Nice Fight 弘徽殿
上質のみちのく紙を見ていると胸が躍る。
私は筆にたっぷりと墨を含ませた。
一気呵成に筆を走らせ、書き上げる。
『打倒! 桐壺!!』
なかなかみごとなモノだ。鉢巻までした甲斐があった。他の者ではこうはいくまい。
手蹟は王羲之 書法を基礎にして和風なテイストを加えたものだが、並の男手より勢いがある。
「素晴らしい! この美貌にしてこの才。家柄は宮家に次ぐ権門で、父は有能な右大臣。あっぱれ! 私!」
思わず私は自分を誉めてやる。
「あの……姫さま、じゃない女御さま」
乳母子が恐る恐る口をきく。
「何? おまえもこの見事さに感じ入ってるの? 遠慮せずともよい、存分に誉めなさい」
「はぁ…素晴らしゅうございます。たいそう気迫が籠り格調高く、一つ一つの字の力強さは確かに絶妙で、くずし方さえも他を圧する雄渾な趣きがあります」
私は満足げにうなづく。
「けれど、けれどでございますよ、女君としてはいささか力がこもり過ぎではありませんか」
私はむっとしてこぶしを握る。
彼女は少し腰を浮かせた。
しかし私は理性的な女だ。心を静めて言ってやる。
「もちろんそんなことは判っておる。内容にあわせて書いただけです」
「あの、その割には主上に書かれた文も同じお手蹟で……」
先日主上には、あんな下賎な女にかかわっているとろくな目に会わないからさっさと内裏から追い出せ、と書いてやった。
「あれは主上を思う真情とあふれかえる恋心によってああなったのです」
「お父上にかかれた文も……」
「数ならぬ身の更衣なんぞがよこしまに主上に取り入ろうとするので、それをしっかりと伝えようとして正義の心が燃えたのです」
付け加える。
「もちろん私怨などではありません」
「ご姉妹に届けられた物も……」
「やかましいっ! おまえはこの私を愚弄する気かっ」
天を裂くような私の一喝に、彼女は腰を抜かした。抜かしながらもまだ言葉をやめない。思ったより根性がある。
「私は姫さまのいさましいお手蹟が好きです。ですが、主上は連日あの女をお召しになります」
「何が言いたい」
「あの賎の女はいささかか細い姿をしております。そしてその手蹟も繊細系。つまり主上は頼りなげな字、頼りなげな女が好みなのではないかと」
「ほう、おまえは自分の主人を主上の好みに合わないと貶めるつもりか」
「めっそうもございません」
乳母子は脅えつつも言いきった。
「姫さまはお美しく素晴らしい。その完璧な御身にそこはかとなき弱さを加えると、主上も気楽においでくださるのではありますまいか。今のままでは天女や菩薩のように人とは言えないほどの高貴さがかえって徒になっていらっしゃる気が致します」
「ふむ」
その気持ちはわからんでもない。至上の御方とも言える主上だが、私の偉大さはそれを越えているので不安になっておられるのだろう。
「よろしい。遠慮せずともよい、と早速文を書いてあげましょう」
何故だが彼女は肩を落とした。
全く、シャイでツンデレな男とはやっかいなものだ。
唐渡りの極上品の青磁をもったいなさすぎて使えずに、仕方なく土器で食しておるようなものだ。
ここは一つ私のほうから気を使ってやらねばならない。
「いえ、姫様の方からではやはり…恐れ多いと主上ですらお考えになるでしょう。どうにか我々の方でアプローチしてみます」
自信なさ気に彼女はつぶやいた。
うむ。自分の心に正直になれぬ男を主上に持ったばかりに、私の女房たちまでが苦労する。いや、主上ばかりではない。元凶はあいつだ。桐壺だ。
再び怒りが込み上げてくる。
「えーい、あの女をただ置いてはおけぬわ。懲らしめてやる」
ほっとしたように彼女が答える。
「その件でしたら手を打っておきました」
流石はわが乳母子。なかなか仕事が速い。
「私はそのような事など聞きません」
上流の姫君らしく、威厳を持って伝える。
「ですがおまえがそこでつぶやくことは勝手です」
「はっ。某女御さま付きの女房と示し合わせて、馬道を渡っているときに両側の錠を閉ざしてやりました。この寒風で蒲柳の質のかの女は相当に弱ったはずです」
「なにいっ!!」
私の剣幕に彼女は後ずさった。
「や、やり過ぎでしょうか」
「ちがうっ!問題はそこではないっ!」
あつかましい格下の女に天誅が下されようがそれはかまわない。しかし私は納得できぬ。
「よその女房の手など借りるなっ!」
我が声ながら天の雷の如く鳴り響く。
「人手など借りるは我が名折れ。おまえたちだけで存分にいたぶりなさいっ!」
「はっ……」
乳母子は恐れ入って頭を下げた。