第二十六話 ロイド、伯爵家からの要請を受け入れる
八月は入院してて投稿が遅れました。
ブローグ伯爵の屋敷に入り、俺とグレッグは応接室に通された。ユージンとイライジャは別室へ。
以前と変わらない品の良い応接室には伯爵の姿はなく、伯爵の夫人が独り佇んでいた。その姿は往年の其れと余り変わる様子でない。遠目にも溌剌とした姿が見て取れた。
リザベート夫人はソファーから立ち上がり、丁寧な一礼をする。笑みを大きくし俺を招き入れた。
「お久しぶりね、ロイド君!」言ってからしまったという表情を浮かべ、夫人は頭を下げた。
「申し訳ありません、ファーレ辺境伯様」
俺は苦笑してリザベート夫人に近づき手を取った。
「謝罪なんて! 今まで通りロイドと呼んで欲しい。……夫人は変わらずお元気そうですね」
彼女は少し顔を赤らめ、俺の手を包み直した。
「御免なさいね。でも、立派にお成りに。……ふふ、あの少年がもう5年になるのですね。ご両親は不幸な事になりましたが、立派に成られた貴方が領地を継がれるのですから安心なされるでしょう」
「いえ、まだ成人とは言え未熟な身ですよ。夫人におかれては宜しく指導頂きたい」
今の物言いは爵位持ちとしては多少アレだが、彼女は聡明な女性だ、関係を悪くしたくない。何度も言うようだが、俺は女性には腰が低いのだ。
彼女は俺の変わらない態度にちょっとお姉さんぽく口調を改める。
「あらロイド、夫人、じゃなくてリズ姉さんでしょ?」そう軽く胸を張り済まし顔で告げた。
「フフ、もう流石にお姉さんって歳じゃないかな。実は少し前に赤ちゃんを授かったの。……男の子と女の子の双子なのよ」
おおう、これは驚いた。
毎年一度は手紙をやり取りする仲だが、妊娠の話題は出なかったからな。……ああそうか、流産とかあるからな。
実の所、民族的な風習なのだ。この時代に限らず新生児の出産率、生存率、成長率は高くない。おめでたから元気な赤ちゃんの出産でないので新生児の祝いは3歳まで行わない。
ついでに説明しておく、部族氏族特有の祝い事は別にして帝国文化に誕生日を祝うイベントはない。毎年、新年の祝いについでで祝うのだ。新年の祝いとは『今年も良い年であります様に』と『無事に一年を過ごせました』なのだ。一年を過ごせましたが、一歳年をとりましたイコール誕生日扱いとなる。
誕生日を祝う習慣があるのは転移してきた人特有のイベントみたいなモノなんだな。俺は面倒だから流行らしたいと思っていない。クリスマスやバレンタインなんかのイベントも同様だ。決して邪教のイベントだからじゃないぞ? 違うんじゃよ。うん。
閑話休題。
「赤ちゃんですか、お疲れ様でした。健やかに成長します様、お祈りします」
おめでとうございますは3歳までお預けさ。これが一般的な挨拶だ。
リズ姉さんはニッコリと笑みを見せた。
「ありがとう。ロイド君も辺境伯と成られたのだから早くお嫁さんを迎えないとね」
「婚約者は決まってますよ。写真を見たのですが、俺には勿体無い方です。西方貴族の娘さんで、まず良縁かと。……間もなく婚姻の式を挙げる予定です」
「そう! それはおめでとう! でも西方の方なの? 北部ではあまり見られない婚姻なのね」
そう、それは事実だ。そもそも西方…西部と北部は抗争の歴史がある。帝国統一は北部が最後だ。北部平定に西部貴族集団が先陣を切り、争いを繰り広げたのだ。今でも北部の民には西方の人は余り受けられていない。
俺の婚姻の根底は親父が商業圏の拡大を狙ったのと、婚姻相手、子爵家の当主が結納金目当てに(財政が少々厳しいらしいとさ)結託した結果だ。結納金はともかく、販路の拡大は経済の活性化に繋がるから反対はしない。
まぁ、問題はある。俺と相手の娘さんとの関係だ。
帝都に居る俺と領地の箱入り娘さんとの関係は手紙や写真だけだ。それだけなら問題ではない。俺は正直積極的でないのと、相手もまた積極的でないのが問題なのだよね。
そいつは相手からの手紙には義理なのが明確な事だ。ま、そりゃそうだ。俺みたいなキモデブを受け入れるには風変わりなんて目じゃないレベルの恋愛観が必要だし、俺も結婚には懐疑的なんだから。
あ、相手は綺麗な娘さんだ。今年で…えっと…17歳だったっけ? 西方民族特有の黄色ががった肌、黄土色の髪で、目つきがやや陰鬱だがまぁ美人の範疇なのだ。ああそう、イライジャと似ているな。最近のイライジャは会った時と違い、歳相応な朗らかな表情を浮かべている。
おそらくだが、俺の婚姻相手は俺に笑みなぞ見せはしない。単なる予感だが、確実な未来予測図だと感じている。醜男の如く僻み、まぁそんな所だね。
「父の用意してくれた縁談です、疎かには出来ません。式は自分の初舞台となるので盛大に成らざるを得ませんね」
「そうね、初のお祝い事ですものね。私からも何か贈りましょう!」
「ありがとうリズ姉さん。楽しみにしています」
日本人的な感覚なら一旦遠慮するものだが、帝国では贈り物は遠慮しないのが当たり前。出す側は財布…財力に見合った品を贈り、受け取る側は堂々と受ける必要があるのだ。後、見返りを期待するのはナシだ。こうした場合は感状を返すだけで良い。先にあった帝都での送別会みたいに損得なぞ関係なしに贈り物を交換する宴会だってあるのだがね。
「でも、ロイド君。帝都ではやんちゃが過ぎて?」
「まぁ、そうですね。ですが必要だったので」
侯爵夫人の件だ。しかし別に後悔するような案件じゃない。
「夫人を奪った事は問題でしょうが、彼女は夫から不必要だと烙印を押されていました。俺はそれを是正しただけの事。
また、他のご夫人方を寝取ったのは双方に必要だっただけですよ。夫に隠れて商売男を相手にするよりも、俺がキチンと相手をし、手当てを約束してきたのです。
男共が年を召した妻を見限り、他の若い女性を相手にして来た事をやり返しただけの事です。文句なぞ出せる訳がない」
「……そうね、そうした一面は確かにあるのでしょうね」
リズ姉さんは困った表情を浮かべたが、一応は同意してくれた。何より不当な女性差別だったのだ。光を当て、社会問題にした事実は重要であった。
他の女性を、既婚未婚商売限らずに、平気で抱いてきた男共に女性側が反旗を翻した画期的な事件だ。女性の権利をうたってきたリズ姉さんにしてみれば文句は出せない。まぁ、やり方が些かアレなんだが。
それから暫くリズ姉さんと帝都での女性問題について語り合った。だが、これは前座にすぎない。本題へと話を向けた。
「さて、リズ姉さん、いえ伯爵夫人。此度の災害、同じ問題に遭遇した領主として深い哀悼を。
先日、ブローグ伯爵からの要請を受け、自分と問題に対処する部下と吟味を致しました。それを踏まえて問います。
……無償援助は全て履行します。ですが、有償援助には些か問題がありますね。伯爵の出した条件では返済に必要な額、期間共に想定額を下回ります。
今、この場に伯爵が居ないのは夫人が全権委任されていると判断しても構わないですね?」
俺の目の前に座る夫人は顔を少し強張らせた。だがやはり委任はされているようだ。席を立つ素振りは見せなかった。
彼女は一度瞑目するが、しっかりと俺を見据えた。やはり彼女は帝都での女性旗手だった方だ。俺と正面から商談する構えを見せる。
「ファーレ辺境伯様の仰る懸念は理解します。ですが、私共にも台所事情もあります。辺境伯様に於かれましては事情を斟酌して頂き、ファーレ辺境伯様からの慈悲を頂きたい、そう申し上げます」
「台所事情結構。ですがその慈悲とやらは無償援助で相殺しているのです。貴女方からはいま少し実利に見合った額を提示してもらいます」
ここら辺はお互い予定してあるシナリオの範疇だ。俺はより多く、彼女はより少ない交渉額を提示しなければならない。おそらくだがあちらは森林の入りあい権と領内での商業権、出して税金の優遇だ。
そして予測通り、入りあい権を出してきた。
「火事で焼け残った森に魅力はありません。それに森林事業は低迷しているのです、融資に見合う額にはとても追いつきませんね」
「……では、ファーレ辺境伯様はどの様な条件を?」
よし、来た。
「鉱山権を」だが、これはスタート位置に過ぎない。
「鉄鉱山の全権を譲って貰います」
夫人の目が据わる。どうやらコレはアタリ、だ。しかし想定してある様である。
「ファーレ辺境伯様。知っての通り帝国、いえ、大陸の鉄鉱脈は枯渇しつつあります。今後20年以内に有望な鉱脈が見つからない限り、大陸中の鉄は産出されません。残った鉱脈は正しく宝の山。簡単には手放せませんの」
事実である。今、大陸の鉄鉱脈、いや大多数の各種鉱山の産出量が減り、終末に向かっている。枯れた鉱脈は10や20では利かないのが現状だ。石炭はまだ開発の余地がある。そして辛うじて銅が現状を維持しているが、鉄とニッケル、銀、白金は壊滅的なのだ。そして……。
俺は本命を、気が進まないが切り出す事にした。
「ならば『我らが盟約』それを破棄して頂く。それに重ね盟約全ての権利を放棄、です」
我らが盟約。それはひとつの鉱山を周囲四貴族が密約を交わし管理している条約。
鉱山、その正体は金鉱脈である。
金の産出量は帝国全土でも年間1キログラムすらない。……尽きたのだ、完璧に。
帝国の金山は現在四カ所。そのどれもが廃坑の手前にある。西方の金山は事実上廃坑している。北部の我らが管理している鉱脈は、あと10年採掘出来るかどうかとの予測が立っている。南部の二ヶ所もそんなレベルらしい。こちらと同じく情報はボカしている。だが採掘量の減少は確定している。
鉱脈の枯渇。20年程昔にこの状況が予測され、親父たちは密約を結んだ。……この鉱脈は我らが管理し帝国に流す量を取り決め、流通を管制下に置くのだ、と。
そして、以降共同で採掘し、3年たびに監督を持ちまわる仕組みが出来上がった。
だが、現実には盟約下の中で暗躍する連中が存在している。少なくとも親父の子飼いの者が鉱山の監督官に収まっており、規定以上の採掘を行っていて、かつ自領の流通商社と他領の同業者と結託しているのは知っている。
自領がそうなら、他領なら? 疑うのはこちらがやましいからである。だからこそ、他者を信用出来ないでいる。明確な証拠こそあがってないが、確率は非常に高い。
ある意味、盟約は破綻しているのだといえる。
俺はこの状況が続く事を危惧している。いや、俺はこの状況を利用したいと考えていた。だから今、盟約者の、伯爵のこの状況を利用すべきなのだ。
俺が、握る。
俺が握り、俺が仕切るのだ。目減りする財産はこの調子なら早晩尽きる。
ならば俺が仕切って産出量をコントロールするのだ。枯渇した先に金は高騰する。避けられぬ未来に対応するには帝国上層部の意見統一が必要だ。
しかし、現在その動きは遅い。楽観はしていないだろうが対応策は出来ていない(これはちゃんと裏を取っている)それが招く終末点に備えばならない。
確かに、確かに俺にしても解決策がある訳じゃあない。だが時間を稼ぐ事は出来るのだ。
盟約を維持し、監督を強化する試案もあるが不透明すぎて実行力に欠ける。なればこそ、まだしも俺が握るべきなのだ。
盟約の一人でもあるブローグ伯爵は些か人が良い。隣人としては良いが競合相手ではちょっと、……また、盟約の一人の子爵は親父に似たタイプの強欲人間で信用ならない。伯爵を利用する未来が目に見えてる。残る一人の子爵は悪人ではないが善人と言う訳でもない。政界の寝業師の異名を持つ狡猾さを持つ人間だ。この手合はまるで信用ならない。どちらの陣営に付いたとしても、いつはしごを外すか分からないからだ。
この3人相手に腹芸で残りの期間を過ごすのは正直、面倒だ。ならば……。
まぁ他人はいいさ、しかし俺なら、俺なら自分自身をコントロールする自信はある。中央とのパイプを活用して流通量を取り決めれると思っている。
ついでに先の監督官も活用する。処罰するのは容易い。しかしただ処罰しただけでは物足りない。彼奴が造った影の販売網や人脈は中々に魅力的だ。人脈は決して侮れない要素を持っている。単に権益を求める悪党は害悪だが、利益を産み出す小悪党なら活かす価値はある。
検査をかい潜って現物を掠め取り、自領のみならず他領の業者を巻き込んでこっそりと市場に流す。それを貯めこむだけならアウトだが、彼奴は得た利益を領内のあちこちに投資しているのと、孤児やホームレス達を保護する養護院に匿名で援助していたのだ。特に投資は文化事業にウェイトを置いている。
この男の隠し資産は、調べた範囲では小銭程度、年収にも満たないのが判明している。監督官になる前から立ち回りに秀でいて、職場での取り入り方は見事である。
普通なら軽く見られて太鼓持ちか小物扱いだが、実に器用に動いて速いスピードで監督官に抜擢された。またそれ以前より養護院への援助はしていた事実はたいへん興味深い。
実は彼の出自は養護院であった。意外と苦労している。だがそれらを彼は表に出してはいないでいる。最初から知られている場合を除き、彼を養護院上がりだと知っている人物は非常にすぐなかった。これには調査員も驚いていたのだ。
ま、この男の寸評は置いといて、帝国の現状をすこし説明したい。
実は帝国の主要通貨である金貨には金が使われなくなって久しい。第三王朝の前には既に『金』貨ではなくなっているのであった。
金貨の成分は銅とニッケル、黄銅が使われている。黄銅と言えば商人の青年と狼の化身の娘さんが繰り広げる、某経済ラノベでも取り上げられていた。
俺が読んだのは中坊の頃からだから25年以上も前だ。流石に中身は忘れた。熱心に読んでなかったからラスト知らないんだよね。どうなったんだろ?
まあいいや、話を戻す。
つまり帝国にもおける金貨とは、なんちゃって金貨なのである。現行より古い本当の金貨は回収されるか、好事家が所有するコレクション、博物館などで展示される具合である。
もちろん、なんちゃって金貨であるが、偽造は重罪だ。その成分分配は公表されていない。ナンバリングも透かしもないから偽造は可能だろうが、現在の所ニセ金貨は出回っていない。
過去にはそうしたニセ金貨が出回った事件が何度があるが、執念を通り越した犯人探しと検挙、死刑より恐ろしい刑罰により(帝国には死刑制度がない。一番厳しいのは終身禁固刑、次に無期禁固刑、鉱山送りと続く)徹底的に撲滅されるのだ。死が赦されない刑罰は、それを中途半端に体験させられた犯罪者らにより公表され、公共の場にて剛胆で知られるとある犯罪者が『二度と偽造はしません』と号泣しながら語るほど苛烈を極める刑罰なのだ。
以来、なんちゃって金貨であっても公的通貨として存在している。
金貨でないのだから名称を変えるべきなんだろーが、変えないのは代案が纏まらないのと面倒だからだと思う。
さて、いま現在帝国において黄金は固形財産であり、金塊か装飾品として存在しているのだ。俺が友人らに贈った特製の万年筆に付けた金のペン軸の出自は、この盟約より発生した領主の特権、そのおこぼれであった。
俺は夫人と押し問答を始めて一刻強、流石にダルくなってきた。途中にお茶を含む程度で話し合いは並行線を継続中だ。
女性の論陣に有りがちな感情論で、金切り声を上げないリズ姉さんはやはり素晴らしい。一貫として冷静な態度は尊敬に値する。日本で騒ぎまくっていたガソリンおばさんや中指精神科医とかは彼女をみならうべきだわ。
しかし話が進まない。ま、そりゃそうだ、金鉱脈は時限式だが最後の宝の山、最後の利権。抵抗するに決まっている。
と、そこでブローグ伯爵本人が現れた。
人の善性で出来上がった様な風貌(性格も込みで)の顔は陰鬱に沈んでいる。
連日の災害に対する処置とかでまともに寝れていないのだろう。だが、その瞳は濁っていない。疲れているが熱意は死んではいない、そんな人物だったのだ。
「久しぶりだねロイド君。ああいやファーレ辺境伯。席は立たなくても」
この5年で随分老けたが、それでもその雰囲気は変わっていない。
「ご無沙汰しています……」
「いや、それより話しは聴かせて貰ったよ。…………ファーレ辺境伯。君は鉱山を握り何を望む? 何をしたい?」
俺は居住まいを正し、口を開く。
「一元管理を。……今、4者での管理体制は一部の不正者により崩壊しつつあります。自分は自分で握り、自分の監督下で適正に運用したいと」
「それが我らの協調を崩すとしてもかい?」
「崩した所で、特に変わりはしませんよ」
ブローグ伯爵は瞑目した。一寸程の後、伯爵は口を開いた。
「よろしい。盟約は破棄しよう」
「旦那様!」
「リズ。私では、ね。……ならば、ファーレ伯爵に…ロイド君に任せるさ」ブローグ伯爵は彼女に微笑みを向けた。
「辺境伯。任せた」
「ブローグ伯爵に感謝します」
俺は深く、深く頭を下げた。人の良いおじさんでなく、一人の伯爵に。
終身禁錮刑と無期禁錮刑の違い。
無期禁錮刑は恩赦や裁判の再審による解放が見込まれているが終身禁錮刑は一切恩赦等が赦されていない。
また刑罰の形態自体が違う。
終身禁錮刑。それは究極の刑罰。
収監者は排泄用の管を繋がされ、酸素と水と栄養素(食事ではない)を強制的に送り込む器具を装着し(この器具は舌を噛むことが出来なくなっている)、指すら動かせぬ超粘性の液体の檻に『収容』される刑罰である。
収監者に許されるのは夢を見る事のみ、であるのだ。
この刑罰は設置時に公開され、各種男女問わない犯罪者が数十名選ばれ、二週間の体験刑罰を受けた。結果『生還』した彼らは、この刑罰内容を大々的に宣伝する。
以降、国家反逆罪や貨幣偽造、凶悪犯罪はこの刑罰を適応される。
解放されるのは収監時より、肉体年齢が199歳越えた場合のみである。それまでは彼ら収監者達は『生かされて』いるのだ。