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辺境伯ロイド奇譚 〜誰が彼を英雄と名付けたのか〜  作者: 塚本十蔵
序章 ロイド辺境伯、第一歩をふみだす
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第十七話 ロイド、《翠の貴婦人》の客になる

 そしていよいよ帝都を離れる日が来た。

 帝都屋敷の移転は今しばらく実行出来ないが婦長が責任持って遺漏なく行なう事を約束してくれる。その婦長も移転を持って引退する。

 いささか帝都屋敷の今後に不安が残るが、帝都には俺の代理になる男が新しく代官として着任する。国務尚書の推薦を受けた人物でスーツェルべ・アッドベールという名の叙勲士だ。彼が着任時には俺はもう居ないのだが、一度会う機会があった。

 どちらかと言えば詐欺師じみた風貌の痩身の男性であるが、胡散臭い見かけと違い誠実さが売りの有能な人物であった。何でも伯爵家の一門の出で、庶子ゆえに一般社会に出て働く必要があり厚生省の役人になった。出自の縁もあり、社交界にも伝手のあるとの事。現役の厚生省の参事官であるのだが、国務尚書からの意向を受けて退職して着任する予定であるのだと語った。

 中々に期待できる人物なので安堵した。この男なら帝都屋敷を任せられる。

 反面、国務尚書の子飼いそのもの叙勲士であるから帝国から鈴を付けられたも同然であるのだがね。ま、悪さはしでかさないのは確定であろうから任せるに価する人間だろう。

 さて、帰郷する準備は整った。……帰るかね、我が郷里の館に。


 

 帝都中央駅北部線、二階にある貴族専用待ち合い室に俺は居た。

 ここは帝宮にほど近い場所に帝国交通省国家鉄道公社が帝都中央駅を構えており、その威容は見る者を圧倒させる。

 東部へと流れる国土本線を中心に他の三方をつなぐ大支線、その他の補助支線が何線か敷かれている。

 本線と大支線は複線で補助支線は単線の構成だ。

 しかしながら北部線はもっとも新しい路線と成っているのだが、鉄路は北府までしか設けていない。

 北部辺境地域は北府の北に連層大山脈が往く手を阻み、その弱く脆い地層群の為に、隧道(トンネル)を通す事が困難であり、未だに交通は馬車に頼られている。

 また鉄道を行き交いするのは機関車なのだが、燃料となる石炭の採掘できる鉱山が少なく、補給に掛かる経費と伴って北部辺境地域には独自路線が敷設される事はない。

 この石炭の問題は北部に限らず、東部以外は主要路線しか鉄道が走っていない。


 大規模大量輸送は近代国家に必要ではあるが燃料の安定供給をクリア出来ない以上、輸送は馬車を使う隊商(キャラバン)しか輸送の手段しかない。

 北部と西部は上記の山脈と海に遮られており、直接移動は一本の馬車街道のみである。東部とはやはり同じく山脈が弊害なのだが、一応の平地は在る。

 しかし、この平地は山脈から流れる二本の大河とそれに附帯する大小様々に離合流する河川、そして無数の低湿地や沼地が支配しているのだ。

 この悪条件に鉄路を敷説した場合、その建設費ならびに維持費は悪夢すら(うらや)む底なしの泥沼であり、いかなる楽天家ですら建設には手を出さないでいた。

 従って帝国には未だに鉄道網が完備された輸送システムを作れていないでいる。

 以前、俺も為政者側の人間でいるので何か案があるかと思考したが、なにも現実的な案は生まれなかった。




 眼下に正午に発つ予定の貴族列車は、既に駐機状態にあって先頭の動力車からは蒸気を吹き上げているのが見えている。

 貴族列車は帝国鉄道公社の規格に合致しているが、外装内装は高級素材を用いており豪華な装飾が目立つカスタム仕様である。

 この列車は定期運行している車両ではなく、使用を申請した伯爵以上の位階の貴族が使える御用(チャーター)列車(トレイン)だ。

 牽引する動力車と炭水車以外は独自に編成可能であり、出力の許す範囲で何両でも連結出来る。


 客車は俺とゲストの女性たちが乗り込む二型貴族客車。雇い入れた連中の為の一等寝台客車三両。使用人や護衛の傭兵たちが乗る二等寝台客車二両。食堂車、給食車(二等寝台利用者用の食事を提供する車両)、展望車、食料貨物車、物品貨物車(リネンや食料以外の消費する品の為の貨車)、貨物車(貨物車は計五両)の合わせて十九両となる。

 伯爵レベルならこの程度だが公爵レベルだと使用人も護衛も断然増えるし、皇帝レベルとなるとまさしく桁が違う。つーか、皇帝は皇帝列車(鬼☆レベルの特注仕様で貴族客車はコンパートメントが二つ三つある形の車両だが皇帝列車は一両丸ごとコンパートメント)の列の前後をダミーを兼ねた車両群が走るのだ。十五両以上ある車列が3セットだから、さぞや壮大な眺めであろう。


 その貴族列車を見おろせる貴賓室にてフランクとユーノの二人が別れを告げに来ていた。


「ロイド、これで暫しの別れだが寂しくて泣くなよ?」

 

 フランクがニヤニヤと笑いながら肩を叩いた。俺もニヤリと笑いフランクの胸を小突いて返す。


「俺はともかく、フランク、君は俺がいなくてお店の会計を間違えるなよ。林檎がひとつ1万 (エーラ)なんて洒落を通り越して犯罪だからな」


「クク……言ってくれるねロイド。君が泣きわめきながら地面をころげ回っても起こしには行けないんだ。くれぐれも周囲の大人たちを困らせない様に」


 男二人のやり取りをユーノがにこやかに眺めていた。


「ねえロイド、お取り込み中のところ失礼するけど、このお菓子を車中で食べて頂戴な」


 ユーノはバスケットを差し出してくる。

 受け取ると意外に重さを感じた。……お菓子という割には、何か他にも入っている?


「お弁当込みなの、貴方の好きなカルパーサだって入っていてよ。カルパーサはレティカがあちこちと廻って買い求めた品なのだから、大事にお食べなさいな。

 私からは蒸留酒(ウォトカ)の小瓶、ル=セル酒造の新作で今年一番という触れ込みね。残念ながら、私は蒸留酒の良し悪しなんてわからないの。ですからお味の方の保証はできませんので悪しからず」


 バスケットの中身を一つ一つ説明が入った。友人らの心遣いに嬉しくなる。


「有り難い。後でじっくり味わう事にするさ。

 ……もう少し話していたいのだけど、時間が迫ってきたんで下に降りなきゃならないんだ。フランク、ユーノ、今日は来てくれて本当に感謝している」


「ロイド、お元気で……」


 不意にユーノが俺の身体に手を回し抱きしめた。

 彼女からの抱擁は初めての体験だったので思わずドキドキしてしまったではないか。


「あ……ああありがと……ユーノ、その……」


「……ロイド、私はレティカほどじゃないけれど、それなりには貴方の事を好いているのよ? 旦那様にはしたくない殿方だけれども、仲の良い友人以上には貴方は好きでした」


 ……でした、か。まあ妥当なんてモノじゃない。あああ、ドキドキが止まらないぜ!


「た大変光栄にございますですお嬢様!」


 テンパッて台詞がおかしくなってしまった。

 

 ユーノは俺から身体を離し可笑しそうに笑った。

 と、突然笑いを引っ込めて真顔になる。


「どうか御身、いく()に健やかで」


 そう言って優雅に会釈する。美人…日本人好みの美人ではないけどね…だから華がある。やはり才人はひと味違うのだと感心しきりだ。


「我が友人であるロイド卿に精霊の加護があり、その前途に光が当たるよう願う」


 フランクからは、さッとキレの良い一礼をし、俺にエールを送ってきた。


「……オー・ヴォアールという俺たちの住む場所とは違う遥かな世界で使われている言葉がある。

 ……『また会おう』という意味だ。そいつを皆に贈りたい」


「おー、ぼぅわぁーる、ね。……君は実に色々と面白い言葉を知っているなぁ」


「そうね。貴方は良く違う世界の言葉を引用するけど、いつも何処から学んでいるのかしらね」


 二人の疑問は当然なのだが、やはり控えるべきなんだろうな……。

 転生人でぇ〜す、などとは言えないから何時もの様に不遜に笑って誤魔化す。


「俺は勉強を怠らない主義なのでね。いやはや敬虔で不断な勤勉熱心勇往邁進している勉強家は余人に努力するさまを見せないのさ。

 ははぁッ! どぉっっかねフランク君! これに感動したならば俺様ちゃんを偉大なる尊敬すべき対象として崇め奉りたもうても我輩は一向に構わないのだがねェ?」


「ああ、断わる」


「……即答かよ……ん、んん…ユーノ、俺に惚れ直したかな? かな?」


「ええ、もちろん遠慮します」



  (´・ω・`)



 俺達は顔を見合わせ笑いあった。

 笑いを引っ込め、軽く頷く。


「帝都に残る皆の活躍を祈らせて貰おう。

 では失礼する。また逢う日まで元気で!」


「行ってらっしゃい、活躍は貴方へ祈らせてくださいな」


「ロイド、またな」


 もう一度頷いて身を翻す。これ以上はなんの言葉を紡ぐ必要なんて無い。

 

 俺は貴賓室を出、フロアの階段を下る。


 貴族列車の駐機しているホームは中々に混雑していた。帝都を離れる人に混じり、見送りの人や弁当売りの店子、そして荷物を運ぶ駅員達が右へ左へと動いている。

 列車の中ほどに俺が乗り込む車両があった。深い緑を基調にした見るからに豪華さを誇っている。

 主人の俺が到着すると、その場にいた人たちは姿勢を正し出迎えた。その中から使用人を代表してユージーンが前に出る。


「用意は全て整っております。こちらに居られる車掌様から御挨拶したいと。

 車掌様、此方におわすはファーレ伯爵様にございます」


 彼女は一礼し、一歩下がる。入れ替わりに車掌らしき男が進み出た。


「北方に威を張られるファーレ辺境伯様に御乗車頂き、光栄に身が震えます。(わたくし)、当車両の専任車掌を務めますスペラウと申します。

 この車両は栄光号十四式《翠の貴婦人》と申しまして、昨年末に登録した新型車両でございます。就役初の役割を辺境伯様に献上できる名誉を与えて頂き、まことの誉れであると公社会頭からの言葉です。

 辺境伯様には車中の旅を是非とも御満喫なされますよう従業者一同、鋭意努力致します」


 車掌の口上に感心する。

 以前に二度、貴族列車には乗車した事があったのだが、いずれも主人では無かったので車掌の口上を聴いた事がなかった。

 これが貴族当主に対する扱いなのだという事を実感させられたのだった。


「スペラウ君。君たち従業者には道中世話になる。貴族家当主として、優雅な《貴婦人》に相応しい客になってみせよう。

 では宜しく頼む」


「承りました」 


 車掌は深く頭を下げた。


 乗降口に鉄道公社の職員達が整列し、俺の前にまで朱い絨毯が敷かれた。

 最敬礼をとる彼らを横にイライジャを引き寄せて車内に乗り込んだ。


 俺には伴侶となる女性を伴っていないので誰かをエスコートする必要があるのだが、取り立てて相応しい女性が居ないのを誤魔化す為に見た目は少女であるイライジャを侍らす仕儀となった。

 別段、エスコートする演出なぞ必要ないと考えていたのだが、部屋割りや色々と配慮しなくてはならない事が出てきたので、消極法でイライジャを選んでしまったのだ。

 俺はため息で内心を示したのだが、周囲はお構いなしに準備を進めだした。イライジャも満面の笑みで衣装選びに入っている。

 ユージーンは俺を(おもんぱか)る仕草を見せてはいたが、どうにもならない事を知っているので無言で俺の為の準備に入った。


 

 女の子の姿をした少年を従えて客車内に踏み入れた。


 詳しい比較は出来ないが、帝国で採用している客車と日本に居た時の電車を比べると、帝国の方が幾分か広いと感じるのだ。日本は電車だと狹軌と広軌だったか、まあ私鉄と新幹線の違いがあるのは覚えている。

 その新幹線と比べると、やはり広く感じる。新幹線は10回ちょいしか乗った事なかったが、どう見てもこっちの車両が広く思えるのだ。

 加えて、帝国では広い狭いの車両の区分は無い。統一規格なのである。地球なら海外の車両は広いのが基準と聞いたが、それらよりも広いのかも知れない。

 長さはどうだろうか、新幹線並みかも? 高さはあまり変わらないみたいだ。


 客車には個室(コンパートメント)が三部屋あり広さは八畳くらいだ。横幅はそうでもないが長さがあるのとダブルサイズの寝台のせいで何畳だかの判断がし辛い。それにこっちの世界に産まれて20年なのだ、日本に居た時の記憶は随分薄れたから比較は曖昧になっていると思う。



「ね、兄さんひろいね!」


 イライジャがはしゃいで室内を見て回っていた。この()にしてみれば毎日が新鮮なんだろう。

 そのはしゃぐ姿を見て、自然に笑みが浮かんでいた。生まれや育ちはともかく、この子供はごく自然に素直に振る舞う事ができる。そしてやはり子供らしく無邪気で居て見ていて気分を良くしてくれるのだった。


「イライジャ、今からそんなにはしゃいでいると疲れてしまうぞ? 疲れて寝てしまったら汽車の旅も楽しくないようになるから、そこの椅子に座り大人しくしていなさい」


 俺はやんわりと諌め、外套(コート)を脱いでユージーンに渡し腰を落とす。

 座席は振動対策なのかひどく重厚だ。

 硬い椅子かと思うだろうが逆である。その重厚さから生まれる、沈みこむ柔らかさは不快さとは真逆にある。多少の揺れや振動は気にならない造りになっている。


 俺は汽車の旅は経験した事あるのでいいが、旅…いや汽車自体が初めてのイライジャは直ぐに酔うだろうな。

 そういや酔ざましの薬は買ってあったかな? クローゼットに俺の外套納めたユージーンに顔を向けた。彼女は吊るした外套にブラシを充てて皺を延ばしている。


「なあ、酔ざましの薬はあるのかい、多分イライジャは酔っちまうぞ?」


「伯爵様。当客車には常備薬は色々と備えております。また二等献護師も控えておりますので、ある程度の対処は出来ますれば」


 その答えはユージーンではなく、入り口に控えていた車掌が答えてくれた。


「有り難うスペラウ君。いやなに、俺は酔わない体質なのだが、こちらの子供は汽車に乗…汽車の旅は初めての体験なのだ。見ての通りはしゃいでいるので酔いかねない。なら先に酔ざましの薬を出してやってくれないかね」


「畏まりました。直ぐにお持ちします」


 車掌は身を(ひるがえ)し、客室から出て行った。


「ユージーン、イライジャの外套を取ってやってくれ」


「はい、坊っちゃま。……さ、イェラ」


 ユージーンがイライジャの外套を取り、クローゼットに納める。


 おそらく車掌室にでも薬は置いてあるのだろう、車掌は直ぐに戻って来た。

 室内をには水差しも置いてある。車掌はテキパキと薬入れから錠剤の入った小瓶を取り出し、水を添えてイライジャの元に寄った。

 その光景を眺めていたら女性添乗員(彼女も車掌なのかな?)がジュースらしき飲み物を用意しはじめた。


「お嬢様、こちらに酔ざましのお薬を用意いたしました。お薬が合わなければまた申し付け下さいませ」


 卓に薬と水の入った(グラス)を置き、一礼する。

 お嬢様ねぇ……男の子なんだがなぁ。見た目は確かに女の子だから仕方ないと言えばそれまでだが…。


「……あ、あり……がと」


 まだ挨拶も慣れないイライジャはつっかえながら感謝の言葉を出す。しかし、ちゃんと言い直すべきだ。


「イェラ、ちゃんとお礼を言いなさい。君はもっと語彙を増やして話し慣れなければならないのだからな」


「……ごめんなさいにいさん。……その……ありがとう、です」


「宜しい。イェラ、挨拶は大事だ。もっと慣れて、咄嗟にでも挨拶を返せるようになりなさい。……出来るね?」


「はい! なれます!」


 その元気な発言に満足する。見れば車掌も微笑を浮かべている。


「辺境伯様、お嬢様、こちらもお飲み下さい」


 と、女性添乗員さんがジュースを(テーブル)に置く。

 手に取り、中味を一口。


 ……ジンジャーエールだった。

 そう言えばジンジャーエールは胃のむかつきとか二日酔いとかにも効くらしいのを思い出した。以前はこんなサービスは無かったのだが、この新型車両からの新しいサービスなのだろう。

 程よく冷えたジンジャーエールは実に美味しい。

 イライジャも手に取ってコクコク飲んでいる。



「スペラウ君。この()に運行予定を教えてやってほしい。それと道中の見どころ等を説明してやってくれ」


「は、では不肖専任車掌の(わたくし)が説明させて頂きます」


 前口上の後、運行予定を発車時刻から始まり、通過時刻や途中の見場所を滔々と説明し始めた。




 甲高い汽笛を鳴らし汽車は出発した。機関車特有の重たいゆっくりとした初動だが、それに伴う加速振動はほとんど感じなかった事に驚く。流石は最新の車両である。

 動力集中方式は地球では時代遅れとなる技術だが、機関車が主体の帝国では動力分散方式の車両は技術的に無理があるのだから仕方ない。

 電化……電気技術は概念や動作機械はない事も無いが、ゴム製品がない為に封電技術の向上がみられない。何らかのブレイクスルーが起これば電化製技術品の発展があるのだが今の所は進展がないでいる。

 石油がないこの大陸では石油から生まれる各種製品が作成されないのだから、20世紀以降の新世代技術は事実上構築不可能であるのだ。

 正直、石炭の産出がなければ帝国は中世から近世の前時代的な封建社会でストップしたままである。人類の進化上、民主主義は近世でも国を纏める事は可能だが、人民が人民を相互協力の元で社会を纏める事は非常に困難である。

 帝国主義が人類最高の統治機関だとは思ってもいないが、戦国時代を終わらせて諸国を纏めるには第一人者による統治形態はかなり有効だ。

 諸国を纏めるには連邦制……アメリカ合衆国が連邦制覇権国家の代表格であるが、内部にある様々な問題点を勘案するならば連邦制国家が絶対的な最強国家とは言い難い。

 アメリカ合衆国と比較されるソビエト社会主義国家は、人員、予算、物量の集中に関して合衆国を上回る。しかしながら近代国家の手本とする民主主義見地から見れば、社会主義はいささか抑圧が度を過ぎているとも言える。

 理念から言えば共産主義も悪くはないのだが、実行される国家運営にいささかどころではない特権構造が生まれ、理念と政体に乖離が甚だしい。


 話がそれた。

 前時代的な帝国主義を批判するのは簡単だが、民主主義とて万能ではない上に容易く衆愚政治になるのだ。社会主義や共産主義の国家もまた然り、地球の人類はまだまだ理想の人民国家には至ってはいない。

 些か強引だが、ティガ・ムゥ大陸を治める帝国は皇帝がまともに統治している限り安定した統治機構を維持運用していると思う。

 ま、そうは思う俺は支配側の人間だから肯定しているだけなのだがね。臣民となれば違う感想もあろうし、奴隷に至ればこの社会は害悪なのだと言うだろうさ。




 車掌の案内(ガイド)を聞きながら今後の予定に思いを馳せる。今日は初日なので雇い入れた官吏たちとの勉強会や懇談はなしだ。

 今夜はオリガ夫人とマーシェラ夫人二人を招いての晩餐を行なう。明日は藪医者(ドラクル)の番だ。

 ……あいつには料理に毛虫でも入れておく様伝えておくべきだな。毒なんて入れてもあいつ自身が毒物なんだから中和するに決まっている。……あ、中和するならあの天才医師(あほおんな)の毒が抜けてちょっとはマシになるんじゃねーの? うむ、一考の余地はあるな。さすがに汽車の中で泡を吹いて倒れては俺が困るので、帰ってから実験してやる。

 あいつは俺の館で住むのだから倒れたとしても秘密裏に処分できるのだからな! 口を開けば毒を吐いて俺みたいな繊細すぎる好青年を虐める外道をいかに上手く処分できるかを実践するいい機会である。ヤツめを処分出来れば……それは人類の未来を救う偉業となるは間違いない。うむ、そうだ俺には大義名分があるのだよ……。


 ま、妄想ざれごとは置いといて……。


 その次は、さて誰にするかな? 

 俺との食事会は家族との団欒とは違うのだ。誰を呼ぶか、どの順番でとか、何の話題を提供するべきだとかは政治の延長でもある。社交とはすべからく戦いなのだ。

 茶番といえばそれまでだが、貴族として必要な仕事(えんしゅつ)でもあるのだから疎かには出来ない。


 ……お、そうだ、上級役員扱いで来る会計監査のおじさんが良いかもな。フランクからの派遣であるが同時にスパイでもある。その人物には無下にも出来ないしな…うん、このおじさんで決まりだ。

 古典芸能の復興委員会に推薦するあの人や経済連の監督、うぅむ……この辺は順番が微妙だ。さて?


 等とスケジュールを埋めていく。


 その間も汽車はシュッポシュッポと蒸気を噴き出して進んでいった。


 スケジュールもだいぶ埋まり一息つこうとしたが何となく疲れていてぼんやりしてきた。


 …………ぼんやりしてると自然に微睡みに落ちる。





『ねぇ、ロイドは僕の事を好きかな?』


『……なにを藪からぼうに。あ……うん、まぁまあ好きかな? ああ、友人としてだがね』


『つれないねマヴァルーン。僕はキミが好きさ』


『光栄だが辞退させてもらうよ。大公から目をつけられた挙句、その先に破局だなんて御免こうむる。命が惜しいからな。

 ……レティカ、逆に聞きたい。君が何故に俺に好意を寄せるよ? ほら、俺は見ての通りの女性には好まれないツラだし、見た目も不快なデブだ。全く良い所がないじゃんかさ』


 ここでレティカは悩む素振りをみせた。その仕草はちょっとあざとく感じる。


『顔、じゃないね。……うん、好みじゃない。それにキミさぁ……薄毛を誤魔化しているじゃないか。そんなとこは嫌いだな』


『うーわ、グサグサくるわ。

 レティカ、正直は時には美徳ではないと思うのだがねぇ?』


『ふふ……ふふふ……でもキミの魅力はそんなとこにないのは知ってるさ。……キミは…その、心ばえが綺麗なんだ。

 風体がそうでも、行動が綺麗。

 何時も他人を優先させ、率先して一歩下がる。それでいて責任はしっかり果たす。僕はそんなキミの姿勢が好きなんだ』


『持ち上げすぎ。俺はそんなお利口さんじゃないよ。それに貴族は常に紳士たれ、だ。そいつを実践してるだけに過ぎないのさ』


 彼女(レティカ)はニンマリと笑った。その笑いは余り似合っていない様に思える。やはり彼女には爽やかな笑みが似合うと思うのだが……。ん、ああ、イメージの押し付けだわな。


『それさ。キミはそれが出来るから僕は好きになった』


 ここで一旦区切り、顔を真剣なものに改める。


『……ね、ロイド……貴族の紳士とやらは何故ああも女性を無下に扱うんだろうね? 

 どうして男達は意味もなく威張り、意味もなく競う? 

 殿方の見識とやらは男の都合と見栄、頑迷な古びた時代錯誤の男性至上主義に拘るのさ?

 そのせいで一体何人の夫人……女性たちが泣いて来たと思う?』


 レティカの台詞に返す言葉が見つからない。


『ロイド、キミは違う。キミは女性に優しい。女性の立場を尊重している。

 キミがオリガ夫人を寝取ったから問題だと? ……だから何だ、あの当主は今まで品位に溢れた綺麗な人間だったかい? 違う、違う違う……あの男が今までに何人の女性に手を出してきた? 

 妻である夫人を子を産む道具にしか見ておらず、夫人が義務を果たしたら自分に合わないと言い捨てて只の飾りにしかしていなかったじゃないか。

 キミは確かに不誠実な行いをした。不倫は不道徳だ。それは認めなきゃいけない。

 ……だけどもあの夫人には誰かが必要だった。女である以上…………人間である以上性欲は無くなりはしない。欲求を否定する事はできない。

 君は少なくともオリガ夫人に安らぎを与えた。それが君の性欲の発散での結果であったとしても、夫人が自分を相手にしてくれた、自分を満足させてくれたと言う事実は残る。

 ロイド、君が何人の夫人を相手にしてきたかは知らないし、正直知りたくもない。僕にとっては不愉快な話だよ。

 …………だけども何人かの女性を救ったのは確かなんだ。

 ……ロイド、君は……誰かを救った。

 僕はそんな君に魅せられてしまった。君の顔、君の見かけはお世辞にも好かれない。けどね、だから惹かれる。

 君は、その魂にヒトを……誰かを……誰もを引き寄せる魅力を持っているんだ。抗い難い恐ろしい魅力だよ。

 正直言って君が怖いさ。だけどね、抗うよりも寧ろ抗わずに身を任せる方を選んでしまった。

 僕は君の恐ろしいまでの魔力に囚われる事を選んだ女だ。

 ロイド……僕のロイド、僕を愛して欲しい。僕だけを見て、僕だけを抱いて、僕だけを弄んで欲しいんだよ』



 ……そっか。そいつが理由か。俺への告白はドッキリじゃなかったんだな。正直、関係を持ったのだが、どこか信じていなかったのだ。


 俺はやっと安心できた。彼女の素直な心の内をさらけ出してくれたから、俺はようやく納得できた。


 ……ユージーン、貴女は俺に女性の虚実を教えてくれた、それには何時も感謝してる。けど、どうしても女性からの好意には疑心暗鬼になっちまったんだ。それはいつも重荷になって辛かったんだよね……。

 ユージーン、ユージーン……貴女が悪い訳じゃない。だけどさ、俺をそういう風にしたのは貴女なんだよ……。

 責任転嫁はどうかと思うが、ちょっとは怒ってるんだよ。そいつを忘れないでくれ……。




 …………目が覚めた。


 目が覚めれば日が落ちる寸前であった。壁に掛けられている燭台に明かりが灯っている。


 小腹が空いているのに気がつく。昼食は汽車が正午に出発するからその前に軽く食べただけだった。

 ユーノから渡されたバスケットを思い出す。


 晩餐には多少の時間があるからちょっと摘んでも良いかもな。


 バスケットの中身はお菓子のたぐいがメインだが、軽食だってある。

 お菓子には何故か小さなクリームパンが入ってある。微妙に理解為難い。

 クリームパンは軽食にみえるが、小さすぎてお菓子の延長に入る。いや、それは兎も角、帝都でクリームパンが流行ったのは俺が仕掛人なんだが? 


 あ、クリームパン自体は何年も前……どころでは無い。300年前の転移してきた人物がクリームパンを紹介している。

 今になってようやく流行ったのは、菓子パンを作る素地か無かった為だ。

 最近まで卵や牛乳、砂糖の安定した低価格商品が流通していなかったせいである。卵は殺菌した安全なやつが大量生産していなかったし、牛乳は貴族向け販売は流通量に問題があり、庶民向けには大量に売るために水で薄めまくった粗悪品ばかり、砂糖は安くなりつつあるがまだ高い商品である。

 小麦粉やイースト菌は安定した分が出回っているが、嗜好品になると途端に問題が出る。なので菓子パンなどは概念はあっても商品化には程遠かった。

 帝都に来てから3年以上かけて安くて美味い牛乳の安定供給に投資してきた甲斐があり、四ヶ月前にクリームパン屋を開けたのだった。

 1つあたり300円くらいの高い値段ではあるが、菓子パンが人気商品になるのは非常に満足出来た。

 そのラインナップに小さなクリームパンがある。一口サイズで銅貨1枚で買える手頃なやつだ。


 ユーノ達にも店は宣伝したんだがなぁ? そいつを俺への餞別にする? よく分からん……。


 クリームパン以外はさくさく感が人気の商品だとか、あられに似た食感の焼き菓子、煎った豆菓子etc……。


 軽食の方はサンドイッチタイプのパン食にレティカが選んだカルパーサ。たまご焼きにミートボールか入ってあった。

 大好きなカルパーサを摘んで食べる。カルパーサってのら所謂(いわゆる)ドライソーセージの事だ。酒のアテのカルパスと同じなんだよ。もっともここのカルパスはおやつカルパスの様な小ささではなく、もっと大きい…いや太い(イヤんエッチ♡)


 ……うん、まぁ………ゴメン、これはいまいちだわ。塩気より薫りがキツい。食感は良いんだけどなぁ……。

 別にレティカが悪いワケじゃない、俺の好みの方がヘンなのだ。俺は味覚音痴じゃないのだけれど、時おり妙な具合に尖ってしまう癖がある。

 レティカには言ってなかったが、領地にいる頃には調理長を振り回して俺好みのカルパーサ作りに精を出していたのだった。

 何十回と試行錯誤して……作ったのは調理長だが……、二ヶ月半の末に調理長渾身のカルパーサが生まれた。尖り気味の塩気と噛んだ時のグッとくる食感。実に満足できる味わいである。

 それに慣れたから帝都屋敷でもレシピを渡して作らせていたのだった。

 今回はそいつが完璧に裏目に出たかたちになった。帝都のあちこちを回って買って来てくれたのは嬉しいけど、この味は俺の好みじゃあない。


 俺が渋い顔していたらユージーンがバスケットを覗きこんでいた。


 彼女と目が合い、ひとつ渡す。


「……なるほど……坊っちゃまが眉をひそめるワケですね」


 ユージーンは味を確かめて感想を口に出した。


「ああうん、レティカには悪いんだがね」


「お教えなかったのですか?」


「……う〜ん、覚えがないなぁ」


 たしかに教えた事実は無かった。ユージーンが非難すべきかどうかを悩む表情を浮かべている。


「坊っちゃま、レティカ様のご好意を無駄になさってはなりません。ですが、その点を是正せずにおいて後々あれは駄目だったと言ってしまっては失礼過ぎる結果になります」


「分かってるさ、だから悩んでる。『これはまがい物だ、明日来てくれ本物を用意する』……なんて言えないしな」


 俺とユージーンが顔を見合わせ困ったとため息をついた。


「……坊っちゃま、帰郷した後に坊っちゃまがお作りになられた物を包んで贈られたらいかがですか? 

 ……『こういう新しい物が出来た。食べて感想を頼む』と伝えられては?」


「おお、それは名案じゃないか! 有り難うユージーン。その手でいくよ」


 中々に良い解決案だと思えるよな。コレなら角もたたないだろーよ。

 俺がにっこり笑うとユージーンも微笑んだ。やはり彼女は有能である。常に俺の側に立ちながらも相手の面目を保つ配慮をしてくれる。


 俺が残したカルパーサはスタッフ(イライジャ)がいただきました……まる。

 

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