第十話 ロイド、色々と考え、色々を決意する
「おい、貴族の……どう言う意味だ?」
まぁそう言うだろーな。
「ファーレ辺境伯ロイドだ、覚えておけ。
それはいい……さて、『乗りかかった舟』って言葉が昔あったどこかの国にあってね。意味はだな、現在進行形で進んでいる話に片足つっ込んでいるから、そのまま巻き込んで話を進めなさい、って感じの言葉だ。
でだ。このまま貴様はを捨て置くには忍びない。そこで考えた。
……俺の領地に来い。俺が貴様を保護する」
あ〜あ、馬鹿だよなぁ、軽率過ぎる。なんで簡単に決めるかね。なんで、たいして知り合いでもない女に肩入れするよ?
だが、ドラクル…スティラ・ザーツウェル。この女は特別だ。天才だからじゃない。そんなんじゃない上手く言えない…あ〜そうだな、まあ『運命』でもイイや。
俺を捉えて離さない、そんな感覚だ。
あ、一目惚れなんかじゃねぇよ、この女に恋愛感情なんて持ちたくないがな。そもそも趣味じゃねーしな。俺の好みは……そうじゃない。
この女は違う、全く違う異質なモノだ。
……このとびきりの異質さを上手く例える言葉がない。陳腐になるが『運命』なのが近いと思う。
まぁ良いさ、どのみちイェラを何とかしなきゃならないんだ。帰郷に連れて帰る人数が多少増えても大して問題にはならないさ。
「保護? それでどうかなるとでも……」
「それをするのが俺の仕事さ」
と、うそぶいてみる。異相の女医は怒りを滲ませた皮肉げな笑みを浮かべる。
「ほ、言うではないか。だが私は逃げれない。わかるだろ?」
もっともだな…だがね。
「逃げれないのは薬の方か? 連中の方か?」
今の単語は似ているようで違う。しかし、ドラクルは質問の意味を把握していた。
「…………連中からは逃げれても、薬からは逃げれない」
ふん、まぁそうだろうな。俺は少しだけ思考を巡らせた。
「……逃げる、のはそう問題じゃない。
まあ聞けよ、理由だってあるさ。
第一に、だ。俺は領地に戻る。帝都に居座って代官が領地を監督する。なんてのは俺の主義じゃない。
あらいずも領の当主みたく領地から追い出された訳ではあるまいし、俺には戻って治めなければならない事業があるんだよ。
第二に、今貴様が治療してくれたこの子や、他にも幾人かの連れて帰る必要がある人がいる。貴様一人増えても違いはない。
第三にだ。逃げる、のは正確じゃない……逆だよ逆、むしろ『追いかける』からさ」
「おい…かける?」
ニヤリと嗤ってみせる。
「そうだよ『追いかける』んだ」
俺の台詞に疑問符を貼り付けた顔が、直ぐに理解を示す色を浮かべた。流石は理解の天才だ。
「……そうか、だから」
「だから、貴様を連れて帰るのさ。まあその前に連中とやらに交渉しなきゃならないが」
「交渉する気か。…いや、交渉するにせよ、それは辺境伯、貴様にとってなんの利点がある?」
「利点、利点ねぇ……いや、無いな。
ま、それはさっき言った『乗りかかった船』ってやつだよ」
「それが本音だと?」
彼女のギラついた左目がいっそう剣呑になる。その眼光はむしろ殺意を帯びている。
その視線に背筋がゾクゾクした。だがそれが実に心地よい。あ、いや…ソッチの趣味なんてねーよ、スリリングな気持ちが良いってヤツだ。
「確かに動機としては不十分に聞こえるだろうな。だがそれに何の不都合がある?
先生。俺は貴様に興味を持っちまった。
貴様を救えるとは断言しないし、断言なんかしたくたい。しかしそれ以上に貴様を助ける事が出来るのは俺だけだ、それくらいは言い切ってやるよ」
「どう違う? 今の貴様の台詞は全く矛盾しているではないか」
「ふん、矛盾なんてしてないさ。
…俺はね、俺は気分としては安直に断言しないだけで、どうこう出来るの是非ではなく、目的を遂行できる『力』がある事を宣言しただけだけさ。
俺はだ、そこいらのひと山いくらの庶民じゃない。夢見がちな童貞くんでもじゃない。
俺には権力があり、財力がある。俺は力を行使する『意志』があるんだよ。
……俺だけだ。俺だけが自分に酔う事もなく現実を直視し、目的を完遂する実行力を持っている。それが答えだよ。それが不満だというのかね?」
「不満だと? 大有りだ。
どこに貴様の利益がある? どこに何の見返りがあるというんだ? 見返りを求めないのなら、それこそ夢見がちな童貞男の妄想ではないか!
答えろ辺境伯。答えてみせろ!」
烈火の様に、血を吐く様な怒りを滲ませた怒声が部屋に響いた。傍らの献護師がビクリと震えたのが見えた。
「見返りなら有るさ……貴様を俺のモノにする。どうだ、これ以上の利益が他にあるか?
…俺は貴様が気に入り、貴様を恐れている。貴様の才能は奇貨そのものだ。だがね、取り立てて今、奇貨なんぞに価値なんてモノはない。
まあ聞けよ。
どう使うかを考え、どう使うかを行使するのは所有者の特権。なれば奇貨を掴める機会があるのなら…それが今なら…機会を掴むに行動すべきだ。
……今、だよ。今がその時なんだ。
今その機会が目の前に出されているんだ。目の前に餌が出されいるんだから、そいつに手を出すに決まっているだろうによ。
どうかね? これほど明確明瞭な言い分に何の不満があると言うか」
歪んだ笑みが自然に形づくるのを感じていた。
ああそうだ、俺はこの女が欲しいのだ。…一目惚れだろうが運命だろうが関係ない。この異相の女を押し倒して組み敷きたい。獣欲であり恥ずべき事だが、本音だから隠しても仕方ない。
「来い、…スティラ・ザーツウェル」
一歩二歩と足を出し、異相の女の眼前に立つ。
彼女の身長は俺より頭ひとつ低い。自然と見下す形になるが、敢えて尊大に振る舞ってみせる。男ならいざ知らず、女性に対しては尊大な態度なんか取らないのだけど、今は演出を込めて偽悪的に振る舞う。
「拒否するかね? ああ、しても構わないさ。
その結果、貴様はただ死ぬ。無駄な死だ、全く無駄な人生だ。
貴様は誰からも看取られる事なく腐って土に帰る。
貴様は誰からの記憶に残るが事なく、ただ野垂れ死んで終了だ。
そこに何の価値がある? どんな意義がある?
……だがね、俺なら貴様を価値の有る人生ってヤツを送らせてやれるのさ。
俺は貴様の才を活用して俺の人生に華を添えられる。
反対に貴様は俺を活用して人生を謳歌できる。素晴らしいね、実に経済原則に則った等価交換じゃないか!」
高らかに宣言してみせた。詭弁も甚だしいのだが、こうした言い回しの方が効果的だと考えた。
「私の人生が無駄だと」「無駄になるか、だ」
「……そうであっても……」
「価値が必要なんだろ? その価値なら俺が作ってやる。
貴様を活用して…十全に活用して俺は儲けを出す。貴様は俺の儲けから利益の配当を受ける。双方ニッコリさ。
どうだ? これを価値と言わずして何を価値と呼ぶのかね?
ふん、まあ今すぐ返事を出せとは言わんよ。決めるには時間が必要だろうさ。だがね、時間はないぜ?
一週間だ。一週間だけ待ってやるさ。俺は近々…十七日後には領地へ戻らなきゃならない。だから二週間は待てないのでね。決めるなら早く決めてくれ……」
一礼し、後ろに下がる。女医からは先程の剣呑な雰囲気が消えていた。
そうして見てみると、彼女は人喰い虎ではなく一人の女性にしか見えない。だが個人的には彼女には只人の様ではなく、恐ろしい人喰い虎の様に在ってほしいと思った。
場に沈黙が広がった。
そうして此処が病院の処置室であるのに思い立った。
「ところで先程も聴いたのだが、処置してくれたこの子供はもう大丈夫なのかね?」
俺の質問に女医は夢から覚めたような表情をみせる。
「ん、ああ、そうだ。処置は問題ない。だが、切られた場所が悪い。
縫合はきちんと行ったが場所が場所だけに肩に支障が出るよ。実生活は問題にならないが肩を振り回すような事は難しいものになる」
「おそらく、では無く?」
「おそらくではない。過去の同様の傷なら肩に障害は残るよ。高確率ではない、確定だ」
「それは完治しないのか?」
「残念だがね。申し訳ないが、医療上これ以上はどうにもならんよ」
彼女の答えを聞き、ひとつ息を吐く。
「……そうか、施術に感謝する」
「一週間とは言わんが七日は入院してもらう必要がある。抜糸にはそれくらいかかるのでね」
「承知した。ところで幾ら払えば良いのかね、と聞きたいが今俺には従者を連れてきていないんだ。小銭は有るがまあ手元不如意と言うやつでね。申し訳ないが支払いは後で請求してくれないか?」
「随分と身代の小さな辺境伯様だな。失礼、軽口を許してほしい…。ん、支払いは後で結構。彼女が退院する際に請求させて貰うから」
支払いの大まかな額を聞き、謝辞を告げる。
小者から馬車を呼び出してもらい、帰路についた。
夜間は前が見えない程暗いため、家宅には結構な時間がかかる。
一応説明しておくと、夜間の可視距離は3m前後でしかない。夜目が利く利かないの問題ではなく、月明かりも星の光も無いこの世界では…原理は不明だが…本当にそれくらいしか夜の視界は許されていない。
照明を点けても大して距離は伸びない。夜の闇が光を減衰させてしまう。強力な光源を指向性を持たせた器具を付けて照らしても10mに届かないのだ。
この為、夜間は外出する事を制限されてしまっている。帝都の市街地では多くの街灯が設置されており、歩く程度ならさほど問題ではない。しかし日本のように、夜コンビニまでちょっと…は一般常識の範疇にない。
したがって馬車を使ったとしても馬は並足でしか動けないのだ。俺が近々帰郷する際に汽車を利用するのだが、例え軌道の上を走ったとしても夜間の走行は危険と見なされ原則禁止である。
今は全く関係ないが今述べた条件のため、汽車の旅は時間のかかる旅行で、客車は寝台車が多い。そして乗り心地は居住性が重視された快適なものとなっている。
石炭の供給量の制限により寝台車がメインの長距離列車は本数も少ないのだが、値段以上に快適な旅が設定されており様々なツアーが企画されている。リピーターも多い。
オススメは南部方面秘境路線の旅だ……行ったことナイけどな!
帝都屋敷には先に遅くなるとの言付けは出していた。しかし俺が遅くなる理由までは伝えていない。
服にはイェラの血が付いているし土汚れも目立つ。俺自身は無傷だがトラブルに巻き込まれたのは事実だ。帰ればユージーンから小言をもらうのは確実である。
彼女は使用人であるから強くいう事は出来ないが、立場を逸脱しない範囲で諌めてくる。産まれた時からの付き合いだから実質的に保護者である。
俺の全てを知っているような存在だから逆らえる筈もないのな。だから彼女の言う事には従うほか無い。
屋敷に戻るとやはり驚かれてしまった。無傷であるのを何度も説明し、取り敢えず服を改める。
「坊っちゃまがご無事でありましたのは幸いです。臣としては心底安堵しました。
ですがいくら荷物が多くなったからと言って従者を先に帰すのは余りにも早計でした。坊っちゃまは今や大領を治めるお方。ご自分を厭わなければならない立場である事を今一度胸に問うて下さい」
ユージーンは抑えた口調で抗議してきた。付き合いが長いから彼女が真剣に俺の無事を喜んでいるのはわかる。
しかしながら話が長い。文句一つならカップ麺に湯を入れて3分待つまでかからないだろうが、今はカップ麺を食べ終わりデザートのプリンとエクレアとチョコバナナと河童えびせんをゆっくり楽しんで味わうくらいの時間をかけて喋っている。
俺としても自分の迂闊…短慮から出た失策だから文句言える立場ではない。黙って拝聴する。
まあ頃合いか、と言うタイミングで話を打ち切らせる。ユージーンも引き際をわきまえている様であっさりと黙った。
「この度は言い訳しょうが無いから以後はちゃんと身の安全に留意する。約束するよ。
さて、家令と婦長を呼んできてくれるかな? いくつかの案件を伝えたい。明日でも良いが、宿題を先延ばすよりも今処理した方が良いと考えた」
どうでもいい話なんだが、ひとつ言わせて貰う。
日本人なら『肝に命じた』って言い方あるが、コッチには肝に命じるなんて言い回しがないんだわ。『内臓に覚えさせた』なんてセリフになるから馬鹿みたいだ。
新しい造語を創って広めてやろう等と考えもしたが、イマイチ適切な言葉が思い浮かばない。これ以外にも日本で通じている格言や諺などの言い回しは使いたくても使えないのだ。
地球から転移してきた人間が多い、英語、ロシア語、ドイツ語、スペイン語が多少認知されているが、認知しているのはそう言う他の言語があるよってくらいで日常的には用いられることは無い。単語として伝わっている。
日本人的感覚で女性使用人を『メイドさん』呼ばわりしたくなるが、コッチじゃメイドなんて単語がないので彼女らを指してメイドさんと呼んでも「はぁ? 誰だよ」としか思われないから注意な。
あと似ているようで違う単語なんだが、俺の名前に『フォン』と付いているがこれはドイツ語のフォンとは若干意味合いが違う。コッチのフォンは『高貴な〜』からきた古語だ。使い方は結局同じ貴族を表すのだが、言葉のスタート位置は違うと思う。ん、いや俺はドイツ語を詳しく知らないから本当はやはり同じなのかもな。間違ってたら謝るわ。
居間に家令達が集まる。
イェラの事を話す(相談ではない)のが主題だが、家令のポラリスに退場を言い渡す場でもある。
「今日、俺はとある災難にぶちあったがそれは片付いた話だ。しかし続きが有ってね、そいつを話したい。
災難自体のあれこれは端折るが、その際にひとりの子供に救われた。彼女は(…男の子なんだが、まあ良いや…)身を挺して俺の命を救ってくれた。ま、それだけなら感謝して謝礼でも渡せば済む話だが、彼女は孤児でおまけに悪い連中からの恨みを買ったのだ。
そこでだ。ちょっとばかり勘案して彼女を引き取る事を考えた。まあ、君たちにすれば浅はかな考えだと思う。俺も否定はしないさ。
だがね、生命の対価に幾ばくかの小銭では釣り合わないとは思わないかね? 辺境伯位にある俺の命と小銭。うん、やはり釣り合わないな。違うか?
ならば、だ。
なら相応に見合う返しをしなければな」
「対価云々はひとまず置きまして、引き取るとはその子供を養子になされるのですか?」
「俺の養子にだと年齢が釣り合わない。親父殿の隠し子ならとも考えたが偽装するのも手間だ。
で、義妹としてはどうかなと思ったのだが」
「坊っちゃま、それは本気で申されるのですか? もし、それが本気でしたら…臣として断固反対いたします。
不敬を承知で発言しますが、義妹ともなればその子供は貴族階級の身分となります。
その子供が名家ならずとも由緒あるお家の出自なら臣下としては反対など申しません。教育と教養と作法を学ばれた方なら貴族社会に適応出来るからです。ですが先に坊っちゃまがおっしゃった内容なら、どこの出ともわからない者を引き上げる事となります。その様な者が貴族様方に交わり生活など出来ません。
……それと私個人のまったくの私見ですが、地下の身分の者を仰ぎ見るなど使用人の立場としては毛頭許容いたしかねます」
ユージーンの私情は初めて聞いた……。いやまあ、付き合いが長く深い仲であるも彼女は俄然として俺の臣下であったからだ。
そりゃあ確かに踏み込んだ発言や個人の感想を話した事もあるが、それでも公私の区別はつけていたからだ。しかし今のはまったくの私情からであった。
別段、彼女が聖人君子なんだとは思ってはいない。その意味では幻滅などはするつもりだってないのだ。
静かにしている婦長が口を開いた。
「ユージーン、あなたの気持ちは分からないでもないけれど、些か私情が強すぎやしませんか?
ですがロイド様、私としても彼女に賛成します。少々お戯れが過ぎるかと」
うんまあ、すんなり行くとは思っていなかったが……。
「なるほど君達の意見も結構。しかし、忘恩の徒と…他人がじゃない。忘恩の徒であると自分では思いたくない。
……だが、確かに再考の余地はあるな。
では君達に尋ねるが、俺の心情を汲み、その上で最適解を聞かせてくれないからな?」
「試みに聞くが、俺が我を通したらどうする?」
「はい坊っちゃま。その際は申し訳ありませんが坊っちゃまの元を辞させて頂きます」
「…………わかった降参だ。
ユージーンの言や良し。彼女を貴族籍に入れさせる事は撤回する。…しかしだ、反論するならば代案を提示して俺を納得させてはくれないかね?」
「はい、有り難うございます坊っちゃま。
……ではファーレ家の一門ではなく、坊っちゃまが個人的に一家を立てさせて援助を行うというのはいかがでしょうか?」
ユージーンの提案を検証してみる……。
なるほど、悪くない案であるな。
「婦長、ユージーンの案や如何に思う?」
「はい、良い案だと思います」
居間の応接セットのひとつである煙草入れから一本取り出す。
煙草を咥えるとユージーンが火を点けた。
……その半ばまでゆっくり吸う。実のところ、俺は煙草は好きではない。
地球の先進国と違いコッチには煙草を忌避、制限する決まりはない。つまりは流行っているのだ。それと貴族男子は吸って当たり前という『常識』が蔓延している。だから吸っているだけなのだ。
それを活用し時間を稼いでいる。いや、結論は出しているのだが、ほいほい『ハイそうですね』と言っては威厳に関わるからだ。
威厳ごとき、だがその威厳ごときが重要なのだ。
演出だと言えばそれまでだが、決して演出を馬鹿には出来ない。例えば服、例えば化粧、例えば小道具、それらは皆演出でもある。
皆が無意識にやっている事を意図して行なう。
威厳もそうだ。元来小心者の俺は意図的に演出を多用して精一杯の偉そうな態度を取る。
幸か不幸か俺の不細工な面構えは威厳とやらを嵩上げしてくれるので助かっている。何がしらマイナスばかりでは無い様だ。
煙草を半ばまで吸うとグシグシともみ消す。
待つ側もこうした場合は黙って待つのが当たり前で静かにしている。
「ふん、ならば例の子供を迎えるからな?
今、彼女は傷の手当てで医者の元にいる。7日辺りで退院できるそうだから、それ迄に受け入れる体制を整えるように。
さて、君達に集まってもらったのはその件だけではない。今のは前座だよ。
……本題に入る」
場が引き締まる。
とは言え家令のポラリスはどこか他人の風に凡庸とした顔である。
俺の本題はお前の解雇なんだがね。
「ポラリス」
声のトーンをひとつ落とす。
「お前さ、クビな」
「は?」
「なにを聞いた? 俺は『クビ』と言った。今すぐ荷物を纏めて出て行け」
日本の労働基準から言えばアウトだが、コッチでは違反ではない。解雇を訴える事も出来るが、訴えたところで何が変わる訳でもない。裁判になるのも稀だが、勝ったところで賠償金などしれているし法的にペナルティが課せられる事もない。精々俺に悪い雇用主だと噂が流れる位だ。
別に悪い噂が流れても構わない。
俺はこの後領地に引っ込むのだ。帝都での悪評なぞなんの事にもならない。流れに流れ悪評が領地に来ても、その程度の噂話ではびくともしない体制をつくってみせるので気に留める必要等ないのだ。
さらに言えば、俺がマジもんの無能なら俺が俺の評価を理解できないのだから、やはり噂なぞ気にする必要はないだろうよ。
「わ私が解雇ですとは……」
「坊っちゃま、それは?」
「なんだ、理由が必要なのか? そうだな、強いて言えば…………気分だな」
「っ!!」
「気分の何が悪い?」
「か、解雇の理由が気分とは……」
家令…元家令が身を震わせて怒りを滲ませている。
「俺はな、ポラリス、俺はお前が嫌いなんだよ。
ふん、理由? 理由ね、大有りだよ……なあ『ヒューゴ』?」
その単語を聞いたポラリス…ヒューゴ・ベイルは一瞬顔を引き攣らせた。
「なあ、ヒューゴ・ベイル……おいおい、この名前を忘れたのかね?」
元家令は硬直し、ユージーンと婦長は顔を見合わせている。
「自分の名前を忘れるとはねぇ」
わざとらしくため息をついてみせる。
「…失礼ですが、何を仰っているか……」
「分からないだと?」奴の声を遮る。
「馬鹿だ馬鹿だと思っていたが、やはり馬鹿は度し難い。なあベイル、東部から逃げて随分経つ。帝都に来て名を変え、運良く当家の執事になったがお前がしでかした過去からは逃げられんぞ?
お前は朋の男を騙し、そいつを殺害した。朋は決して諦めてはいない。
今もだ。今もお前を探している。
お前は屋敷から出たがらないよな? 休みだってこの地区から出やしない。何故だ? そおだよな、お前は自分が連中から狙われているのだからな。そりゃあ出たがらないさ」
朋とは帝都に巣食う地下組織の一つである。元は中華系の互助組織だが長い年月を経て地下組織と変わったのだった。
「…………」
「坊っちゃま、その話は?」
「ユージーン、こいつは東部の犯罪者でな。あっちでヘマをして帝都に逃げ込んだ。南部でも良かったのだろうが、どうせなら都に上がって一旗あげたかったのかもな。
ま、こいつの思惑はともかく、だ。
こいつは帝都の地下組織から戸籍を買ったのさ。運良く名前を手に入れ、帝都にて自分を知る地下組織の男を始末した。
元来見栄えの良いこいつは可能な限り足跡を始末してとある貴族の執事に成り遂せた。
こいつの過去の写真を見せたいよ。似ても似つかないとまでは言わないが言われなければ気が付かない。
こいつは演技達者な男でな。役になりきる、というかまあそんな具合で随分と見かけを誤魔化すのが得意なんだよ。
今は家令だが、執事風の役になりきってそんな風の芝居をしていた。
…以前にランデル・バートって役者が話題に成ったのを覚えているか? 喜劇『トーランロッドの楽想会』での一幕は有名だな。…彼は舞台で豚のように転げまわった。芝居を見た連中はあまりのハマりっぷりに拍手したアレだよ。
だが、バートは別に豚の様な顔なぞしていない。舞台で顔を膨らませ、床を転げまわりバンバンと叩いただけだ。
彼が豚に見えたのは、彼自身が自分を豚と見做した演技ゆえにだ。
それと同じさ。ヒューゴは執事という役を演じる事により、それらしく見せかけたのだ。そして朋の連中から目に付かないように連中の影響力の少ない貴族地区から出ないで居ようとしていた。
……立派だねぇ。実に立派だ。隠れた努力には頭が下がる思いだ。
だが、それは運良くの結果だ。
運良く俺はその事実を知り、運良くその機会に出会い、運悪く足のついたこの男は、運良く俺から解雇を言い渡された」
一度区切る。
「ヒューゴ・ベイル。お前は運良く……連中に『見つかる』のさ。
屋敷に戻る前に言伝を頼んでおいた。いやね、以前からの約束なんだよ。
もう少し居てもらっても良かったんだが……うん、飽きたのさ」
元家令の男は傍目から分かるほど顔を白くし、身体を震わせていた。よほど感激したようだ。こうも感謝されるとこちらも嬉しい。
「婦長、帝都屋敷は予定通り移転させるが、見ての通り家令は不在となる。代わりの者は探させているが間にあったとしても役には立たないだろうよ。
君の負担が増えるのは申し訳ないが、是非に頼む」
「畏まりましたロイド様」
婦長は事態の成り行きをと黙っていた。状況を理解していないかと危惧したが、彼女は意外にも微笑で応えた。
「ユージーン、婦長を支えてやってくれないか? 貴女は領地に戻れば役位が変わる。
変わる予定ではない。既定事項だ。期間に余裕はないのだが婦長に学んでおいて欲しい。
……さて、そこに突っ立っている当家に関係のない不法在住労働者を屋敷から追い出してくれるかね?」
立ち上がり、居間を後にする。
居間から出る間際に婦長に話をしなければならない事を思い出した。
「ああ婦長、この後に明日にでも構わないのだが、おれのところに顔を出すように。
たいした話ではないが、聞いておきたい事がある」
「はい。では小半刻のちに参ります」
婦長に謝辞し居間を後にした。男の悲鳴にも似た声が挙がった様だか、俺にとってはもはや雑音以下だ。
「旦那様。アーリスが参りました」
ジャスト30分後、婦長が寝室を訪れた。
「忙しい所済まないね」
「いえ」
寝室にもある応接椅子を指す。
俺も椅子のひとつに腰掛けた。
婦長は逡巡した様だが、もう一度座るように指した。
彼女が小さく謝辞し腰掛ける。
「以前から聞きたかったんだけどね……」
「はい」
「君が何者かが判らなかった。
いやね、確かに身元は確かだ。実家もしっかりしている。だが、判らない」
「……はい。ですが……」
「ああそうだ。それ自体は問題じゃない。だがそこが問題なんだよね」
「有り難うございます」
やはり、彼女は……。
「……帝国では俺をどう評価している?」言い方を変えてみた。
婦長は少し困った顔を見せたが、すぐさま笑顔になって口を開いた。
「申し訳ありませんが私は目と耳であって口ではないのです」
「さすがは情報局、か」
「はい。私はロイド様を含まれるファーレ辺境伯家に対する諜報を行っております」
帝国貴族院紋章保管部。通称『情報局(ナイフ アンド コート)』。
表向きは各貴族家の記録保全を業務しているが、内実は貴族家の内情を監視すると言われている役所だ。都市伝説とまでは言わないが、おおっぴらにしていない諜報組織である。
国内諜報を担っているから地球の英国ならMI5がそうだな。
そういった組織がある事はまったくの秘密ではないが、公的に認知されていない。いや、情報局自体はあるのだ。ただそれが内調している事を正式に発言されていないだけである。
俺は自分の秘密をバラしたくない事を発端に、誰を味方に誰を信じるかをふるい分けるか謀っていた。
領地にて、帝都にて、身の回りの使用人らを慎重に探り行動してきたのだ。
周りが怖くて、他人が怖くて仕方ない俺は小心者特有の執念深さで身の回りを探ってきた。
無論、すべてが判明する訳ではない。身元はわかっても彼ら彼女らの内心などはわかりはしない。だが指標にはなる。
屋敷すべての人間を調べるには時間も金もないのであるが、それでもかなりの身元は判明している。元家令のポラリス…ヒューゴ・ベイルは偶然ではあったが判明した。
その流れで主要な使用人を再チェックした際に婦長に奇妙な違和感を感じたのだった。
奇妙な違和感。それはどう言えば良いのか分からない。
……綺麗なのだ。
正しく由緒ある帝都の商家。戸籍に問題はない。商家の登記も税金も何も問題はない。婦長が帝都屋敷に来る前も判明している。
綺麗なのだ。あまりにも綺麗なのだった。例えるならモデルルームに近いモノがある。
そこに『在る』。
そこにある物体…事象は間違いなく『在る』。
だが、モデルルームは実際に作られた家or部屋と同一ではない。現地に作られた実際の物件ならともかく、たいていは物件の近所に作られたイミテーションだ。
転生する前に家の近所にとあるモデルルームが出来た。駐車場にプレハブの建物を作り、中を物件に見立てた内装に仕上げていた。
たまたま内覧会に呼ばれ見学したのだか、そこにあるモデルルームはプレハブの中に作られたイミテーションであることに驚いたのだ。
その際に感じた奇妙な居心地。奇妙な違和感が頭をよぎったのだ。
婦長の仕事ぶりはまったく清廉で誠実である。その事に疑いはない。人あしらいも良く、婦長に選ばれるのも当然な人物であるのだ。
なのに引っかかる。
奇妙な引っかかりは裏取り出来ないでいたので棚上げにせざるを得なかった。
そうした中、どこにもある都市伝説が交差して引っかかりは疑念から確信に変わったのだ。
ま、俺にとっては婦長が真面目に働く女性なだけで十分だった。元家令の男は明確明瞭で犯罪者であり、権限を利用した不正に手を染めていたのだから比べるのは失礼な話である。
今、彼女に問うたのは奇妙な違和感を払拭したいからである。
そして彼女は応えてくれた。
「有り難う婦長。時間を取らせて申し訳なかったね」
「いいえロイド様。……ところでロイド様に申し上げたいのですが?」
「うん」
「ひと区切りつきましたらお屋敷を出ようかと」
「何故に?」
「え? あ、申し訳ありません」
俺と婦長と目がはてなマークになる。
「婦長、なにか俺に落ち度でもあるのか?」
「いいえ! けっして落ち度などと」
「ん、んん? 何かあっての事かね?」
俺も婦長もお互いナニ言ってんの、風におかしな表情を浮かべていた。
「あ、もしかして給金に」
「その様な事はありません!」
「待遇ではないの?」
「違います。……あの?」
「ごめん、理由がわからん」
降参した。正直わからんのだわ。
「あのですね、その…私は情報局の者です」
「うん」
「え、ですから……私が間諜だと問題がありまして」
「? ドコに?」
「???」
ちょっと待ってくれ、考えるから。
しばし熟考する。
「あ、あぁなるほど、ごめん俺が迂闊だった。
えっと、婦長が間諜だとバレたから居づらいと?
なら問題ない、継続して働いて欲しいのだが?」
「いえ問題があります。こういう場合は退去するのが局員の常なのです」
「俺は気にしないのだけどねぇ…。
それとも退去しなきゃならない決まりでもあるの?」
「……ありませんが……」
「んじゃ良いじゃん」
婦長はまじまじと俺の目を覗き込む。
彼女の端正な顔立ちは微妙に呆れていたのがわかる。失礼な。
「申し訳ありません旦那様。
では改めて退職を申し出ます」
居住まいを正した婦長は真剣すぎる顔を繕う。
それを受けて、俺も背を伸ばす。
「旦那様。私、アーリス・ヒンブス……失礼、フラリス・ベール・ヒンブスは帝都屋敷の移転、整理次第に退職をする旨を申し出ます」
「え、名前も違っていたの……ああいや、はい。婦長の申し出を受け入れた。長年の忠勤に感謝する」
「有り難うございます。ロイド様を謀った事は申し訳ありませんでした」
彼女は深く一礼した。
「いや職務ゆえにだから謝罪は必要ない。
……しかし、いや、辞したら何かあてはあるのか?」
「…………そう、ですね。
紋章院保管部は委託職員ですので、そちらの方も退職をします。
あ、別に辞めるのは得に問題ありませんですの。
情報機密には宣誓していますので漏洩など致しません」
「俺の知識なら簡単には辞めれなかったと思っていたのだがね? それに局員は闇に葬られるなんて……」
婦長はクスクスと笑った。堅物かと思っていたが、その笑い方はひどく年若く見えた。
「いつの時代の話ですか。…今はそのような時代ではありませんよ」
「それは失礼。いや重畳。
それで今後は?」
「はい、実家に戻り楽隠居…とも思っていますが、とりたてて考えていません。
ですからしばらくはのんびりして、それからはまた……」
「そうか。いや了解した」
微笑みを浮かべていた婦長は表情を消した。
「ロイド様、いえ…ファーレ辺境伯様。
私は私の知る限りの事を御上に報告してきましました。それがどの様な評価を辺境伯様にお下しされるのかはわかりません。
ですが、一介の間諜として辺境伯様に申し上げます」
「うん」
「帝国は恐ろしい存在機関の集合体です。ゆめ足元を掬われなきよう、お気をつけて下さいませ」
その真剣すぎる眼差しの底に彼女の慈愛が込められているのを感じた。
「そなたからの忠告、しかと受けた。
なれば、その恐怖を糧に楽しむさ」
「……辺境伯様……」
「勘違いするな。慢心などせぬよ…。
俺はな、俺にのしかかりる諸々を全て受け止め、飲み干し、その上で全てを楽しむのさ。
それが俺なりの人生論だよ……」
婦長は再び頭を下げる。
「御身大切になさって下さいませ我が主様」
「約束するさ。ツマらん事で身を崩したくはない。
さて、時間を取らせた。下がって休め婦長」
「はい。では失礼します。
お休みなさいませロイド様」