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源氏物語:零  作者: Salt
第一章
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桐壷視点

 熱を出した。体に力が入らない。大袿(おおうちき)をいくら重ねても寒い。ひどくのどが渇く。

 私の女房たちは音を立てずに動き回った。

 あるものは冷たい井戸水で額を冷やしてくれる。

 また別の者は(ほお)の葉を煎じて飲ませてくれる。

 (ひさし)には(げん)のある僧が壇をこしらえて祈祷(きとう)する。

 その声を聴きながらうとうととまどろんだ。


「お待ちください。ただいま伏せっておりましてお会いできそうにもございません。どうか本日はお帰りください」

 聞こえてきた女房の声が必死だ。

「どんな様子だってかまわない。どうしてもお見舞いしなきゃ気がすまないんだ」

――――来たか、あのバカ

 私の愛する男は空気など一切読まない。自分の心に忠実で他の思惑などまるで考えない。

 この見舞いで他の女御たちがどんな気持ちなるかとか、瀕死でもない限り帝の訪れがあったら病人でも御帳台の浜床を下りなきゃいけないが今けっこうきつくて相当に困難であるとか。

 それはなんとか耐える。耐えてみせる。が、帝自身が見舞いによって風邪でも感染ったら、私はともかく女房たちの身の上が危ない。

――――何とか間に合ってくれ

 心のうちで必死に祈った。


「通してください。どうしても更衣さんに会いたいんです!」

 帝の声は悲痛な色を含んでいる。

――――まったくこいつは

 迷惑だ。迷惑なんだが………女冥利(おんなみょうり)に尽きる。

「しばし!しばしお待ちくださいませ。せめて読経が終わるまで……」

「待てないっ」

 帝は叫んだ。

「今すぐ彼女に会いたいんだっ!」

 言葉の飾りをすべて捨てたナマな声。魂の深淵ににまで絡み付く。 


「――――それがあの者のためになりますの」

 感情の見えぬ女の声が響いた。

 帝が驚愕のあまり固まる気配がする。衣擦れの音が人よりも鮮やかにその身を彩る。

「なぜ、こちらへ」

「あら、同じ後宮に身を置く者どうし、見舞いに訪れて何の不思議がありましょう」

 弘徽殿の女御はうそぶいた。帝はたぶん不審の眼を向けている。

「それではごいっしょに見舞いましょうか」

 少しふてくされた声が聞こえる。弘徽殿はあっさりそれを断った。

「女は病み衰えた姿を殿方に見せることを最も厭います。更衣であろうと同じこと。この場は素直にお帰りなさいませ」

「あなたは恐ろしいほど理性的ですね」

 怒りを抑えた帝の声。しかし明らかに気おされている。

「そうあろうと努力しております………いつでも」

 最後の一言に凄味が加わった。それは帝でさえ逆らえないほどの気迫に満ちていた。

「一度お帰りなさいませ。明日には多少落ち着きましょう」

 少し声をやわらげて繰り返す。帝はしばし沈黙を守ったが従わざるを得なかった。

「また来ます。みなさん、あの方に充分気を配ってあげてくださいね」

 女房たちに告げると尖った声で弘徽殿に対した。

「それではまた。時があるようでしたらお伺いします」

 ひどく失礼な言葉に彼女は怒りもせずに「お待ちしております」とだけ応えた。



 帝が去った母屋は凍りつきそうな気に満ちていた。

遠くなる男の背を見送っていた弘徽殿はすっくと立ち上がると一言もなくその場を離れた。

 引き連れた多くの女房たちも大半は無言であとに従う。

が、命を受けたらしい一人が残った。

「………これを」

 香壺に入った薬を手渡す。

 女は冷たい目で私の女房を見据えたそうだ。

「どうせお使いにはなられないでしょうが、女御さまの筋に伝わる貴重な薬草です。煎じて飲めば少しは楽になるはずです」

「貴重な品をありがとうございます」

 硬い声で女房は答えた。



「絶対毒っスよ!」

「処分した方がいいと思いますぜ」

「超絶ヤバイですわ」

 女房たちが口々に言いつのる。腕を組んでそれを聞いていたリーダー格が私のもとにきて尋ねた。

「………のむ」

 答えると女房たちは必死に止めた。

「わかりました。先に呑みますのでお待ちください」

 煎じられた薬草が運ばれてくると彼女はふいにぐい、とのんだ。

「リ、リーダーっ!」

 盛大にむせた彼女を案じてみんなが取り巻いたが、腕を振り回してそれを抑えた。

「超絶苦い。苦いが薬だ。大丈夫だ」

「よかったあ。更衣さまを守って殉死かと思ったぜ」

「勝手に殺すな。ひでえ奴だな」

 苦笑いして土器(かわらけ)を手に取るとこちらに呑ませてくれた。



 もらった薬はよく効いた。

 体も少し楽になった。

 だけど胸は重かった。

 目の当たりにした恋敵。

 勝者の余裕なんてまるでない。

 憎しみなんかは感じない。

 だけど………あのバカだけは、譲れない。


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