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辺境伯ロイド奇譚 〜誰が彼を英雄と名付けたのか〜  作者: 塚本十蔵
序章 ロイド辺境伯、第一歩をふみだす
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第十一話 ロイド、イェラを引き取り、変人医師の為に敵地に乗り込む

 イェラが入院して7日が過ぎた。

 朝、本日の回診が終われば退院出来るとの報せを受けて昼過ぎに馬車を向かわせる事にした。



「やあドラクル。イェラを迎えに来たんだが、身体の見立てを聞きたい」


 やあやあようようとイェラの居る病室に入ると、異相の女医は彼女(?)を診察しているところだ。あ、いや終わるところだわ。いいタイミングやん。



「うん、右肩の引き攣り以外は問題なしだ。

 イェラ、君には申し訳ないが後は時間に任せるしかない。動かしづらいだろうが毎日右肩を動かすんだ。そうすれば時間がかかるが今よりマシになる。良いね?」


「うん」


「辺境伯。今私が言ったのは聞いていたな? 現状はこれまでしか出来ないのだ」 


「承知した。感謝してる」


 女医に頷いてみせて寝台の上の少女(?)に向き直る。


「イェラ、今日から俺が君を連れて帰り、面倒をみるのだが構わないかな?」


「? どうして………」


 寝台の横の椅子を引き寄せて座る。


 ギチリ……安物の椅子は俺の体重に悲鳴をあげた。その音にチラと罪悪感が湧いたが構わず悲鳴をあげさせる。泣かすのは得意だからな。


「君はあの街で独りで生きてきた。

 それだけなら俺も気にせずに君に謝礼を渡して終わりにしている。

 だがね、君はあの時に地元のゴロツキ共を相手にして立ち回った。ああいう手合はしつこい。どんな報復を受けるかわからない。

 今後、君は街で生きて行くには不都合があり過ぎると考えた。

 平たく言えば君は危ない場所にいるんだ。

 そこでだ。そこで俺は君を引き取りたい。俺の所へ君に来て欲しいんだ。

 俺は君に命を救われた。今度は俺が君を守りたいんだよ。どうかな、来てくれないか?」


「う…う〜ん………」


「俺は間もなく自分の領地に帰る。北の田舎だ。

 まぁ田舎っていっても帝都に比べれば劣るが、街自体はおっきい街でね、かなり賑やかだよ」


 手を伸ばしイェラの頬に触れる。イェラは一瞬強張ったがすぐに嬉しそうな顔を見せると俺の指に合わせ顔をスリスリしはじめた。

 ………なんか猫みたいだ。

 ちょっと可愛いからもっと指を這わせる。


 するとイェラはさらに猫じみた仕草で甘えてくる。


「どうかな?」


 指を止め、彼女の側頭部の髪を梳く。

 梳く、といってもまともに風呂に入らない生活のイェラだから髪はゴワゴワしているのだが……。


「ねぇ、ろいど………」


「ん?」


「おにーさんになってくれるの?」


 俺は全面的にニッコリ笑ってみせる。身を乗り出して小さな身体を抱きしめた。


「もちろんさイェラ。君が望めば今から俺が兄になるんだよ」


「おにーさん、にいさん……おにぃ、ん〜……にいちゃん?」


「好きに、って言っても構わないが……そうだなぁ、『兄さん』と呼びなさい」


「うん! にいさん! にいさん!」嬉しそうに何度も『兄さん』を繰り返した。


「で、来てくれるのかい?」


 そう言ったら少し固まる。だがそれも直ぐに解けた。


「うん、ついてくよ。わたし、にいさんといっしょ!」


 同意を得たことに安堵した。拒否もあり得たので心配だったのだ。


 だが、俺とイェラは元々住む世界が違っている。どうにもならない溝が横たわっているのだ。

 俺もイェラも、俺達を取り巻く人達にも越え難い困難(トラブル)に対処出来るのか、それを考えると身震いしてしまう。

 しかしだ。少なくとも俺は覚悟を決めたのだ。ならば俄然進軍あるのみだ。どうにもならない最悪の状況にならない限りはどんな壁だろうが突き破るし、どんな溝があっても埋めて行く。そして、どんな山が立ちふさがろうがぶち抜いてみせるのだ。

 俺は小さな勇者に助けられた。

 なら、今度はその勇者の手を引いて進もう。


 出来る出来ないではなく、やるのだ。


 自己満足? それのどこに問題があるか、自己満足おおいに結構じゃないか!


 俺にじゃれつく義弟……あ、義妹? まあいっか、義妹弟をもう一度抱きしめた。

 そういや『イェラ』ってのはペットとかに付けるような名前だよな? ん、なら『イェラ』から近い何か別の名前に付け替えるのもアリじゃねーの? 

 

 うん、そだね。帰ってから考えよう………。


 さてと。


「さて、ザーツウェル先生さんや、先日の返答を聞かせてくれないかな? まだ決心はつかないかね?」


「………色々考えたさ。正直迷っているよ」


 女医は髪に手をあて毛先をもてあそびながらポツリと呟いた。

 先日見せたギラギラギョロギョロ動く右眼は大人しくしている。どうも真剣に迷っている様だった。


 彼女は瞑目した。


 俺も急がさずに待つ。いま返事が必要ではないが、何らかの志向は聞いておきたい。


 取り敢えず暇だから、椅子から寝台に腰掛けてイェラに構う事にした。

 そのイェラは右手を余り動かさずに俺をベタベタと触っている。俺を触る事のどこが楽しいのか分からんが、ドラクルが口を開くまで好きにさせよう。


 しばらくイェラをハグしたりくすぐってみたりと遊びに浸る。チラと女医を見やるが傍目にも悩む素振りを見せていた。

 イェラを構い、ドラクルを待つ。


「………辺境伯……」


 目を開いた女医は疑念を浮かべた瞳を向ける。


「貴様は先日『追いかける』と言った。その下準備には連中と交渉しなければならない」


「そうだ。で?」


「どう『交渉』するのだ?」


 あ、なんだそんな事か。


 イェラから身を離し、再び椅子に座る。椅子はやはり悲鳴をあげたが体重で黙殺した。


「呼びつけるのも手だがね……。

 ……俺が乗りつける。そこで交渉に入るのさ」


「ば! 馬鹿な…貴様は何を考えている!」


 色白の顔をさらに白く染め上げたドラクルは悲鳴じみた非難を口にする。


「馬鹿とはなんだ馬鹿とは。馬鹿って言う方が馬鹿なんだぞ? 

 いや、ま、それは兎も角だな。

 何も単身でカチコ…交渉に行くワケじゃない。護衛もつけるし保険も掛けるさ。

 それにだ、受け身にまわってどうするよ? それじゃあ『追いかけれない』ではないか?

 ならば進むのが上策。

 行って、話をする。

 それだけだ。簡単な話さ、違うかね?」


 腰を浮かし、まっさらな顔の女医の頬を撫でにいく。


 優しく撫でるように触れる。


 ビクりと震えたが、そのあとは俺の手に自身の手を重ねた。

 柔らかい手のひらから微かなぬくもりが伝わってくる。


 頬を撫で、形の良い(あご)に指を這わせる。ついでに湿りのある唇をなぞってみせる。

 

 ふと視線を感じた。

 ………イェラからの視線だった。

 見ればイェラはニヤニヤ顔で俺を見ていた。その顔は期待なのか何なのか知らんが赤くなって興奮している。


「……子供には早い。忘れたまえ」

 

 しかめ面で言い捨てるとイェラは爆笑しだしたよ。威厳台無し………。



「話を戻す。ひとつ聞きたいのだが、構わないか?」


「あ、ああもちろん良い。何か?」


「ドラクル、貴様は薬をどう手にしている?」


「どう、とは? ああ、入手方法だな。

 ……半年に一度、私の元に男が来る。特定の人間ではない、何人いるのか知らないが変わり代わりに訪れる」


「ほう、現金での決済か?」


「違う……」


 彼女は(うつむ)く。


「……連中は……わた……私に、薬を鞄ごと渡す………金は受け取らない場合が多い」


「無料または小銭でとはな」


 彼女の押し黙る意味からある光景が浮かぶ。だがそれを口にしない程度の慎みはある。


「まあ良いさ。なら連絡を取るにはどうしていた? 半年に一度の定期とは言え、緊急の場合があるのなら?」


「………カザーナ商会と言う店にいる…………番頭のジム・マクラウド…だったな。その男に繋ぎを取れと言っていた」


「ふん、それが聞きたかった。

 ならば後でその番頭に会いに行くとするか。おう、ドラクルよ場所は知っているのか?」


「材木町のニッキス通り、(かみ)のふたつ筋に看板をあげていると聞いた………なあ、辺境伯が自分で行く必要があるのか?」


 俯きがちな女医の頬に手を添える。


「俺が行かなくてどう交渉できるよ?」


 意気の下がっている彼女に心配させたくないのであえて陽気を装う。


「通りに看板出している商会なんだろ? なら、差し当たっての脅威ではないさ」


「………しかし」


「悪いようにはしないさ。気を楽にして待っていろよドラクル」


 彼女の顔を優しく持ち上げる。


「良いか? 俺は貴様を手に入れる。その手間なら手間にならぬよ。

 俺はロイドだ。帝国の(きざはし)の最上に居られる御方(おんかた)と帝国上層部以外の人間は誰であろうと俺を止めれない。誰からも掣肘されない。それが俺だよ。

 ならばだ、たかがいち商店の番頭如きに邪魔なんぞされはしないし、させやしない。

 どうよ、これでも納得してくれないのかい?」


「……ひとつだけ約束して欲しい」


「うん?」


 彼女から強い視線が届く。


「無茶だけはしてくれるな……頼む」


「おう、無茶はしないと約束するさ。

 イェラを連れて帰ってから、その商会に行く。結果はまた知らせるので待っていてくれ」


「辺境伯、これは私の個人的な問題だ。それを任せるのは心苦しい…本当に心苦しいんだ。

 だから本音は辺境伯に任せたくない………。

 ………けど…頼む、辺境伯………お願いします」  


「承知したよドラクル。万事任された」


 椅子から腰を上げた。

 もう一度、彼女の頬に手を当ててなぞってみせる。


「あ、先の問いかけだが………俺の元に来てくれるな?」


 女医も立ち上がる。その瞳は力強く、先ほどの弱さは見当たらなかった。


「ああ、決めたよ。辺境伯殿、貴様に付いて行く。

 ……そこで私も聞きたい。私を連れ帰るのは承知したが、その先で私は何をすれば良いんだ?」


「その決断に感謝する」


 一度区切ってみせ笑顔で口を開く。


「心配するな、無為には過ごさせるマネはしないさ。

 だがまぁ差し当たっては俺の館に滞在してくれるかね?

(訳:さぁて、どうする……なあ〜んにも考えてないんだけどなぁ…………)」


「分かった。

 私の荷物はどうすれば良いのだ?」


「ああ荷物ね。荷物は俺の屋敷に寄越せばいい。その後はこちらで采配する。

 貴様は自分の住処(すみか)を引き払う準備をしたら帰郷するまで俺の屋敷で寝泊まりしろ。

 それと、荷物は着払いで送れ」


「承知した。だが着払いまでは世話にならずとも構わないのだけど?」


「ふん、気にするな。その程度のサービ…あ、いや、その程度は必要経費さ」


「あ、あの!」


 唐突にもう一人の女性……女医の側に立つ献護師さんが口を挟んできた。見た覚えのある女性だと思ったら、先日の献護師さんだった。


「辺境伯様、あの、私も…連れていっては貰えないでしょうか?

 私はザーツウェル先生に付いていきたいのです」


「……フランシア、君は……、君が付いてきてどうする? 私は辺境伯の雇われ者になるが君は……」


「先生、私は先生のお世話をしたいのです。今の仕事を辞めるに迷いはありません」


「いやしかし……。

 フランシア、私は誰かから世話をしてもらう必要なんて無いのだよ?」


「………ちょいと待ちな」


 彼女らの会話に口を挟む。


「あ〜、フランシアさんだったね。なんなら俺に雇われるかね? 給金は相談だが、それが構わないと言うならどうだい?」


「はい。辺境伯様が宜しければお世話になり。それと私の名はフランシア・ヴァニラと申します」


「フランシア!」


「………先生、お願いします」


「ドラクル、本人たっての願いだ。聞き入れてやっても構わないだろうに。

 ヴァニラさん、君も早急に身の回りを整理して早いうちに屋敷に来なさい」


「有り難うございます辺境伯様。先生、私は付いていきますからね!」


 献護師さんは勢い良く宣言すると、その勢いを殺さずに病室を飛び出していった。


「辺境伯………」


 恨めしそうな目を向けていた女医に笑いかける。


「良いじゃないかな? さて、イェラは退院で良いんだな?」


 彼女は心底嫌そうに(この視線はクセになるわ。フヒ)俺を見据えたが、イェラに一度視線を移して再び俺を見る。


「退院で構わない。イェラ、まだしばらくは痛みが残るがそれは我慢してくれ」


 イェラを見る眼差しは優しい。

 片目のクマの浮き出たギョロギョロした瞳は患者を診る時は優しい。

 ………こうしてみる分には綺麗なジャイア……綺麗な医者なんだがねぇ。


「もう一度礼を言わせてくれるかドラクル。

 ……有り難う。感謝している。

 それとイェラ、君にもだ。君が助けてくれなければ俺は生きてはいなかったかもしれない。有り難う」


「私は医者だ。患者が来たなら施術するのが仕事だよ。だから感謝される謂れはない」


「ふん、だがね、感謝する気持ちを忘れる愚かさは持ちたくないのでね」


「……そうだな。確かにそうだ。

 辺境伯、貴様の言葉確かに受け取ったよ。

 ……………それと、私の為に動いてくれて感謝している」


「まだ動いちゃいないのだが……。

 ……ドラクル、俺はお節介するなんて柄じゃない人間だ。

 俺は貴様に興味を持った。興味本位で動く人間なんて碌な事しやしないのが相場だ。しかしだ、だからこそ、せめてなにか人の役にたちたい時だってある。だから動くんだ。

 ……ふん、それが迷惑でなければ良いのだがな……」


 女医は俺の台詞を聴いて破顔した。


「ふふふ…迷惑か、そうだ迷惑だ。だから嬉しいよ。

 辺境伯、私は嬉しいのさ。

 私の事を気にかけてくれて有り難う。

 ……なあ、こうやってヒトは繋がって行くんだ。違うか?」


「卓見だな。そうだ、そうやって“ヒト”は“ヒト”としていられる。

 イェラ、君にもだよ。

 君と知り合い、君が俺を救った。そうして繋がるはずの無い俺達は、出会う事で新しい繋がる道を歩む。これが人生ってやつだ

 ああ、今は分からなくても良いさ。時間はあるからゆっくりと考えなさい」


 イェラはきょとんとした。やはりまだ分からないみたいだ。まぁ今後勉強していけば、そのうちに分かるようになるだろうよ。


 (あらかじ)め用意させていた服に着替えさせて、支払いを済ませたのち(むろん、着替えや支払いは従者達にだが)屋敷に戻った。




 屋敷でのイェラの扱いは現状、礼を尽くさない客人という意味不明な位置にあった。

 確かにこの子供は地下(じげ)の出であるから教養もへったくれも無い。従って貴族階級の俺と並ぶためには教育が必要である。

 しかし、取りあえずは住む部屋だ。

 イェラには帝都屋敷の数ある部屋から小さめの客室を充てがう。


 が、いきなり躓く。


「…………ひろくてこわい」


 おおう、ここからか…………。


「しかしだな、この部屋が客間では小さいのだよ」


「……わたし、にいさんといたい…………」



 それは流石にノーセンキューだ。

 いや、同室となる事の忌避感からではない。俺は夜のプライベートを問題視したからである。子供がいる中でユージーンとエッチな時間を過ごすのは流石に無理だからだ。

 まあ、貴族階級のプライベートは事実上無視される。大抵はどこかに人が居て、不足の事態に備えているのだ。

 同室に居る場合も居ない場合もあるが、居なくても控えの間にて観察されている。……観察と言ったが、誇大表現ではない。事実、見張られている。

 始終、一挙一動足を見られてはいないが少なくとも俺の側に居て、俺からの声が聞こえる場所にいるのだった。お陰で俺はひとりエッチなんかした事ない。あ、いや、した事ないは違うな。勃ってどうしようない場合はユージーンとかで処理してもらう。自分の手で処理した事がないだけだ。

 あああ…今は関係ない話だ。

 

 ううむ、確かに今までの環境なら仕方ないのも分かる。しかし、これからは新しい生活に慣れなければならない。

 なら? 

 …………ならば、どう折り合いをつける? 何かないかなぁ……。


 あ、そだ。


「なら、こっちに来なさい……」


 アレがあった。

 アレだよアレ。書生の部屋だよ。


 イェラを連れて一階の中庭に面したひとつの部屋に向かう。

 貴族に限らず、金を持ってる連中は福祉的な活動の一環で学士を養う風習があるのだ。

 貧乏な学士に幾ばくかの資金を与えたり、生活を引き受けたりするやつだ。そして、我が屋敷には彼らを養う部屋があったりする。

 対外的にも悪くないしな。


 そして一階の書生部屋に着いた。


「どうかな、この部屋なら大丈夫かい?」


 書生用の部屋は四畳半と六畳の部屋の間みたいな中途半端な部屋だった。

 寝台(シングルベッド)と机と椅子。壁には本棚の簡素な部屋だ。クローゼットすら備えていない。

 少しカビの臭いがするが、今から掃除させればマシにはなるだろうさ。……で、彼女(イェラ)といえば?


「ここいい! ここすき! ここわたしのいえ!」


 いや、部屋なんだがね。ま、喜んでくれてなによりだ。


「ココで良いのかい? 大丈夫かな?」


「うん! すき! だいじょぶ!」


「宜しい。今日から君の部屋として使いなさい。だが、これは暫定……あ〜取りあえずだよ? 慣れたらもっと大きな部屋に移すからね。

 それとだ、今後君の世話をする使用人を紹介しておく、ライナ・ラナイラナだ。

 ラナイラナ、先日話した子供だ。君はこの()に屋敷に住まうに必要な手引をする様に。

 イェラ、彼女を頼って早く馴染めるようになりなさい、出来るね? よろしい」


 ラナイラナを引き合わせ、俺は再び馬車に乗り込む。

 行く先は材木町のニッキス商会だ。

 無論、一人で乗り込む訳ではない。先日の件も有りふたりの護衛を雇っていた。

 護衛を任せるのはアレックスからの紹介で来たヒューレイル・ジッキッスという名の青年で帝都では中々に名の通った男である。もう一人は帝都を去るまでの限定で、クラーク・ヴィジィドという壮年の男だ。

 それと従者に執事である(財布役として)マイル・フォリアを同行させる。

 

「ヒュー、それにヴィジィド、今日が君たちの初出勤なんだが、出来るだけ穏便に済ませる予定としたい。

 穏便に済まされない場合は、好きに暴れても構わないがね」


「はい。了承しました。

 ロイド様に自分の腕っ節を見てもらい高く評価されたいですね」


 明るい気質のヒューは見た目は武闘派に見えない。だがアレックスは彼を高く評価しているのだから、間違いなく強い護衛なんだろう。

 どのみち俺は武闘派とは真逆の人間なんだから、荒事は任せるしかないのだがな。


「君の実績は聞いているから心配はしてないさ。

 だがまぁ、初仕事に相応しい活躍が見れるなら大歓迎だよ。

 それはさておき、後々護身術なんかを手ほどきはしてくれるのかな?」


 理想なのは俺が武術を使って無双したいのだが、流石に理想すぎるわな。しかし、有事に対応出来る手管が有るのならそれに越した事はないと思う。


「もちろん、ロイド様には簡単な護身術を学んでもらいます。

 しかしながら、今日明日でロイド様がお強くはならないでしょう。ですので、体力的な部分から訓練を始めたいと考えています」


 ニッコリと笑いながらヒューは言い切る。


「…………それは先ずは基礎体力からか?」


「はい、そうです。

 いま現在ロイド様には走り込む時間が無いようですが、領地に戻られたら訓練を開始します。

 ……失礼ですが、お顔が青いですよ?」


「ふ、ははは…いや、大丈夫だよ、うん!

 そーだねぇ、やはり基本は走り込みからだよね!」


 冷や汗が止まらないとですたい……。


「ロイド様が走り込めば、必ずロイド様のお身体もスッキリします。本当ですよ?」


「あ、ああ、そうだな……はは、還るのが楽しみだよ」


 あ、ぽんぽん痛い……。


「聞けばロイド様のお屋敷は丘の上に在るとか。

 丘ならば平地より格段に足腰が鍛えられます。中々に環境がよろしいかと、いやぁ実に楽しみですよ」


「フフフ……ま、それはそうとしてヴィジィド、何か存念はあるかい?」


「当主殿、我ら二人は可能な限り御身をお護りしますが、我らとて万能ではありません。ですので、最悪の事態となれば我らが盾になる間に早急にお逃げください。

 従って、馬車には御者が離れないよう指示しておいてください。かの者が居れば逃げ切る事もできます」


「なるほどね。うん、承知した」


 そしてちょっとの間馬車に揺られて目的の地である工業区の材木町に入った。

 ニッキス通りはメインストリートであるサーザイス通りに並ぶ大きな通りみたいだ。今いる場所は中程らしい、馬車は上手(かみて)に向かう。

 (くだん)の商会には迷う事なく到着した。

 材木町と合って蒸気機関の作業音がうるさい。それに排煙で煙い。さっさと話を終わらせよう。


 護衛の二人と執事を連れてカザーナ商会の扉をくぐった。


「やあ、ここがカザーナ商会だと聞いた。こちらに番頭の…なんと言ったかな、……ああ、マクラウドなる名の番頭が居るらしいな。

 ちょっと彼を呼んでくれ。大事な話があって『わざわざ』来てやったんだよ」


 商会は大店(おおだな)には近いが決して大商会とは言えないレベルの店だ。主に医療薬品を扱っているらしい。店に備えてある棚には薬品や医療器具が並べてある。

 店内のカウンターには女性従業員が俺を迎えたが、俺の『わざわざ』という台詞に小さく頬が引き攣ったようだ。

しかし店子さんは営業スマイルを崩すことはなかった。


「ようこそ当カザーナ商会に。失礼ですがお客様のお名を頂きたいのですが?」


「ん、失礼したね。私はファーレ辺境伯だ。

 番頭は私の名は知らないであろうが『ザーツウェル博士』に納品している商品に関する商談で来たのだ。であるのだから早く呼びたまえ」


「…は、はい。マクラウドを呼んでまいりますので、少々お待ち下さいませ」


「おいおい、辺境伯様が来てやったのに立って待たすのかね? こんな店でも貴人を迎える席くらいは有るだろうに」


 俺は襲撃する側の人間だ。居高げに振る舞っても問題なんか無いさ。

 それにだ、単なる交渉事ではない。相手の拠点(ホーム)であっても相手のペースに飲まれるなんてでは交渉ではないのだ。

 俺の主導(イニシアチブ)で進める。これは絶対にキープすべき事柄なのだ。

 相手を下げ、俺を上げる。立場を明確にし、イニシアチブを保ったままからがスタートなのだ。本来なら帝都屋敷に呼びつけて交渉に入るべきであったが、呼びつける時間が惜しいので、アウェーに参じたのだった。


 帝都の主要通りに店を構えるだけあって、きちんとした部屋があった。

 それなりに調度の高い応接室は地味でも派手でもないシックな内装で、出されたお茶も悪くはないでいた。


 確か、日本のビジネスマナーのひとつに、出されたお茶は飲まないという奇妙な習慣があったと記憶している。……えぇっと、なんだっけ? ああ、『相手からのお茶を飲む』イコール『相手の話を飲む』だったな。

 俺は前世では大学生であった。その在学当時に就活生の先輩がそんなコトを話していたんだった。しかし、アレは日本のマイナールールの筈だ。外国では出されたお茶を飲まねばマナー違反だとも聞いた覚えがある。

 まぁ、何にせよアレは日本での話だ。こっちでは非礼でも何でもない。


 出されたお茶を二口三口した頃に扉が開いた。

 背が高いが奇妙なほど印象に残りにくい中年男性が入ってきた。

 薄い笑みを浮かべたおっさんだが、一応はビジネスマンの様で身なりは悪くない。


「ようこそ。私が番頭のジム・マクラウドです。

 伯爵様のお見えに感動しておりまして、宮廷作法にそぐわない点を深く恥じ入る次第です」


「いやなに、わざわざ儀礼がどうだかとは言わんよ。君の『ペース』でやりたまえ」


 敢えて帝国公用語だけでなく『連中』の母国語である英語も交えてみた。

 

 ……効果はあった。

 印象に乏しい顔から、さらに表情が消えたのだった。


「……伯爵様。失礼ですが“ペース”とはどちらのお言葉でありますでしょうか。私は不勉強者ゆえ伯爵様のお言葉を分かりかねます」


 俺は笑みを浮かべた。


「そうかい、それは失礼した。てっきり君達なら理解してもらえると思ったのだがね。いや失礼マザーファッカー殿」


「…………………」


 番頭のこめかみがピクりと動いたのが見えた。


「おや番頭君、何か気に触ったのかね。霹靂(アイス)に当たったような顔だね?」


「…………辺境伯様は当商会にどの様なお話が?」


 かなり意識して口を開いたようだ。隠しきれない怒りの微粒子が混ざっていた。


「今ので判らないのなら判る人間を連れて来い。三下(キッド)


「……それがモノを頼みに来た人間の言う言葉か?」


 ついに言葉が荒くなった。やはりコイツは三下の扱いで良い。


「この程度で地金を出すなよ。だからお前は下っ端なんだよ。

 お前さ、仲間内じゃあ見下されてるんだろ。そりゃそうだな、この程度(レベル)で顔赤くしているんだからな。

 ま、それはそうとしてお前等が仰ぐ(バナー)英国旗(ユニオン・ジャック)だろうか星条旗(スターズ・アンド・ストライプス)だろうかなんて知らんが、この世界に落ちてきて更に掃き溜めに堕ちている屑なのは確定しているんだ。

 そんな臭い便所(おみせ)に来てやっているんだから有り難く思え」


「喧嘩売りに来たのか?!」


「とほぉんでもな〜い、俺はまぁ〜じめに商談に来てやったんだぜ?」ニヤニヤとイヤらしい笑い顔をみせてみる。


 憤慨を超えた発狂手前のマクラウドの(つら)に俺の心は清浄な風が吹き流れていた。実に心地良い。


「……席を外すので失礼!」


「それがイイね。ここで倒れたらまるで俺が悪いのだと思われるしな。

 お前みたいなゴミがくたばった処で俺は何ら感銘を受けないが、いや、(むし)ろ帝都からゴミがひとつ消えてスッキリするだろうな。なぁ、そうは思わないか?」

 

 悪態の連打を受けても怒りだすことを抑えた馬鹿(マクラウド)は殺意を込めた一瞥を置土産にして出て行った。

 扉が閉まるのを待たずに爆笑してやり追い打ちを掛けてあげる。


「ロイド様、分からない単語が幾つかありましたが、あれは何を言っておられたのですか?

 それにああも挑発なさる必要があったのでしょうか?」


「アレは連中の国の言葉でね。ついでに仰いでいる、若しくは彼等が拠り所にしている心の宝箱を貶す事で自分達の立場を再認識させたのさ。

 これは交渉でもあるが同時に闘いに他ならない。ならば精神的優位を勝ち取る必要があった。見たかね? 少なくとも俺の先制攻撃は成功したじゃないか」


「確かに喧嘩する際には精神的優位も先制攻撃も有効ですが……」


「交渉事の原則に…特に重要な場面において、席を立つのは自分では敵わないと言っているも同然なんだ。

 はるか昔、ずっとずっと遠い別の場所での話だ。とある大きな会議で『気に要らないから席を立つのをやってみせる』なんて手段を取った男がいた。

 男のその行動を本国にでは『名誉ある退場』などと喝采されたが、国際的規範…帝国規範だがね…に照らし合わせば、幼稚な思考による規範違反に他ならない。子供が駄々をこねて癇癪をおこしたようなモノだ。正常な大人なら拗ねた幼稚な行動は取らない。

 それと同じだよ。

 奴はたとえ貶されても事務的に話を進めさせる義務があった。だが、進めきれなかった。

 ま、とにかくだ。少なくとも緒戦は俺に軍配が上がった訳だな」


 日本がまだ帝国を名乗っていた時代に、ひとりの外交官がいた。名を……まつおか……まつおかようすけ? 駄目だ、もう思い出せない……がいた。

 彼はとある国際会議の場において短絡思考による視野狭窄を起こして、会議から…国際連盟を脱退する愚を犯したのだった。

 彼の行動は本国では喝采を受けたのだが、少なくとも外交官としては愚の極みな行動である。

 国益を真に考えるのなら非難を受けつつも会議を捨てるのではなく、屈辱に歯を食いしばりながらも席を立たずに粘るべきだった。

 何と言われても耐え、テーブルの下で交渉の術を模索し、同調してくれる誰かを探し、場をひっくり返すのではなく、場の流れを変える努力をせねばならなかったのだ。

 後世の無責任な“IF”であるが、それが出来ねば外交官ではない。外交官に限らず公人なら、社会人なら必須のスキルなのだ。

 三下(マクラウド)が俺に苦手意識を持ち余計な課題…欺瞞情報だ…を与えられた場合、そこから発生する『余分な』危機感に正常な思考力を奪える見込みがあるからだ。

 普通、危機感を覚えたなら警戒心を上昇させるだけだが、欺瞞情報による情報の錯誤は相手から俺への評価を勝手に上げられる効果が望めるからだ。

 同時に俺への評価が高い故に勝負のオッズを数段上げてしまう欠点もあるが、相手のペースを崩した点を加味すれば大したマイナスにはならない…だろうと思う。

 ちなみに俺の思考の方向性には『〜かもしれない』『〜だろう』らを極力除外している。情報と分析、推論を検討したならば必然的に不確定要素は減少するのだ。あやふやで状況から相手に期待するのは余りにも愚かすぎる。

 その予防を含めての精神的優位、先制攻撃なのだ。主導権(イニシアチブ)を握れば俺の社会的地位をプラスする事で相手から俺を下に見る事は出来ない。

 ま、藪を突突いて蛇を出すどころか虎が出るやもしれんがな!


 少し間をおいて別の男が入ってきた。

 ブラウンの髪を丁寧に撫で付けた青年である。傍目から見てもスマートな風体でやり手のビジネスマンを具現化した男だった。口の端は微笑さえ見て取れる。

 中々に相手のしようがある。


「初めまして伯爵閣下。僕はこの商会を代表するマイケル・ウェンチェスターです。

 閣下が来られる名誉に身が震えますね。ですがあまり我が商会の勤め人を虐められては困ります」


 苦笑して見せるが本気でそうとは思っていないのは明白だ。


「よろしく、ウェンチェスター君。だが彼を虐めたとは心外だね、ちょっとした他愛ないやり取りだよ。

 まあそれは置いといて、だ。俺からの用は正確に伝わっているかね? あの調子ではまともに意思伝達出来たとは思えないのだがな」


「そのくらいは役に立っていますよ。

 ザーツウェル博士についてですね。失礼ですが何分博士個人に対する(おろし)()りなので、閣下においそれと商品を回す訳には行かないのです」


「俺はそんな御託を聞いてはいない。

 聞け、俺はだな、彼女を庇護する事を決めた。もう少し説明しておく、俺は近日中に領地に帰る。その際に彼女も連れて行くのだよ。

 理解したか?

 今後は俺に商品を届けろ。それと、今日ある程度を売ってもらう。払いは現金でだ」


「……」


 (ウェンチェスター)は押し黙った。


「聞こえなかったのか、今後は俺が窓口だ。彼女には俺を通せ」


 今、この男は頭をフル回転させているのだろう。俺はさらに畳み掛ける。


「お前たちの目標には興味など無い。

 ただし、だ。お前たちに協力する事自体は吝かでない。それに伴い、お前たちを公機関に突き出す等はしない事を約束してやる。

 お前たちが地球(ホーム)に還ろうが還れまいが知った事ではない。

 理解したかね? 答えろマイケル・ウェンチェスター」

この話の後に差し込む話があります。幾分か飛びますので注意して下さい。

ご迷惑おかけして申し訳ありません。

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