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辺境伯ロイド奇譚 〜誰が彼を英雄と名付けたのか〜  作者: 塚本十蔵
序章 ロイド辺境伯、第一歩をふみだす
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第十五話 ロイド、壮行会に呼ばれる・前編

 我が親友である大公家公子アレックス・ヘルマン・フォン・ベルデナント・グーンが俺達の卒業を記念して壮行会を開く旨を伝えてきた。

 俺としても断る理由がないので快く賛成した。


 卒業後の俺達は俺を除いて皆帝都に居る。アレックスは大公家の代官として正式に着任する。彼が東の領地に戻るのは父親が退位を宣言して爵位を継いでからだ。それまでは帝都にてベルデナント伯爵として大公の意向を発言し、領地への利益誘導を行なうのだ。

 ちなみに貴族とは帯剣貴族と法服貴族に別けられる。

 帯剣貴族とは持っている爵位に応じた領地の管理が本分で、法服貴族とは帝都にて領主あるいは領主より権限を委託された者が議会運営に参加する。

 委託されるのはアレックスみたいな次期当主。または在地領主の代わりに親族の誰かを帝都に派遣する場合。そして俺が官僚あがりの出来物を雇う場合だ。この法服貴族は有意の人物とみなされる功績を挙げれば伯爵へと襲爵すら可能だ。と言っても彼らには土地は一反たりとも与えらない。

 まあ、名誉職とはそんなもんだ。

 …俺? 俺は議会には参加せず親父と共に領地運営に邁進するだけだった。父と母を失っまたたいまは名実共に領地貴族として立たねばならない。ま、俺は置いといて、アレックスらの子弟の場合は父親が引退届けを出す場合や事故や病気で身罷った場合に審査を経て一家の当主となる。


 オットーは帝国議会の一員に推挙された。本人は軍に入り上達を考えていたのだが、今は軍人が幅を利かせる時代ではない。たいした将来のない軍属を見限った彼の父親らはあの手この手で翻意させたのだった。

 フランクは家業を継ぐ。ただしすぐさま継ぐ訳には行かないので傘下商会にて営業を学んでからとなる。とは言っても既に商社マンとしての実績を上げているので、この配置は単に他商会への顔合わせみたいなものだ。

 アンネは一年後の結婚に臨むため花嫁らしい教養を学ぶ事になっている(花嫁修業とは若干違う。彼女らには家事を学ぶ必要がない)

 ユーノはすでに文壇に立つ才女であまり変わりはない。とはいえ学生と社会人とでは立ち位置が違う。これからは一流の文化人がひしめく文壇にて自力で立っていかねばならない。


 そしてレティカ。彼女は北の大公家に嫁ぐのだ。

 俺は壮行会が終れば自領に戻る。その為、来月に行われる大公の婚姻の儀には参加できないのだった。結婚式に参加したいと思うのは友人としては当然だが立場がそれを安易であると許さない。

 俺だけではない。アレックスもオットーもフランクも気楽に参加できる立場にないのだ。俺達は俺達の生活せねばならない状況故に友人の結婚式になそ参加はしてはならないのだった。

 これが日本なら、俺が日本人なら休みを使って、あるいは休みを取りはせ参じるに決まっている。いやそうして然るべきなのだ。だが社会が…世界が違う。社会通念の違いはその縛りを強要するのだった。


 不満はある。大事な女性でもあるレティカの晴れの姿を拝めないのは寂しい。いや、まあ好いた女が他の(ヤロー)に嫁ぐ姿を見なければならないのは正直悔しい。

 北の大公の人なりは大して知らない。だが、大物貴族らしい傲慢なのは知っている。もしかしたら愛妻家であるのかも知れないが、聞いている分には女性をいちランク劣った生き物だと認識しているようだ。この手の男は、配偶者を良き妻とではなく良き母であれと方針を示すのだ。

 わかりにくかったようだ。つまり寝床で遊ぶ分には楽しめる関係であるが、配偶者としては自分の嫡男を産み、より良く育てる為の道具と見なす考え方である。

 女性蔑視甚だしい考え方だが一方では当然である。

 市井のいち女性ならともかく、奔放な(特に性行為において)女性では貴族の女として務まらない。いや務まってもらっては迷惑だ。財産を生み出すならそれもアリなのたが、しかし現実には社交界にて人脈を形成するのが関の山である。有能な利益誘導者なら歓迎できてもそれを可能とする女性は千人…いや万人も居ない。ならば社交界以外なら家に閉じこもって適正な(数と質の)子供を作ってくれれば良いのだからな。

 まあ二十一世紀の日本ならあり得ない考え方ではある。暴言妄言甚だしい。


 しかし、ここは日本の常識が通じない異世界なのだ。ニ十一世紀世界とは違う価値観がのさばる違う世界なのだと言うのを学んでほしい。

 ここで俺が『女性蔑視だ改憲して謝罪しろ!』などと吠えても意味は無い。むしろ単なる非常識で社会秩序への害悪に他ならない。


 ついでに言うと俺は体制側の人間だ。無意味で意義のない発言で足を引っ張られるの御免被りたいのだ。まあ一方で女性の発言力向上や地位の向上は謳い、様々な活動をしているがね。

 だがそれはあくまで向上を手助けする趣旨を発言しているのであって、実務として執り行うものではない。単なるポーズでもないが、実質的には発言だけだ。完璧な偽善者でもあるな。


 さて話がずいぶんと逸れた。

 

 ユーノとアンネは汽車に乗ってレティカの婚姻の儀式に参加するそうだ。彼女らは仲の良い事を素直に表現出来るから羨ましい。

 俺達男連中は一日や二日程度のやりくりは出来ても、結婚式の参加に十日いっしゅうかん以上の時間は掛けれないのだ。

 従って、俺がみんなと…、レティカと会えるのは壮行会が最後となる。……おそらくは今後一生会えないであろう。

 彼女は北都に住む身だが、俺は余程の用がなければ北部を断絶する連層大山脈を南下する事はないので、やはり逢うのは簡単ではない。

 余程の、というのは現皇帝が崩御した場合だ。その葬儀には全貴族家当主は参加せねばならない。これは義務に当たるので欠席に足る理由がなければ絶対である。

 北の大公が亡くなった程度なら領地から離れ過ぎて執務に支障が生じる等と言って欠席するのだがね。


 また逆にレティカが俺の住む領地に来る事も無い。来るだけの理由がまったく無いのだ。大公妃(プリンシペッサ)が大公に添い北部行脚に出掛ける事があるが、やはり連層大山脈が枷になりこちら側には来ないのだ。

 来ないだろう、ではない、来ないのだ。

 連層大山脈は通行が困難極まりない。保安の観点から見ても危険を押して来るだけの理由がないのだ。

 この地は軟弱で草木も少ない。地面が柔らかいのでちょっとしたショートカットは造れるが、トンネルの類は現実的に不可能だった。両親が亡くなった所また難所中の難所で、急な内巻きのカーブでしかも外に傾いている最悪の箇所のひとつだ。

 そんな難所まみれ、ホイホイと行き来なんて出来ないのは自明の理。

 そんな訳でレティカと二度と会えないのを覚悟してあった。


 ……寂しい、とは感じているさ。

 男女関係は金と権力、陰謀策謀で思うがままに荒らしてきた無法者の俺に、面と向かい愛情を宣言してきた美しい才女であるのだ。これ程の幸運ほかに無い。

 しかし、だからといって狂おしいまで愛しているとは思っていない。単に俺がドライな薄情だけだ。


 俺は自分が思っている以上になにかに執着しない。

 手に入るモノは手に入るもんだと思っていて、手に入らないのならあっさり諦める習性(クセ)がある。ここらへんは貴族のぼっちゃん気質だ。深い意味を考えた事もないので深層心理は不明だ。誰か調べてくれても良いんだぜ?


 だがまぁ、これがこの世界の当たり前の日常でもある。なにせ帝国は広い。きちんと測ったわけではないが、帝国全土は控えめに見てユーラシア大陸(アフリカ大陸も含む)四つ分はあるのだ。

 しかも長距離移動には汽車とガレー船しか手段が無い。そしてインターネットの類も存在しない。一応魔導力を用いた通信技術はあるが、その使用は国政レベルでのみの制限があり私信なんかには使えない。気さくに遊びに出かけられない。

 そうした次第で一旦離ればなれになれば、それは今生の別れに等しいのだった。


 ああ、手紙のやり取り位はするだろう。だが要らぬ誤解を招くようなざまはすべきではない。 

 大公もいちいち検閲はしないだろう、また俺も疑われるような(ふみ)なぞ書かない。いくら俺が彼女を好いていても自分から首を絞める真似はしたくないのだ。

 文通してもその回数は年に二度か三度が精々だな。まぁレティカも馬鹿じゃないのだ、そこら辺は心得ているさ。


 さて、壮行会が終わればいよいよ帝都を離れる訳だ。四年間の帝都生活、まあ、色々あったなぁ…。


 完璧お上りさんの俺が学士になり、グーン大公公子アレックスと知り合うのを機に友人が何人も出来た。俺とアレックスは名が同じであるのは偶然だが(スペルは同じでアレックスは帝国では標準的な名称で、俺のアレクシスは北部訛りである。帝国は広く様々な地方訛りがあり、東部ではいくつかの亜種ある。西部と南部にはアレックスに当たる名前がない)、実は将来の派閥を組むためにアレックスは入学生からこれはと思う者をピックアップしていた背景がある。

 つまりは…自分で言うのはナンだが、彼の眼鏡に掛かった訳だ。


 我が友人アレックスは選んだ男女を、自身の主催する勉強会へ招いた。ここでは帝国の運営や問題点を学ぶべく組織されたサークルである。

 アレックスは帝位継承権を有している。もし、万が一の事態があれば、アレックスは帝位を受けて自身の組閣を用意しなければならない。皇帝に一朝事あれば次席の皇太子が新たな皇帝に、その男に問題があれば皇帝の血に近い公爵家党首が、以外継承権を持つ順にそのお鉢が回ってくるシステムなのだった。

 アレックスは帝位には大した興味は持っていない(皇太子と仲が悪いせいもある)、しかし“もしも”の事態に備えておかなければ、それは義務の放棄だ。


 義務、その意義は大きい。

 貴族とは単に領民から税金をとり領民を庇護するだけが責任ではない。帝国に対しても責任がある、帝国を動かすシステムを護る存在でもあるのだ。

 ついでに言うと辺境伯とは、帝国最前線に配置されている藩屏なのだ。帝国総軍を指揮する皇帝陛下をトップとするなら、第二位は皇太子で俺の立ち位置は第五位なのだ(第三位は俺より在位年数のたかいオォールオーヴァ辺境伯とあらいづも辺境伯が並ぶ。もっともあらいづも辺境伯は重い病を抱えており、余命は短いらしい)


 話を戻す。

 義務とは帝国が存在する為に為さねばならない在り方である。それは国家上納金であり、国政運営であり、国体維持の諸々だ。その中で国体維持は最大級の遂行義務と言える。

 俺は帝位を受け継ぐ立場には無いが、アレックスには継承権があり有事には帝国を自らで動かさねばならない。その際、自身の派閥が必要とされるのだ。


 俺はこの派閥に組み込まれた。

 嫌も応もない。…拒否、それ自体は可能だが、いずれは何処かの派閥に組み込まれるのだ。ならば、俺をかってくれたアレックスに与するのは当然でもある。


 寄り道ついでに俺が組み込まれる派閥を説明しておく。

 最大の(もしくは最有力の)派閥は次代の皇帝となる皇太子派だ。安牌だが俺は選択しない、何故なら皇太子殿下は嫌いだからだ。

 あの男、帝位を継ぐだけの必要とされる知能指数はあるのだが、知性が好かない。

 強烈な男尊女卑主義で排他的過ぎるのだ。力こそ正義、それを体現したかの様な男。俺はそれが好かない、故に却下だ


 次は北部の大公に与する派閥だ。地元である北部貴族だから正当な派閥だな。

 しかしながら俺はこのおっさん…失礼、大公閣下の事をあまり知らないのだ。あった事は一度だけでしかも挨拶しかしていない。

 大公家の当主だから能力は高いのだろう、それは間違いない。だが知っているいて知るべきはそれだけで構わない。

 そもそも北部は北都とその周辺部のエリアと連層大山脈より北エリアで二部されていて、事実上分離している。その為北エリアは大公の影響力が非常に低いのだ。したがって俺が北の大公の派閥に居なければならない理由は無い。


 貴族各家のは厳密にどこかの派閥に入らねばならない決まりはない。まったく影響が無い訳ではないがフリーの貴族だって居る。俺もまぁ、そのつもりでいた。

 だが、そこにアレックスが声を掛けてきたのだった。

 アレックスは北に北部大公の影響力が少ないのを知っている(…まあ俺が教えたのだが…)そして彼自身は次期大公が内定しており、親の作っている派閥の継承だけでなく自分の派閥を形成せねばならない現実があった。

 

 派閥形成に大事なのは『金』それに尽きる。人柄や知能指数なんかは二の次だ。

 貴族家当主や次期当主就任予定者はそもそも頭が良くなくてはならない。たとえ品性に劣るとしても実務能力が有れば看過される。したがって『なにを成せる』人間であるかを重要視するのだ。

 そしてその人物が保有している資産。

 金がなければ何も出来ないのは当然である。貴族は全員が金持ちでも貧乏人でもないが庶民よりかは所有資産に余裕がある。

 お金は上手く扱えばステータスを底上げして、卑しく使うなら品位を貶める両極にわたる使い方が出来る。


 くだらないかと言われればそれまでだが、身なりを整える事は大事である。デザインは似ていても、吊るしの量産品と生地からこだわりキチンと誂えた一品物とでは醸しだされる風格に大きな差がでるのだ。

 小道具もまた然り。見に付けるアイテムにも注意をはらい、選ぶ物を厳選すれば威厳度は大幅にアップだ。

 まぁ確かに安いものでもデザインが良ければうまく誤魔化せれる。それは否定しないが、やはりネームバリューの高いメーカーなら人の目はプラスに働くのである。

 そして名だたる一流メーカー品はお高いの相場だ。一流に位置するメーカーさんは一流で在り続ける為にまた努力する。その結果、どうしてもステータスホルダーとして見に付ける諸々の品はお高い一品として存在するのであった。


 俺としては前世が一般市民であったから安く済ませれるのなら安くしたいのだが、残念ながらここは日本人の俺としてではなく帝国貴族としての立場で位なければならなかった。

 幸いにも資産に余裕のある辺境伯家であり、財布の紐を緩めても問題は無かった。


 ちなみに帝室や公爵侯爵らはともかく、伯爵家と子爵家には保有資産額にずいぶんな差別化がされている。

 伯爵家は日本円概算で一千億の単位で資産の保有が認められているが、子爵家では一千万ちょいの保有額しか認められていないのだ。領民の代表として旧国主か人民からの選出としての差、である。

 男爵家なら八百万ぐらいで士爵なら五百万弱。それ以上はどんなに稼いでも保有が認められない。ちなみに辺境伯は二千億円だったりする。

 法の抜け穴としては衣服や食料、日常で消耗するモノなら制限は無かったりする。装飾品はやはり駄目、不動産とかのカテゴリーに入るのだった。ま、男爵レベルがどんなに頑張って服を集めても伯爵家には届きはしないのだがね。


 そうした背景もあり、俺は金にあかせて身なりには力を入れている。まぁ俺に合うサイズの服は少なく、フィッティングの手間を考えたらオーダー品の方が早いのだが…。


 さて、そんな訳で俺は洒落者でもあるアレックスが壮行会を企画した事を伝えられて、服を仕立てに馴染みの服屋に来ていた。


 壮行会は単なるパーティーではない。

 学院にて学んだ連中だけで無く、その支援者らも集まるからである。

 貴族子弟や上流階級の学士達の支援者であるから、自然と政財界や軍部の有力者が集まるのだ。まあ、彼らは今期の学士の代表で、最大次期有力者となる東部大公家の御曹司アレックスへ顔を売るためにやってくるのだがね。


 で、俺は帝国内の諸貴族の三家しかない辺境伯家の当主であり、アレックスの友人でもある(彼は俺を『我が最大最高の親友』だと公言している。そのゆえアレックス閥の重要人物であると見做されている)その為、俺は背伸びしてでも彼に並ぶ必要があり、身なりも最大限気を配らねばならないのだった。


 爵位襲爵やイライジャとザーツウェル先生らの出会い、帰郷に関わるあれこれの雑務等に追い回されたせいで壮行会まで三日後に迫っていた。


 忙しい時間をやり繰りしてどうにか服屋へ来れたのだが、さてどんな格好をすれば良いのか判らない。

 と言うのも昨日まで学士であったから公的には学士服を着れば良かったのだが、今は卒業した身なのでそれはコードに合わない。

 ならば貴族家当主の正装がもっとも良いのだが、そうなると当主の正装を持っていないので仕立てるには時間が全く足りない。


 ちょいと時間軸を戻すが、爵位継承の儀には正装せねばならなかった。しかし当主の正装を用意するのが間に合わない事情を斟酌してもらい学士服で臨んだのだった。

 どれほど斟酌してもらったかと言うと通常ならそれなりの規模で式典を行うのだが、なんとそれをパスさせてしまった前例の無いささやかな式であった。

 俺としても皇帝陛下から額帯や指揮杖…辺境伯には特別に下賜されるアイテムである。なぜなら辺境伯とは最前線を守る指揮官でもあるの為なのだから…を賜るイベントは面倒であるから、いちランク落としての国務尚書からの手渡しで済ませれるのは有り難かった。


 と、どうにか厄介な式典をクリアしても壮行会にはまた別の重要なイベントとしてやって来る。

 その為に今度は『それなり以上』の格好をしなければならなかった。

 




「…こちらがギーラ・メジスの生地でございます。昨年より品質がさらに良くなり人気が上がっております」


「ギーラ・メジス、南部の三大産地品だった、か?」


 反物を手にした年配の支配人に確認した。まあ有名な生地の産地は大体が南部の品で間違いないのだが。


「はい、そうでございます。近年は西部でも繊維事業は活発になってきましたが、品質では俄然南部産がうわまっております。その中でもこのギーラ・メジスは品質にこだわった一流の中の一流、ファーレ様には是非とも身につけて貰いたいと」


「なるほどねぇ、うん、ではこの生地で仕立て上げて欲しい。さて、なら上着はどれが良いのかね?」


「ありがとうございます。はい、上着としてラ・ラ・ルーゼが投じた新作を入荷いたしました。それを只今用意しますので、どうぞ手になさって下さい」


 ラ・ラ・ルーゼか、彼のデザインする品は見栄え重視だからあまり着た事がないんだよね。


 つかさ、俺は人よりかなりデブっているから見栄え良い服なんぞ全く似合わんのよ。

 しかしまぁ、これからは体面もより重視しなきゃならない訳だし、そういうのも手に取る必要もあるのか……。


 嫌になる程のハンサムな店員が恭しくハンガーに掛けられた上着を持ってくる。


「……なるほど、これは実に見栄えが良い」


 出された上着は暗い茶色の上着で、左肩から斜め前に銀糸の巧緻なモールが流れている。背には同じモールが肩から肩に逆アーチを描いていた。


 …良いもの、なのはわかる。


「ああ、確かに良い意匠だが……しかしだ、この上着はあくまで細身から普通体型の男性向け、果たしてこの俺が見に付けたならば…、なんだ、そのいささか間延びした印象を与えるのでは?」


 そう、スーパーなファッツマンである俺が着たら、このデザインが損なわれる気がする。


 支配人は俺を見ても笑わないでいるプロの売り手であるが、果たして俺を良く知らない他人から見ればどう捉えるのか、考えたら楽観なんぞ出来ないのだ。


「もちろん、ファーレ様に合わせた仕立てにします。

 しかしですが、この衣裳只の衣裳ではありません。…ファーレ様、当仕立て屋はラ・ラ・ルーゼを扱ったことは無いのです」


「……やはり大公家がか」


「は、その通りです。相当無理を言ったようで」


 心の中で嘆息した。

 説明しておくと、デザイナーにも派閥(あるいは好み)があり、Aで買おうとした服はBでは売っていない場合が多い。人気デザイナーならなおさらだ、気楽に手には入らない。それを卸売りしない店にわざわざ寄越したのだ。厚遇にも程がある。


「ん、いやこれは俺が失礼した。…うん、そうまで言われたのなら是非もない。これを仕立て上げて貰いたい」


 支配人は深々と一礼した。


「さて、それでは仕上がりにはどれ程の時間が掛かる? 出来れば可能な限り最短で頼みたいのだよ」


「は、グーン大公公子閣下様が主催なさる壮行会までお日にちが間近に迫っておりますれば、こちらとしても最優先で仕立てに上がります。

 …明日の午後、ええ、明日の午後二刻にはお出し出来ましょう」


「…急かすような注文したのはこちらだ。ぎりぎりまで掛かっても構わないよ」


 支配人は明るい表情を浮かべる。


「大丈夫でございます、ファーレ様。

 明後日にまで持ち越せばファーレ様が服に馴染ませる時間が無くなります。その様な事にはけっして」


「そうか、有り難い。では委細任せる」


 一流の服屋ともなれば社交界の情報も仕入れて当たり前か、そしてその上で客を困らせないように努力する。…なるほど、こうした手配りこそ一流たる所以な訳だ。


 採寸をして店を出る。次に装飾品の店に寄り、幾つかの品を購入した。

 その後にアレックスらに渡す品々を買い求め、帝都屋敷に戻ってきた。





 帝都屋敷の居間には絵本を読んでいた新しい同居人であるイェラ改めイライジャがいた。だが本人はたいそう気に入っておらず、俺が『イライジャ』と呼んだら不満を隠さない。

 ああ、別に俺を嫌っているのではない。俺とは仲が良い関係を維持しあっている。ただ『イライジャ』と呼ばれるのが嫌なのだ。

 ならば俺が折れるべきではある。

 しかし、だがBAD、俺が折れる必要なんて無い。折れるべきはイライジャの方である。……まぁ俺は“大人”だから余裕を見せるべきで、多少の譲歩は考えんでもないがね。うむ、やはりそういう気遣いは人生の先達である偉大な俺様ちゃんが行うべきだ。紳士たれの精神であるな!


 さて、戯れ言は置いておく。

 俺の姿を見た彼は満面の笑みで立ち上がる。


「にいさん、おかえり!」


「やあイライジャ、その絵本は面白いかい?」


 彼…というより女の子の格好をしているから彼女、というべきか、なんかややこしい立ち位置の義弟(いもうと)が俺に抱きついてきて頭をぐりぐりぶつけてくる。

 そのまとわり付く様は子猫(イェラ)ではなく子犬(シェリー)にも似た仕草である。正直、ちょいと可愛いと思ってしまう。

 先に記した通り、『イライジャ』と呼んだ瞬間には一瞬だけ目が曇る(または眉や頬がピクりと動く)。しかし俺に否定の意を示しても俺は黙殺するので諦めているのだ。

 まあ普通に拗ねる場合も有るのだがね。


 だがそれで構わない。俺達は互いに主張しあい、妥協しあうのが最善なのだ。

 興味深い事に、彼の方もその本質を理解しているようだった。何故なら、本気で拗ねてしまう以外には俺と口論にまで発展しないのだ。…と言うか、『こいつに何を言っても無駄やん』って表情を浮かべるのだ。

 もし本気で俺が嫌いなら、反発し続けるとか帝都屋敷から出て行くとかの行動をとると思う。だが彼の行動は常に俺に対して好意的に出ている。

 これが腹に何かを抱えているのなら、もう少し演技に過ぎるか、何らかの行動に出ている。

 …はずだ、とは言わない。見ていればわかるが、『はず』ならそれはもっとダイレクトに表れる。あるいは俺が見ている以上に演技が優れている可能性は有る。

もし、(イライジャ)の俺に対するあらゆる行動(アクション)が俺を欺く完璧な演技ならば…、それならむしろ逆に尊敬できる。

 

 俺は貴族社会の浅い第一歩の所にいるのだが、それでも並の人生では味わえないヒトの裏表を見てきた。

 それが全てではないし、ヒトには真に崇高な部分もあるのを承知している。それらをひたすらに受け止めて『人間』というのを無垢無害鬼畜有害だと安易にレッテルを貼らない事にしている。

 人間、見た目だけでないし、かつ見た目より優れた生き物なのだ。

 だからわかる。イライジャの持つ人間性がわかるのだ。

 

 この()は賢い。

 計算高くもあり、嘘もつく。そしてそれ以上にナチュラルに生きている。世の不条理を知り、嘆く事も拗ねる事も知ったかもせずに、世界のすべてを大胆に受け入れているのだ。

 遭って一週間ちょい、同居しても僅かな日数でしかないが、この児の器の大きさは並ではない。いや、並なんて言葉では言い表せないモノを持っている。

 これが単なる詐欺師の類なら、俺の目はガラス玉以外であるよ。見誤った結果、けつの毛まで毟られても俺は非難しない。そう言い切る自信があるのだ。


 いや、いつかは俺を見限るだろう。俺は人から尊敬される人間になり得ない。ぶっちゃけ欲と俗に塗れたくだらん人間だ。

 俺はこれから領主として領民を導かねばならない。彼らの生活を向上させ、豊かな領地を開発せねばならないのだ。

 その為にはキレイ事なんぞ言ってられない。人をこき使い、おい回り、梯子を外して回らねばならない。

 先日の帝都屋敷の家令の件もそうだ。

 疑い、調べ、追い落とす。その遂行に良心を捨て、逆に追い落とす喜びに浸れる人間性を持つ悪徳を有せねばならないのだ。

 

 

「おもしろいよ! それに…きれい? たのしい?」


 まあ絵本なんかは子供向けなんだから原色を多用してるんだしキラキラしてるわな。


「綺麗、でいいよ。まぁ楽しんでいたなら良いのだがね」


「うん!」


 数日前までは身なりの悪いストリートチルドレンだった(かのじょ)も、今ではこざっぱりした見栄えの良い良家の子女に生まれ変わっていた。


「君に百貨店(おみせ)でおみやげを買ってきたんだ」


「ん〜?」


「おい、アレを渡してやってくれ」


 お付きの従者(ヴァレット)に合図を出す。

 従者は手にした大きな包みをイライジャに差し出す。


「…なぁに?」


「まあ開けてみなさい」にっこりと笑みを見せて促した。


 ?マークを浮かべた義弟は丁寧な包装をどう扱って良いのやらと包みを抱えている。

 しばらく迷うようであったが、好奇心には勝てずか恐る恐る包みを解きだした。


「!? ふわぁ!」


 お土産は白熊のぬいぐるみである。地球の白熊とは別の生き物でむしろパンダに近い。いやパンダだと断言しても良い。

 野生動物ではあるが、その特生や習性を利用して益獣として半ば家畜化している。熊は熊なので扱いには慎重にすべき点はあるが、それでもこいつらがゴロゴロする様は見ていて愛さずにはいられない。


 ちょいと補足する。

 この白熊は山岳部に生息している夜行性の野生動物で稀に里山に下りてくる。

 食料にするのは雑食で肉食にこだわらない。どちらかと言うと草や自然薯を好んでいる。しかし自分達のテリトリーには拘りがあり、外敵には容赦しない。


 この里山に下りてくる連中をどうにか手懐けたのが発端だった。

 住む場所と餌を与えて、代わりに里山と麓の畑をテリトリーにさせたのだった。この目論見は二十年かけて成功した。

 暇な男の思いつきはひとつの野生動物を益獣へと導いた。その是非はともかくとして、白熊は人間社会に受け入れられたのだった。

 そして意外に人懐こい性質が明らかになり、益獣から愛玩動物にステップアップしてしまった。

 特に幼生体…幼い白熊は犯罪じみた愛らしさで人を虜にしたのだ。

 

 いやマジで可愛いのだ。小さな丸い物体がゴロゴロしている様や人に甘える様はどんな凶悪な犯罪者でもにっこりする程。

 大の大人がそうなのだ、ならば女性や子供たちが愛さない理由はない。近年、家畜化した白熊の人気は年ごとに上昇していったのだった。

 ちなみに、情報伝搬率に差が出ている世界なので俺は帝都に上がるまで知らなかったのだが……。知ってからは? ええ勿論、好きになりましたよ。

 まあグッズを買うまでにはならないがね。


 さて百貨店の玩具売り場にて、はてさて何を買うべきかと考えていた際に年配の女性販売員がコレを勧めて来たのだった。

 その女性販売員は一般の販売員では無かった。

 定年を間近に迎えた企画部長というキャリアウーマンで、引き継ぎを終えて彼女は最初に配備されたこの場所にて退職の日までいち販売員として務めたいとしていたのだった。

 企画部長という役職までのし上がったキャリアウーマンだから、さぞやギラギラしたおばさんの様に思えるだろうが、実際には人好きのする知的な淑女であった。


 勧められたこの熊のぬいぐるみも彼女が想いを込めて陣頭指揮をとった企画のひとつである。

 子供向けのお土産に悩む俺に展示品のひとつひとつを丁寧に説明し、そのコンセプトや客の動向を門外漢の俺にもわかりやすくプレゼンしたのだった。


 そうした次第でぬいぐるみ…親しみやすい程よく擬人化した大きなやつを買ってみた。


 イライジャは満面の笑みでぬいぐるみ(いちメートル位ある大きなやつだ)を抱きかかえた。

 見た目はぬいぐるみの造形がまぁるくディフォルメしているので(イライジャ)にのしかかっている様に見える。

 

 小さな同居人は見た目が一五〇センチを切っている(正確に測っていないが一四〇もないかもしれない。そして体つきも細っこい。ならば体重は四十キロ弱だ)。その為、ぬいぐるみがいちメートルもあるので質感的にイライジャの方がどうしても小さく見えるのだ。


 そのぬいぐるみを抱きかかえてイライジャは床を転げまわった。

 少なくとも嫌ではなさそうだ。

 嫌がれたなら辛かったのだが杞憂であった。うん、嬉しい。


「ね! ね、このこはなんてなまえ?」


 へ? ……名前だと? いや知らんが。


「……う〜ん、お店では名前を聞いてこなかった。…うん、君がその子に名前を付ければ良いよ」


 確かこの白熊シリーズには何かの名称があったんだが……うん、忘れたわ!


「なまえ……、ん〜……」


 先の笑顔を引っ込めて眉間に皺を寄せた。

 いや、微妙に表情が変わる。…悩んでいる。


 真剣さの現れか、百面相の様に表情が変わる。


 と、暫し観察していたらニィィと奇妙な笑みを浮かべた。


「…じゃ、ろいどにする」


 は?


「は? 何故に俺の名を付けるよ?」


「んふ。いーなまえでしょ」花が咲いたかの様な笑みで高らかに宣言する。しかしだ、それはない。


「いや断固拒否する。…俺はこんなに丸くない」


「ん〜ん、まるいよ〜」


 丸くねぇよ! 俺はもっとスリムでスタイリッシュなイケてるナイスガイだ!

 そんな俺が見てくれの悪い丸く太った熊扱いにされにゃならんのだ! 謝罪と弁償を要求する!


 不遜なガキンチョにひと言物申す為に一歩前に出る。

 



「坊っちゃま、ザラ文具商会よりお荷物が届きました…が、どうかなされましたか?」


 居間に侍女(レディーズメイド)のユージーンが入ってきた。

 英語表記ならレディーズメイドで、本来の意味は女主人に専属で使えるメイドだ。従って男の俺に使えるのは従僕(ヴァレット)となるのが正解である。

 しかし、この今いる帝国社会では女性使用人が男性に使える場合に侍女と名称しても問題はない。

 ちなみに従僕(ヴァレット)従者(フットマン)は字面は似ていてもまったく役職は異なるので注意だ。イギリッシュ(イギリスっぽいよね)でもそうだが役職にはガチガチなカテゴリー分けがあり、気安く混同しては駄目である。 

 日本人的な感覚なら同じ使用人じゃんと曖昧にしてしまう癖があるが、ガチの封建制階級社会

では階級と名称を間違えるのはNGた。日本人の持つ名誉とは違うが、帝国でもデリケートな問題なのだ。


「何でもない。で、品は?」


「こちらです」


 部屋を出る際、イライジャを見たら夢中になってぬいぐるみと戯れていた。

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