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源氏物語:零  作者: Salt
第一章
9/65

袿(うちき)

描写は少ないですが、打橋のシーンなのでグロ注意


桐壷側視点

 艶やかな黒髪が乱れ箱にあるのを取り上げて、束ねている紙の紐をほどく。

ゆするつきを傾けてわずかに湿らせ、つげの櫛で丁寧に梳きあげる。

 女房たちに助けられて身を起こすと、黒髪が生き物のように身に添った。


「つくづくお美しいっス」

 女房の一人が感に堪えぬようにつぶやくと、更衣は涼やかに微笑んだ。

「ありがとよ」

 それでも彼女たちは知っている。

容姿など彼女の長所のほんのささやかな一つでしかないことを。


「今度から調子を崩したらさっさと里に逃げ出すさ」

 更衣の言葉にみんながうなずく。

「その方が安心ですわ」

「各所の攻撃をかっ喰らわないですみますしね」



 待ちきれない帝が早足で渡る足音が、通り道となる女御たちの耳元に響く。

 後宮の佳麗三千人 三千の寵愛一身にあり

 訪れの少ない女御のもとに来ていた身内の殿上人が皮肉な様子で口にした。


「そうやたらと来んな。他のみなさんのことも考えろ」

「あなたのことしか考えられない」

 帝は更衣を抱きしめながら応える。

「身分順に扱わなきゃマズいだろ」

「世の中なんか滅びちゃえばいいのに」

 国の平安を祈るものにふさわしくない言葉を口にして叱られる。

それすらも嬉しそうだ。

「ずっとここで過ごしたいけれどそうもいかないから、明日は私の方にきてくださいね」

 刻を合わせて戻っていった。




 かすかに開き始めた梅の香が夕闇をあまく染める。

その日更衣に従ったのは五人の女房たちだ。

打橋にさしかかると最後尾の女房が、閉められないようにその身を使って戸を抑える。

「うっ!」

 先を行く女房は足を止めた。あまりのことに呆然と目を見開いて黙り込む。

他の女房たちも覗き込み、鳥肌を立てて息をのむ。


「戻りましょう。これはひどい」

「しかし……帝が待ちかねていらっしゃる」

 廊は汚されている。先には進めない。

 が、一人の年若い女房がふいに唐衣を脱ぎ、()を外すとその下の袿を脱いで手に取った。


 想定される時代より下るが長徳二年(996)の資料によると、袿一枚の値は七百文。

馬が六百から千五百なのでバイク一台分くらいの価値かなと思う。

また一枚の袿に何千頭もの蚕を使う。貴重なものと言わざるを得ない。


 更衣が気づいて止める間もなくその女房は袿を使って床を払った。

「!」

 一瞬遅れてリーダー格の女房がまだ濡れたままの床に自分の袿をかぶせる。

慌てて脱ぎ始めた他の二人を制した。

「ああ、片方でいい。お方さまを送り届けねばならん」

 そのままさっさと指示を出し、正装のままの一人を渡らせて戸を開かせた。

「もうそっちはいいぞ、こっちに来い」

 後ろの戸を守る女房を呼ぶと駆け寄ってきた。

「ずるい!あっしもそれやりたかった!」

「へへへっ、いいだろう」

 最初の女房が得意そうに片目をつぶった。


 行事や季節変わりの折りなど、更衣の里から女房たちに衣装が下賜されるが、

日常の暮らしに足りるほどではない。

ましてや少し前からひっきりなしにお召がある。

他の方々に笑われない程度に装うため、

それぞれの女房は無理を言って自分たちの里に用意をさせている。

 そして汚れた袿は二度と使うことはできない。


 扇の影の更衣の頬を大粒の涙が伝う。

「化粧が崩れますぜ」

 近くにいた女房が自分の袖でその涙をぬぐった。


「すぐに着替えて後を追います。一切の心配は無用っスよ」

「おまえら、お方さまをしっかり守れよ」

「おっと合点、承知の助よ」


 謝罪の言葉を告げようとする更衣をリーダーが止めた。

「一言もいりません。みな勝手にしただけです」

「あったりまえでぃ」

「さあさ、行きますよ」


 衣擦れの音が辺りに響く。一行は前を見た。

振り返る者はだれ一人いなかった。



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