第二十九話 ロイド、婚姻の儀式その朝
ユシュミ子爵らが到着した翌日より館には他の招待客たちが続々と集まってきた。
招待客は北部の近隣の貴族、豪商、文壇や芸術の分野の著名人、それと帝国から派遣されてきている弁務官だ。
弁務官は各地に配置された帝国からのお目付け役で、帝国中枢部から領主に直接繋ぐ連絡役である。
お目付け役だが監督ではない。監視はするが領主をどうこう出来る権利はないのである。
それはともかく、公的な帝国からの役員なので招待せねばならない。
あと分家八家が集まってきた。連中とはあまり仲良くない。一家はわりかし仲が良いが、他の家はダメダメだった。
貴族の結婚式は帝都なら他の貴族を見境なく招待出来るが、ここの様に地方では近隣に限定される。
日本でなら新幹線や飛行機でひとっ飛びだけども、この大陸は広い。新幹線も飛行機もない世界なので『チョイと来いや』なんて言えないのだから。
また北部は連層大山脈が分断している事情もあり、北部の代表格の北都の大公すらも来ることは無いのだ。必然的に近隣に限られる。
ま、正直のトコ、気楽で良いとは思う。ぶっちゃけお偉いさんに囲まれた式は御免だわ。田舎領地に引っ込んでいる限りはのんびりやりたい。
話はそれたな……とまあ、そんなこんなで招待した客は館に収容出来る範囲に収まる。地元民の豪商とかなら自宅から来ればいい(と言っても宴席の場なので彼らが休憩できる部屋は用意してある)
館には幾つもの客室があり、80人あまりの来訪者が寝泊まり出来る。
館は本館と別館、迎賓館、儀式を執り行う祭儀所とで成り立っている。本館は領主一家や客の為の場で、別館は従者たちが寝泊まりする用だ。ちなみに別館には170人が使用できる寝台が設置してある。
近隣の貴族や豪商、著名人たちが集まると下働きする人間が足りなくなるので臨時に街から女性を中心に30人ばかり雇った。彼女らは給金の高さにも惹かれたのだろうが、何人かは見初められて囲われるのを考えた人もいると思う。貧困な環境よりも…と言う考えは分からないでもないが、いやまあ俺がどうこう言えるハズもないな……。
ともあれ、人が増えて館のある丘は俄然賑やかになって来た。
が、俺は現在進行形で猛烈な忙しさの中に在る。
主催者で主役…いや結婚式の主役は花嫁の独壇場なのはこの世界でも変わらないのだがね…、まぁ、来客への応対が忙しいのは当然なのだが、加えて領主の仕事も疎かには出来ない。
だが突然年間予算の配分に問題が生じ、その対策のために審議や会議が徒党を組み俺を襲ってきたのだった。
報告を上げてきた政庁からの職員は申し訳なさ全開で平謝りだったが、迷惑かを別に領主としては当然の仕事である。急ぎ対策室を設けて処理に当たる事にした。
予算は厳密に組み上げた結果の施行なのだから、急にもう十万ほどくれないかと言われても出せるはずが無い。予備費があるから、とは行かない。予備費は災害など人の及ばない次元で発生する事案で使う金なのだ。
特別会計なんて単語は田舎の領地にはない。そんな経済用語は帝国上層部のヒトしか使わないがな。
それに去年までにプールしている筈の予備費は名目上の存在である事が判明した。今までの政庁に務める連中が自分のポッケに入れるために勤しんで居たからである。
特に経理の人間が酷かった。上は部長から下は平職員まで万遍なく横領していた。経理で横領していなかったのは平職員の男女四人だという結果をみれば、政庁の不正がいかに深刻であったかを物語っている。
経理にせよ政庁の不正体質は俺が改革を目指す原点なのだから、徹底した根源治療を行なう必要があるのだ。
今はまだ改革を始めたばかりである。人員を一新したいのだが、不正した職員全てを解雇したら業務が死亡するレベルなので、程度の低い者は減給程度に止めて流出を制限せねばならなかった。
役員は全員Auto…いやOUTだ。連中は軒並み公民権を取り上げ、財産差し押さえて帝国外に追放した。それ以下の者は度合いに応じて処罰している。現在進行形で語ったのは猶予もあるが引き継ぎの為だ。あと二ヶ月で一応の目処はたつ。
しかし予算のカツカツさもそうだが、振り分ける為のリソースのなさに頭痛が痛い。いやもう何を言ってるのかわからんくらい頭を悩ませてくれる。
先週くらいから微熱があって、それが治らないから余計にツラいんだよ……。……そういや微熱は2.3年前から出るようになったな。体質変わったのかねぇ?
ま、話は戻して予算の配分に関わる見識のあるベテランが少ないので帝都で雇った連中から予算編成に強い者や、うちから執事たちを引っこ抜いて大車輪で事案に立ち向かっている最中なのだった。
あと5日で式なのだが、この3日は仮眠を一日に二度取るだけの忙しさにある。ぶっちゃけ、来客への応対は誰を相手にしたのかを覚えていない。
俺も忙しいが、予算編成に付き合っている皆も忙しさに芽が血走っていて、端から見れば異様な集団にしか見えないでいる。
昨日から対策室では三度か四度奇声が上がっているが、俺も時折ヘンな言葉を口に出しているので笑えなかった。
子爵らを嵌める謀略はコツコツ進んでいるらしい。やはり女性使用人に対するセクハラが多いとの報告を受けた。
子爵自身は基本的に尊大に行動しており、何かと自分の屋敷ならこうだとか自領の方が上だとか言っているそうなんですってよ奥さん。
自分をアゲるのは誰にもある癖だろうからとやかく言わないが、他人の家の者に押し付けられても困る。あと、チップをケチるのはいくら何でも狭量だと思うのだがね?
家長がそうだから下の者も言わずもがなである。例外は子爵夫人とその女性使用人達だ。帝国自体が男尊女卑の傾向が強いのだが、西部は特に強いらしい。
その反動が出るのかと思ったら、女性使用人達はますます萎縮していると聞いたのだ。
離間工作とまでは行かないが、家令のジルベールから彼女らにチップを弾ませて家の格の違いを見せつける案を受けた。
俺としても小細工上等なので、あからさまに女性優遇を指示したのだった。
効果が出るにはもう何日か必要なのだが、何人かはこちらの家が羨ましいとの台詞を聞いたとの事。また夫人も態度はこちら側に比重を置いている。これは毎日彼女と会話しているので、リップサービス込みでも軍配が上がっているのだ。
阿呆みたいに忙しい数日だが、夫人との会話はやはり楽しいモノで、この時間は忙しさを忘れてしまう。
ふふふ、帝国一のマダムキラーである俺様だから出来る楽しみ方であるのな。
……俺は自分がマザコンだと思っていない。いやその傾向があるのは理解しているが、取り立てて甘えたり、『ママーっ!』なんて言った事はない。ホントだよ?
婦人がたに傾いているのは単に年上の方が扱い易くて好きだからだ。若い娘さんは俺を嫌悪している場合が大いので最初から警戒している性でもある。
男性と違い、女性…年配の女性は男が見てくれよりも、いかに自分を大事にしてくれるのかを重視するのだ。無論甲斐性なしは論外だがね。
その点、俺は貴族の人間で一般市民の男よりかは財力に自信がある。そして女性の立場や権利に理解を示しているし、女性の長話も丁寧に付き合える。
顔はひたすらマイナスだが、磨いた対人スキルをフル活用するので俺の評判は女性の貴族社交界の中では高い部類に入っている。
そして、これこそが鬼札なのだ。
俺は男性貴族には高圧的に或いは傲慢不遜に振る舞う癖がある。そのせいで帝都での社交界では鼻つまみ者で通っている。だが、決して排除されないでいたのだ。
理由は大まかに二つ。
第一に、俺の友人であるグーン大公の長子であるアレックスと懇意であり、彼が俺を厚くもてなしているので下手に俺を貶せばアレックスに、果てはグーン大公を貶す行いになってしまうからだ。
藪を突ついて蛇を出す、事は大抵の人間は行わない。またその程度の愚を犯す馬鹿は帝国には少ない。
ああ、俺は自分とアレックスとの仲を利用しているのは事実である。保身でもあるから否定しない。自己弁護が許されるのなら、俺とてアレックスに相応しい友人である為に努力をしてきたのだがね。
その結果として、迂闊に俺を…公然と…非難する流れは出来にくいのだった。
まぁ、それはそうとして、第二に社交界には二つの潮流がある。
男の社交界と女の社交界だ。
男性は男性とで交流を深め、女性も女性だけの交流がある。その女性の世界で助けてもらっているからである。
年輩の女性貴族の方は夫から見放されている場合が多くみられる。
男から見れば妻は嫡男を産む為の道具であり、性欲の処理なら幾らでも代わりはある。勿論、妻を大事にする夫もいるが、男性貴族の大半が複数の女性と関係を持っているのだ。一穴主義を貫いた男はほとんど存在しない。
俺みたいな醜男でも辺境伯公子であるからと言う理由で関係を迫られた経験があるのだ。
でだ。ある時、とある夫人が夜の生活に不満が溜まっていて誰かを紹介して欲しいとのうわさ話が流れてきた。
男性貴族と違い、貞淑さを求められる女性貴族は容易く男と関係を持てないでいる。女性貴族はいかに自分の性欲を発散させるかは至上の命題でもあるのだった。
こいつに目をつけた俺は女性使用人達のネットワークに便宜を図ってもらい、とある伯爵夫人…エーリカ・マキラ・フォン・オージズ伯爵夫人に行き着いた。
ある夜会にてエーリカ夫人に接触し、会話をする機会を得た。最初は俺の提案を拒否したが、その後も果敢にアタックを繰り返し、遂に攻略を成功させたのだった。
一度成功すると、その夫人は危ない火遊びに病みつきになり、夜会だけではなく日中も楽しむようになった。
火遊びであるがそれゆえに過剰にのめり込み、大いに夫人の不満を解消させる事になる。
そして、夫人は自分の他にもこうした問題をかかえる友人の為に俺を紹介した。
帝都にきて四年、俺と関係を持つ女性貴族は既婚未婚合わせてふた桁を余裕で超えていた。この女性方は自分達が疚しい事をしているのを公にはしたくないので、この繋がりは水面下の密かな潮流となった。ある種のカルト組織でもある。
俺は別段それをどうこうして貴族社会にコミットする気は無い。単に自分の性欲を満足したいがためである。それは女性貴族の皆もそうだった。極論するならエッチな事をする為の互助組織だ。
そこに利益が生じるのは必然だった。
情報だ。様々な情報が俺に流れてくるのだ。そいつは無害なモノから非常に有益なモノまで。
帝都の派閥は公のモノから秘密の派閥までと、その大半は俺が掌握するに至った。それは派閥だけでなく当主の小遣いから、愛人の数、借金の額、隠し子etc.etc……。
気がつけば下手なゴシップ記事を編纂する新聞社どころか諜報機関…は言い過ぎだが半端じゃない情報が集まっていた。
話を戻す。
俺は関係を持った幾人の夫人方から絶大な迄の支持を受けるに至った。
男性貴族社会の中では蛇蝎の如く嫌われていたが、表面上…社会的には俺の悪評は流れることは無い。いや流れても自然と沈静化するのだ。これら夫人方のロビー活動の結果である。彼女らから支えてくれた背景と友人のネームバリューと併せて俺は強かに生き残ったのだった。
この繋がり、これこそが俺の鬼札なのだ。
帝国にファーレ辺境伯公子ロイドは女性の心を尊重する若き貴族だ、との評価を得たのだ。
同時に人権問題に理解を示し、女性の権利主張を後押ししていた事もプラスに作用した。
この点はブローグ伯爵夫人のリザベート姉さんからの教育の賜物であるが、レティカとの交流からの結果でもある。
意図的でもポーズでもあったが、俺が女性問題に携わったのはナチュラルに事実なのだ。この点は自信を持って自慢したい。
これらの経験があり、俺は女性の…年輩の女性の扱いが上手いのである。
子爵夫人の立場や心情を推し量るのは苦でもない。手を出す気にはならないが話を聴く位は全く造作もないのである。
しかしながら逆に若い娘さんは苦手だ。
現実より理想を求めたがる若い子は間合いが掴め辛い。婚約者であるアーデルハイド嬢は完璧に俺の苦手の部類に入る女だった。
婚約が決まってから二年経つ。
その間に出した手紙は七通あるが、返ってきたのは二通しかない。しかも内容はコピペじゃねーのと言うくらい素っ気ない乾燥した単語の羅列だった。
まぁ、俺も好かれようと前向きに努力なんかはしていない。だから彼女を悪く言える資格はないのだ。
はっきし言って、俺は妻になる女性に期待はしていないでいる。完全に逃避で、全く女性に悪い俺が非難してきた男性貴族そのものである。いやはや、因果応報とはよく言ったものだ。
そのアーデルハイド嬢とは今日も会話が成り立たなかった。どうも長旅の疲れが癒やされない状態が続き、遂に寝台から離れるのも辛いらしい。
アーデルハイド嬢の体調も心配だが、婚姻の儀式にも影響がないか不安になる。
ここにきてまでコレだ。気が重たい……。
俺の気分は周りにも伝染していた様だった。皆のモチベが下がり、館の結婚イベントは全く盛り上がりを見せていない。
主催側と招待客側の温度差が乖離しすぎて取材に来ている連中が頭をひねっていた。
この調子では式は円滑に進まないやも知れない。
それに仮に式が上手く行っても、夜…初夜がどうなるのか考えるだけでもしんどくなる。さらにこの土壇場にありながら俺と彼女との間には埋め難い溝が横たわっていて、お互いに歩み寄る事はなかった。
何度も言うが、俺はこの問題を解決する気にはならないでいる。仮面夫婦結構だ。
どうにか初夜のイベントこなして後は捨て置く積もりである。子供はそのうちコウノトリかキャベツ畑か油田からプレゼントされるだろうよ。
知った事か。
アーデルハイド嬢が妻になった後で、彼女が何をしようと関知しないし、したくもない。托卵以外は好きにさせるさ。
微熱と応対、会議の疲労とで倒れそうだ。
だが予算対策にも解決の目処が立ち、俺はようやく熟睡できる一夜を手にした。式は明後日となる。
寝床につく前、居間にて身体を休めていると訪問してきた者が来た。
ドラクル…スティラだった。
「何の様かなドラクル?」
「貴様が参っていると聞いたのでな、薬を処方して持ってきたのさ」
彼女は何時もならギラギラギョロギョロとした左眼をしているのだが、今夜は全く鳴りを潜めた静かな眼をしていた。
どうも真剣に憂いた様である。その静かな眼差しから新鮮な感動を与えてくれた。
「私のフランシアがカンポーの薬剤取り扱い免許を持っているのだよ。話した事はなかったな。まあ良い、コレを飲め。
このカンポーは疲労回復にたいへん効くと保証してくれたよ」
彼女が渡してきた薬包みから漢方独特の匂いが鼻を突いた。
漢方はカンポーと言う名目でそれなりに広まっている。やはりそれなりに効能があり、それなりに市民権を有している。
それなりに、と強調したのは漢方独特の胡散臭いイメージがここでも定着しているからだ。どうしても確立された医学とは見られていない。
「アリガタクイタダクヨ。ドーモアリガトー」
棒読みになったのは意図していない。しかし、やはりドラクルは聞き逃さなかった。
「後で、なんて言うな。今飲んでみせろ」
「ハァ? 失礼な、ちゃんと飲むよ! ……気が向いたらな」
「いい訳無用だ辺境伯。私の目の前で感謝して飲め」
「好意は有りがたく受け取ったから帰っていいよー」
俺の軽い感じの返答を聴き、ドラクルの瞳に凶悪な光が点った!
「ほほう、良い度胸だ」
「おう、それが俺の特徴だな。いやぁ結構結構」
「ならばその度胸とやらで薬を飲め。早く飲め。そして死ね」
「おぉい! どさくさまぎれてナニ言いやがった!」
この女、マジ頭おかしい。この輝ける偉大な大天使の化身である主君様に向かってなんて口を利くんだ?
「気のせいだろ? 私は貴様を憂いたからこそ薬を包んでもらったのだよ。さあ感謝しろ、感謝したなら跪いて感謝の意を表わせ」
……コイツいけしゃあしゃあと……。
「おいおいおい、行き遅れの人格崩壊した自称天才女医師ちゃん、遂に壊滅的に頭がおかしくなったか? いやおかしいのは俺も承知している。ならば哀れで惨めな地に這いつくばるのがお似合いな貴様を飼ってあげている人類を導く優れた頭脳を有した勇往邁進有能超絶絶倫焼肉定食皆がひれ伏す大地の覇者たる美麗で聡明なこの俺が手ずから是正してやらねば世間様に顔向けできないな。ああ出来ないね(反語)
よし、今から調教…もとい、熱心激烈な教育的指導してやるからその貧乏そうな穿き潰したほつれの目立つババ臭い色の下着を脱いでみっともない貧相で臭いケツを向けて御願い姿勢で今までに犯してきた罪を告白しやがれってんだコンチクショウバカヤロウコノヤローそしたら技巧を極めた俺からの愛に満ち溢れた猥雑すぎて説明できない色々なご褒美を与えてやらん事もない事を検討して厳格な審査を経てから今回の応募どうも有り難うしかしながら誠に残念でありますがこの度は御縁がなかった事をお詫びします」
スーパー早口でまくし立てる。コイツと口論するなら相手の言葉を聞かずに俺からの要求を押し付ける事が肝心であるからな。
ふぅ、一息ついてさらなる台詞を紡ごうとした…ら…。
バチンッ! と頬を叩かれた。
綺麗に決まり目から火花が飛び散る。
「にゃ…にゃにすんだ!?」
「ああ済まないな、目の前に気味の悪い物体が居たからつい手が出たんだ。いや別に貴様が気味の悪い物体だと言ってはいないよ」
「おうコラ藪医者、崇め奉るべき貴族様に手ェあげるとは良い度胸じゃねーか」
「あ? ああ、そうね、貴族様だからね。確かに下々の人間が貴族様に手を上げれば無礼打ちされても仕方ないさ。
けれども貴様、ひとつ忘れていないかな?」
「……?」
「私は帝国学会の一員なんだよ」
「ッ! き貴様……」
「ふふん、ようやく気付いたのかね。そうさ私は宮廷序列は辺境伯位と同格! 故に貴様を殴った処で無礼打ちにならない! ふ、ははは…あ~ははは!」
……事実だ。すっかり忘れていたが、学会の一員なら爵位、領地、年金などの特権は無いが宮廷序列には辺境伯相当として遇されている。
しかし…墓穴を掘ったな魔女め!
バチコーン! と俺もやり返してやった。
見つめ合う、俺とドラクル……。
「「ふざけんなーっ!」」
俺達の怒声が重なった…………。
引っぱたきの応酬はエスカレートし、殴る蹴る(これは専ら彼女からだが)を経てベッドでの大人レスリングにもつれこんだ。
正直、俺は疲労困憊の体でやる気もスタミナもエンプティだったが、昂ぶった勢いのままにエッチタイムに挑んだったのだ。
貴重な休める夜はこうして流れた。
しかし彼女と発散したのか、はたまた飲まされた漢方が効いたのか、翌朝は快適に目覚めれたのだ……。
ところで、漢方って飲みやすいとか甘いのとかは無いのかねぇ……苦かった……。…………あ、オブラートはなかったっけ? あれ見たことねーな。
作り方誰か知らんのかのぅ……。
「坊っちゃま、今朝は顔色が善くなられていますね。昨日のお顔はたいそう厳しそうでしたので心配していました」
朝、ユージーンが部屋に入ってきた時は心配そうな顔だったのだが、俺の顔を見てニッコリと笑う。
「ん、ああ、ドラクルから貰った薬が効いたのかな。今朝は頭が軽いよ」
「それは良うございました。坊っちゃまは明日には式を挙げられる身です。お身体に不調があっては式に差し障りますので」
「なに、心配かけたね。
……あぁ、明日には妻を娶るのか……なんだか実感が湧かないよ……」
俺のぼやきにユージーンが小さく笑う。
「坊っちゃまも二十歳、奥方様を迎えるには丁度良いお歳です。
それに今は御当主様の座に居られ、帝国譜代の列に並ばれる大貴族様なのですから、箔もお付きなられて私ども臣下一同、心より安泰しておりますれば」
「有り難うユージーン。
だがね、肝心の花嫁殿とは一向に会話すら出来てやいない。前途多難極まりない」
俺からのぼやきにユージーンの眉が顰める。
「それですが坊っちゃま、ひとつ不審な点が見受けられます……」
「……聞こう」
どうもきな臭い感じだ……。
立っていた窓ぎわからソファーに移り沈みこむ。ユージーンは俺の前に立ち、居住まいを正した。
「アーデルハイド様にお付きになられる家臣のひとりに庭師がおります。ヤンセン・ブロードという名前の若い男性ですが、どうも怪しい、との話が出ているのです」
「どう、とは?」
「庭師というのがどうかと。
……彼は庭師という触れ込みなのですが、どうにも庭師の様には見えない…その、彼の手や指が庭師にはそぐわないとの話です。
園丁さんから昨日ジルベスターさんと女中長様に報告がありまして、私には女中長様からその旨を聞きました」
「…うん? 庭師には見えない庭師ねぇ……、だが根拠に乏しいじゃないか。……新人の可能性だってある」
「はい。それともう一点、偏見もありますが庭師には派手な顔立ちの人間は少ないのが相場です。
庭師は大地と向き合う辛抱強さを求められる職です。ですが、かの者は真逆の薄くなのを隠しきれない優男。
指にせよその風体は余りにもそぐわないのがあります」
「…………確定した証拠がない。
印象は大事だ、それは分かる。だが『〜かも知れない』ではどうにもならんよ」
「ですが坊っちゃま、もし…もしもですよ、もしも善からなぬ輩なら」
「善からなぬ輩だろうがその庭師は向こうの使用人。俺から何が出来る?
もし俺に問題を持ち込む人間なら、それは問題を起こしてからだ。現行犯である事を確認したなら、まあ、その時は俺が裁けば良い。違うかな?」
「……坊っちゃま…………」
心配そうなユージーンに笑いかける。
「案ずる必要はないよ。一応は警戒して監視しておいてくれ。
それにだ、その庭師だってどこぞの暢気なボンボンが心機一転して、違う職に就いた真面目な人間かもしれないじゃないか。それなら優男でも場違いではないさ」
問題を先送りにしても構わないだろうさ。だが……。
「ま、一応調べさせるかね。
身元を調べるようジルベスターに伝えてくれないか。今からでは時間がかかるが、やらないよりかはマシだな。
それで構わないな?」
「はい、承りました伝えます。
では坊っちゃま、朝食になさって下さい。……お時間をおかけして申し訳ありませんでした」
「ユージーン、俺は貴女が居てくれて感謝しない日はないよ…ありがとう」
もう一度笑いかけて話を終わらせる。
…………そしていよいよ婚姻の朝が来た。
「……式を拒否、か、今になってだとはな…………」
とんでもない事態になった。
この土壇場になって新婦が俄然拒否を宣言し、部屋に閉じこもったのだ。
家令のジルベスターと女中長のフレイが顔面を白く染め上げ俺の前に立っていた。
居間には俺とイライジャ、ユージーンに衣装係の男女が居たのでやや手狭な部屋に熱気が籠めていたのだが、爆弾を運んできた二人のせいで室温が下がった。
礼装の袖を通す腕を止めて、ソファーに沈む。
さて、困った……。
「……はは、嫌われていたが、よもや……」
乾いた笑いが出たが、笑ったところで事態は変わらない。
「坊っちゃま、このままにはしておけません、あの女を引きずり出してでも」
「…………引きずり出してどうする? 式で何するやも知れん人間に一体ナニを期待出来るのかね?」
「ですがもう今日は式の当日です。今から取り止めなど」
「急な事態が発生して式典続行が不可能とかな…、ふん、俺が急死したならば式なぞ」
「! 坊っちゃま!」俺の台詞に被せるようにユージーンが遮った。
「馬鹿な事をおっしゃらないで下さい!」
彼女の明確明瞭な怒声に俺はふざけてはいけなかったのを知った。
「いや済まない……、済まないユージーン。今のは俺が不見識だったよ。
……しかしだね、俺かアーデルハイド嬢に今トラブ…いや今急な問題が起こらない限りは式を取り止めれる理由にはならないと思うのだが」
「…………それは……」
「彼女にしてみれば、俺との婚姻は心底拒否すべき事柄なんだろうよ。
今この時点で部屋を出ないのであれば…そこに示した態度に何等後悔しないだけの覚悟がある証左だ。
彼女とて貴族の人間、損得善悪を吟味して下した判断、なれば誰かが説得したところで彼女の意思を変えることなんぞ出来はしまいさ」
「ですが今のままでは式を取り止めなど不可能。よしんばアーデルハイド様の意思を尊重して式を取り下げたなら、当家の評判は間違いなく下がります。
評判だけでなく家格が下がれば最悪、旦那様の爵位剥奪も有り得る話です」
家令を勤めるジルベスターが弱り目に…されど断固とした眼差しで事態を指摘してきた。
(……確かに爵位剥奪もあるかもな、いやいっそ気楽な話だがね)
後ろ向きなのを自覚して内心だけで苦笑した。
俺の悪相はマイナス思考も相まって、こういう事態には不機嫌にも見えるのが特徴だ。自動的にシリアスになれる顔は中々に使い勝手いい。その持って生まれた悪顔にやはり内心だけで笑顔になっていた。
だが笑えない事態には変わりない。何か方策は無いものか…………。
「……誰かに身代わり…いや無理だな」
つい独り言が出てしまった。馬鹿馬鹿しいプランを切り捨てる。
「止めるのに相応しい理由付け、ねぇ……」
「……坊っちゃま、今坊っちゃまが身代わりとおっしゃいました」
「? 誰か代われる者いたっけ? いやそれは無理だ、そんな馬鹿馬鹿しい代案は却下だ却下」
俺は切り捨てるのだがユージーンの瞳が光る。
「居ます。
坊っちゃま、代役が居ます……イェラを使いましょう」
「は?」
俺のみならず、ユージーン以外の皆が目を点にした。
「イェラ…彼女を花嫁に仕立てて式を強行します」
そのびっくりな、余りにも驚きな案に場が驚愕に染まった。理外にも程がある。
「…………いや無理でしょ? イェ…イライジャは男だし背も小さい、無理がありすぎる」
「見た目は女の子です坊っちゃま。背は低いですが式の最中はほぼ身内でございます。その後の市中への幸列は馬車から手を振るだけですし、何より市民は花嫁の顔を精密には知っておりません。同じ西方の民であるイェラなら関係者が口裏合わせれば問題が無いのでございます」
時間が押し迫っているのでユージーンは早口で捲し立てた。
分からない訳ではない…特に関係者以外はアーデルハイドの顔をまともには知らないのだからな……。しかし……、
「しかし、俺は……イライジャを花嫁に見立てて祭壇に立ちたくないのだが……」
「坊っちゃま、それは坊っちゃまの感想に過ぎません。
何も坊っちゃまがイェラと結婚をする訳ではありませんのですよ?
私は坊っちゃまにあれこれ指示は出来ません、当たり前です使用人ですから。ですから提案です、しかしながら差し迫っている火急の案件なれば是非に通す必要を感じました。
坊っちゃま、此処で式を破棄するのならば坊っちゃまの威が問われます。臣下として決して見逃せぬ事態なので伏してお願い申し上げますれば」
ユージーンの願いは場を彼女の案を支持する方向へ持って行ってしまっている。俺以外の皆が俺を注視していた。
読んでくださった皆様にはとても感謝しております。
なんとか見切り発車から軌道に乗れたのは皆様のおかげですありがとう御座います。来年もよろしくお願い致します。