おかあさんといっしょ 上
「それは……当然承知していますとも。しかし空条の奥様だと分かっていてなお、声をかけずにはいられない。……引き寄せられてしまうのですよ、どうしようもなく、ね」
「貴女のそのお美しさは、天の星と比べるまでも無い……」
「罪な方だ。魔性といってもいい」
「どうか是非、わたしのグラスを受け取ってはいただけませんか?」
まとわりつく雑音がうるさい。
旦那さん不在でパーティーに来ると、最近はいつもこれだ。
周囲には、妙なことを言ってくる男の人しかいない。
当初は『(てめー空条の若奥様相手にナンパこいてんじゃねーよ)』って思いながら無視してたんだけど、それをどうとったものか、気がつきゃセリフの内容が悪化してたし。
てか、笑いを堪えながら言ってんのバレてんだけど!?
そもそもこっちは人妻なんだけど?アツアツラブラブ(爆笑ひるがえって自分にダメージ案件)の新婚さんだよ?
本気でなびくと思ってんのかなあ……。
一応さあ、名目としては、多忙な旦那の代理って事でここに来ているんだよね。
空条の新妻として、奥様方とのパイプだラインだのが欲しくて、いわば顔を売り込む為に来ているのであってだね。
まあ、その目的はある意味達成しているんだろうけど……少なくとも男に色目使われてキャッキャウフフしたくて来てるんじゃないやい。
……なのに、どういうわけか気が付いたら“そういうこと”になっていて。
セレブのチャリティパーティだって言ったら普通、奥方たちの戦場じゃなかったの?なんで独身だの×持ちだの、遊んでる野郎ばっかこんな寄ってくるんだよ、呼んでねーよ。
ああ、今日もセレブ界の奥様方は遠巻きにこちらを見ながらヒソヒソと……。
彼女らの中では、きっと私は旦那の留守に男に囲まれて有頂天になっているバカ娘だと思われているんじゃないかと思う。
少なくとも、そういう事実に“されてしまっている”気がする。
うーん……どうにも困ったな。
これ以上ここにいても、実入りが無いどころか空条に不利益しかもたらさないぞ?
仕方ないかな。
無言のまま足を壁の方へ向ける。どいて、邪魔。
どかない男には、少々無作法だけど腕でもってぐいと押しやる。
会場がざわついたみたいだったけど、無視だ無視。
調子に乗ったバカが、私の腕をつかむ。ぎろりと見上げるとにやにや笑い。
ぐいと引き寄せられるような力が加わって、このまま多少無理にでも、どこかへ連れ込むつもりなのかと思ったところで……。
「若奥様」
「天上さん」
アッサリと本日のボディガード担当の天上さんに解放してもらう。
まあ、この人がいたから毅然とした態度取れたっていうのもあるんだけどね。そこは信頼してますから。
ただ今のはさすがに、内心ちょっとビビってた……ってのは口にも顔にも出さないけど。
おバカは他の警備の人に拘束されて「俺は客だぞ!」って喚いてるけど、さすがにアウトだろ。
「空条の奥様!」
若奥様だよ、主催担当者さん。
駆け寄ってくる担当責任者を見ながら思う。
ああ駄目だなあ、ここ。程度が知れてしまった。
私が何か言わなくても、きっと天上さんから話が行くだろう。……うーん、詰んだな。
「あのー……、そのー、何やらー……」
言い淀んでいるのは、衆人環視の中トラブルだとか問題だとか迷惑だとか、そういう言葉を使いたくないんだろうけど、残念、どれもあてはまっちゃってるから。
「少々無理をしすぎたようで、気分が悪くなってしまいました。本日は急で申し訳ありませんが、ここで帰宅する事とします」
私はそれに構わず、強い言い方で退出を宣言し、厳しい顔をしたまま周囲を見回す。
「……わたくしはこれまで、空条の妻として出来るだけの事をしようと邁進してきたつもりです。せめて出来る事をと思い、不慣れながらも、いえ、不慣れであるからこそ、皆々様のお力添えをいただきたく、こうして多々会場に足を運ばせていただいておりました。ですが」
少し力強く区切って言う。
「こうまでわたくしの意図、意思が伝わらず『違うもの』としてとらえられるようであれば、今後この様な場に来る意味は無いのでしょう」
ざわり。
会場は再び、ざわめきに包まれた。
「本日はひどく疲れました。やはり、妻は妻らしく旦那様の後につき、目立つ事無く大人しくひきこもっていようと思います」
ざわめきはどよめきに変わり、どこかで「やった、勝ったわ!」という声が聞こえた。
……誰か知らないけど、はっきりと聞いたからね。
「そ、その、その、奥様……!?」
目の前でそんな“口撃”にあってしまった担当者さんが、かなり動揺しているっぽいけど、撤回はしない。フォローくらいはまあ、してあげるけど。
「―――もし、次があるようであれば、今度はお義母さまと共に参ろうと思います。わたくしが不甲斐ないばかりに、お忙しいお義母さまのお時間をつぶしてまでそのツテを頼りにしなければならないというのは、非常に心苦しい事ですが……」
そうでもしないと、どうも話を聞いてもらえそうにないからね。
周囲のどよめきはおさまったものの、ヒソヒソざわざわと落ち着かない様子。
かといって、今このタイミングで声をかけてくるような勇者もいない。
……分かりやすくハブにされてるなあ、私。
この状況下では、最早嫁として最終手段的な方法を取らざるを得ず、自分の力不足を痛感する。
役立たずでサーセン、お義母さま。
……なんつって。
何か妙な妨害喰らってんのは、上層部一同情報共有しているし。
あーでも、それも試練で、これくらいどうにかできないのって言われると頭を下げるしかないんだけど。
それにしてもこれはちょっと……よその奥様方、悪乗りしすぎでしょう。
ちなみに、この件について派手に拡散して(くれて)いるのは主に年上の女性ばかりで、どうも同年代くらいの若奥様方は年配の人に頭抑えられてる……っぽいっていう話もあるけど、どこまでホントなんだろ、それ。
コネが欲しいのは向こうも同じじゃないかと思ってたけど、違うのかな?
それともあれか、空条の嫁ってだけで攻撃対象なん?姑多すぎ、空条。
沈鬱な表情を作って、言外にお前らのせいで余計な方面まで迷惑被ってんだけどゴルァ、という雰囲気を悟らせるようにする。
「“若”奥様」
「はい、何でしょう?天上さん」
天上さんもノリノリだ。何気にヘイト溜まってたんかね。
「よろしいので?」
何が、とは言わない。つまりひきこもり宣言に対してだろう。
「少し早い、育児休暇だと思えばいいのよ」
にこって笑って言うと、ざわめきが今度は一気に静まり返った。
うん、これで少しは男漁りだなんて不名誉な噂も消えるだろう。
けど今度は結婚前から遊んでたとか、そんな現状もろくに調べてないような噂が出てきたりして。
それこそ本家から、色々請求とか訴訟とか行きかねない案件だわ。
さて、つまらない嫌がらせで随分時間を取らせてくれたけど……今後は果たしてどう出るんかね?
それから数日後。
私は現在の自宅である本社最上フロアから、旦那さんのご両親の住んでいる本家に移動していた。
旦那さんが不在がちな今、義理とはいえ親がいて使用人の数も多く、セキュリティも万全な本家の方が安心できるからという判断だった。
迷惑を考えて実家に帰ることももちろん考えたんだけど、やっぱりどうしたって安全面ならこっちに軍配が上がるからね。
双方の親とも相談した結果、こうして私は空条本家で上げ膳据え膳、お世話をしてもらう事となった。
あ、ちゃんとお医者さん指導の元、適度に運動してるんで。
むしろ周囲の男(親)の方が気を使いまくってうるさいくらいだから。
そんな現状の私にとって、お気に入りは図書室。
ここ、蔵書率そのものもさることながら、なぜかラノベコーナーがあったりするんだよ、何故か。
ラノベ、って言うには少し古い年代の本ばかりだけど。
生まれる前に読んだ事があったと思うような懐かしさを感じつつ、本を手に取り読んで浸っていれば、あっという間に時間は過ぎる。
「まあ、櫻さん。いないと思っていたら、こんなところにいたのね」
こんこん、というノックの音の後、部屋に入ってきたのは空条のお義母さま……空条美沙都さんだった。
ゴージャスにゆるく巻かれたハニーブラウンの髪に、意志の強さをそのままうつし出しているかのようなきりりとした瞳。
アンチエイジングのたまものでもあるのだろうけど、間違い無く同年代の奥様方より若くていらっしゃる。
美貌もさることながら、幼いころより富豪の娘として背負ってきたモノが違うのだろう。
にわかセレブの自分とは、格が違うのだ、格が。
「あー、どうも、お邪魔しています」
「よろしくてよ、ゆっくりしていらして。……それで、何を読んでらっしゃるの?」
「『放課後シリーズ』です」
「アラ懐かしい。昔ハマってたのよね」
……どうやらここのラノベコーナーの所有者は、なんと驚くべき事に、お義母さまだったようです。
「率直に言って、何でこんなのがあるんだろうって、ずっと謎だったんですよね。まあ、有効に利用させてもらってますけど」
何かよくわかんない汗とか出そう。
いや、悪い意味ではないし、不穏な空気とかでもないんだけど。
「ふふ、これは夫にお願いして、置いてもらってるのよ」
そういうお義母さまの表情はごく普通に楽しげで、巷で噂されているようなご夫婦の不仲な様子など微塵も無い。あるぇー?
それはともかく、ええと……実はもしや、ご同類とか呼ばれる類の方でしょうか……。
サブカル的な……そこまで行かなかったとしても、嗜んでいた的な……。
しかしどうやら、同類は同類でも、別方面のご同胞であったようです。
「そういえばアナタ……ご実家ではゲームを嗜んでいらっしゃったとか?ネット小説と呼ばれるジャンルにも造詣が深いと」
「アッハイ」
え、何急に。
いや調べればすぐバレる事だし、自己申告してなかっただけで今更なんだけどさ。
まさか、お義母さまもゲームをしてたとか、そういう……?
やー、やーやー、まさかやっててもシミュとかアクションとかでしょー?まさか乙女ゲーとか、そんなー(棒)
「それなら……最近の流行りで、乙女ゲームに転生する話があるというのは、ご存じ……ですわよね?」
確信キター!!!
「うふふ。ねえ、この世界はどうやら、その“ゲームに転生”する人が何人もいるらしいわよ。……例えば……このわたくしですとか」
マジっすかーーーー!!かー、かー(自主的エコー)
お義母さまに言わせると、この『世界』はどうやら何人もの過去世の記憶持ちがいるらしい。
「本当にそれが転生によるものかどうかまで、実証できた訳ではないの。……というかねえ、それを言ったら今度はこっちが疑われる番でしょう?」
そりゃそうだ。
私だって旦那さんになった人に、何もかも話した訳ではないんだし。
「“仮に”って話になるわね、どうしても。……少し、昔の事を話してもいいかしら」
そう前置きしてから話し始めたのは、お義母さまがまだ彩星学園の高等科に通っていた時の話だった。