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源氏物語:零  作者: Salt
第一章
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裏切り者

弘徽殿視点

「コトは陣の座で起きているのではない!洛中で起きているのです!!」


 休憩時間に場を抜けてきげん伺いに来た父たる右大臣を叱り飛ばす。

 彼はちょっとしゅんとした。


「わしはわかっておるよ。しかしなあ、害を受けたものが民だけなのでだれも本気にならぬのじゃ」

「大したことではないでしょう!検非違使(けびいし)を動かせばよいのですっ」

「それがじゃな、検非違使別当であり参議でもある衛門えもん(かみ)が宇治の別荘に行っておるのじゃ」

「スルーしてかまわないでしょう。不逞(ふてい)(やから)が女を奪い、民を襲って治安を乱しているのですよ!」

「ことはそう簡単ではない。その者たちはどうも衛門の督の使いだてる放免(ほうめん)(罪を許されて検非違使のもとで働く罪人)らしいのじゃ」


 私にとっては単純な事項だ。犯罪者集団が民を襲って彼らのささやかな資産を奪い、女をさらっている。

しかし彼らは妙にこずるくて、一定以上の地位の者には手を出さない。

陣の座に上がるほどの事項なのに公卿(くぎょう)たちは誰も本気にならない。


「それではお父様が取りまとめて定文(さだめぶみ)をだしましょう」

「と、わしも思ったが、左大臣殿が反対されてな」

「なんですって」


 温和で知られる左大臣はうちの父が唯一かなわないほど名門中の名門の出身で、

あまつさえ主上の同腹の妹さえ降嫁している。


「あの方が言うにはな、こんな欠席裁判のような状態で勝手に検非違使を使ったら衛門の督が恥をかくからお帰りになるまで待つべきだとおっしゃるのじゃ」

「阿呆なんですか、あの男は」


 公卿間の評判は非常にいい。だが私は実はただの間抜けではないかと疑っている。


「そうしている間にどれだけの被害を出すと思うておる!」

 私は勢い込んだ。

「わかりました。お父様こうなれば仕方がありません。我が家に仕える兵どもを使って…」

「娘よ」


 父が優しい声でさえぎった。普段は彼からも、女御さまと呼ばれることに慣れていたので、

久しぶりの呼び方に身を固くした。

「主上と何があったのじゃ」


「なにも………ありません」

「それならいいが、おまえが政に特に力を注ぐときはそんな時が多いのう」

 早口な父がいつもよりゆっくりと話す。

「おまえが望むのならずっと里に戻ってよいのだよ。もう、一の宮をもうけておる。

東宮は病弱でいらして長くその地位にいらっしゃるとは思えない。

おまえが主上のもとを離れても戦うことはできるのだよ」


 里に腰を落ち着けたまま父の力で息子を東宮の地位につけ、主上をできるだけ早く引きずりおろす。

よくある手口だ。ありふれた権力闘争。むしろ効率的かもしれない。


「………いやです」

 自分の声が遠く聞こえる。

「あの方と離れるのはいや!いやなんです」


 無邪気な笑顔で迎えてくれた年下の少年。二人で過ごした日々。

 初めて生まれた子を見せた時のあの嬉しそうな顔。


 父は立ち上がった。

「わかった。それではその方向性でいこうかの。それと……誰かある!」

 その声に家人が飛んできた。

「兵どもを集めて、右京、淳和院近くにつどう狼藉者どもを取り押さえよ!

急げ!時は待ってはくれぬぞ!」

 彼らをせかすと微笑んでこちらを見た。

「また右大臣の拙速と言われてくるわ」

 胸がじんとした。



「えええいっ、腹の立つっ!」

 鉢巻きを締めなおして書に挑む。

「このままでは字が上達しすぎて三筆の域まで達してしまうではないかっ」

 書き捨てたみちのく紙もたまりすぎる。

「大丈夫です。最近他の女御さまや更衣たちの女房が争ってこの反古をもらいにきます」

「なかなか見る目があるのですね。手本にするのですか」

「いえ、魔除けになると評判です」

 どういう意味だ、それは。


「ところでおまえに聞きたいことがあります」

 乳母子が私を見返した。

「は、なんでしょう」

「先日、あのとるに足りないミジンコ以下の存在の更衣が自分の不摂生で病みついた時のことです」

「はい」

「こともあろうに主上がまだ病が感染りそうな時期に強引に見舞いに訪れたと知らせがありましたね」

「はあ、ありました」

「あれは誰に知らせを受けたのですか」


 主上の女房は口が堅い。その忠誠心はもっぱら彼にだけに向く。

わが弘徽殿の者との関係は決して悪くはないが特に肩入れするわけではない。

 そして更衣は病みついたばかりでまだ噂さえ流れていなかった。

 知っていたのは更衣の女房と、お召のために訪れた主上の女房だけだったはずだ。


 乳母子はにんまりと笑った。

「更衣の女房の一人です」

 意外そうな顔で乳母子を見つめてしまった。


「取り込んだのですか」

「取り込みました」

 得意そうに説明する。

「あの更衣に仕える者の里は筋はいいが暮らしが逼迫しているものが多いです。

その一つをうまく籠絡して右大臣さまに仕えるようにたくらみました」

「ふむ」

 あまり好きな手口ではない。が、自らの足りない頭を必死に使って何とか私につくそうとしている彼女を否定したくはない。 


「今やその者はわが手先。犬のような存在です」

 釈然としない。が、その気持ちを呑みこむ。

裏切るような女房を持つということは主人としての力が足りないということだ。

あの更衣はこの私を見習うべきである。


「そうですか。ご苦労です」

 乳母子はずい、と膝を寄せた。

「女御さまに逆らうものはこの私が許しません。絶対に、生まれたことを後悔させてやります!」

 頬を歪めて彼女は笑った。

 











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