第十九話 ロイド、丘を見上げ帰郷を実感する
帝国北部、その東北部にファーレ辺境伯領がある。それより北部は蛮族であるアーベル・ルージュ…エルフの氏族が支配する山岳森林地帯が広がっている。
エルフの氏族は国家の体をなしていないが広大な支配地域を持ち、帝国とは敵対している為に潜在敵国として扱われている。そう此処はバトルフロント…最前線なのだ
約百年前にファーレ大王国は帝国との戦争に負けそうになり時の大王、アギ・ブリッツ・ファーレは帝国へ恭順した。大王としては滅亡してまで名誉や武勲を持ちたいと考えなかったからだ。
打算もあった。最後まで徹底抗戦して滅んだところでは何ら享受すべきメリットはない。寧ろ善戦して潔く降伏すれば皇帝からの覚えもめでたく、領土を安堵出来るからである。安いヒロイズムに沿った滅びの美学などに意義など見出さない。
現実主義で機会主義の大王は最後の会戦を最前線に立ち戦い、頃合い良しとみた瞬間に降伏を宣言した。
いささか茶番じみていたが北征将軍サリオーン・アル・バジャーはこれを受け入れ、大王国を平定した。
領土は大王の目論見通り安堵され、北征終了後に正式に帝国辺境伯領として復帰を果たしたのだった。
そして同時に国家未満の蛮族に対処させる為にファーレ辺境伯は宮廷序列第六位を賜ったのだ。
なお、対面する敵対勢力が滅べば辺境伯の位階は削除される。北征終了までは現在の北部地域より下の伯爵領が辺境伯を名乗っていた。北部が平定され、その役職が適切でない故に改訂されたのだ。無論、反対などない。そういう約条がなされているからである。
ファーレ辺境伯領の首都ファーレイブルークは広大な城塞都市である。帝国規定により城は解体(跡地には政庁が建てられた)されたが、城壁は残されているのだ。ファーレイブルーク(大都、とも称される)は領主の館のある丘陵地と城下町で構成されている。
特筆すべきはその丘陵地だ。大都の三分の二が丘陵地なのだ。この丘陵地自体が防御を兼ねているためでもある。…正確には領主の館の守りの為だが。
丘陵地は更に二重の防御壁と水路とで館を守り、館の背後は森林が広がっている。この森林もまた防御を担う役割を持っている。
敢えて伐採をせず鬱蒼とした森に大小様々な土塀がランダムに配置されており、侵入者を拒み惑わすシステムだ。伐採されていない森は見通しが悪く、地形効果も有り最短ルートを取るのが難しい。
そして土塀であるが、そのサイズ…厚み長さ高さは統一されていない。侵入者から見れば、その目的や用途が不明で困惑させるのが目的だ。また土塀はメンテナンス等されていない。これは土塀をただの障害物として見なされており、非常にローコストな防御施設として置いてある。
また、森林部にはいくつかの屋敷や小屋、四阿等を配置し、それらは回廊と小道で繋がれている。なお、これらの建物と道に限り、その周りは迷子にならない様に間伐がされている。
この森林地帯は警備の者にすら地図は配られていない。森林地帯の全容を知るのは領主ら屋敷の住人と、屋敷を警護する直属の部隊の長だけである。
大都が陥落する非常事態に備えての最後の守りなのだ。
ちなみに、俺はガキの頃にはよくこの森を探検したものだ。スッゲー楽しかった。頭ン中の地図があったから迷う事はなかったが、あれは知らなかったら酷い目にあう。
今、俺は大都の駅馬車の終着駅をくぐり、館に向かう丘への道を眺めていた。
帰ってくるのは5年振りである。しかし大都の街並みも丘陵地も変わりがなかった。……変わったのは俺の方だ。身長も伸び(体重は大いに増え)見識を深め、爵位を得たのだ。変わった事に特に感想はない。覚悟を決めたからだ。
今、眺めている風景は覚悟を決めたからか、やけに新鮮に映る。
それにしても……。
「ねぇ、ろいど兄さん」と横合いから声がかかった。イェラ…イライジャだ。
「なんだい?」視線を移す。
「まちからとおいの?」
俺は小さく笑みを作り口を開いた。
「この丘の上までさ。ん、まあ、広義で言えばだね、此処がすでに屋敷でもある」
イライジャの瞳が大きく開かれた。
「ひろい、ひろーい!」
「喜んでくれて何より。ほらご覧、あっちに小さな集落…あ〜家とか屋敷が有るだろ? あれ等は一族の屋敷と彼等を世話する人達の家だ。それらが八つ、この丘にあるんだよ」
イライジャにはそう伝えたが、もう一つ理由がある。……あれはもまた、盾なのだ。集落には警備の分隊がそれぞれに配置してある。丘を…領主を攻略するにはそれ等を撃破しなければならない要害だ。
取り巻く壁、水路、丘と言う斜面、防御部隊、そして森が全て領主を護る障害物となっているのだ。その病的なまでの環境は大王…初代ファーレ辺境伯の怯えに他ならない。何に? 蛮族ではない、帝国にだ。その証拠に蛮族領域に向かう面には大した防御施設がないからだ。それに森を抜ける方面にこそ、当の蛮族領域が広がっている。
初代、ひい爺さんに思う所はないが、あまりの臆病さに嗤いが堪え切れない。ま、だからといってこの環境をどうこうはしないのだがね。詳しくは検討してないが、この丘陵地を守る警備部隊は、少しは減らしても良いかと思っている。
リストラ自体は考えてもいるのだが、その後の彼らの身の振り方と受け皿を準備しなければ片手落ちもいい所だ。政庁の人員らに対してもそうだ。無目的なリストラは社会を混乱させてしまう。混乱した挙句に社会基盤の低下を招いてしまっては俺の改革は無様な失敗に終わる。
俺がつらつらと考えこんでいると何気に視線を感じた。見れば視線の主はユージーンだった。物言いたげな表情はおそらくイライジャの件だろう。
「……ユージーン、何か?」
「坊っちゃま、いま一度申し上げます。前にも言いましたが、イェラを引き取る坊っちゃまの御篤志はたいへん素晴らしいのですが、だからと言ってイェラを坊っちゃまと同列に扱う事は容認出来ません」
「それについては話しあったと思うけどね。で、今蒸し返したのは何故にだい?」
「帝都屋敷でのおさらいです。本屋敷にていま一度、皆に説明してもらわねば。
坊っちゃま、私は坊っちゃまの乳母で子守り女中、今は坊っちゃまの侍女、それと愛人です。
私の忠誠は今も昔も、これからも変わりありません。坊っちゃまが仰せになるのなら、それは私にとって絶対な命令でございす。ですが、矛盾しますが、やはり譲れない…使用人としての立場があります。ですので、敢えて言わせていただきます。
我々使用人一同はイェラを、坊っちゃまの家族、貴族様としては扱うつもりはありません」
「それについても了承はしてるさ。イライジャは一族に引き入れない、俺が個人的に養っている孤児、だと。
要はそいつを説明し、周知させれば良いんだろ?」
「是非に、坊っちゃまの責務です」
彼女の俺に対する献身は疑った事はない。その使用人の領分を超えた発言は重大な越権行為ゆえ、正当な処罰の対象である。だが、彼女の発言を止める権利はなかった。慣れ合いだけの関係では許されない現実がそこに厳然と屹立しているからだ。
むしろ、この発言こそ立派な使用人なのだ。
甘えだけならイライジャを容認するだろう。そして、甘えの延長なら不用意な発言でしかない。だが、だからこそ甘えを超えた場所に立ち、俺に諫言したのだ。
主人と使用人、甘えや慣れ合いだってある。しかし同時に絶対的な壁が存在する。これを忘れると正常な関係を保てなくなる。
かつてユージーンが何度も教えてくれた愚かな貴族と女中との恋、婚姻の寓話。……貴族の若殿がひとりの女中に恋し、周囲の反対を押し切り結婚する恋話。
表面上は美談だが現実は甘くない。若殿は地下の者を貴族籍に入れるという愚行を、女中は同僚達から憎まれる役割りを背負う悲運に。
考えるまでもない話だ。貴族から見れば権益を犯される事を憂えなければならないし、使用人から見れば地下の存在である同僚を敬わなくてはならない不条理を嘆かねばならないからだ。
この寓話は事実を元にしてある。この夫婦の物語は千年の時代を経て今だに愚かな例えとして広まっている。日本なら悲恋の恋物語として読まれるのだろうが、この世界では冷笑の対象だ。
今なお伝えられているのは、こうした勘違いした愚か者が時折現れるからだ。生粋の貴族の人間はこの壁を越える事はないのだが、異世界から来た人間はこの手のタブーを気楽に越えようとする。
するな、とは言わないが、奨励はして欲しくない。それは社会を混乱させるだけだ。やるならやるで社会全てを変える革命を起こせねばならない。都合の良い思い込みで余所様のテリトリーを犯し、それが当然の権利だと吹聴してくる。
こんな迷惑な話はない。確かに人道的には正しいのだろうが、問題はそれが都合の良い部分だけ抜き取り、そいつを押し付けるだけなのだ。
社会構造を全く無視し、夢を垂れ流す。
貴族には貴族としての規範に則った枠の中で生活しなければならない。それは市井の人間でもそうだ。両者には両者の越えられない壁がある。
貴族としては面白くない話で済ませれるが、地下あがりの人間が果たして貴族社会にて生きられるのだろうか、と言う問題が出てくる。
とりあえず俺の事例は置いておく。
まず教養の問題だ。一年二年では身につく程簡単ではない。五年十年掛けてなお、道半ばなのだ。一般的な高等教育を受け、成人してもまだ貴族の一員としてはまだまだ未熟。貴族らしい貴族は齢三十にしてようやく一人前と認められる。特に男性貴族は領地を運営したり、政治に参加したりと果たす役割が多く、単に学力や教養、品位を身に着けるだけでは済まされない。それ等を有効に活用するセンスが必要なのだ。
女性貴族はこのハードルが低くなるのだが、貴族の夫人としての格、品位はやはり五年十年では身につかない。
侍女あがりなら尚更だ。スタートラインがそもそも違うのに、別ラインで成功するにはどれほどの時間や手間暇がかかるか。
時間が解決してくれる。あぁ確かにな。だがだ、だからと言って彼女にだけ時間が与えられる訳ではない。貴族の人間として相応しい振る舞いが常に要求されるのに、どうして彼女にだけ時間が許されるのか? 貴族として相応しくない、それだけで排除されるこの世界において時間なぞ何の役に立ちはしない。
彼女だけの問題ではない。先にも言ったが、どうして同じ境遇の同僚を仰ぎ見ければならないのか、この心理的重圧が最大の重みを見せる。昨日の友人を、同僚を、部下を明日から雲上人と仰がねばならない事を容認出来る者がどれほど居るのだろうか。
みみっちい、卑しい話ではあるが、世の中に寛容な人間はそれほど多くない。
そしてそれはイライジャ、どこの誰とは分からない孤児に対しても、だ。
孤児であっても貧民街の産まれだろうが、親が貴族籍の人間ならばまだ容認出来る。だが、この子には何もない。只の捨て子なのだ。これがユージーンら使用人らの不興を買った、という事らしい。
まぁ分からない話でもない。俺が使用人の立場なら不快に思うかもな。
結果、俺は方向転換を計った。単にイライジャを引き取り、育てる。立場は変わらない。将来的には一家を立ち上げる予定なのは変わらないが、その過程を省略した形だ。これを表明し、ようやく彼女らの矛先を納めれた。
「……なる程、そう言った事情があったのですね。失礼、立ち入った事を申し上げました」と、馬車に乗っているもう一人の同乗者が口に出した。
「ですが見た所、この子は随分と…その、すれた様には見受けられませんが」
もう一人の同乗者ジリオラ・メッテン。……帝都を代表する百貨店アールグレイス・フレッツェンの元企画部長。退職間際の彼女と知己を得、ファーレ伯爵領の地域復興課への役員にスカウトした才女だ。
退職後は何処かの田舎に引っ込む予定の彼女は俺の誘いを快諾してくれた。古民芸の造形にくわしく、大百貨店の企画に携わっていた彼女に、ファーレの古民芸の復権の旗振り役を任せたのだった。
ドラクル・ザーツウェルと同じく、当面は俺の屋敷にて生活してもらう予定である。オリガ夫人やマーシェラ夫人達は当面は屋敷だが、近いうちに離れの屋敷に移って貰うつもりだ。
ジリオラ女史はこの旅の間でイライジャと仲良くなっていた。
彼女が百貨店の店員時代に携わったマルオー人形。その愛らしすぎるデザインに惚れ、イライジャの為に買い、それが縁で彼女と知り合いになり、マルオー人形はイライジャの琴線に触れて虜になった。今もイライジャの手には人形がある。愛着のある自分の作品を好きになってくれたイライジャにジリオラ女史は目尻が下がりっぱなしだ。
それを置いといても、ジリオラ女史は機知に富んだ才女だ。実に会話が楽しい。ただ、ともすれば会話が古民芸の話題に移り、際限なく薀蓄を語ってくれるので会話の軌道修正が度々必要なのだが。
ドラクルとの会話だって飽きないが、アイツと会話すれば、会話が罵り合い合戦になるので汽車の中でならまだしも、狭い馬車の中にまで続けたい関係じゃない。
いや、面白いんだよ? せやけど、汽車の旅の区切った時間内なら楽しいが、ストレスの溜まりやすい馬車の中にまで持ち込みたいとは思わない。罵り合いが殴り合いに、なんて洒落にもならないがな。あ、いや、拳ではなく言葉のぶつけ合いだ。まさしく言葉のデッドボール。
アイツとの会話はエキセントリック過ぎる。デッドボールから容易く乱闘になるんだわ。それに引き換え、ジリオラ女史や貴族の夫人方は会話が丁寧で心地良い。あのやぶ医者さんは淑女の彼女らを見習うべきだ。
もっとも、ドラクルとの会話は娯楽、という面で他の追従を許さない。ついでヒートアップしてベッドへGOなんだから、この点だってポイントは高い。うん、高い。満点だ。おう、ワキにそれ過ぎたな。
「有難う、ジリオラさん。いやはや意外と素養があった様でね。イライジャ、女史は君を褒めてくれたのだよ、御礼を言うべきだね」
隣に座る女史に感謝の会釈をし、イライジャを促した。
「はい! あ、あり…ありがとです!」
「あのな…ありがとです、じゃない。ありがとうございました、だ」叱責にならない様、敢えて平淡に話してみる。
「……ごめん、なさい。その、ありがとうございました」
まぁ合格だ。チラと横目で見れば、ジリオラさんは笑みを浮かべて何度も頷いていた。
「本当に可愛いお嬢さんね。辺境伯様、この子は良い資質を持っておられるのかと」
汽車に乗る前の懇談の時間に説明したのだが、ジリオラさんにとってはイライジャはすっかり女の子扱いだ。
つーかさ、俺以外は皆コイツを女の子認識なんだよね。何故にWhy? 俺がおかしいのか?
頭を悩ます問題にユージーンが声をかけてきた。
「坊っちゃま、何を悩んでおいでかは置いといて……ああいえ…坊っちゃまのお悩みは余り意味がないかと、あの、イェラが男の子なのは理解してますが、私達はイェラを男の子扱いしたくない、と言うのか、その…あまりこだわってはいないのですが……。
あのぅ、坊っちゃまだけがこだわっておいでで」
はい? え、そぉなの? ってゆーかさ、何気にディスってない?
「私達使用人の中では『イライジャ』という坊ちゃまの義弟ではなく、すでに『イェラ』という義妹で、となっておりますが」
なんとまぁ、俺以外は納得してんでやんの! あ、じゃあ納得してない俺はなんなの?
「辺境伯様、辺境伯様が拘るのは理解出来ますが、如何でしょうか?」
「……坊っちゃま、メッテン様に追従する形になりますが、イェラを女の子として扱うのがよろしいかと……」
「ろいど兄さん……」
三人から控え目な抗議を受け、俺は自分が少数派に追いやられたのを感じた。
「……し、しかしだな、イライジャは」俺の反撃!
「もうイェラでよろしいのでは?」反撃は許されなかった。
……残弾いち。……俺達の戦争は終わったよ……。
いや、まだ負けたワケじゃない! せ、戦術的撤退だよッ!
「……ふうヤレヤレ、今日の所はジリオラさんを立ててみようじゃないか」
「坊っちゃま」
「ところで、ユージーンはイライジャを嫌いではないのかね?」
「嫌いではありませんよ? 私が坊ちゃまに言いたかったのは、イェラを貴族様として受け入れられないからです。そうでないのなら、イェラは可愛い女の子ですから」
はぁそうですか。どうにも分が悪いのな。
俺は見よがしに溜息をついた。視線を馬車の外に移す。
館のランドマークの杉の大木が目に入った。いよいよ館
に到着だ。
……ようやく帰ってきたのだ。懐かしの我が家へ。