が!」


「悪いが混ぜっ返す気は無いさ。

 さて、芝居は終わった、三流喜劇役者さんには駄賃を払うから田舎に戻りなさい」


「坊っちゃま、この男を野放しになさるおつもりですか!?」


「ユージーン、いちいち俺の会話に加わるな。差し出がましいにも程があるぞ」


「……申し訳ありません。…ですが…」


 ユージーンには悪いが、俺は女のこうしたところがウザくて嫌いだ。なんでいちいち感情的になるのか?


「…皆も聞け、俺はな、妻となる女の過去に対して別段価値、なんてモノを認めない。正直なところ処女であろうがなかろうが構わないのだ」


「な、なに言ってる!?」


「まあ聞けよ、俺としては別に構わない。だがね、貴族としては花嫁が処女でないと風聞が悪いのだ、世知辛いがその程度の話さ。大層な付加価値ではあるが俺からしてみれば晩餐に出される料理のお品書きの方が価値がある。

 しかしながら、世の中はままならないもので、こと貴族家の婚姻にはその付加価値とやらが重要視される。

 ま、花嫁の価値なんざそんなモンで、君らの恋愛ごっこには申し訳ないがまったく興味がない。

 それにな、俺が一晩コトを済ませれば、あとは君に譲る気でいるのだよ。

 君が中古女に価値を見出すかどうかは知らんのだが、まあ世の中ままならないモノさ」


 俺のあからさまな胸の内をぶちまける。

 ヨアヒム以外の全員が絶句するのがわかった。ああ、全員は言い過ぎかもな。

 チラと視界に客間女中(パーラーメイド)のメギが映るのだが、彼女はニコニコなのかニヤニヤなのか判別しづらい笑みを浮かべていた。

 面白がっているのは確かだ。実に良い性格をしていやがる女だ。


「……お前は……お前は……」

  

 言葉を紡ぎ出せない花嫁奪取に失敗したハンサムな青年は、水面間近にいて口をパクパクさせる鑑賞淡水魚のように見える。


「ん、お前はなんだ? ヨアヒム、いちど深呼吸でもして落ち着いてから話せ」


 慇懃無礼に語りかける、こうした際には馬鹿にするのが一番楽しいやり方である。


「ヨアヒム、この男に話を合わせては駄目よ」


 不意に第三者…、いや、当事者でもある花嫁からの発言が出てきた。


「なんだバレたか。いやはや俺の嫁さんは感が良い」


「わたしは貴方の妻になった覚えはありません」取り澄ました表情で話してくれる。


「誓約は成したのだがね」


「“わたし”が誓ったのではありませんの、なので貴方を夫であると認めません」


「残念ながら、君が認めようと認めまいと君の代理に立った者が誓った。それに現場から逃げた君になんの発言権がある?」


「…………」


「そういう事だ。

 アーデルハイド、君は観念して館に戻り、俺の為に足を開け」


「! 誰がお前なんかに!」


「夫君に向かって早々にお前呼ばわりか、まあそれ位構わないがね。

 では、納得したようなのでこのカビ臭い地下から上がろうか」


「わたしは!」


「俺の妻、だ。それ以外に何がある?」


「死ね、ぶた…!」アーデルハイドの台詞が途切れた。


「いい加減にしなよ! クズお嬢さまが!」


 先ほどのニヤニヤ笑いを消したメギが倉庫に落ちていた棒(板切れ?)を手に持ちアーデルハイドを()っていたのだった。


 メギの顔は般若を彷彿させる静かな怒りを見せている。普段は喜怒哀楽のはっきりしている女なので、いま見せている表情はぶっちゃけ恐ろしい。

 いや、マジで恐いのだ。殺意を秘めているのがよくわかる。実際にアーデルハイドを殺めれるかはわからんが、彼女が内包する怒りは理性を上まっていた。


 スレンダー巨乳だけが取り柄の(失礼!)女だと思っていたが、彼女の本性はかなりおっかないのを理解した。

 うん、これからはもっと丁寧に扱おう、さもなければ刺されるわコレ。…その、あれだ、某整備士長のアレを思い出した。

 あのゲームじゃあ、むしろ“刺せ”ってな感じでプレイしていたが、実際に目の当たりにすると現実とゲームでは本気度が違うのな。リアルで刺される可能性があるんで迂闊に遊べないわ。マジ、マジ。


 …いやいや、現実逃避は後だ、メギを宥めないとな。


「止せ、メギ」


「ですが、この女は!」


 息を切らせたメギがギラついた目で俺を見上げてきた。


「まずはありがとう、と言っておく。

 だがね、ぶつのは良くない。

 だいたいだな、君は使用人たる立場でアーデルハイドは貴族の子女だ、打ち据えるのは不遜にすぎるのだよ。流石にその君の行いは見逃せる事ができない」


 彼女は俺から視線をそらし、大きく息をついた。

 

 二度三度と息を整えた彼女は深く頭を垂れる。


「……申し訳ありませんでしたロイド様」


「いや、俺を思っての事であると考えると君を罰する気にはなれない」メギに頷いてアーデルハイドに向き直る。


「こちらの使用人が失礼した、…済まない」


 メギに習い、頭を下げる。


 ぶたれた方は痛みを堪えるべきか茫然とすべきかを迷う顔をしている。

 …いや、痛みが(まさ)った様だ。苦痛に顔を歪めた。


「婦長、直ぐに手当てを」


 場の一員である婦長に命じつつ、子爵家のふたりに視線を向けた。


 当然、夫妻は唖然としていた。


「ユシュミ子爵、たいへん申し訳ない事をした。打ったのはこちらの使用人だが、俺が代弁して謝罪する」


「……あ、ああ、…いや、このじょ…女中を罰せばな! ああそうだ、貴族籍にある者を打擲したのだ、……死罪、そう死罪を免れない! ファーレ辺境伯よ、この無礼は貴様にもある!」


 お、そう来たか。…ちょいと厄介な展開だな。


 しかし、子爵(このバカ)を調子に乗せては駄目だ。さて……。


 どう話を持っていくか? 子爵の言うとおりの死罪はわからんでもないが、安くは譲らねぇよ。

 そもそも公正な取り引きでない、先に非礼を働いたのは子爵サイドなのだ。


「それには応じられないね。確かに子爵家令嬢を打ち据えたのは当家の者だ。だが無礼などとは言わせない、そも、無礼を働いたのはお前らであり、当方に非ず! 違うかね子爵?」


 ここは強気の一手、押し抜ける、それしかない。


「子爵家らに告ぐ、子爵風情が辺境伯たる俺にどうして口ごたえをするや? それが無礼でないのなら、俺が無礼を教えてやる」


 背を反らせて子爵に歩み寄る。

 同義はともかく、攻撃的に出て主導権(イニシアチブ)を得るべきなのだ。


 掴みかかる手前で立ち止まり、上背を活かして子爵を見下す。こうした時、平均身長を遥かに超える180cmオーヴァーの高さが優位に働いた。

 子爵は身長が170程度だから余裕で見下せるのだが、背筋を伸ばした俺はより威圧的に出れるのだ。プラスして百貫デブなのだ相手から見れば威圧感の怪物(ラ・モンストーレ)であるのだわ。

 それにだ、今更だが俺は正義のヒーローではない。俺は俺自身の行い『を正当化』している悪党の類に他ならない。


「俺に抗弁するか!? なら相応の待遇で饗してやるが、如何するかね?」


「…それは……」子爵は途端に守勢に回った。っ良し!


「おう、それは? なんだ、言いたまえユシュミ子爵、お前も貴族なら貴族らしく不遜に出るべきだが?」


 僅かに身をすくませた子爵を見下す様に覗きこむ。俺と目を合わせない子爵に(いかめ)しい面を装って審判を下す。


「お前は敗北者なんだよ、なら、黙って俺に(くだ)れ」


 怒りと不満を顔面にありありと残して子爵はうなだれた。


「婦長、彼女の手当てを早急に済ませてくれ、夜もずいぶんと更けてしまった。花嫁も疲れているが俺もかなり疲れている、さっさとやる事済ませてひと息つきたいのだ。

 なにせ婚姻の儀はまだ幕を下ろしていない、俺としては多少なりとも休息せねば後が続かん」


「はい、承りました。…ですが、あの、この庭師に扮した者と彼女らに付き添っている侍女の処遇は如何しますのでしょうか?」


「花嫁を奪う予定のヨアヒム君は…、さて、……ま、いいや捨て置け。子爵らの帰還に併せて持って帰って貰おう。

 ふん、…侍女の方ね、金に目が眩む軽挙には当家から離職してで構うまいよ。解雇の理由としても問題ない」


「…解雇、だけですか?」


「罪に問えとでも? 実害は無かったのだ、解雇だけで良いさ」


「恐れながら、…旦那様、御家に仕える女性使用人を束ねる責任者として、御当主様に不埒を働いた事に対してそれを罰せねば示しがつきません。これを軽く捨て置く事は旦那様の不見識を疑わざるおえない事を申し上げます」


「…………、なるほど確かに婦長の言を軽くは取れないな」


 ひとつ頷く。

 俺としてはしくじりを仕出かした侍女に暇を取らせて放り出すだけで良かったのだが、館の重要な内面(おく)を預けてある婦長の言を軽くは取れない。


「……わかった、では婦長としての見識を述べてくれたまえ。そいつを参考にさせてもらう」


 女中歴の長い初老の女重鎮は鮮やかに腰を折った。

 彼女のその仕草は深みがあり、人生を歩いてきた分の重みが見て取れた。彼女から見れば俺なんぞベイビーちゃんにも等しい。

 俺にはまだまだ人生経験からの重みのあるアクションは取れやしない。


「…では、不遜ではありますが申し上げます。この者に与える離職証明書に館での不始末の一文を書き添えて下さいませ」


 あ〜、なるほどね、離職証明書に一文か。


「なるほど、しかし、事の顛末を問われた際に今夜の醜聞を話されれば俺の恥を満天下に晒すのだがね?」


「旦那様の御懸念はもっともです。ですので『不始末』その一文に『問うことなかれ』とお書き添えて下さるようお願いします。

 旦那様の御懸念である醜聞ですが、完全には封じ込めるのは無理であると言わざる得ません。

 しかしながら、旦那様からの御署名を軽くとる雇い主が現れる可能性は低いものと判断いたします。また旦那様の醜聞が広まるのであれば、御家に勤める全使用人が全力を持ちいまして欺瞞工作に参ります」


「欺瞞工作? 君達にどのような工作が出来るのだ?」


「はい、その欺瞞工作とは私共が聞き及んでいる他家の様々な醜聞を全力で、いかなる媒体をも用いて拡散いたします。噂話には噂話、醜聞には醜聞をもって打ち消すのがよろしい解であると」


「……ある程度の、と但し書きが付くが…仕方ない、それで手を打つとしよう」


 俺は注目されて然るべき立場にある。良い事も悪い事も面白おかしく流布されるのだ。流石に結婚式に臨む花嫁が替え玉で、さらに想い人と手を取り合っての逃避行などは拡散されたくない。ピエロを演じたなど自分の無能さを満天下に示された日には為政者失格にあたる。


 そりゃあさぁ、帝都ではやんちゃをしたよ? 他家の人妻を何人も寝とり、内ふたりを連れ帰ってきた前科があるのだからな。

 だがあれは名分もあった。当事者である当主の薄情を挙げ女性の発言権に言及した。…なにより俺は奪った側だ、妻を奪われた間抜けではない。


 しかし、今回は俺が奪われた間抜けになる。若き為政者とデビューしたばかりの俺には取り返しのつかない失点となる。

 いま…、今、俺にマイナスイメージが付けば、手を付けた領地改革、経済改革、その発展が期待される新しい時代へ突き進む上げ潮風潮に大打撃が加えらてしまうのだ。

 それは不味すぎる。

 多少の醜聞(スキャンダル)は…その種類にもよるが、それは決してマイナスばかりではない。愛嬌のある、または親しみを与える愉快な領主と受け取られる。

 実際、俺はあえて小ネタとして小さなスキャンダルを流したりして来た。その効果は確実に高評価のポイントを与えてくれたのだ。


 だが、今夜起きた騒動は看過する訳には行かないレベルであった。花嫁が逃げただけでは無い、ニセの花嫁を仕立て上げ夫婦の誓いを捏造したのだ。

 この世界に生きる我々にとって精霊の御名を欺くのは禁忌にも等しい。もと日本人である俺はその点…信仰心が薄い傾向にある。自身を律する事を強いているから問題になる行動には至らないでいたが、得るべき大衆からの敬意の全てを放り出すこの行為は絶対にやってはならないのだ。


 …今、俺の情人のひとりでもある婦長からの提案は賭けの側面が強い。

 しかし、同時に彼女の提案こそが最適解であるのは理解できるのである。


 ……ならば、この案を受け入れて事態を最小限になあなあで済ますほうがマシ、であった。


「…婦長よ、君の提案を採用しよう」


「ありがとうございます、旦那様」


「さてと、では話もついたのでこのかび臭い地下から上がるべきなのだがね」


 と場の収束の言葉を出す……と『だがね』に声が被さってきた。

 …声は若い女性からであった。


 アーデルハイドだ。


「まだ話はついていません……」


 内心でため息をつく、まだ言いたい事があるのか……。


「わたしはまだ…なにも了承した覚えはないのです」


「…いい加減、君に付き合うのも面倒になってきたのだがね、…まぁいちおう伺おう」


「…わたしはお前の為に身体を許す気はありません」


「……なあ、俺の話を聞いての…理解しているのか? 君は当事者としての意識はなく、かつ、権利を放棄した身なのだ。従って俺は君からの意見に耳を傾ける必要も義務もない。ここまで理解しているのかも判らんのだが、まだ言いたい事があるのか?

 いや、やはり君の話に付き合う必要も無いな、…では俺が一切の沙汰を下す。

 …アーデルハイドにファーレ辺境伯が当家に残る事を命ずる。君は当館(とう やかた)から出る事を許さない。与えた部屋に蟄居し、考えが変わるまで君の有する一切の権利を凍結する」


「わたしが考えを変えなければ?」


「決まっている、一生飼い殺しだ。君の賞味期限が切れたとしても君が俺に与えた不利益は消えはしない」


「……理不尽ですね。……わかりました、わたしは部屋から出ない方を選ぶことにします」


「よろしい、君は…そうだな、部屋に閉じ込めるが部屋から外に出て散歩する時間を与えよう。

 午後の一刻に館の敷地内を散歩するがいい。あと手洗いや入浴は自由だ。食事は指定された食堂で。

 それと申し訳ないが手紙の類は出す方も受け取る方も検閲させてもらう、俺への不利益になる言動などは看過できないからな」


「…………その提案とやらでお前の気が済むなら了承しましょう。

 その上でこちらからも申し出ます」


「君にどのような提案があったとしても、俺が受ける謂れはないのだがね」


「そうかしら? でもお前の提案は強制で不平等すぎます。その不平等な提案だけではわたしが被る不利益ばかりでしょう? 違って?」


 薄く微笑うその顔には俺には理解できない自信が見えていた。


「そもそも俺と君とでは立場が違う、対等な関係を結べるはずは無かろうよ」


「わたしのヨアヒム、その身を此処に残して欲しいの。その程度なら構わないでしょう?」


「……ずいぶんと愉快な提案だな」


「受けなさい、我が夫君殿」


 不遜を通り越した発言に俺を除いた全員が絶句した。


 (どっからこの自信は来るんだ?)


 俺には彼女の自信の根拠が知りたい。頭の配線がおかしいのかと思う。

 だが……。


 …なら、そうだな……。


「面白い提案を出してくる、自分の置かれた立場、状況を理解していればその様な世迷い事を出せはしない。

 よし、我が花嫁からのお願いだ、聴いてやるのも夫君の度量よ」


「だ、旦那様? いやそれは流石に…」「坊っちゃま、いくら何でも!?」「そうですよ!」


 ユージーンその他から非難の声があがった。いや、続きがあるんだがね。


「…間男くんには庭師の枷を外して正式に逗留する事を許す。

 ついでにアーデルハイドにいつでも逢える権利をあげよう、彼女はこれから不便な生活を余儀なくされる、ならば多少の潤いは必要だろうよ。

 ヨアヒム君はこれを受けるかね?」


 是非とも受けてもらいたい。


「良いのか!?」


 馬鹿が引っ掛かってきた。

 ニヤけそうになるのを堪える。もう少し、もう少しだ。


「受けたくなければ子爵らと田舎に帰れ」


「わかった、残るさ!」


 はい、馬鹿が引っ掛かっりました〜。


「それは何より、ではユージーンらに命じる、この男を去勢しろ。いま、この男は俺への白紙委任状に署名した。

 おめでとうヨアヒム君。君はここに残り想い人と思いきり逢瀬を楽しみたまえ」


「!?」

 

 地下倉庫に衝撃が走ったのを感じた。いや愉快愉快。


「アーデルハイドからの対価を示さない提案が来た。これは即ち俺への白紙委任状とみても良い、俺はそう判断したのでさっそく履行するを決めさせてもらった訳だ。

 嫌とは言わせない、いま君は“了承した”のだ。いまさら嫌だと言っては困る。さて、ユージーンに去勢の指揮を命じるので連れ出してくれ」


 ユージーンは僅かに逡巡したが、メギが彼女を突いた。


「ユージーンさん、指示が出たからやっちゃいましょう」


「…え!? あ、そうね、坊っちゃまの指示が出たから遠慮する必要はないのですからね」


 茫然自失の間男くんを引きずってユージーンらは出て行った。…心なしか彼女らは嬉しそうであったように見えたのだが…、まあ良いか。


 顔を満面の笑みにして一座を見渡す。


「ずいぶんな蛮行、そうだと言いたそうだな。いや、そう思うのは正しい。まったくもって蛮行に他ならない。

 だが、俺はいっさい気にしないでいる。

 人非人、そう言って非難すればいいさ。俺としても否定はしないよ。

 だがね、俺は非難されようがそこに問題があるとは思っていない。むしろ当然の処置であると自信を持って言おうよ。

 アーデルハイド、君の考えなしの発言、その責任をとった気分はいかがかな?」


「…………お前は……お前は貴族どころか人間ではない!」


「どういたしまして。いやぁ馬鹿共が考えなしに自己の欲求を追求する。その当然の結末に俺は満足だよ。

 交渉事に挑みたいのなら、知恵を巡らせてからにしろ。今だから言うが俺は間男を許すつもりは端からなかったのだよ。アーデルハイドよ、君から場を用意してくれて感謝する。

 いやはや、俺はどうやったら愉快な結末を迎えれるか、そればかり考えていた。なにせ人の行いから逸脱すり処罰だ、上手く誘導するにはと頭を悩ませていたのだからな。馬鹿が自分から状況を整えてくれた、実に楽しい」


 俺は溜まりに溜まった疲労も忘れて爆笑していた。

 我ながら悪辣であるのとは理解しているが、その本懐を遺憾なく発揮してやりきったのだ、愉快痛快、気分は爽快であった。



 茫然とした花嫁は崩れ落ちるように床にへたり込む。

 いささか常軌を逸した醜悪な幕切れに誰も声を出せないでいた。


 かつては捕虜を収容し、少なくない惨劇の場であった地下倉庫に俺の笑いが響く、これこそ正に勝利の凱歌に他ならない。


 

 婚姻の義は、その裏面を隠しつつ無事に終了を迎えるのだった。

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