Act.3
「がっしゅふ!」
部室の扉を開けた笹川が発した第一声が、それだった。走ってきたのか、かなり息があがっている。
「ガッシュフ……たしか、どこかの伝統料理だったかな」
「あ、この間の祭の屋台で出てましたよ」
「とっても辛いんですよねー」
笹川はびしっと僕たちを指差して目尻を吊り上げる。
「でぇい!うるさい!私は合宿と言ったんだ!あと、ガッシュフなどという料理は存在しない!」
「はっはっは……で、合宿とは何だ部長。どこで何をする」
一橋の真っ当な質問を受けて、笹川が我が意を得たとでも言うように顎に手を当てる。ちょっと鬱陶しいなこの人と思った。
「ふっ……よくぞ聞いてくれたな一橋!もうすぐ梅雨が始まるというこの時期、我々はと言えばのんびり部室でだべっているばかり。そりゃあいけないと思い立ち、この部長・笹川が打ち出す新企画だ!」
「その内容を訊いているんだがな」「部長ー、答になってないですよー」
「まあ慌てるな皆の衆、ちゃんと言うから」
笹川はコホンとわざとらしい咳払いをして、その内容を話し始めた。
「今週の土日、一泊二日で考えている。行き先はここから電車で三時間くらいの町でな、自然がいっぱいでいい所……らしいぞ」
「「「らしい?」」」
「うん……らしいぞ」
笹川は気まずそうに目を泳がせている。
僕の攻撃。
「まさかそれ、急にそんな景品をもらったとかじゃないですよね。例えば、福引きで当たったとか」
「んぬっ」笹川は九のダメージ。
鈴沢の攻撃。
「ひょっとしてー、今日は福引きしてたから遅くなったんですかー?」
「ぬぐっ」笹川は四のダメージ。
一橋の攻撃。
「それで慌てて来たのか」
笹川は三のダメージ。笹川は倒れた。そして涙目になった。
「そうだよ! その通りだ! 見事な推理だおめでとう! で、行くのか? 行かないのか?」
どうしようかなと考えながら周りを見渡すと、案の定と言うべきか、鈴沢と一橋は行きたそうにうずうずしている。
「このチャンス。無駄にしたらもったいないからな、うん」
「お泊まりー、ふふっ」
「葛城はどうする?」
「それは……」
その場にいる全員が期待と希望の眼差しを俺に向けている。
「……行きます」
「決まりだな。では、土曜の朝九時に駅前に集合だ」
そして当日、土曜日の朝。
早めに来すぎたかなと思いつつ駅に向かうと、すでに全員揃っていた。それぞれお洒落な私服を着て、普段見慣れている制服とはまた違った印象を受ける。
「みんな揃ったな。よし、行くぞ!」
電車に揺られて数時間、トランプやポーカーで暇を潰し、明らかにそのせいで目的地に着いた頃は全員すっかり酔っていた。
「う、っぷ……着いたぞ」
「そのようだな……フラフラしているせいで感動できないが」
「どこかで休みましょうかー……?」
「いや、旅館は割と駅から近いんだ。とっとと行ってしまおう」
その言葉を信じて数十分歩くうちに、吐き気より疲労が勝つようになった。
「まだ、ですか? もう大分歩いて、ます、けど……」
「もうちょっとだ、もうちょっと。道は合ってるはずだが。あ、あれあれ、あれだよ」
笹川が指し示す方を見てみると、前方、遥か遠い山の中腹にぽつんと建物らしき影が見える。
「まだあんなに……」
ため息混じりに気合いを入れ直した瞬間、俺達の横をローカルバスが悠々と走り去っていった。
「すいません部長」
「何だ」
「バスあるんじゃないですか」
「そのようだな」
「調べなかったんですか?」
「四人なら乗り越えられると思って……」
「ふざけるな」
「ごめんなさい」
僕たちはそれでも何とか旅館まで辿り着き、そのときにはみんなの顔色は土気色に脱色されていた。
「あらあら、いらっしゃい。お待ちしておりました」
女将さんが小さい子供を見るような目で僕たちをもてなしてくれて、どうぞお部屋はこちらですと言って僕たちの前を歩き始める。
「あの……駅から近いって聞いてたんですけど……」
笹川が疲弊しきった声で尋ねる。女将はさも当たり前であるかのように平然とした声で、
「ええ、そうですよ? バスで十分。近いでしょう」
いとも簡単に笹川のモチベーションをぶち壊した。
「それに、うちが一番近いんです。他の旅館となると、うちが建っているこの山ひとつ越えてさらに十キロほど行ったところに」
「そうですか……」
笹川は幾分か救われたようだった。自分たちの努力がまだ楽だったと思いたいのだろう。
「こちらです。どうぞごゆっくり」
女将は三階の大部屋に僕たちを案内し、風呂の時間などの説明を終えて「では」と襖から出て行こうとする。
うん? 何かおかしくないか?
間違いだったら恥ずかしいので、こっそり部長に問い掛ける。
「部長」
「何だ」
「僕の部屋は、どこですか?」
「ここ」
「じゃあ部長の部屋は」
「ここ」
「鈴沢さんや、一橋先輩の部屋は?」
「両方ともここ」
「馬鹿か」
「いや、今度は本当にわからないんだけど」
「貞操」
「お前、私を押し倒すつもりか?」
「いや、そういう訳じゃないですけど……」
「じゃあいいじゃないか。やるつもりのないことを訊いても詮無いことだよ」
「そうですけど……」
ふと襖の方を見れば、女将はにやにやと笑いながら、「どうぞごゆっくり」と言って出て行った。
えぇ……?




