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辺境伯ロイド奇譚 〜誰が彼を英雄と名付けたのか〜  作者: 塚本十蔵
第1章 ロイド辺境伯、改革を始める
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第三十一話 ロイド、婚姻の儀式その夜・前編

 さて、ここまではクリアした。残るは晩餐会と夜の初夜イベントだ。

 晩餐までは特に俺がすべき事はない、ちょっと休憩して体力を回復させるのも手だ。まあ昼寝にしても一刻|(二時間)もないのだが……。いやいや九十分もあるのだ、昼寝には最適のタイムではないか。

 少し片付けたい書類はあるけども夜は夜で体力を使う…あ、いやエッチするのに体力はもちろんだが“いたした”後に花婿である俺は宴席が待っているのだ。なんだっけ? まあ下らない理由の宴会だったな、それに参加する義務があるそうな。

 夜が明けるまで騒いで、ようやくひと息いれて一連の初夜イベントは終いである。

 ちなみに婚姻イベント自体はその後二日ほど花嫁側の一行を(もてな)して、それでやっと終わりになる。その間に招待客や使用人らに慰労の席を持ったりするのだ。

 …あ、そういや大都の市民らに肉や酒を振る舞うのもあったな。アレには俺は顔を出す必要はないし手配りも済んでいたが一連のイベントの内であるのな。

 タダ酒かぁ…彼らにとってはめでたかろうがめでたくなかろうが関係ない話だけど折角の振る舞い酒だ喜んで戴くだろうさ……。ま、楽しんで貰えたらそれに越した事はないしな。


 さてさて、んでは汗を流してひと寝入りすっか、よし決め決め。


 館には俺とか家人達の使う蒸し風呂が大小ひとつづつと使用人らの使う共同のやつがひとつ在る。それら大きなやつ以外は終日稼動してあった。

 使用人らの就寝時間は保証してあるが、風呂に入る時間は役職によりバラバラにならざるを得ない。それに蒸し風呂に蒸気を提供するボイラーは容易くオンオフして良い機械ではないのだった。それならまだ一日中ずっと動かしている方が経済的だったりするからな。

 したがって今も蒸し風呂は稼動しているのだ、ならさっさと汗を流すとしますか。


 部屋付きの女中(メイド)さんに付き添い入らないよって声をかけて風呂場に向かう。


 蒸し風呂(サウナ)とあるが日本の銭湯で見られるむやみに熱いサウナではない。イメージしてもらうなら北欧のサウナみたいな感じかね? いやちょっと違うか、えーと…なんだっけ、そうトルコ共和国の何とか言うやけに広い風呂…は…ハマなんだっけ? ハーーーっ! は寺生まれのTさん、ハマちゃんスーさんは釣りの人、うーんうーんハ、ハ、ハマ違う、……ハンマームだ! 思い出したハンマームだ。

 転生して二十年も経てば記憶が曖昧になって思いだすのもひと苦労だわ。いやはや歳は取りたくねぇな……。

 で、そうハンマームが一番しっくりくる訳だ。

 広い部屋には浴槽は無く…いや浴槽みたいな桶にお湯が溜めてある…に蒸気を出して温めている。そこで汗をかいて垢をこすり落とすのだ。頭も洗うよ?

 んで、シャワーで流して終わり。基本的にゆっくりのんびりと蒸気の中でまったり…あるいは会話して時間を過ごす訳である。この為お風呂タイムは長くなる傾向にある。中には平気で二時間くらいかける強者も居たりするがね。

 俺はと言えば大して長くもないな。30分居れば良い方だ。短気と言うべきか単に落ち着かないと言うべきか、蒸し蒸しする蒸気の中で30分以上をのんびりしたいと思わないのな。


 館の一階、食堂の奥手に蒸し風呂は在る。風呂は全て共用で基本的に時間差で男女を交代する仕組みである。

 しかし俺とかが使う家人用の大風呂を使用する男は俺ひとりなので、ドラクルら女性家人は事前に俺の有無を確認してから入浴する様になっている。

 ……いちおーだが、イライジャは俺の義弟であるが自分を女としての立場をとっている。なのであいつは俺と一緒に入ってはいない。

 どうも『男』の俺とは恥ずかしいらしい。あいつだって俺と同じモノが付いているんだから恥ずかしいもなにも無いとは思うんだがね。一度帝都屋敷にて一緒に入浴したのだけど、見た限り小さいがちゃんと付いていた。

 まぁ10歳くらいのベイビーちゃんだから〜、オットナ〜の俺と比べるのはねぇ(プークスクス)


 いやいや笑ってなんかいませんよ〜(棒)

 事実ですから〜(棒)


 

 脱衣場にて手早く服を脱いで腰にバスタオル…よりも大っきい布を巻いて浴室に入った。


 …ら、先客が居やがった。ドラクルことスティラやん(ステやんでもイイかもな)が居るんでやんの。腰に丈の短い布を一枚巻いた姿でベンチに腰掛けている。おっさんか。


「…なんだ辺境伯か、私が入っている、さっさと出て行け」


 毎度ながらこの名医(やぶいしゃ)は偉そうである。

 高貴な事この上ないグゥレイトな殿上人の俺様ちゃんに失礼すぎる粗忽者だ。


「あ? ナニ言ってやがる、貴様こそ俺に遠慮してさっさと出て行けって言ってやる。

 だいたい何だその貧相な胸は? そんなモノおっぽり出して恥ずかしいとは思わんのか?」


「貧相だと? この私のどこが貧相なんだ。

 見よ、この美しいふたつの盛り上がりと見事に曲線を描くくびれた腰、程よい尻へと流れる線は芸術と言っても過言ではない。ああ過言じゃないさ」


 俺とヒトを不用意に貶める性根が絶望的にまで賤しい愚かな彼女(ゴミムシ)は睨み合う。いま、互いの尊厳を賭けた戦いが始まろうとしていた。


 ちなみに、ステやんは本人の言う程度にはスタイルは悪くないのを明記しておく。特に腰から尻、太ももに流れるラインはたいへん結構なモノを持っている。

 俺としては公平公正さをモットーにしている偉大な男なので、寛大にもその程度は認めてやっても良い。

 実際には彼女の身体は傷だらけなのだが、俺は別段気にしたいと思わない。誰にだって触れられたくない事はあるさ。


 俺? ああもちろん俺のは《BIG》だ(ここ重要。試験にも出る)。素で…、あ、いやサイズなんてどうでもイイじゃないか。サイズなんて……サイズなんて重要じゃない!


「なぁおい辺境伯閣下、いま自分の持ち味は太さだとか硬さだとか考えただろう? 無駄だ諦めろ、お前にはどれも不足している。

 ついでに言うと持久力、も、自慢しない方が良いぞ?

 辺境伯よ、お前が自慢出来るのは豚や馬みたいな『量』それだけだ」


「…………泣いてイイかな?」


 絶望した! あまりの毒舌に絶望した! 世界は暗黒に包まれ、人心は毒におかされた!


「んふ、まぁ冗談だ辺境伯閣下様」それを言うと毒舌の徒は不意に顔を緩めた。


「そうか冗談か」


「ああ、冗談は辺境伯の顔だけだ。しかし、とびっきりの不細工さには逆に笑えもしないかもね」


 絶望した!! 世界は残酷なまで優しくない!!


「アハハハ、そう悄気(しょ)げるな。まあ隣に座りなよ辺境伯」


 ケラケラと笑い、自分の横を叩いてみせる。

 

 ……悔しいが渋々従う事にする。


「……ふん、貴様は寛大な俺に感謝しろよな」

 

 これ見よがしに盛大なため息をついて、ベンチに座る女医(あほんだら)の横に腰を落とした。


 しばらく俺達は心地よい湿度の中で話題もなくボンヤリとしていた。


 ……そして新たなる声が浴室内に響く。


「先生ー来たよーっ!」イライジャの声だ。


 入り口に視線を移すと湯着をまとったイライジャがお付きの子守(ナース)女中(メイド)を連れて入って来た。


「うん、待っていたよイェラ」


 ひねくれ者の女医は優しい声でイライジャを招いた。

 ……なんだろうか、俺とイライジャとでは扱いが違うんですが……。差別だ差別!


「はい! …あ、兄さん!?」


 小さな参入者はようやく俺が居るのに気づいた。

 軽く手を上げてみせる。


「やぁイライジャ、ドラクルに呼ばれていたんだね」


「……あの…私、後で来ます……」おい、いきなり退場か!?


「イライジャ、俺が居て迷惑だったか? なら俺が退場するよ。君は彼女と仲良く入っていなさい」


 すると肌の色の違う義弟ぎまいは困ったような声を上げる。


「ちが違います兄さん! …その…私、恥ずかしいのだから……、ごめんなさい」


「なんだ、何が恥ずかしいんだね?」


 イライジャは身体を隠すように…こいつは男なのになぜにか胸に…腕を回す。


「ああのあの…兄さん見ないでください」


「俺と君は男同士だろうに、それを言うなら君は女性(こんなガサツなゴミ中古物件でも女は女だ)のザーツウェル先生と一緒に入っている方が恥ずかしいだろうにさ?」


 俺がそう言ってもイライジャは頭をプルプル振った。


「兄さん…私……」


 ん〜困ったなぁ……、しかしナニ恥ずかしがるかね? ちょっと困った顔で隣のお医者さんゴッコの好きな変態医師を見やる。あ、こいつは医者だわな。

 …目が合ったドラクルは軽く微笑む。彼女のこうした仕草は大人らしくて好ましい。褒める場所がバカみたいに数少ない彼女の褒めても良い箇所である。


「イェラ、君は今日この見た目は醜い…中身も大男と結婚したではないか。なら夫婦で風呂にくらい入るのも当たり前だよ」


 な、ナニ言ってんだーっ! 言うに事欠いて俺とイライジャが夫婦ぅ!? 何時俺が…あ、そうでした、さっき式挙げたじゃんかさ……、アアア…アウアウアアア……。


「ふうふ…夫婦、…兄さんと私、夫婦…うふふふ…。

 うん、そうでした! 夫婦だからいいんです!」


 おい、納得すんなよ! そこでモジモジして顔赤らめるな!


「なあザーツウェル医師(せんせい)や、ナニ無責任に煽るかね。見ろよあいつが馬鹿みたいに喜んでいるじゃねーかよ……」


 隣でニヤニヤしている無能女に苦情を投げつけた。

 しかしこいつはニヤニヤを崩さない。実に憎たらしい。


「ん、辺境伯よ、お前だって雰囲気出して彼女に唇を重ねてたではないか。あの甘い雰囲気はとても演技だとは思えなかったよ。

 いやはや、あの口づけには当てられたねぇ」


「魔女め……!」


 しかし悔しいかな確かに俺は雰囲気出してしまった。いや不覚にも花嫁衣装のイライジャに萌えた。アレはマジ可愛かったがな……。


「……なぁおい辺境伯様よ、なにも今ここでいきり勃つなよ……、恥ずかしくないのか?」


 ハッ! ナニ俺のは元気になってんの!? 違う…違うからッ! これは違うからッ!


「兄さん…嬉しい……」


「ハイそこ嬉しそうに見つめない。コレは男の不意の生理現象で俺は無罪だ」


「なにが無罪だ馬鹿。私が居なければお前は今ここで彼女を組み敷いていただろうに。

 嗚呼、可哀想な花嫁。初夜を待たずに浴室にて野獣の様な新郎に花を散らされるとは……!」


「俺は見境のないケダモノかよ。断固、その歪んだ発言を撤回するよう命じる!!」


「撤回した処でその醜い下卑た欲望…いや欲棒は治まってはいないのだけどね? んふ、はるか歳下…幼いと言っても過言ではない青い肢体に欲情する破廉恥極まる獣欲には戦慄が止まらないよ」


「兄さんだいじょうぶ。私、ちゃんと兄さんを喜ばすからね」


 暴言と場違いな発言のダブル攻撃に頭痛が痛いのです。


 ……ムカついたので怒りの矛先をガイジ女医に向けてやる。喰らえ正義の鉄拳!


 ゲシ! 俺は立ち上がり隣に座る狂った扇動者を蹴ってやった! これが正義のしるし、怒りの鉄拳(蹴り)!


 ちょっと間お仕置きタイムを愉しんでから許してやる事にした。

 俺とステやん(二十六歳独身)は息が荒くなっている。

 組み敷いていた方はほんのりと頬を染めている。


 愉しんでいるのは彼女も同じなのだ。見た目とか言動はサドじみた女だが実際にはマゾってるのも楽しんでいる変態女なのである。そいつを知っているのは俺と帝都から付き添って来た献護師のフランシアだけだ。


 ……まあ判らんでもない。この女は狂わずにはいられない仕打ちを受けてきた。身体以上に心を傷つけられた天才学者は自らを守るため、エキセントリックな発言や行動をとってまでしなくては魂の安らぎを維持できない。

 哀しいまでに追い詰められている。

 だから俺は彼女の軽口に乗り、彼女を弄るのだ。


 俺だって好きで弄られたくない。また弄るのも好きじゃあない。

 

 しかし、しかしだ。お互いを詰り、罵り、軽口を叩いて馬鹿騒ぎする。そんな関係だからこそ俺達は愛し合えるのだった。

 歪んでいる? 知ってるさ、だから何だ。それが異常ならば異常で構わない。俺がピエロになって暴君になって、それがスティラを守れるなら俺はなんだってやってやる。


 何を言われ、何を思われても俺は俺の信じる方策を取るよ。

 それが自己満足なら自己満足で良いさ。

 それが愚かな人間であるなら愚かで構わないさ。なあスティラ・ザーツウェル、貴様だってそうだろう?


 頬を染めても組み敷いたクレイジードクターの眼は真摯で在った。その瞳の色は冷たさを残している。つまりは平常運転だ。


 俺は彼女の頬にキスして、そっと脇に退く。


 その流れのままでベンチに横たわる彼女を抱き上げた。


 傍から見れば俺達の行動や関係は奇妙に見えるだろう。事実、イライジャと子守り女中のふたりは笑えるほど引いていた。


 不意にドラクルは口を開く。


「……お前様には感謝している」


 感謝している、と来た。いやそれよりも彼女は俺を『お前様』と呼んだ。『お前様』か、そうか……。

 

「あの日お前様は…お前様だけは私を『美しいよ』とは言わなかった」


 ああ、そんなコトか……。


「優しさは必ずしも傷を癒やす訳ではない。

 慰めは…かえって傷を深くえぐる。…なあ、何故、私を見て『そんなコトない、君は綺麗だ』とは言わなかった?」


「ふん、俺は正直に事実を告げただけだ。貴様を慰めたり等としたことが無いんでね。

 ……スティラ・ザーツウェル、貴様の身体は実際にキスだらけだ。…肌は切り裂かれ、焼かれ、剥がされ、脚の肉は何箇所も抉られている。極めつけはその眼だ、(クズ)共に戯れに突かれ犯された。これは事実でそれ以上でもそれ以下でもない。違うか?」


 事実を羅列に告げられた異相の女医は苦笑する。


「ホントに正直だな。だがそうだ、その通り…それ以上でもそれ以下でもない。

 あの日、あの時、私は……あぁ……、私はお前様に救われた。だから、私はお前様を愛したいのだ」


 そこで一旦口を閉ざし、イライジャに視線を向ける。


「イェラ。君から見れば私達をおかしな生き物だと思うだろう。それは正常だよ。

 だけどねイェラ、今の扱いだって私には悪くないよ。ああ、まだわからなくても良いさ。

 そこの君、今の狂態は私と辺境伯の間でじゃれ合っているだけの稚気だ。出来れば口外しないで欲しい」


 ドラクルはイライジャの子守り女中に語りかけた。だがね……。


「無駄さドラクル」断ち切ってみせる。


「何故だ辺境伯? あまりおおっぴらにされては辺境伯として困るだろうに……」


「…いや、な、そこに居る女中は喜んで周りに話すさ。それに……」


「それに? なんだ言えない事でもあるのか?」


 不思議そうな顔の女医に笑顔を向けてやる。


「この女中さんはな、裏に俺の醜聞を集める密命を受けているのだわ。いやマジで」


「な…そんな…そんな馬鹿な、いやお前様、何故そんな話を知ってる?!」


 ステやんから目をそらしてチラと子守り女中を見る。

 図星だ。彼女の顔は先程まで見せていた嘲りを含んでいた顔を引き攣らせていた。


「いやあ、ね、俺が領地に帰ってから使用人らを整理したのは覚えているよな?

 で、まあ、減らすのは減らしたが、実際には減らし過ぎた面もあってなんだかんだと増員する羽目になった。それで仕方なく募集をかけたのさ。

 ここまではよくある流れだ」


 一度話を切る。

 別にタメを作りたい訳ではない。単に素っ裸でいるのが情けなく思えたからだ。

 ま〜、俺は貴族だし使用人らに裸を見られる場合もあるからそれ自体は慣れたさ。だけどもだからと言って裸のままで一席ぶつのはいささか情けなく見えると思った訳だ。


 先に脱げた腰布をいそいそと巻き直してベンチに改めて腰掛ける。


「…話の続きだ。

 俺は見てくれ以上の小心者だからな、雇った者は背後を調べなきゃ気が済まない。あまりネタばらしすると今後に障るが…イライジャ、君も聞いておくように。

 さて、色々手配りをしてひとりひとり委細漏らさず調べさせて貰った。そうして洗えば…やはり出るのだわ、身辺が怪しい奴がね。

 基本的に身上書はきちんと出来ている。だがね、書いてある事と面接時に話した事には大抵の場合微妙な齟齬が出てくる。

 それでもそれ自体は構わない。身辺が真っ白で人品が完璧な人間なんぞ存在しないからな。でも、だ、いざ働き出したら働く姿勢や構築しなきゃならない人間関係、その他諸々で必ず綻びが出てくる。俺はそれを待っていた。

 で、そこに居る彼女…メーア・デル・ソーカル。君だよ面白い行動を取っているのは」


「旦那様、私は何も……」


「おや? その割には君は女中部屋や使用人室とかでずいぶんと俺に関わるあれこれを聞いてまわっているね。

 ま〜、それは俺が変わり種の新人領主だから話の種に聞いてまわるくらいはあるさ」


「ならば何がおかしいのだ」ドラクルは?マークを浮かべる。


「まぁ続きに期待してくれや?

 さて、そんな使用人は珍しくもない。珍しいのはそんな女中のひとりはそれらを書いて残しているのだわ。これはたいへんに珍しい行動だ、そうは思わないかドラクル」


「ああなるほど、それは珍しいな。で、裏は新聞社だとか?」


 イライジャの家庭教師(ガヴァネス)を勤めるファーレ家の典医(ホームドクター)にニヤリと笑いかける。


「半分正解だよ」


「ほう、半分ね。ではもう半分は?」


「……なかなかに面白いのが出てきたよ」と勿体ぶる。「北部大公の子飼いの商社であるアーカイブル食品、その出向商会、ヴァミヤ商店が出てきた。

 そこは北都と、ここ大都を結ぶ食品流通商会でね、ヴァミヤは現地商会だが出資はあちらアーカイブル食品が出しているのさ。

 で、ヴァミヤ商店の販売部長がソーカル嬢と二度三度と会食している」


 心地よい筈の蒸気の中にあって、子守り女中は顔を白くしていた。


「それなら新聞社はどう関係…ああなるほどね、小遣い稼ぎか……」


「ご明察だよドラクル。彼女は会食の後でマス・ディザ新聞社にタレ込んでいたよ。ちなみに一文あたり銀貨三枚で金を受け取っている」


「………!」


「なぁ君、なんで俺がそこまで知っていると思う?

 最後だから退職金代わりに教えておく…、あそこの貴族欄の主宰から俺に注進があったからさ。『この話題を取り上げてもよろしいのですか?』とな。

 で、まあ俺はたいした事のない話題程度なら掲載を許可してある。連中だって大衆に話題を提供しなきゃならない立場だ、出来るなら面白おかしく掲載したい。

 だが俺から睨まれては居心地が悪い。だから俺に関する話題は一度はお伺いを立ててくる仕組みだ。

 どうだいドラクル、楽しんでくれたかね?」


「ふーん、なるほどねぇ。いやぁ辺境伯は悪辣だな。

 しかしだ、なら何故お前様の一番の醜聞になるやもしれないイェラの側付きにした?」


 頭脳明晰を売っている天才学者でも分からないか。


「…いや、ね、その方が面白くなると思ったのさ!」


 スティラは破顔して手を打ち付ける。


「ク…ハハ、ハハハ! 面白くなると! ハハ傑作だ!」


 彼女はひとしきり笑うと、急に真顔に戻る。


「お前様、話を戻すぞ? では根本には北部大公が出てくるのだが、彼は何故お前を隠れて調べる? お前の醜聞を集めて何が得となるんだ。

 いや、集めておけば優位に立てるさ。しかし、わざわざ金をかけてまで集めなければならない理由にはならない」


「ふん、調べておけば何かの交渉事で有利になる、その程度さ」


「いや辺境伯よ、それは短絡すぎる考えだ」


「構わないさ、どのみち今の俺には大公をどうこうする事なんぞ出来ないのだからな。放っておくしかあるまいよ」


「辺境伯……」


「不満か? だがどう対象すれば良いか判断しかねるだろう? なら捨て置くが正解さ」


「…わかった、それについては理解した」


「それについては、なんだ?」


 典医殿は押し黙る。……ああ、そうか、まあな……。


 彼女は一瞬だけイライジャに視線を走らせたのだ。


 つまりはまぁ、そういうコトだよ。


 ……イライジャ、悪いが君だって監視の対象なんだよ。

 そうだ、俺は周りのすべてが怖い。信じてはいない。故に疑いを持ち、罠を仕掛ける。

 調べさせて調べさせて、表裏を調べ上げてからではないと決して安心できないのだ。…小心、それに尽きる。


 小心者故の猜疑的衝動、攻撃的行動、防衛本能、それらを振るい分類分けしなければ俺は巣穴に隠れ続ける臆病者でしかない。


 今も俺を見るスティラの目が痛い。

 今だって彼女の眼差しは憐憫の微粒子を含んでいる。


 ……憐憫だ、間違いない。

 分かるか、だと? 分かるさ、あの眼は俺だ。あの眼は俺が見る俺の姿を映しているのと同じモノだからな。


 やはりスティラは別格だ。この女は俺と同じステージに立っていて俺を『理解』していた。


 余人にはわかるまい、理解して欲しいと思わない。説明するのも億劫で…すべき努力をしたいと思わないのだ。


 面倒…これに尽きる。


 孤高を気取るわけではないが、俺としては面倒をひっくり返してまで他人から理解して欲しい訳じゃないからな。

 だからまあ、説明からかけ離れた地平に在り、その立ち位置に居るだけでオッケーなスティラ・ザーツウェルという存在が有り難いのさ。


 

「さて…と、ソーカル、俺は君を辞めさせる理由が有っても殊更いま直ぐ館から出て行け、等とは言わんよ。好きにすれば良い。

 これまで通りイライジャの世話をするなり、アワ吹いて丘を(くだ)るなり好きにしなさい。給金にしても下げなければならない理由も無いので変更もなし、だ。

 但し、今辞めても退職金は出しはしない。理由が必要かね? なら説明しておく、君のあれこれを追跡するのが楽しくて随分と金をかけた。その費用を補填したいからさ。

 だが残るならその費用は減価償却の対象だ。したがって以降の働きが有用であれば給金だって上がる。そうなれば退職金の上乗せだってあるからな。

 ま、急いで答えを出さなくとも良いので好きにしろ。俺からは何の制裁を加える気はない。そいつを覚えておく様に。

 …俺は長湯したのでこれで(いとま)するよ、ドラクル、イライジャ、邪魔したな」


 返事を期待してないのでさっさと退散しますわ。のぼせはしないが随分時間をかけて風呂にいた。ひと寝入りする時間にはちと足りないのが残念だが、ここに残るだけの意味も無いし部屋に戻って待機してるのが良いだろうよ。


 立ち上がり脱衣場に向うとすると、またもや参入者が現れたようだ、浴室の入り口が開かれたのだ。


 …ユージーンである、その表情はすこぶる硬い。

 つまりは悪い知らせか……。くそ、マンガチックすぎた馬鹿みたいな展開だ。

 なんだこの茶番イベントは。

 お風呂でドッキリ、突然の闖入者、そこで発覚する意外な事実。ひとしきりありイベント終了、と思いきや更なるイベント発生。

 俺の主観といささか違うが事象面を傍から見ればこうなる。俺はマンガやラノベの主人公かよ? ならなんで俺はオークなんじゃないのって見掛けしてるんだ。主人公ならもっと見栄え良く映ってなんぼだろうに!


 まぁ仕方ない、誰に怒る訳には行かない。

 ユージーンに発言を促す。


「なに用か、と言いたいが、その顔を見ればあまり楽しい話題からかけ離れた糞くだらん話なんだな?」


 ユージーンは一礼する。


「はい、その通りです坊っちゃま」


 立ち上がったのだがもう一度ベンチに腰を落とす。


「…あの女が館より逃げ出しました」


「あの女ねぇ…さて、どの女性かね、主語を抜いては話は伝わらないよ?」


「……失礼しました。では改めて申し上げます。

 アーデルハイドなる当家の主人へ嫁ぐ予定の花嫁である女性がその役を不満に持ち、別に控えていた男性の手を取り先程当家より出奔いたしました…これでよろしいでしょうか坊っちゃま」


 そんなお前好みに合わせるのは御免だと言いたいが主人からのオーダーには逆らえない。ああくそ忌々しい。と言わんばかりに怒りのスパイスを盛込んだ声色で俺の付き人が説明した。


 ふん、そう来たか。いや結構結構、そいつを待っていたんだよ俺は。


「坊っちゃま、なに笑っておいでですか!」


 にやけが顔に出ていた。真面目が性分のユージーンが眉を釣り上げた。


「そりゃあ笑いもするさ。なぁユージーン、俺は何を期待していた? 連中が暴走して破談するなり破綻するなりを期待していたじゃないか。

 待ちに待った機会が来たんだ、そりゃ顔にだって出るぜ! く、ククク、クハっ! 駄目だ笑いが止められないわ!」


 堪え切れず笑いが出てしまうが、これはご愛嬌というモンだろうよ。

 いずれにせよ待ちに待った機会(チャンス)が来たのだ。精々有効に使うとしようではないか。


 ……どうにか笑いを引っ込める。


「で、逃げただけなのかい? どんな経緯があったかを説明してくれ」


「はい、…事の起こりは小半刻ほど前にアーデルハイドの部屋周りが幾分騒がしくなり、子爵家家中の者らが館のあちこちに出回りました。

 そうした次第で、こちらの配膳人が上の者に報告し、同様の報告が執事を経て家令様に伝わったのです。

 その報告を受けて改めて(やかた)内の動向を調べたところ、件の女が逐電したのが発覚しました」


「ほう、ではまだたいした時間は経っていないのか、ならばアーデルハイドは館から出ていないか、出ていても丘を降る時間はないな。

 いや、それは早計か、ここまで拒否する意思を示していての行動だからな、誰が手引していてもおかしくはない。

 ドラクル、貴様に訊ねたい」


「…なにか、お前様?」


 彼女の『お前様』発言にユージーンがぴくりと反応したのが視界に映った。

 スティラの言っている『お前様』という言い方は今はもう古語で使う人も稀になったので説明しておく。

 『あなた』『おまえ』と夫婦間や親しい間柄での呼び方があるよな、『お前様』とはその最上の呼び方なのだ。


 …つまり、スティラ・ザーツウェルという女性は俺を『主人』だと宣言した事になる。

 普段、彼女は俺に対して『お前』呼ばわりしていたのは周知の事実である。それを殊更『お前様』と呼んだのであるのだ。それが意味するのはつまるところ俺の妻になるのを選択した証なのだ。

 俺、スティラ、ユージーンは大人だからその意味を間違えるなどはしない。

 特にユージーンは俺とスティラが文句を言い合う(時にはなぐり合う)仲なのを“多少”眉を顰めて見ていたので、その仲が進展したのに気付いたのだ。


 まあさて置いて、俺は女医から妻に昇格した女に向き直る。


「俺の女と…家人として聞きたい、この騒動をどう捉える?」


「どう、とはなんだ。お前様にとっては予想された事態の様だが私はお前様の事情など聞いてはいないのでな、質問の意図する前提から分からんのだ、それをどう答えろと言うのか?」


 しかめっ面のスティラに苦笑した。確かに俺が悪い。


「失礼。いやね、俺の花嫁役の女が俺を嫌っていて、先程実力行使に出たのだよ。

 俺としては箱入りのガキらしく愚図っていれば何とかなる、或いは誰かが助けてくれる、くらいの(てい)の低い抵抗が精々だと考えていたのだが、予想の斜め下を行って逐電と来た訳さ」


「ああ、それはわかる」


「ここ迄は良い。ではこの問題はどう拡がる? と聞きたいのさ」


「拡がり、ねぇ。……単純に考えるなら婚約不履行だ。だが相手は貴族家、体面がある。…ならば意地でも初夜を成立させて婚約の成功を認めさせる。

 逆に隠すのを諦めて、こちら側に不適切な事柄をでっち上げて悪いのはお前様にある、と強弁する。

 これを選択した場合、体面は悪くなっても花嫁の意思を尊重して破談を有利に導く、となるな。それがなんの利を産むのか理解しかねるが、ともかくは構わないのかもしれない」


「だよな? では花嫁が無計画に逃げたのなら、どう逃げるつもりだろうよ?」


「……別に控えていた男性の、と聞いたが誰か居たのか?」


「ん、ああ、なんだっけユージーン?」


 ド忘れしたのでユージーンに振る。


「先日報告したのは庭師の中に不審な男が居た、です」


「そうそう、それ。スティラ、先日報告があったのは子爵家から当家に花嫁周りに付き従う使用人の中に奇妙な若い男が紛れ込んでいたのだよ。

 庭師の男なんだが、庭師には見えない若い男で見栄えも良いそうな」


「で、それが怪しい、か…なるほどね。

 んまあ短絡に見て花嫁の恋仲の可能性が高いな。

 なるほど。いやはや悪辣な伯爵から花嫁を奪い返して恋を成立させる、いや美談だ、実にウケる」


「ああ、若い娘相手の文庫なら人気沸騰拍手喝采の恋物語だよ。舞台になってもおかしくない」


「だがまぁ話を戻してその庭師とやらの手引きで出奔の可能性、か。

 時間的に館を出るのが精一杯だろう。ま、館の中に潜み我々を分散させて監視の目の隙をつく、そこで改めて荷馬車に紛れたりしてゆうゆうと、…いや、貴族の娘が荷馬車に隠れるような度胸は無いな」


「そりゃそうさ、罪人じゃあるまいし荷馬車になんぞ隠れはすまい」


「ところで、その庭師は周囲の地形とかは把握しているのかな?」


「さて、どう思うユージーン?」


「…庭師ですので、多少なりとは…、申し訳ありません、私では考えが至りません」


「いや、貴女が謝る必要はないよ。話を振って悪かった。

 なら…有る、と仮定する。

 であるのなら逃げるのは難しい、と見るべきだ……」


「お前様、続けてくれ」


「ドラクル、貴様だってこの館の立地はわかるだろ? 前面は開けていて、多少の建造物と集落はあるが基本は見通しのよい斜面だ。反対に館の裏手は深い森林地帯で前面と違い障害に溢れている。ああ、実際にはあまり入っていないでいたよな。

 少し説明すると、基本的に伐採はしていない。

 伐採の手が入っているのは館の別館や四阿(あずまや)、避難用の小屋に繋がる小道に限られる。それ以外は手を加えず自然のままにして崖も多い。そしてそこら中に防衛用の土壁が配置してあるのさ。

 だからな、そんな要害に土地勘の無い都会っ子が入れやしないよ」


「それはこちら側の観点にすぎない。あちらはあちらでの物の見方があって当然だがね。違うか?」


 ……確かにな。それは見てなかったわ。


「ドラクルが正しいな。さて、なら探す範囲も広げざるを得ない訳だ」


「しかしそうまでするには人手が要る。また騒ぎを起こしたくない背景がある、したがって人が多勢に導入できない。…困ったな、手詰まりじゃないか」


「……或いは、静観するのも手だ。ドラクル、貴様が言う通り騒ぎにしたくない。これは絶対だ」


「……考えを変えよう辺境伯閣下」


「発想を変える、しかない。ふむ……」


 俺達は押し黙る。今は安らぎを与えるはずの蒸気が疎ましく纏わりついた。


「…兄さん」


 不意に義弟だか義妹だかややこしい子供が口を出してきた。まあ邪険にはしたくないので聞いてみる。


「なにかなイライジャ?」


「はい。あのししゃくさん達は何をしてるのですか?」


 ……忘れてたわ。有り難うよ!


「ユージーン、子爵を執務室に呼び出せ、詰問する必要がある。急げ」


 はい、と返事を残しユージーンは足早に出て行く。


「イライジャ、君には感謝しかない。有り難う。

 さてではドラクル、貴様は俺と来てくれないか?」


 そこまで言って小さな義弟妹の頬に手を伸ばす。

 頬から髪の側面を撫でるように触れた。


 嬉しそうなイライジャの顔を見れば、先の不快感も霧散するのを感じた。

これで20万文字達成しました。応援有難うございます!

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